水着、柔肌、密着。

「あの、まりあさん。どうしてここに?」

「どうしてかな~」


下着売り場を後にして、俺たちが訪れたのは……。まさかの、ネットカフェだった。


個室タイプのネットカフェで、二人用の部屋といえど、そこまでのスペースは無い。


だからって……。


「まりあさん……。距離が近くないですか?」

「そうかな?でも、狭いから仕方ないと思うよ?」


俺とまりあさんは、完全に密着している。俺は目いっぱい端に寄っているのに、まりあさんがこちらへ寄りかかってきているのだ。


そして、なぜか密着している側の手が、握られていた。


この距離感は、どう考えてもマズい。


「桜くん。そっち、狭いよね?もう少しこっちに寄ったら?」

「いや、でも……」

「素直じゃないなぁ……」

「ちょっと、どうしてまりあさんが寄ってくるんですか」

「肩に頭乗せただけでしょ?」


まりあさんの髪が、頬に触れる。ほぼ直に、良い香りが鼻へ侵入してくる状態だ。


握った手の指を、たまに動かして、グリグリと、より一層密着具合を深くされている。ありとあらゆる手段で、本気のまりあさんに支配されつつあった。


「テレビ、見る?」

「えっと……」

「ニュースつけたら、例の件がやってるかもね」

「またコメントし辛いことを……」

「きっと、セットで私のことも取り上げられちゃうんだろうなぁ。どうしようね。こんなところにいたら、バレちゃうかも」

「だから、そうやって言ってるじゃないですか。いくら演技のためとはいえ、あぶっ」

「……し~」


まりあさんの、人差し指と中指が……。俺の唇を挟んでいる。


こんな会話の妨げ方、聞いたことない。


「桜くん、男の子なのに、唇プルプルだね?」

「……」

「あ、そっか。喋れないよね。ごめんごめん」

「まりあさん……。これが本当に、演技に何かプラスになるんですか?」

「大事なのは、桜くんと一緒にいること。そして、その間に、ボルテージを高めるの……。簡単に言えば、興奮しないといけないんだよね。よく、スポーツ選手も、試合の最中は、アドレナリンが出てるって言うじゃん。それと同じ感じ」

