敏腕マネージャーのギャップと、タイムリミット。

あれだけあった機材が全て運び出されると、本当にただの民家のようになってしまう。


リビングにあるテーブルを囲むのは、俺と、美々子さんと、美々子さんのマネージャーの丸内さん。


「なんで止めたんだよ」


美々子さんが、丸内さんを睨みつけながら言った。


その睨みに全く動じることなく、丸内さんが答える。


「あなたの演奏ではなかったからです」

「あんたに、あたしの演奏がわかるのか?」

「誰があなたを見つけたと思っているんですか?」

「……そうだけど」


ふてくされるように、美々子さんが舌打ちした。


「桜は関係ないだろ。なんで引き留めたんだ」

「関係あるからです」


丸内さんの視線が、俺に突き刺さる。


「あの、俺、何かしましたかね……」

「よくそんなとぼけ方ができますね。同棲を筆頭に、いきなり偽のマネージャーになったり……。あなたが相生さんに与えた影響は、測り知れません。それは、彼女がヴァイオリンを始めた理由についても言えます」


……どうやら、知っているらしい。この人は。


美々子さんは、俺の笑顔がきっかけでヴァイオリンを始めているということを。


「桜は関係ねぇよ。あたしがふがいないんだ」

「いいえ。そうやって、自分で責任を負おうとしても仕方ありません。明らかに、この男が影響しているじゃないですか」

「違うぞ桜。あたしは――」

「今日から、同棲はやめてもらいます」

「……はぁ!?なんであんたがそんな」

「野並くんの父親から、許可も頂きました。確かに、あなたの芸能活動を守ってもらえるという意味では、メリットもたくさんありましたが……」

「だったら!」

「しかし。それも完璧ではなかった。ファミレスの件、記憶に新しいはずです」


丸内さんの言う通りだった。


記者やマスコミは封じられても、結局不意に訪れる一般人のカバーには、限界があったということだろう。


「だから、それは謝っただろ?桜とのマネージャー作戦で、誤解も解いていけるし」

「今後また同じことが起きた時に、この作戦はもう使えなくなってしまいます。わかりますか?」

「わかってるよ。次は無いって。気を付けるから」

「まるで、ダダをこねる子供ですね。でも、あなたが何を言おうと、同棲は中止です。もう今日泊まるホテルも用意しました。そこへ行ってください」

「何でそんな勝手な」

「最高の音楽を録るためですよ。私とあなたの目標は、きっと同じであると信じています」

「……くそっ!!!」


美々子さんが、走って出て行ってしまった……。


……そして、俺と丸内さんが、リビングに。


「あ、あの、丸内さ」

「はぁ~~~~~。やってしまったぁ~~~……」

「えっ……」


丸内さんが、急にテーブルに突っ伏した。


そして、顔を半分だけ覗かせて、こちらを見つめてくる。


「……どう思いますか?さっきの私。完全に嫌な上司でしたよね」

「い、いや。どうですかね……」

「はぁ~~~~~もう。どうしていつもこうなるのよぉ~~~」


そこには、さっきまで背筋をピンと張って、真面目に厳しく美々子さんを追及していた女性はいなかった。


「……もうやだ。仕事やめたい」


……ただ、可愛らしく半べそをかく、綺麗な大人の女性がいるのみだったのだ。


え、なんだこの変わり用。中の人が変わったのか?


「すいません。取り乱しました。今のは忘れてください」

「あっ、はい……」

「私のこと、嫌な女だと思いましたよね?絶対。間違いなく。完全に」

「そんなことは」

「嘘ですよ。思ってますよ。このメガネ女に、俺と美々子の愛の何がわかるんだって。思ってるんでしょう?」

「思ってません……」

「早く家に帰って、美々子とイチャイチャしてぇ~!とか、思ってましたよね?」

「だから、思ってないですって」


なんなんだこの人は……。キャラクターの振れ幅がデカすぎるだろ。


「どっちが本当の丸内さんなんですか……」

「どっちも私です。気にしないでください」


無理な要求だった。気にしないわけがない。


「相生さんなら、安心してください。一晩ウン万するホテルを用意させましたから」

「ありがとうございます……」


俺がお礼を言うのも、おかしな話だけど。


「えっと、その。同棲中止っていうのは」

「あれは嘘です」

「え」

「あなたの父親が、そんなこと許すわけがないでしょう」

「まぁ、おかしいとは思いましたけど……」

「彼女を奮起させたかったんです。けど、結局衝突してしまっては、意味がありませんね。あれで、昔はもっと素直な子だったのに」

「二人は、長い付き合いなんですね」

「はい。未だにお互いわかりあえていないのが、寂しいところですが」


丸内さんが、深いため息をついた。


「ただ――。あなたが、相生さんに影響を与えてしまっていることは、真実です」

「……そうなんですか」


碧先輩が呟いた、「違う」という言葉。


……俺のせいで、演奏に影響が?


「彼女は、あなたも知っての通り、野並桜という男をエネルギーにして、毎回ヴァイオリンを弾いています。それはとてもいいことです。きっと、あなたが生きている間は、ずっと成長し続けてくれる。そう思っていました。が、しかし」

「しかし?」

「その成長のスピードが、こちらの想定を遥かに超えていきました」

「……なるほど?」

「ピンと来ていませんね」

「すいません……」

「つまり、相生さんの演奏技術が進化しすぎて、あなたという存在を、ついに超えてしまった。そうなると、もはやあなたがいなくても、彼女はヴァイオリンを弾き続けることができる。それどころか、むしろあなたがいることで、成長をせき止めてしまう可能性すらあるわけです」


馬鹿な俺でも、ここまで丁寧に説明してもらえば、理解できた。


……そうか。俺はもう――。


「かと言って、好意を抱いている男子から引き離すと、反発は間違いない……。ですが、レコーディングは行わないといけないので、一旦同棲を中止していると言ったほうが、有効だと思いました。レコーディングが終わったら家に帰してやる。そんな風に伝えようと思ってます」

「……はい」

「寂しいですか?相生さんと離れるのは」

「いや、そんなに長い期間ではないでしょうし」

「……そうですか」


しばらくの、沈黙。


ドアが開く音が、それを破った。


「野並。タクシー来たから」

「あ、はい……。あの、すいません。俺、そろそろ」

「最後に、一つだけ」

「はい」

「……相生さんに、もっとしっかり向き合って欲しいです。彼女がかわいそうだから」

「え……」


俺としては、ちゃんと向き合っているつもりだった。


結論も――。近いうちに出すつもりで。


もしかして俺は、悠長なのか?甘いのか?


好意を伝えられた時点で、まりあさんと天秤にかけず、答えを出すべきだったのか?


「野並。早く」


気が付くと、碧先輩に手を握られていた。


丸内さんが、立ち上がり、こちらに頭を下げている。


……俺は、どうしたらいいんだろう。

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