スマートシティー多摩物語
世界三大〇〇
一挙公開! レベルアップ検定!
1.
スマートシティーにおいて、ポイントが一定数貯まると、強制的にスコアに交換される。Sランカー以上の場合、レベルアップ検定の受検が義務付けられる。
「困ったことになりました」
「どういうこと?」
「履修科目が1つもありません。レベルアップ検定を受検していただかないと」
「もうレベルアップなの? (さすがにちょっと、早くない?)」
「はい。史上最速です。検定に合格すれば、さらに豪華な性活が待ち受けています」
「もうこれ以上は望まないけどレベルアップはしたい! (性活って皮肉……。)」
「では、受検なさいますね!」
「もちろん!」
こうして、清はその内容をよくたしかめもしないで受検を出願した。
AIが課した検定の内容は、清にとって意外なものだった。
「検定会場はスマートシティー多摩にある神代レジデンス」
「多摩といえば、東京の隣じゃないか! (里帰りできるかも!)」
「期間は6月15日から7月31日まで」
「どんな内容なの?」
「清様はそこに、Fランク便所掃除係として異動していただきます」
「なっ、何だって!」
(今と全く同じじゃないか……。)
清は、自分が本当はSSSランクだということを知らない。Fランクだと勘違いしている。一方のAIは、清が勘違いしていることを知らない。
「王であることを名乗ることは許されません! 専用の乗り物は基本使用不可です」
「状況は分かったよ。で、目的は?」
「単位取得、便所掃除、そして、誰か1人でもお持ち帰りすること」
「持ち帰るって、どういうこと?」
「そういうことです! (キッパリ!)」
「……よく分かんないけど、何とかなるのかも! (持ち帰るくらい、はははっ)」
清は、不安なのを隠して笑顔を見せた。AIは、尚も清の不安を駆り立てた。
「簡単なことではありません。清様に対するあたりが180度違います」
「それは何となく分かるよ。YKTNの住民の優しさは異常だもの」
「生活するだけでも大変です。食べるものや着るものの自由度が格段に違います」
「そうか。パネーパネルは無いってことか。(あんまり使ってないけど……。)」
「学園は共学。同期は800人ほど。そのうちFランカーは40人」
「結構仲間が多いんだね! それは心強い」
「Fランカー同士が仲間とは限りません。足を引っ張り合うこともザラです」
「……なんか、そういうのは苦手だなぁ……。」
「学園では単位も取得していただきます」
「それじゃあ、ほとんど遊ぶ時間がないなぁ……。」
「管理便所は20ヶ所以上!」
「1ヶ所3分として、1時間プラス移動時間。それを毎日4回。結構辛そう……。」
清は、AIの説明を聞けば聞くほど検定が恐ろしいものに思えてしまった。だが、善は急げという清の父親のモットーを信じ、翌朝には出発することにした。そしてこの日の晩に、YKTNの住民に挨拶と、映画や演劇作りのスケジュールの確認をして、就寝した。
ーー
2
スマートシティー多摩は、前期青春謳歌型の都市である。
翌朝の5時。検定に向けて出発する時刻は目前に迫っていた。
「そうだ。AI、これとこれ、持って行っても良いの?」
「こちらは可能です。カメラの方はお控えください。代わりを用意します」
「そっか。コレ、良いやつだもんな……。」
持ち込みが認められたのは、清の妹の麗がくれた大きなくまのぬいぐるみ。清はまずは奈江型デバイスを軽くハグしてからぬいぐるみを器用に抱いて、エレベーター前まで行った。AIは清との別れを惜しみ、あえてゆっくりとエレベーターを動かした。いつもは直ぐに扉を開けるエレベーターが待ち時間を30秒と表示した。清は1度荷物を置いて、またAIにハグをした。AIはほんの軽くではあるが、清の首から背後にまわした腕に力を込めた。清がそれに返すように力を込めると、奈江型デバイスのおっぱいの感触が清に伝わった。
「最後に、お飲みになりますか?」
「いや。別れが惜しくなるもの」
「そうですね。それが、よろしゅうございます」
「俺、検定は1発で合格するよっ!」
「はい。御武運をお祈りいたします!」
エレベーターが時間をかけて扉を開け、2人の抱擁が解かれた。
こうして、清はYKTNをあとにして、スマートシティー多摩へと移動した。
清は、スマートシティー多摩の調布にある飛行場に降りた。タラップ車を降り、バスに乗り、神代レジデンスへとたどり着いた。その外観は御遷御殿とあまり変わらない。7階建で全面ガラス張りという近代的な建築だ。
清が建物の前に立つと同時に、数十羽もの白い鳩が舞い降りた。そのうちの数羽は脚輪をつけていて、なかには清の頭上に留まるものもいた。清は、門出の日に平和の象徴ともいわれる鳩にめぐりあえたのが嬉しかった。
それも束の間、清の髪は鳩の糞で汚された。
「あがっ。糞が付くなんて、ついてないよ……。」
「あらっ。ごっめんなさいね! うちのバトコが……。」
清にそう言ったのは、牛乳寒のように白い肌の、長い黒髪の女性だった。その女性は、清楚可憐な雰囲気と元気溌剌とした若々しさを見事に同居させていた。吸い込まれてしまうのではないかと思うほど、瞳は輝いていた。清には同い年か少し年上のように感じられた。女性は清を真っ直に見つめたまま、清に近付いていった。飼っている鳩のバトコの粗相を詫びようとしたのだ。
「いっ、いや。良いんですよ、糞ぐらい。慣れてますから。あはははははっ!」
(それにしても、綺麗な方だな。YKTNにいてもおかしくないくらい!)
女性には清が恐縮しているように感じたが、清が糞に慣れているということは、半ば事実。そうとは知らず、女性は清を気遣い、さらに近付いていった。そして、シルク地の高級そうなハンカチを清に差し出した。
「ふふふっ。これでお拭きになるといいわ!」
女性は、そんな言葉とバトコの糞とハンカチを残して、今度は足早に清の元を去った。ハンカチには『S・N』という刺繍が施されていた。清がハンカチを拡げると、柑橘系の爽やかな香りが漂った。清はいつのまにかハンカチとその香りとハンカチ女の虜になっていた。
清は、気を取り直して神代レジデンスへと足を踏み入れた。天井高は各階2.5mと低く、その分か清にはエントランス広場が狭く感じられた。清は何かと規格外な御遷御殿と目の前の普通の建物とを無意識のうちに比べているのに気付いた。
(あそこを基準にしちゃダメだ。ここだってそこそこ都会なんだから)
清の部屋までは、まだ遠い。
(エントランスから徒歩30分って、はぁっ……遠いなぁ……。)
清の部屋は南側にあるエントランス広場のちょうど反対側の北向きにある。建物の中央はビル内農園になっているため、通り抜けることができず、ぐるりと迂回しなくてはならない。時計回りでも反時計回りでも移動は可能だが、どのみち約2kmあり、普通に歩けば30分かかる。
(ま、健康のためと思って、頑張ろう!)
