敏腕マネージャーの怒り。

レコーディングのためのスタジオ。そう聞いて、てっきり俺は、テレビでよく見る、歌手が録音するような、個室をイメージしていた。


が、実際は、だいぶ想像と違って……。


「み、美々子さん。俺たち本当に、ここに入っていいんですか?」

「大丈夫だって!事務所の人たちには、全部話してあるからさ!」


美々子さんはそう言うが、いきなり現れた見知らぬ子供三人に、大人たちはザワザワとしていた。ちゃんと伝わってるのかな……。


民家のような雰囲気のスタジオ。というか、どう見ても民家。


リビングのような一室に、様々な機材がたくさん置かれている。さらに、機材一つにつき一人の大人……。というくらいの人数が集まっていた。


……その中でも、明らかにこちらへ、意味ありげな視線を向けている大人の女性が一人。


スーツを着ていて、メガネをかけた、真面目な雰囲気の美人さん。


あっ。噂をすれば……。こちらに近づいてきたぞ。


「相生さん。これは一体どういうことですか?」


明らかに美々子さんよりも年上に見えたが、敬語を使うあたり、やっぱり真面目だなぁと感じる。


俺たち三人を順番に眺めつつ、最後に美々子さんの方を向いた。


丸内まるうちさん。ちゃんと言ったろ?マネージャーの桜だよ」

「よ、よろしくお願いします……」


いきなり美々子さんに背中を叩かれた俺は、お辞儀をした。


睨みつけるような、丸内さんの視線が突き刺さる。


「……他の二人は」

「私は、神沢碧です。美々子さんのファンをやらせていただいてます」

「ファン……?相生さん。あなた、ただのファンを」

「まぁいいじゃんか。ファンが見てくれてる方が、あたしも弾ける気がするし」

「……そんなことを言っている場合ですか?」

「んで、その隣にいる、ふてくされた顔してるのが、鳴子メイ!あたしの妹みたいな感じだ!」

「なっ、メイは同い年!」

「……」


二人のやり取りを、冷めた目で見ている丸内さん。さすがのメイも、ちょっと怖がっている様子で、さっきから俺の服の袖を、ぎゅっと握っている。


「あの、美々子さん。やっぱり俺たち、帰った方が」

「いいや。心配はいらない。だって、今日のレコーディングの条件が、三人がいることだったからな」

「え?それはどういう」

「相生さんが、そうでないと弾かないといきなり言い出したので、仕方なくです。まさか、三人に増えているとは思いませんでしたが」


迷惑そうな顔をして、メガネをクイっと上げる丸内さん。ピリピリしてるな……。


「もういいです。早く準備を始めてください。ただでさえスケジュールが押しているのですから」


そう言い残すと、丸内さんは他のスタッフの元へ向かった。俺は思わず、大きく息を吐いてしまった。肩の力がようやく抜けていく。


「悪いな~三人とも。あの人が、本当のあたしのマネージャーなんだ。かなり堅物なんだけど、悪い人じゃないんだぜ?」

「そうなんですね……」


悪い人ではないだろうけど、厳しい人であることは間違いない。


「相生さん!早く!」

「わかってるって!んじゃ、桜たちは、適当にそのへんに座っててくれ」

「その辺って言われても」


とりあえず、すぐ近くにあったソファーに、三人で座った。


「美々子さんの生演奏がまた聴ける。楽しみ」


一人、碧先輩だけテンションが上がっている。


「碧先輩……。よくそんなに元気良くいられますね」

「野並も知っての通り、私はお気楽元気少女だから」

「真逆のイメージですよ」

「だって、レコーディングだよ?こんなの、関係者しか参加できない。私たちは今、貴重な経験をしている。それを認識するべき」


言っていることはわかるが、どうも委縮してしまう。碧先輩は、色々な賞を取っていて、こういう大人が多い場所は馴れているだろうけど、俺は全くダメだ。


メイはどうだろうか。そう思って、右隣を見ると……。明らかに、緊張で固まっていた。俺よりは、他人と接する機会も多いだろうに。


「……なに」

「いや、緊張してるなって」

「してない」

「してるよな……」

「緊張したことないもん」


そんな風に言いながら、俺の手を握っている。さっきまで袖だったのに、いつのまにか直接触れられていた。


「……野並こそ、こんなところでイチャつくなんて、よっぽど緊張感が無い」

「いや、これはですね……」

「羨ましい?性悪女」

「うるさい。大根娘」

「もう大根じゃないから」

「あれくらいの演技で、大根を卒業したと思わないで」

「あぁ待った待った。なんでこんなところで喧嘩するんですか」


二人に挟まれながら、俺はけん制する。結局、なぜか碧先輩とも手を繋ぐことで、とりあえず争いは収まった。


「……はぁ」


……そんな俺たちの元へ、再び丸内さんがやってきて、わかりやすくため息をついた。


「ここはイチャイチャする場所ではありませんよ」

「この程度でイチャイチャとか。あなたはよっぽど異性との関わりが無いように思えます」

「……関係ないでしょう」


さすが碧先輩。丸内さんにも、物怖じしないな……。


「今から、相生さんのレコーディングが始まります。――野並桜。よく聴いておきなさい。彼女の演奏を」

「え、俺ですか」

「そもそも、あなたがここへ来ることを許可している時点で、何かを感じ取ってほしかったですけど」


またしてもため息をついたところで、照明が暗くなった。


そして、すぐに綺麗な音が響き始める。


美々子さんが、弾き始めたのだ。


碧先輩が前のめりになる。手を繋いだままだったので、俺も引っ張られるように、少し前へ……。


……うん。すごいな。相変わらず素人だから、細かいことはわからないけど。


「……違う」

「え?」


碧先輩が、小さくそう呟いた。


訊き返そうと思ったが、レコーディング中なので自重。


しばらくして、スタッフのカットが入って、一旦中断した。


「ふぅ……」


美々子さんが、ヴァイオリンを置いて、水を一口飲んだ。俺たちの方に向けて、手を振ろうとして、丸内さんの存在に気が付き、真面目な表情に戻る。


視線を受け止めた丸内さんが、美々子さんの方へ向かって行く。


「相生さん」

「ん?」

「やめましょう」

「は?」

「解散です。今日はここまで」

「ちょっと、何言って」


……何が起きてる?


丸内さんの指示で、スタッフ全員が、戸惑うことなく片づけを始めた。なんだこの統率が取れた行動は。まるで――。みたいじゃないか。


「……やっぱり」


またしても、碧先輩が呟いた。


「碧先輩。これは」

「私たちは、外で待ってよう」

「え、ちょ、先輩?」

「待ちなさい」


碧先輩に引っ張られ、外に出ようとしたところで、引き留められた。


「用があるのは、野並だけですね?」

「……察しが良いですね」

「鳴子メイ。行くよ」

「あ、うん」


突然の出来事に、放心状態だったメイの手を引いて、碧先輩が足早に去って行った。


……一体、何が起こってるんだ?

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