第一章 自己記録更新
第2話 告白の前に自己紹介を
「「ここが」」
「フローシュマイン」
これが太一の発した言葉である。
「ス・ルーシャ」
そしてこれが、太一の右隣から聞こえてきた声だった。
太一は思わず右へと目を向ける。その目に飛び込んできたのは、なぜかメモ用紙を斜めに持って、それに合わせるようにして首をかしげた女の子の姿。
それに合わせて、女の子の髪が揺れる姿に太一は一瞬見とれた。
かなりやばかった。実のところ、その時点で決着は付いていたのだ。
しかし、状況はさらに太一を追い詰める。隣の女の子もまた太一の声に不審を抱いたのだろう。彼女もメモ用紙から目を離して左を向いた。
その瞬間、太一の頭の中で爆発が起こった。宙に浮いたような感覚に襲われたのは、きっと頭の中の爆風に吹き上げられたからだ。
ふわふわの柔らかそうな髪。栗色にも見えるのは髪の一本一本が細すぎるせいだろう。蛍光灯の作り出す単調な光の中でさえ、艶やかに輝いている。
細いけれどもしっかりとした眉、スッと通った鼻筋に、引き締められた口元。でも唇はふっくらと色づいていた。
そして、その瞳。
――カチッ。
告白までのカウントスタート。
時に西暦二〇XX年九月十七日(日)午後二時四十七分二十五秒。
太陽が嫌がらせのようにぎらぎらと輝く、残暑の厳しい日のことだった。
*
今、二人が睨み合って――いや、見つめ合っている場所は新葉が丘駅のいわゆる駅ビルだ。それも、県庁所在地が「こここそは我が県の玄関でございます」と言わんばかりに張り切って建てた、気合いの入った駅ビルと同程度の規模を誇っている。
では、この葉が丘という街が県庁所在地かというとそんなことはない。むしろ真逆と言っても良い。
そもそも新葉ヶ丘駅というのは都心から電車で三本。それも前の二本をほとんど端から端まで乗り継ぐことになる。そして、三本目の葉丘線の終点に新葉ヶ丘駅があった。
要は田舎の中の田舎で、普通に考えれば無人駅の一つぐらいで納得できそうな場所なのである。実際この場所は地図で見れば山に囲まれた、小さな盆地でしかない。
だがこの盆地に、十年ほど前から信じられないほどの資金が注ぎ込まれ、この駅を中心とした盆地は、県庁所在地、いや都心と見紛うほどに開発が進められていた。
そして二人が店先で向き合う店も、この町の発展ぶりを当て込んで、二号店をこの駅ビルに出店した洋菓子店「フローシュマイン」
――そう「フローシュマイン」が正解である。
「好――」
「す?」
女の子の目を見たまま、好きです、と告白しかけた太一はそこで思いとどまる。そのまま告白していれば二十三秒フラットという最短記録を更新するところだった。しかし過去の経験が少しばかり太一を利口者にしていたらしい。
すんでの所で間を取ることを思いつき、さらには相手の名前すら聞いていないことに気付くことが出来たのだ。
「“す”がどうしたのよ?」
だが、太一が告白する相手は、とても今から自己紹介をしてくれそうな雰囲気ではなかった。こちらはこちらで太一に睨まれている、とでも思いこんでいるのかも知れない。太一は苦し紛れに、さきほど彼女の言葉を繰り返した。実のところ気になっていたのも事実である。
「ス・ルーシャ」
「は? ええ、この店はス・ルーシャよ」
「え、フローシュマイン……」
相手があまりにも堂々と言うので、太一も自信を無くし、弱々しく自分が探し当てた店をもう一度見てみる。大きなガラス窓に金色で描かれた店名は「フローシュマイン」
やはり、間違いない。
隣は、と思ってみてみればまた斜めのメモ用紙相手に首をかしげていた。可愛いとは思うが、さすがにそろそろ突っ込むべきだろう。
「そういう見方をしても変わらないと思う。それに店の名前も違ってましたよね」
太一がそう言うと、女の子は器用にも耳だけを真っ赤にして、必死になって羞恥に耐えていた。そして、小さな声で一、二、三、と数えると、努めて平静を装って太一の方へと改めて目を向けた
“装って”いるのがバレバレなのが、何とも手抜かりだ。年上だろうと思っていた太一だったが、案外年は近いのかも知れない。
「……どうもそのようね。教えてくれてありがとう」
左手でさっと髪を振り払いながら、女の子はどこか突き放すような声でそういった。
少し低めに感じるその声には、細かなビブラートが掛かっていて、ますます太一の好みだった。
ここで逃すわけにはいかない。
「あの、俺この辺りよく知らないんで、この店も携帯で適当に調べただけだし。もし、そのス・ス……」
「ス・ルーシャ」
「そうそう。その店の方が美味しいんなら、そっちの店を教えて貰えると有り難いです。お勧めのケーキなんかも」
言ってから、これは間違いなくナンパだ、と太一は気付いたが今更どうしようもない。
第一、一度は告白しようとしたのだ。ナンパの一回や二回で怖じ気づいていても仕方がない。
「……この辺りを知らないの?」
ところが相手は太一の思いも寄らないところに食いついてきた。
「う、うん」
「ひょっとして、私のことも知らないの?」
さすがに、その言葉には太一も引っかかった。まるで、自分のことを芸能人か何かと思っているかのような言葉だ。
太一は改めて、まじまじと彼女を見つめてみる。ふわふわの髪の毛を押さえているカチューシャは、どうやら漆細工物らしい。細かな蒔絵を施されおり、かなりの逸品と見受けられる。
だが、言うまでもなくえらく古風な雰囲気だ。そう思って服装の方を見てみると、薄いベージュ色のシャツはフレンチスリーブ。紺色のスカートも今時の女の子にしては珍しく、膝丈まである。おまけに靴下は白のハイソックスだ。
テレビ出ていてもおかしくないほど可愛いし美人だとは思うけれど、いくら何でも格好が時代掛かりすぎている。
――いや、そうじゃなくて問題はこの子を知っているかどうかだ。
「ああ……知らないんだけどいけなかったかな――ですか?」
「ああ、そういうことなの。ええ――」
そこで初めて、女の子は正面から太一を見た。太一は視線を感じて思わず身を堅くした。
そして、おかしな格好をしていなかったかと、自分の出で立ちを改めて思い出してみる。
いつ買ってきたのか、それとも妹が買ってきたのかは全然忘れてしまったが、白のTシャツにプリントされている柄は無難なデザインだったはずだ。はいているジーンズにも嫌われる理由はない。
ごく平凡な顔の方は今更どうしようもないとして、髪は――
一時期長くなったのを、少し前に以前と同じように短くしたばかりだ。スポーツ刈りとまではいかないが、あまり女の子受けする髪型ではない。
しかしそんな太一の心配を振り払うように、女の子は笑顔を太一に向けた。
「私は
笑うと右頬に片えくぼが出来る。さらにダメを押すように、同じ側に八重歯が覗いていた。
可愛らしいパーツが右側に集中している人だな、と太一は感心した。そんな太一を見て、その女の子――梢がコクリと首をかしげる。恐らくは太一の自己紹介を促しているのだろう。そんな仕草もまた凶悪だ。太一はいささか慌て気味に、自己紹介を返す。
「あ、お、俺は七草太一」
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