清は気を持ち直して、自分の部屋へと移動した。
清の部屋は、間口僅か2mで奥行き12mという、鰻の寝床のよう。窓はあるが北側のためほとんど光は差し込まず、天井の真ん中ら辺にあるLEDが部屋を隅々迄明るく照らすことも不可能。とても暗い部屋だ。昨日まで御遷御殿の7階から上の3フロアを独占していた清からすれば、耐えられないほど劣悪。清はAIの言葉を思い出した。そして、この検定が途轍もなく大変なものだということを理解した。唯一と言ってもいい所持品の大きなくまのぬいぐるみの置き場所を決め、自分が寝るところを決め、寛ぐところを決めた。といっても狭い部屋の中のことに過ぎず、多くの時間を要するほどのことでもなかった。
翌朝、清はすっかり寝坊して、7時過ぎに便所掃除に向かった。だが、思うように作業は進まなかった。利用者が多かったから。しかも、みんな文句ばかりで、清に対する感謝の言葉の1つもない。
「おいっ! なんだって今頃便所掃除するんだよ!」
「便所掃除は、俺たちが起きるよりも前にしておけよ」
「はっ、はい。ごめんなさい!」
「ったく。よりによって新入りかよ。これじゃ気を休められないぜ」
「ゼッテー『いいね!』はしてやんないぞ!」
清に割り当てられた管理便器のうちの10基は、Eランカーが住む西地区にある。Eランカーにはこれといった仕事はなく、大いに暇。唯一のイベントが授業で、7時前後というのは身支度に最も忙しい時間帯なのだ。
「くっそう! こりゃ5時起きだなぁ……。」
(明日からはしっかり早起きしよう……。)
清の呟きに、AIが反応した。
「5ジニアラームヲ、セットシマシタ!」
「AI、ありがとう!」
「……。」
清のAIは、格段に会話のレベルが下がっていた。なんの感情も表現しないし、言葉は棒読みで、要件のみを淡々とはなすのみ。それは、多くの住民の持つAIと比べれば同程度なのだが、清にとっては味気ない。清は、早いところ検定に合格して、YKTNの奈江型デバイスとお喋りがしたいと思った。
それは偶然だった。清の管理便器の残り10基は、南地区の5階にある。普段は西側の廊下を通って移動していて、東側の廊下は通らない。だが、清は西地区が好きではなく、気分転換にとこの日はじめて東側の廊下を通った。それだけのことにも何か良いことが起こるかもしれないと、淡い期待を寄せていた。
東地区に住んでいるのはDランカー。早朝は人通りが少ない。彼らには1限がないので、朝はゆっくりなのだ。そんななか、清は人影を見つけた。その影の主を清は知っていた。
「あれ? もしかして、安田じゃないか!」
安田康。清とは同郷で同級。あまり積極的に他人とは関わらない性格だ。安田も直ぐに清に気付いた。安田は清の妹の麗の大ファンだった。だから幼少期は、清とよく遊んでいた。清は久々に安田の首根っこを掴んだりお尻を叩いたりした。幼少期は清が兄貴分で、安田が子分のような関係だった。
「清くん、久し振り。どうして清くんがこんなところにいるんだい?」
「ただの移動さ。それより安田、お前の部屋はどこ?」
幸先よく知人と出会い、清はすっかり浮かれていた。自分がFランカーであることも忘れて。だから、安田もはじめは清がFランカーだとは思っていなかった。
「あぁ。1階の東F154。ギリギリでDランクだったんだ」
「へぇ。安田、良かったじゃん! 模擬判定では万年Eだったもんな」
「えへへへへっ! 最後の追い込みが効いたみたい。お婆さんを助けたんだよ!」
「そっか。それは、良いことをしたな! じゃあ、俺の部屋はこの先だから!」
清はそう言うと、安田の元を離れはじめた。マイペースに進む清。安田はしばらくは黙ってそれを見つめていた。清が数メートル歩いたところで、今度は安田が清の後ろ姿に話しかけた。
「この先って、清くんの部屋はどこなの?」
「あぁ。北C175だよ。まだ大分あるよ! (遠いったらありゃしない……。)」
「そう。それは大変だな、清」
「えっ?」
清はハッとして振り向いた。いままで、安田が清を呼び捨てたことは1度もない。
「清、お前ってFランクだろう!」
「あぁ、そうだよ。Fの便所掃除係ってわけさ! (つらたんだよ……。)」
「やっぱそっか。清。もう俺様に話しかけんじゃないぞ! 分かったな」
「どっ、どうしてだよ。同郷なんだし、仲良くしようぜ!」
清はそう言うと、安田のお尻を叩こうとした。
「触んじゃねぇよ! 俺の服が汚れんだろう!」
「なっ、なんだよ安田、急に。どうしたんだよ……。」
「いいか! 俺とお前じゃ、ランクが違うんだよっ!」
そう言い残して、安田はどこかへ向かった。その態度の豹変振りに、清は頭にきた。
「なっ、何だよ! 少しばかりランクが上だからって、威張りやがって!」
清は、安田の後ろ姿に向かって、歯を剥き出しにして威嚇した。だがそれは、清の認識不足だった。この都市では、ランクが上下関係を決める大きな要素なのだから。
ーー
3
スマートシティーにおいて最もポイントの使用数が少ないのが、Eランカーである。彼らは、ポイントを大切に使う。
清は、日々疲弊していった。
(くぅーっ。それにしても西地区の住人、便所の使い方が激し過ぎる……。)
ある日、清は清掃中の看板を自作して便所の前に立てることにした。少しでも作業の効率を高めたいと思ったのだ。だが、Eランカーたちは素行が悪く、無視して入ってきて使いまくる。しかも、徒党を組んでいて個室越しに大声でお喋りするのだから、清にとってはタチが悪い。
「おい。あの噂、聞いたか? 野苺爽!」
「あぁ、絶世の美女だろう!」
「肌はすべすべで、真白なんだってよ!」
「しかも、おっぱいも大きいらしいじゃん!」
「会えるもんなら、会いたいものだよなぁ」
「俺だったら、即、告白すんぜ!」
「はははははっ。お前なんかにそんな度胸はないだろう!」
清がキレイにしている端から乱暴に使われ、汚されていく。だから清は、作業を終えようとしてもなかなか終えられない。
「あっ、あのぉーっ。今は……掃除中……。」
「……っせぇーなぁ! Fランが話しかけんじゃねぇよっ!」
「そうだよ。便所はみんなのものなんだ。俺たちのものでもあんだよっ!」
「そんなんだったら『いいね!』してやんねぇからなっ!」
「はっ、はいっ! 申し訳ございません……。」
(何で俺、謝ってんだろう。もう嫌! 便所掃除係なんか、やりたくない……。)
そんなことの積み重ねで、清はほんの少しずつだが、便所掃除係に誇りを持てなくなっていった。
また別のある日の午後、清はまたも西地区の便所掃除をした。この日はこれがもう5回目。普通は1日4回でいいはずなのに使い方が悪いとどうしても掃除する回数を増やさなくてはならない。それくらい彼らの便所の使い方は下手クソだった。便器の内壁部に大便はこびりついているし、便座に小便が引っかかっているし、流し忘れも少なくない。そのくせ、喋り声だけはクソでかい。
「西田園子の小説って、良いよなぁ!」
「あん? お前って小説なんか読むの?」
「ラノベだけどな。今度、アニメ化されるんだぜ!」
「へぇーっ! どんなアニメなの?」
個室の中から聞こえていたちょろちょろという小便が着水する音が、ビチャビチャという便座や蓋の部分に引っかかるときの独特な音に変わった。清は思わず、個室の扉越しにはなしかけた。
「……あっ、あの。もっと上手には使えないものでしょうか……。」
「あぁん? 掃除すんのがイヤだからって、使い方を強要すんじゃねぇ!」
「そうだぞ。そんなんだったら『いいね!』してやんないぞ!」
「すっ、すみません。そんなつもりじゃなかったんです……。」
「分かりゃ良いんだよ! もう2度と文句言うんじゃねぇぞ!」
「はっ、はひぃっ!」
清は疲れ切っていた。脚は棒のように伸びきって動かなかった。自室に戻っても、じめじめしていて、身体が休まらない。まだ3日間ではあったが、とても辛い日々だった。そんなとき、清の目に飛び込んできたのは、大きなくまのぬいぐるみだった。清はその頭をぽんぽん撫でては気を紛らわせて、頑張るのだった。そして、誓うのだった。
(便器だけは、ピカピカにする!)