「……俺の唇を指で挟むと、興奮するんですか?」

「やってみればわかるよ?」


そう言って、まりあさんが、こちらへ唇を突き出してきた。


……いや、まさか。


「……やれってことですか?」

「ん~」

「無理ですよ。そんなの。唇に触れるなんて……」

「もうキスしてるよね?今更じゃない?」

「あれは、俺からじゃないですし」

「もう。うじうじしてるなぁ桜くんは。ちゃんと彼氏やってよ」

「普通の彼氏彼女は、こんなことしないと思いますけど」

「……普通なら、ね」


トロンとした目で、じっと見つめられると、思考が侵されてしまう。


もう、この流れに身を任せていいんじゃないかって。


……まりあさんは、俺のことが好きなんだから。


俺が躊躇う必要が、どこにあるんだろう。そうやって、考えなくもない。


「じゃあ、わかりました。どうしてここへ選んだのか、教えてあげます」

「……はい」

「それはね……」


まりあさんが、急にパソコンの電源を付けた。


そして、カバンから、何やらケースのようなものを取り出す。


「なんですか?それ」

「ブルーレイだよ」


ケースから、ブルーレイディスクを取り出して、パソコンに入れた。


「映画ですか?」

「ううん。ちょっと違う。見てて?」


しばらくして、画面が切り替わった。


『徳重まりあ まりあと一緒!』


……何やらピンク色の文字のタイトルが、画面に表示されている。


「まりあさん。これは?」

「……私の、イメージビデオ」

「イメージビデオ?」

「うん……」


イメージビデオって、なんだろう。紹介VTRみたいな感じかな。


画面がまた切り替わり、まりあさんが現れた。


今のまりあさんと違い、少し垢抜けてない感じがある。


「三年前かな……。ほとんどお仕事なんてなくてね?そういう時期に、唯一受かったオーディションなの」

「へぇ……。あの、一つ訊いてもいいですか?」

「なに?」

「どうしてまりあさん、水着なんです?」


画面の中のまりあさんは、水着で、こっちに向かって笑顔を振りまきながら、手を振っている。


「だって、イメージビデオだもん」

「水着で手を振る仕事なんですか?」


俺がそう尋ねた瞬間だった。


……画面の中のまりあさんが、胸を強調するようなポーズを取ったのだ。


俺は慌てて、目を逸らした。


しかし、逸らした先には、現実のまりあさんの、少し赤くなった顔があり、目が遭ってしまう。


「ま、まりあさん。これは……」

「別に、エッチなことをするビデオじゃないよ?多少過激だけど、年齢制限も無いし……」

「どうしてこんなビデオを……」

「今更恥ずかしがってるの?桜くん、私と一緒に、お風呂入ってるのに」

「それとこれとは話が……。って、ちょっと!なんで牛乳を体に垂らしてるんですかこれ!」

「あぁ、ストップストップ。ここまでにしよう」


まりあさんが、慌ててブルーレイディスクを取り出した。


……とんでもないものを、見てしまったな。


「これが見せたくて、ネットカフェに?」

「そうだよ?」

「なんでまた……」

「なんか、興奮してくれるかなって」

「むしろ緊張しましたよ……」

「……私は、興奮したよ?」

「えぇ……」

「だ、だって。自分の恥ずかしい映像を、目の前で見られて……。ね?」

「……」


気まずい空気が流れた。それでもまりあさんは、相変わらず密着している。


「……さっきね?下着を試着しなかったのには、理由があったの」


まりあさんが、突然……。服を脱ぎ始めた。


「ちょっとちょっと!?」

「大丈夫。心配しないで」

「だ、ダメですよ!まりあさん!」

「だから……。ほら」


まりあさんは……。下に。水着を着ていた。


ホッとしたのもつかの間、すぐに疑問が溢れてくる。


「なんで水着を……?」

「……見覚えあるでしょ?この水着」

「……あっ」


さっき、イメージビデオの中のまりあさんが来ていた水着だ……。


「じゃじゃん。画面の中から、出てきちゃいました~……」


顔を真っ赤にしながら、まりあさんが俺に向かって、さっきのポーズ……。胸を強調するポーズを見せてきた。


……ダメだ。こんなの。刺激が。


個室で、二人っきりで。


「まりあさん。俺……」


その時だった。


急に、ドアがノックされたのだ。


「ふふふ。さっき注文しておいたの」


まりあさんが、タッチパネルを見せながら、微笑んでいる。


いやいやいやいや。それどころじゃない。今のまりあさんは、マスクもサングラスも外している。これを店員に見られたら、一発アウトだ。しかも、水着姿で、男の俺と、ネットカフェの個室……。


俺は、ほんの少しだけドアを開けた。


「お待たせしました。ピザです」

「あ、え、えっと、今手が離せないので、そこへ置いてもらえますか?」

「かしこまりました。料金後払いとなっておりますので、よろしくお願いいたします」

「はい、ありがとうございます……」


……良かった。バレなかった。


俺は店員が去ったことを確認して、素早くピザを回収した。


「……まりあさん。これも、興奮するためですか?」

「……引いた?」

「ドン引きですよ」

「康太役と由利役が、同時にスキャンダルを起こしたら……。ドラマ、終わっちゃうよね」


言い表しようの無い、歪な表情を浮かべたまりあさんが、息を荒くしている……。


……いくら演技のために、気分を高めないといけないからって、ここまでする必要があるのだろうか。


「もう、十分じゃないですか?」

「ん?」

「その……。それだけ興奮できてるなら」

「そうだね。バッチリ。でも、撮影までは、まだ時間があります、この興奮をキープするためには、どうしたらいいでしょうか。お答えください」

「さぁ……」

「じゃあ、教えてあげます」

「えっ?あの、まりあさん?」


まりあさんが、ずいずいと迫ってくる。


逃げる場所なんて無い。あっという間に、壁際へと追い込まれた。


まりあさんの息が荒い、目もなんだか、焦点があってないような……。


「大丈夫ですか?」

「そこに、寝て」

「そこっていうのは……。ここ?」

「うん」


まるでベッドのようになっているこの部屋。壁に体を寄せるような形で、俺は横になった。


それとほぼ同時に、まりあさんが……。覆いかぶさってきた。


「なっ、えっ?」


突然の出来事に、頭がパニックを起こす。考える隙も無く、あっというまに俺の体は、壁とまりあさんに挟まれる形になった。


何度かこういう風に密着されることはあったけど、今のまりあさんは、水着姿なわけで……。


「じゃあ、最後の仕上げ、行きますよ?」


まるで、宣戦布告のような、そのセリフのあと、俺の耳に、息を吹きかけた。


俺は悟る。これはもうダメだ。


――本気のまりあさんの、餌食になるしかない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る