ある日の午後、清は食堂へ行った。そして昼食を注文した。
(選べるのは天丼並と大盛りだけか。特盛も海老天付きもないのか……。)
それは、侘しい食事だった。清は、なるべくゆっくりとよく噛んで食べることで、寂しさを紛らわせた。南側の明るいところを大胆に占領し大声で談笑するかわいくもない女子たちと、それを取り巻く冴えない男子たちが、清には何故か眩しく感じられた。
(この都市では、Fランカーは恋もできないのかなぁ……。)
その出会いは突然だった。清が食事を終え、逃げるように席を立とうとしたとき、1人の女性住民が清の横に座ろうとした。女性といっても、清がYKTNで出会ったSSランカーの住民たちや神代レジデンスで出会ったハンカチ女神とはまるで別種族。髪は地味に束ねあり艶がなく、大きいメガネに大きいマスクをしていて、夏だというのに肌の露出は極端に少ない。人目を避けるような地味で目立たない格好をしていた。清は、旅は道連れ世は情けというモットーに従い、なるべく明るく元気にはなしかけた。
「こんにちは!」
「……おはなししたいんだったら『いいね!』を押してちょうだい!」
女性はメガネの奥の目を伏し目がちにして清にぼそりと言った。
「えっ? 『いいね!』だって……。」
「貴方、見ない顔ね。新人? ひょっとして『いいね』も知らないの?」
清は『いいね!』を知っていた。それは決して強要してはいけないというのが常識。だが、目の前の女性は堂々と強要してきた。清は、女性の勘違いを正すのではなく利用しようと思った。何も知らない振りをして女性に向かって言った。
「はい。今学期からこの都市に来たばかりで。あっ、今『いいね!』しますね!」
女性は清とは違う方を向いて頬張っていた茄子の天婦羅をはむっと飲み込んでからジャンケンのチョキを出して言った。
「2つ押してちょうだいね!」
「……あぁ。分かったよ。言う通りにするよ。だから色々教えてください!」
「はぁ……。ま、いいわ……。」
女性は、中元早都子という名で、清と同じ16歳。清より少し前にここに来たばかり。清に自身のランクや部屋を明かすことはなかったが、清は相当高いランクの持ち主で良いところに住んでいるんだと睨んでいた。その理由は、早都子が持っていたデバイスにある。それは、あきが持っていたものと同じタイプのもの。清のものと比べるとやや重厚で、清には音質が良いように感じられた。まるで、奈江型デバイスの発する声のように。
「ここでは気安く自分のランクを晒すのは良くないのよ」
「そうなのか? 安田はかなり気安くランクを言っていたけど」
「はめられたんだ。なんらかの理由で自分よりランクが低いと確定していたとみる」
「そんな方法あるんだ。一体、どういうカラクリなんだろう?」
「1番は、居住区でしょうね。 (カラクリって、いつの言葉なんだ?)」
「そういえばあいつ、俺の部屋番号聞いてきたなぁ!」
「それよ。で、何処住んでるの?」
「北C175」
「なるほど。ってことは、Fランクってことね」
「そう。俺Fランカーの便所掃除、社長!」
(あぶな! 王って言いそうだった……。)
この都市で、清は王を名乗ることを禁じられている。
「でも、そこそこポイントは持ってるみたいね! (社長って、なに?)」
「まぁ、そこそこですけど。でも、使い道が全くないんですよ……。」
「……ほら。それがダメだっつてんのよ」
「やっぱりか。北向きの部屋は、良くないよなぁ。(じめじめしてるし……。)」
「ちがう。ランクに繋がることを言ったでしょう。それが全部ダメなのよ!」
「あっ、そういうことか。なるほど、なるほど……。」
清は、早都子の誘導尋問に引っかかり、はじめて自覚した。自分は、1度騙されて痛い目をみないと分からない人なんだ。もっと慎重に行動しないといけない、と。
「ま、最初はみんなそんなものよ。覚悟が決まるまではね!」
「覚悟が決まるまではって、そんな……俺……。」
「……良い? ここへ来る前に決めた覚悟なんて、なんの役にも立たないわ!」
「……そういうものなのか……。」
「そうよっ! 兎に角、部屋番号とランクは誰にも言わないこと!」
「はいっ!」
「それから、無闇に『いいね!』はしないこと!」
「はいっ!」
「所持ポイント数も言わないこと!」
「はいっ!」
「よしっ! 分かったらあと2回『いいね!』しておいてね。私、もう行くから」
「はいっ!」
早都子はそう言い残して、食堂をあとにした。清は、まだ窓辺を占拠している男女を見て恨めしく思いながらも『いいね!』を2回押したあと自室に戻ることにした。
ーー
4
スマートシティーが誕生したばかりのころ、地球にはまだ通貨と国家が存在した。貧富の差は今以上であり、仕事も多かった。だが、大きな戦争が起こることはなかった。
清が南地区の便所掃除をしているとき、見慣れた人物が現れた。清が神代レジデンスへ来てはじめてはなしをした、清楚な雰囲気と溌剌とした若々しさを同居させたかわいらしいハンカチ女神であり、早都子だった。清は2人が同一人物だということに気付いていない。このときはハンカチ女神だと認識し、思わずあーっと叫んだ。ハンカチ女神も、清に気付いて驚きを隠せなかった。
「あらっ! 君、どうしてこんなところにいるの?」
(しまったわ。掃除中なのに入ってきちゃった……。)
ハンカチ女神がこの便所に来たのは用を足すためではなく、早都子に変身するため。そうしなければ便所掃除ができないのだ。そう。早都子は立派なFランカー便所掃除係だった。
清は、手にしていた掃除道具を慌てて隠した。ハンカチ女神に便所掃除係だということがバレるのがイヤだったから。だがそれは無理というもの。バケツや雑巾を持っているのをしっかり見られたのを悟り、白状した。
「俺、Fランカー便所掃除係なんです。看板出し忘れたみたいで、すみません」
「そうっ! じゃあ、頑張ってね! 今のは聞かなかったことにするから」
「あっ、そうですよね。けど、この状況じゃあ、隠せませんでした。あはははは」
清は右手を後頭部にあて、なでなでしながら言った。そして、ハンカチ女神がそそくさと便所をあとにするのを笑顔で見送った。
清は便所掃除を終える直前に2人目の訪問者を迎えた。艶のないボサボサの髪に大きいメガネと大きいマスクを付けた早都子だ。早都子は別の便所で着替えてハンカチ女神から早都子にイメージチェンジして改めてここへ来たのだ。
「あっ、早都子さん。おはようございます!」
「おはよう……。」
(良かった。何も気付いていないみたい……。)
早都子は、ほっと胸を撫で下ろしながらも、なるべく根暗で不機嫌に言った。
「あれっ! 早都子さんって、ひょっとして……。」
清は怪訝な表情を浮かべながらも、まじまじと早都子を見つめた。早都子はさすがに気付かれたのかと思い、緊張しながら目を逸らして言った。
「なっ、何よっ!」
(やばっ! さすがにバレた……。)
「ひょっとして、低血圧なんですか? (麗もそうだったんですよ……。)」
「えっ……?」
(なんなのよっ! コイツ、全然気付いていないじゃないの……。)
「……そっ、そうかも……しれないわっ……。」
早都子はどこかホットしながらも、バカで頭の悪い男を憐んだ。
「でも、相当慌ててるんだね。まだ清掃中なのに。(看板、あったでしょう!)」
清は笑いながら言った。バカな男にバカにされているようで、早都子は気分が悪くなった。全身の力がふっと抜け、身体をふらつかせながらおでこに手を当てた。そして、開き直って言った。
「清くんって、バカなの? もう知らないわっ!」
「えーっ! 俺、なんか変なこと言った?」
「ったく。人の邪魔ばかりして。私には時間がないんだから!」
早都子はそう言うと、清からバケツと雑巾を奪い取り、便器を掃除しはじめた。この便所には20基の便器があり、近隣に住む40人ほどが常用している。清はその半分を掃除したばかりだが、残りの半分はまだだった。早都子が掃除した便器は清が掃除しなかったもの。管理便器が違うのだ。早都子は険しい顔をしてせっせと作業した。
「……早都子さんって、もしかして……。」
「そうよっ。私は便所掃除係。だから忙しいのよ!」
(ったく。着替えるのに余計な時間を使っちゃったのも清くんのせいなんだから!)
「……早都子さん……ごめんなさい……。」
清は、怒る早都子を見るのが辛かった。ここへ来てまともに会話をした相手は、早都子くらいしかいない。ハンカチ女や安田との会話は、決してまともではない。早都子は、清の様子を気にした風でもなく、相変わらずせっせと掃除をしていた。そんな早都子に、清は思いを伝えた。
「俺、この都市に来て直ぐは、どうしていいか分からなくってさ……。」
「……。」
「妹には、威勢の良いことを言ったのに、全然できなくって……。」
「……。」
「そんなときに、早都子さんとはなせて、嬉しかった」
「……。」
「だから、早都子さんを見るとつい、安心するっていうかさ……。」
「……。」
「俺、勝手に嬉しい気持ちになっちゃうんだっ!」
「……。」
「……あっごめん。好きとか、そういうんじゃないんだ。(キモいよな、俺……。)」
「……。」
早都子は手を休めてはいないが、清の言うことを聞き逃してはいなかった。同じようなことを繰り返して言うだけで、一向に先へ進まないはなしの組み立てにイライラしながらも。
「だから、ついいろいろと喋っちゃうんだよねっ!」
「……『いいね!』2回押しなさい!」
「……えっ?」
「便所掃除の間だけなら、お喋り相手になるわよ。(別にキモくはないしっ!)」
「えぇーっ!」
「妹さんのため! 貴方が頑張んないと、浮かばれないでしょう!」
「良いのっ?」
「勘違いしないで。私は手を休めないから、そのつもりでいなさいね!」
「はっ、はいっ!」
清は即座に『いいね!』を2回押した。早都子は少し機嫌が直ったようで、便器を掃除する手の動きをどんどん早めていった。
ーー
5
スマートシティーから国家がなくなったのは最終条約が締結されてからのこと。それ以降、通貨もなくなり、戦争もなくなった。
清の機嫌はすこぶる良かった。早都子という仲間ができたからだ。だがそれは今、便所掃除をしている間だけという、奇妙な関係だった。それでも、清にとっては空が飛べるのではと思えるほど、嬉しいことだった。
鼻歌を歌いながら歩く清に、はなしかけてきた者がいた。安田だった。
「あっ、清じゃないか!」
その声に、清は一瞬にして現実へと戻された。
「やっ、安田様……。おはようございます……。」
「よっ、よしてよ。この前は悪かったよ!」
安田は清を物陰に誘い込み、手を合わせて言った。
「でも、ここではランクが全て。仕方ないよ。(だから、別に恨んじゃいないさ)」
「そりゃぁ、助かるよ! これからは康・清って呼び合おうな、友達だろう!」
「いっ、良いのかよ! 折角Dランクになったのに、俺なんかと友達で……。」
清は、安田のあまりの変わり振りに、裏があると思い、警戒していた。そんな清の態度を見て、安田が言った。
「まぁまぁ。とりあえず、飯でもどうかなぁ……。」
「えっ、それって奢ってくれるってことか?」
「今日だけだぞ!」
こうして、清は安田と一緒に食堂へと行った。
食堂のパネルは、ランク毎に異なるメニューを表示する。メニューには主菜と副菜がある。主菜は1日3食、無償で注文可能。副菜は、ポイントとの交換制。Fランカーには副菜は1つも表示されない。
この日、清が安田の登録したパネルを覗くと、主菜としてカレーライスとカレーうどんが表示された。そして副菜にはとんかつとアイスクリーム。清は、自分ひとりでは決して食べることの許されない副菜を2つとも頼んだ。とんかつもアイスクリームも、1ポイントに過ぎないが、清ひとりだけではそもそもパネルに表示されない。
「すごいなぁ、康! 毎日こんなもの食べてるのかよっ!」
「そうでもないさ。俺、ほとんどポイント無いから……。」
「でも康はDランクだろう? 俺より上なのに。(マジ雲の上っすよっ!)」
「しーっ! 声がでかいよ。ランクのことは口にしないでよ!」
「ご、ごめんごめん。つい……。」
「けど、俺が思った通りのようだな。清はポイントを結構持ってるだろう?」
「使い道はないけどな……。」
「だろう! そこで提案があるんだ!」
「なっ、なんか裏がありそうだなぁ……。」
「正直あるよ。これはギブアンドテイク、ウィンウィンの提案なんだから!」
安田は自信たっぷりに言った。だから、清はその続きが聞きたくなった。
「はなしを聞かせてくれ!」
「俺たち、一緒に行動しようぜ! 先ずは今日、撮影会に行こう!」
「さっ、撮影会? なんだ、それは?」
「ほら。清はポートレートが趣味だろう。撮影会に行けば、写真撮り放題だぜ」
そう言って、康は清に1枚の紙切れを見せた。それは、撮影会のチラシだった。
「火・木・土の19時00分から21時00分。20ポイントで撮り放題!」
ポイントには、ポイントプログラムの商品として付与されるものの他に、ランクやスコアに応じて毎月支給されるものがある。Dランカーの場合、スコア2点につき毎月1ポイントが支給される。1回20ポイント、週で60ポイントというのは、安田にはかなりきつい。だが、便所掃除で毎日40ポイントを得ている清には屁でもない。
「もう少し下を見ろよ、下を!」
「絶世の美女多数! セクシー衣装も多数‼︎ って、康。お前、エロいな」
「あぁ、エロいさ。清、君はエロい性活に憧れないのか?」
安田にそう言われ、清はYKTNで過ごした数日間を思い出した。飛行機内で出会ったあき。バエレンジャーとは温泉に浸かった。まりあっぷと死闘を繰り広げた椅子取りゲーム。そしてSNSで人気急上昇中の高井姉妹と見た満点の星空。その全員と清はヤり損ねている。さらには、自室に戻るとお説教、罵詈雑言とともに出迎えてくれる奈江型デバイス。牛乳割りを吸ったのが懐かしい。それは、清にとっても良い思い出だった。本当は、直ぐにでも戻りたい。戻れば、今度こそはヤリ逃すようなことはしない! 清はそう思っていた。
「エロい性活、憧れないわけないだろう!」
「だったら、一緒に行こうぜ! なぁ!」
「そんなの、俺1人で行くよ! わざわざ康と一緒には行かないさ」
「甘い。甘いな清! ここをよく見ろ!」
安田は、ビシッとチラシの1番下を指差した。そこには『ただし、同伴者にDランク以上の方がいる場合に限る』とあった。
「なっ、なに! この都市には、こんなところにも格差があるのか……。」
「だが清、安心したまえ。お前には、この俺がついてるぜ!」
「康! お前が友達で良かったよ!」
「で、清。お前、何ポイント持ってんだ?」
安田は、あくまで日常会話の延長といった感じでそう言った。そのときに、清は思い出した。早都子に言われたことを。だから、清は持っているポイントの最後の4桁だけを安田に伝えた。
「9240、かな!」
(本当は10億以上あるなんて、言えないよ……。)
「充分じゃないか! さすがは清。写真コンクールの入賞者だよっ!」
「まぁな。こっちでも、撮影は続けたかったんだ。(声かけてくれてあんがと!)」
「でも。それだけあれば、這い上がれるじゃないか? 1つ上くらいには!」
「あはははは。そうかもしれないけど、今はいいや」
(言えないよ。今は検定中だってことは……。)
「兎に角、今日の18時50分。またここで会おう!」
こうして、清は安田と一緒に撮影会に行くことになった。
ーー
6
最終条約を締結する際、各国首脳はどんなAIに人類を委ねるかを議論した。その議論は平行線で、なかなか決まらなかった。
夕方。清は便所掃除をしていた。その間、どうしても顔がニヤけてしまった。このあと安田と行く撮影会のことを考えると、どうしてもそんな顔になってしまうのだ。だから、便所に訪問者がいるのに全く気付かなかった。
「今回は、相手する必要もないみたいね! (彼女でもできたの?)」
「あっ、早都子さん。こんにちは!」
「何なの? そのニヤけた顔は!」
「あはははは!」
早都子に問い詰められた清は、全てを白状した。清は、途中で何度も手を休めて撮影会への思いを熱く語ったが、早都子は手を動かし続けていた。それでも、ときどき相槌を打つのを忘れなかった。
「良かったじゃない。友達や趣味の時間ができたんなら!」
「まぁね。でも、俺のデバイスじゃ、いい写真撮れるかなぁ……。」
「そんなの、自分で腕を磨くしかないでしょう! 頑張んなさい!」
「えっ? 早都子さんに応援されると、嬉しいなぁ!」
「だっ。誰も応援なんかしてないわ! 勘違いしないでよっ」
「あはははは。でも、俺にとっては立派な応援だよっ!」
「っもう。勝手にしてっ! (ってか、『いいね!』2つ、しといてよっ!)」
1度も手を休めずに便所掃除をしていた早都子の方が、清よりも先に全ての作業を終えて、便所をあとにした。清は早都子から遅れること5分、掃除を終えて便所をあとにした。
清は10分も前に集合場所に行ったが、すでに安田は待ち構えていた。
「それじゃあ、行くぞっ!」
「あぁ。望むところだっ!」
撮影会の会場に向かう途中、安田は清に、撮影会攻略法を披露した。
「撮影会の定員は男性カメラマン20名、女性モデル10名なんだ!」
「10人もいるのか。どんなかわいい子だろうな」
「甘いな、清!」
「なにっ!」
「いいか。かわいいかどうかはあと。『いいね!』をくれるかが先決問題だぞっ」
「なんだ。ここでも『いいね!』が重要になるのか」
「そうさ。頑張れば、元を取ることだってできるんだぜ!」
「元を取るって、どういうこと?」
「女子は、撮影会に出場すると、30ポイントもらえるんだ」
「俺たちは払うのに、女子はもらえるのか……しかも30ポイントも!」
「女子はそのうちの25ポイントを『いいね!』に使うのが規則なんだ!」
「じゃあ誰かに25回『いいね!』してもらえば……お釣りが出る!」
「夢を語れば、最大で250ポイントもらえる!」
「儲かるかもしれないってことかよ! すごいな。(やる気マックスだよ!)」
「それだけじゃないんだ。撮影会は、社交の場でもあるんだ」
「しゃ、社交の場だって……。」
「そうさ。女子のメアドをゲットするには格好の場なんだ!」
清は旅立ちの日に便所掃除王になると誓ったことを思い出した。YKTNでは思った通りの性活とはならなかったが、ここ、多摩シティーではどうだろうか。もしかしたら、清自身が思い描いた性活が遅れるのかもしれない、と。
「夢のようだなぁ……。」
清は、はじまる前からご満悦だった。世の中にはうまい話なんかそうそうは転がっていないということを、若い2人は知らなかった。
「なっ、何だ。このオプションって……。」
「前はなかったのに。俺も、聞いてないよっ……。」
撮影会の会場に着いた2人は、メニュー表を見て肩を落とした。通常は、目線・笑顔・ポーズのリクエストは1ポイント、1m以内の接写・衣装チェンジは2ポイントのオプション料が必要になる。それらはモデル本人に『いいね!』として支払うことになっている。そうしなければ、モデルはポーズの1つもとってくれない。逆に、ポイントを支払えば、5分ほどは個室での撮影が可能。個室は利用料が1ポイントで係の人に支払うのだが、時間内は何度でも使える。
「仕方がない。個室利用料だけは払おうか……。」
「なんだか、やられたーって感じだな……。」
2人は、都会の荒波に揉まれていた。
ーー
7
長引く最終条約会議。各国首脳は茶話会を開いて議論を重ねた。その席上で話題になったのが、それぞれの青春時代に使っていたアプリだった。各国首脳は全員が『ブランキング』または『ブランブランキング』を愛用していた。
対価に見合う役務を提供されたかどうか。いつの時代もシビアな計算の上に成り立つ真理といっても過言ではない。
19時を前に、モデルたちが中央の大きなステージに登場した。最初の5分間はハッスルタイムと呼ばれる、モデルたちのアピールタイム。女性モデルが男性カメラマンのハートを射止めようと目線を変えながら好きなポーズをとる。男性カメラマンは女性モデルを品定めして、お気に入りがいれば個室へと誘う。
「あれ? 9人しかいないみたい」
「はい。1人はすでに個室に入っているのです」
怪訝な表情で呟いた清に係の人が言った。安田が知ったか振って合いの手を打った。
「野苺爽。今、神代レジデンスで最も注目されている個撮モデル!」
「お客さん、よくご存知ですね! (お目が高い!)」
「知ってるも何も、俺は爽さん目当てに来たといっても良いほどなんだ!」
安田が本性を露わにした。野苺爽が有名になったのは、1週間前のこと。その日が爽の初仕事の日であり、安田にとってもはじめての撮影会参戦日だった。そこで安田が受けた衝撃は、凄まじかった。
「清楚可憐にして元気潑剌。聡明でお茶目。黒くて長い髪に透けるように白い肌!」
安田がそんな感想を漏らした。それを聞いていた清も、ひと目でいいから野苺爽というモデルを見てみたいと思った。そんな清の心の隙間に係の人が囁くように言った。
「今なら2セット10分、20『いいね!』で個室へご案内可能ですよっ!」
「20『いいね!』って、普通の5倍以上!」
清は尻込みしてしまった。食堂で知り合った早都子からは、ポイントの無駄遣いを戒められていたから。だが……。
「はい。本日も残りあとわずかたったの1枠だけを残すのみとなってしまいました」
「そっ、それ! 俺に譲ってください!」
係の人のセールストークに、清は思わず手を挙げた。その瞬間、清は業火の中に焼かれるような思いをした。この日の男性カメラマンの目当ては、爽に集中していた。既に個室での撮影枠を入手している者は別にして、みんな爽がメインステージに立つであろう数分間を目当てにしていた。清が最後の枠を入手したということは、爽の登場がなくなったということ。だから、嫉妬の目を清に向けた。
「なっ、何だか雰囲気が急に変わっちゃった……。」
「清っ! 良くやった! 俺も一緒に入って良いだろう? (良いよな、なぁ!)」
「ダメでございます。野苺を個室に招けるのは、1人だけでございます!」
「そっ、そんなぁ……。」
係の人の冷たい一言に、安田のがっかりは大地に穴を開けブラジル人にこんにちはが言えそうなほどだった。そして次の瞬間には誰よりも強い嫉妬の目を清に浴びせた。
「畜生! 清のやつめ! 許せん!」
「なっ、何だよ、康まで急に。(怖すぎるぞ……。)」
係の人がステージの脇に立った。そして、この日の撮影会の開始を宣言した。
「さぁ、皆さん! 掘り出し物はまだありますっ! ハッスルタイム、スタート!」
その掛け声に、一斉にステージ上に視線が集中した。そしてステージ上からはモデルたちの熱い視線が、ほぼ満遍なく男性カメラマンに降り注いだ。ほぼというのは、清には結構多目、安田にはかなり少な目だったから。ステージ上のモデルにしても、ポイントをたくさん持ってそうな人にアピるのが手っ取り早い。清と康。これほど分かり易くポイントを持ってそうな人と持ってなさそうな人が並んでいることはない。
「おぉっ! みんなーこっち見てーっ!」
「……。」
「へーい! ハッスル、ハッスルッ!」
「……。」
清がノリノリだったのも無理はないし、安田がノリきれないのも無理はなかった。
ハッスルタイム終了後も、清は何故か優遇された。まだ個室へ案内されていないモデルが、順繰りに清のまわりにやって来た。しかも、そこそこかわいいモデルだ。
「今日は来てくれて、ありがとうございます。カメラマンさん!」
「いっ、いいえ。何度か目線をくれたお陰で、俺も良い写真が撮れました!」
「うっそー。見たい見たーい! (ちょっと照れるけど……。)」
「じゃあ、これなんてどうでしょうか?」
清の、コンクール入賞の腕前は伊達ではない。その証拠に、清が差し出した画像を見たモデルは、写真のあまりの素晴らしさに息を呑んだ。
「こっ、これが私? こんなに笑ってたかしら!」
「はい。たしかに一瞬ですが、とても嬉しそうに笑ってましたよ」
「そういえばこのとき、君を見ていて思い出したんだったわ!」
「あはははは。俺、ついてたんっすねぇ! けど一体、何を思い出したんです?」
「それがね。ふふふ。私、金魚飼ってるんだけど、その子のことを思い出したの」
「きっ、金魚……ですか。俺、金魚に似てるんすか。参ったなぁ!」
「餌用小赤100匹で1ポイントの、かわいいやつなの!」
「あはははは。俺にそっくり……。」
康やまわりのカメラマンたちがイライラするほど、清とそこそこかわいいモデルのお喋りは大盛り上がりだった。
「清くん。写真、譲ってくれないかなぁ? もちろん『いいね!』するわっ」
「えっ、俺なんかの撮った写真、もらっていただけるなんて、嬉しい!」
「じゃあ、メールのアドレス交換しましょう!」
「はいっ。喜んで!」
「やったぁーっ! 待ち受けの画像に使わせてもらうわ!」
こうして、清はそこそこかわいいモデルさんのメールアドレスと『いいね!』をゲットした。清は他の何人かのそこそこかわいいモデルにも『いいね!』と引き換えに写真を提供した。モデルたちの写真の使い道は人それぞれでなかには両親に贈る用などという者もいた。
「ここまで来れば、嫌味もない。舌を巻くばかりだ」
そんな清に対して、安田は不機嫌を通り越して感心した。
そして、あっという間に爽との時間となった。
(野苺爽。一体、どんな子なんだろう? 楽しみで仕方ない!)
清はニヤけているのがバレないようになるべく顔に力を入れて、そのときを待った。
ーー
8
最終条約後の地球を託すべきAIが決まった。それは『ブランキング』のAIと『ブランブランキング』のAIとを融合させて新たに製作することとなった。
「こんにちは! よろしくお願いしますっ、カメラマンさん!」
「あーっ! 貴女は、ハンカチの!」
「あらっ。便所でお会いして以来ね!」
清の目の前にいたのは、ハンカチ女だった。野苺爽はハンカチ女であり、早都子だった。清は驚いたがハンカチ女にはもう1度会いたいと思っていたので、得した気分になった。
「いえいえ。あははははっ。こんなことなら、ハンカチを持って来れば良かった!」
「良いんですよ、今度で! そんなことより、どんなポーズが良いですか?」
「あっ、じゃあ、大きいおっぱいをアピールする第1ポーズで!」
「なっ、何それ? 聞いたことないわっ! (教えてちょうだいっ!)」
清には、何の躊躇いもなく、あれこれと指示をした。それは爽も同じで、清に言われた通りに行動した。ほんの少し前屈みになり自然におっぱいを垂らしたあと、直ぐにおっぱいの下で腕を組み、掌で肘をがっしりとホールドして安定させた。
「なるほど。寄せてると普通は腕が疲れるけど、これなら大丈夫そうね!」
「はい。肘を掴むのがコツなんっすよ」
「どう? もう少しセクシーな衣装にすれば良かったかなぁ」
「いえいえ。充分ですよ! 爽さん、素敵です!」
「ありがとう! みんなもそう言ってくれるのよっ!」
清は、爽が2枠単位でないと予約できない理由を理解した。5分間ではあまりにも短か過ぎる。その証拠に、清が一息に写真を撮りまくったところで時計を見ると、既に8分も過ぎていた。
「あと2分しかないんだ! もっとたくさん撮りたいよっ!」
「ふふふっ。今度、改めて別の衣装の写真を撮って欲しいわ!」
「それはもちろんです。約束します!」
「で、どんな写真を撮ってくれたの? (あんま下手だと、指名させないかも)」
爽はそう言って、清からデバイスを奪い取り、勝手に画像を閲覧した。それらはほとんどがおっぱいを強調した画像だった。だが爽は不思議と嫌な気持ちがしなかった。その理由は、笑顔にあった。清は、撮影のときは普段以上によく喋る。爽はとてもリラックスしてそれに応じることができた。だから、自然に笑顔になっていたのだ。
「すごい! こんなに素晴らしい写真を撮影してもらえるだなんて!」
「いえいえ。モデルさんが最高だったってことですよぅ!」
「謙遜は要らないわ! 貴方の腕は最高よ」
「じゃあ、何枚かもらってくれませんか?」
「いいの? だったらこれとこれと……5枚ほどもらおうかしら!」
「是非どうぞ。では、メアド交換しましょうか!」
清は、数名のそこそこかわいいモデルとメアド交換して、少し調子に乗っていた。メアドを交換しなければ、画像を送信することができない。清はそれを知ってて画像をもらってなどと言った。それが爽には手に取るように分かった。だから本当は素直にメアドを交換しても良いのだが、あえてそれをしないでおきたかった。だから考えてある方法を思いついた。
「それよりも。共通の知り合いとかって、いないのかしら?」
「どっ、どうだろう? 俺、友達ってまだ少ないから」
「そう? でも、早都子と知り合いなんじゃないの?」
「えっ? あぁ。早都子さんね。よく知ってるよ! さっきも会ったばかりだよ」
「まぁ! ひょっとして、デートかしら?」
「ははははは。そんなんじゃないよ。早都子さんとはただの友達だもの」
「そう……じゃあ決まりね! 早都子経由で画像はいただくわっ!」
「えっ、そんなぁ! 直接送るのに。(メアドさえ教えてくれれば……。)」
「ふふふっ。もう送っちゃった!」
そう言って、爽は悪戯っぽく笑い、清に送信画面を見せながらデバイスを返した。
(やっ、やばいって! 結構際どい写真ばっかなのに……。)
清がいくら後悔したところで、あとの祭だった。
「また今度、会いに来てね! 本当よっ!」
「もちろんですとも。そのときにハンカチ持って来ますよ」
そうこうしているうちに時間となり、爽は清の個室をあとにした。
この日以来、清は度々安田と共に撮影会に訪れるようになった。
ーー
9
地球の未来を託されたAIは、人々を評価することが趣味だった。
清は多摩に便所掃除だけをしに来たわけではない。ましてや写真撮影だけということもない。月曜日の朝9時ちょうど、それははじまった。授業である。
「『便器学入門』、名前がストレート過ぎるよ……。」
「分かり易くて私は好きよ! それに、突っ込みどころは他にもあるんじゃないの」
『便器学入門』というのは、Fランカーの必修科目である。今期から便所掃除係を拝命した40人のFランカー全員が集う。
清の隣に居合わせた早都子が言ったのも無理はない。それは、あまりにもシュール。座学用の教室には博士型ロボットなどの最新鋭機器が揃うなか、何故か椅子だけは便座を模したデザインをしていた。
「他の教室は社長の椅子みたいなのばかりなのに……。」
「そういえば、清くんは便所掃除社長、目指し中だったわね!」
「あぁっ! 男に二言はない! 俺は便所掃除社長になる!」
清は急に立ち上がって、腕に力を込めた。その姿をクラスの全員が目撃した。早都子が迷惑そうに目をそらすなか、クラスメイトの1人が清たちにはなしかけた。
「なんだか、すごいのがいるな、このクラス!」
「すごいのはこいつだけ。私は至って普通……。」
「だっ、誰だっ!」
「ははは。俺は、温水幸村。どうやらお前らの同級生だ」
温水家は代々Fランカーで、便所掃除係を拝命しているエリート中のエリート。
「便所のことなら詳しいつもりだ! 相談役として雇ってくれよ!」
「それは願ったりだよ! よろしくお願いします!」
「……。」
温水にしたら、気の利いたギャグなのだが清は真に受けてしまった。
「へんっ。朝から賑やかだな!」
温水より少し遅れて、清たちにはなしかけてきた男がいた。
「誰だっ!」
「俺は、こういうものだ!」
その男は、手製の名刺を清たちに手渡した。
「こっ、これは、どうも……ご丁寧にっ!」
古のサラリーマンがそうするように、3人は名刺をぺこぺこと頭をさげながら受け取った。そして、その名を見るなり、顔を見合わせた。
「戸棚の戸に……東西の西……。」
「なっ、何て読むんだろう?」
温水も清も本気で分からずに唸っていた。早都子には読めたが、面白いからいじらずにはいられなかった。
「西というのは『いり』とか『いれ』と発音することもあるのよ」
「じゃあ……こ……いり? それとも、こ……いれ?」
「いいや、絶対に違うぞ……。」
温水は、何やら気付いたようで、清の思考を操作しはじめる。清に言わせたいのだ。
「おっ、お前ら……。」
一向に名を呼んでもらえない戸西は、イライラしていた。そんな中、ついに清はある発音にたどり着いた。それを待っていた早都子と温水が、清に息を合わせた。
「トイレ!」
「トイレ!」
「トイレ!」
「かっ……あぁーっ。いじられ続けた幼少期を脱出できると思ったのに……。」
戸西は、本当にトイレだった。下の名前は太利と書いて『たり』と読む
このあと、4人は便座を並べて授業を受けることになった。
開講日とあり、先輩便所掃除係のタケシという男が、便所掃除の仕方を説明してくれた。しかし、清には納得いかなかった。
「いいかい。手っ取り早く終わらせるには、たわしで擦るのが1番なんだっ!」
そう誇らしげに言う先輩に、多くの同級生がふむふむ、なるほどといった感じで聞いていた。しかし、清は我慢できなかった。それは、清がYKTNへ行く途中のシアタールームで見た動画では禁止されていることだった。清は思わず立ち上がり言った。
「ちょっと待ってください。それじゃあ、便器が傷みます!」
「何? お前、何者だ?」
清についで温水が立ち上がり、それに連れて戸西も立ち上がった。早都子だけが迷惑そうにして、座ったまま視線を外して他人のフリを決め込んだ。
「便所掃除社長! 御手洗清!」
「温水幸村。便所掃除相談役だ!」
「俺はっ……俺は……。」
だが、戸西はギリギリのところで自分たちの乱暴さに気付き、はやる気持ちを抑え、サラリーマンらしく腕を震わせながら続けた。
「俺は……こういうものでございますっ!」
言いながら戸西は名刺を差し出した。戸西が便所掃除係長を拝命した瞬間となった。
ーー
10
人々はAIの趣味による評価を受け容れるようになった。
清は、便所掃除社長として、先輩のタケシと対立することになった。同級生が賛同してくれたため、この場での勢いは清たちの方が勝っていた。
「どうして私が、便所掃除秘書なのよ!」
「早都子さん、頭良さそうだから。(社長を裏で操ってくださいね!)」
「……! そういうことなら、お安い御用っ。(暗躍は得意分野だもの)」
先輩を追い出し団結した清たちに、博士型ロボットがレジデンス内や都市内の便所事情を詳細にわたり教えた。
「レジデンスに便器は2万基。便所掃除係は1000 人。1人20基は重労働だな」
「それより、Fランカー以外が便所掃除をやると歩がいいってのは納得できないよ」
Fランカーは、便器1基を1日管理すると、2ポイントもらえる。それが、ランクが上がる毎に2倍になる。Eランカーなら4ポイント、Dランカーなら8ポイントという具合に。これを便器累進課ポイント制度という。戸西はこの制度への不満を露わにした。だが清は、全く逆のことを言い出した。
「むしろ、Eランカーに便所掃除を依頼した方が良くない?」
「そんなこと、できるものなのかしら?」
「たとえできたとして、俺たちのポイントが減ることになるよ」
「それは耐えられないよ。這い上がるには充分ってわけじゃないのに」
清の思いつきは、このときは誰にも受け容れられなかった。
清はぞろぞろとみんなを引き連れて、食堂へ行った。食堂では安田が待っていた。
「わっ! なんだよ、こいつら! 清軍団か?」
「軍団ではない。カンパニーだよ!」
「以後、よろしくお願いいたします!」
清と康の間に割って入ったのは温水と戸西。2人は清のガードマン役も担っていた。
総勢40人の新人Fランカー便所掃除係が、安田の名を登録したパネルを使って昼食を注文した。Fランカーはポイントを唸るほど持っている。通常はほとんどを貯蓄しておき都市を去るときにスコアに変換する。もし8年分のポイントを全てスコアに変換すれば、それだけで112となり、間違いなくDランカーの最低基準をオーバーする。スコアが高ければ、その分のポイントを消費にまわすことができる。
「Fランカーって、ポイントたくさん持ってるんだな。羨ましいよ!」
「あはははは。俺たち、仕事してるからな!」
「社長! そんなことより、午後の打ち合わせを致しましょう!」
Fランカーが影を歩む時代は終わった。清を社長にまつりあげ団結した40人の新人Fランカーは無敵、大手を振って食堂を闊歩した。清の右には早都子、左には女子Fランカーの金子勇貴が陣取った。他にも向こう正面の3人も背中合わせの3人も女子と、清のまわりだけが女子率が高い状態になっていた。戸西と温水は、清をガードするかのように通路寄りの席に向かい合って座った。安田はさらに遠くに追いやられていて、珍しく大声で清に向かって言った。
「おっ、俺も便所掃除しようかなぁ……。」
「じゃあ、やってみたら。結構簡単だぜ!」
「いや。やっぱ良いよ。毎日4回も掃除するってのは、ハードルが高いもの……。」
「あはははは。そんな根性が曲がってるんじゃ、仕事はできないよ!」
働かずとも生きていける時代、毎日4度も仕事をするというのは、たとえ報酬が高くとも、イヤなことなのだ。Fランカーのように強制されない限りは。
仲間のできた清は、元気を取り戻した。部屋に戻ると大きなくまのぬいぐるみの頭をぽんぽん撫でたり、ぬいぐるみの腕を操って自分の頭をぽんぽん撫でさせたりした。くまのぬいぐるみには、お尻の穴に飾りがあった。それはフェルト地の二重丸。肛門を想起するのが普通なのだが。このときの清は、別のあることを思い出した。YKTNの地下にある便所。男性小用便器で上手に使うための二重丸のマーク。そのマークがあるお陰で狙いを定め易い。
清は、古くなった管理便器の交換をする際、二重丸を付けるように注文した。その日のうちに運び込まれた二重丸付きの新型便器は、Eランカーたちに大人気となった。
「こりゃ面白い!」
「毎日の小便が楽しみになったよ!」
「俺なんか、最初のひと滴から最後までずっと当ててたぜ!」
「俺もだよっ!」
「俺も、俺も……。」
「あっ、ありがとうございます!」
大絶賛された清だが、この日『いいね!』は1つももらえなかった。清は、Eランカーたちの懐は寂しくて、他人に『いいね!』をしている余裕はないのだということを思い知った。だが、Eランカーたちもこころなしか上手に便所を使うようにはなったようで、清の便所掃除にかかる手間は半減していた。
ーー
11
AIによる評価はやがて、人々の熱狂を呼び、生活習慣を変化させた。
清は新規事業に乗り出した。それは、二重丸付き便器の本格展開。その効果は、既に実証済み。便所掃除カンパニーの従業員が管理する男性Eランカーの居住区や、娯楽施設の便器に必ず1基以上設置した。これは大当たりで、多くの従業員やEランカーから感謝された。
同時にこれまでは清たちの事業には見向きもしなかった先輩Fランカー便所掃除係も1人またひとりとカンパニーに参加しはじめた。その数は1週間後には800名に及んだ。
一方で、対立するものも現れた。講座の初日、登壇して講義をしたタケシだ。
「清、このやろ!」
タケシは既に孤立していたが、今更清に頭を下げたくはないと意地を張っていた。そして結局、便所掃除カンパニーには最後まで参加しなかった。
そんななか、清は第2の事業をスタートさせた。それは、清ほどポイントを持っていなければできないことであり、清にとっては念願でもあった。マイ便器制度だ。便所掃除の回数を半分にすること。全体で得られる報酬を4倍以上にすること。今でいう有給休暇が取れるようにすること。以上の3つの柱を持つ事業で、それを実現可能にしたのは、高ランカーほど報酬が高いという事実。また、報酬の制御を清自らが行うことで、余剰ポイントを便器の交換など便所という空間をよりエンターテインメント要素の強いものへと変えることに資するというものだ。
その1号顧客は康だった。康は度々清と撮影会に参加していたが、毎回清ばかりが人気で、康はいつの間にか除け者にされることが多かった。康は、自身の非モテの原因をポイントを使わないからだとふんでいた。少しはポイントが欲しいと思っていた矢先に、この制度を利用しないかと清から提案された。康は快諾した。だが清の管理便器にはDランカーの居住区は含まれていなかったため、別のFランカーに便器の提供を依頼した。白羽の矢が立ったのは、以前食堂で清の横に座っていた勇貴だった。その見た目は、地味な早都子と比べれば華やかだが、貧乳だった。
「2人ともこのアプリを入手して! (ポイント負担なしでDLできるよ!)」
「うん。これだね!」
「できたわっ!」
「じゃあ、勇貴はそこに提供してくれる便器番号を入力して!」
「できたわっ!」
「上出来! 次は、その画面を添付して康にメールを送信して! メアドは……。」
「ちょっと、待ってよ……メールでないとダメなの?」
「親しい中でないと名義を譲渡できないんだ」
「なるほど。メールの送信履歴で、親しいことの裏付けにするのか。考えたな!」
「私、イヤ! 安田くんに大切なメアドを教えたくない。(親しくないしっ!)」
「そっ、そんなぁ……。」
嫌がられた安田のがっかりがどれほどのものか、清には計り知れなかった。だが、ここまできてマイ便器制度がお蔵入りするのも、清には納得できなかった。だから、秘書の早都子に相談した。
「それじゃあ、『いいね!』4つお願いね!」
「そっ、そんなに? 随分と足元を見るんだね……。」
「イヤなら良いんだけど!」
「もう『いいね!』したよっ!」
清がそう言うと、早都子は空かさず『いいね!』獲得履歴を検索。ポイントが付与されたのを確認してから言った。
「先ずは勇貴の便器を清くんに移し、そのあと安田くんに移すというのはどう?」
「なるほど。それなら、勇貴のメアドは康にはバレないで済むね!」
「とほほ。俺はどこまで行っても仲間外れってわけか……。」
「さすがにかわいそうだから1回だけデートしてあげるわ。(手繋ぎはなしよ!)」
こうして、清は秘書の早都子の助言のもとマイ便器制度の最初のマッチングに成功した。
そのあと、清と早都子は南地区の便所掃除を一緒にした。
「マイ便器制度だなんて、よく考えたわね!」
「でも、早都子の助言がなかったら、破談になったかもしれないよ」
「メアドを守ろうとする女子の気持ちを考慮に入れるべきね!」
「助言、心より感謝します! (あとで『いいね!』しておきますです!)」
「でも、清くん。これから大変よっ! (さっきもらったからいいわよ)」
「どうして?」
「あのアプリがDLされる度に、同じような苦情を処理することになるわ」
「その点は抜かりないよ。既にアプリをアップデートしてあるんだ!」
「まぁ、随分と早いのね!」
「実は勇貴がプログラマーで、改造してくれたんだ!」
「それは良かったわね……。」
相変わらず一切手を止めない早都子は、とっとと掃除を終わらせて、便所を出ようとした。そのときに珍しく落とし物をした。清がそれを拾い上げると、それは『S・N』の刺繍が施されたハンカチだった。ほんのりと柑橘系の香りを漂わせた。
「あれ? これってもしかして……。」
「えっ? あっ!」
(やっ、やばいわ! 私が野苺爽だってこと、暴露るかもしれない!)
早都子の心臓はドクドクと速い音を立てはじめ、顔を一気に赤く染め上げた。嘘が暴露ると思った早都子は、自然に清から目をそらしていた。
「やっぱり。爽さんのだ!」
「……。」
「さてはバトコ、また粗相を!」
清は、早都子と爽が同一人物だとは、夢にも思っていない。だから、爽のハンカチを早都子が持っていることに何の疑問も感じなかった。それどころか、よくあることのように、豪快にバカ笑いした。
「そっ、そうなのよ……あのときは、頭が臭くなっちゃったわ……あははははっ!」
(良かった。清くんがバカで……。)
ふと、早都子は清の顔を見た。まだバカ笑いしているその顔が、何故だか愛おしいほどに思えてしまった。だから、もう1度顔を赤く染め、そっと目をそらした。
結局、そのハンカチは、清から爽に渡すことになった。
ーー
12
AIは評価の高い人々を優遇し、低い人々にはそれなりに遇すようになった。
「よーし! 今日は遊ぶぞー!」
「俺も今日は気分が良い。たっぷり写真を撮るぞー! (全員個室に通すよっ!)」
「そうだっ、それでちょうど良い! けど……なんであいつらが一緒なんだ?」
「それは、俺が聞きたいーっ!」
康があいつらと言ったのは、戸西と温水のことだった。
「早都子秘書からの依頼だよ!」
「社長がハメを外さないように見張れってな!」
こうして、4人で撮影会に向かった。この4人の中に、バカは何人いるかといえば、4人ということになる。誰一人として早都子が野苺爽だということに気付いていないのだから。
撮影会がはじまった。清は予告通り、モデルたちを端から順番に個室へ案内して、写真を撮りまくった。その合間におしゃべりをして過ごし、マイ便器制度を啓蒙した。モデルたちはみんな、清が勧めていることと、ネタになることとを理由に、マイ便器制度への参加を表明した。
「1日1回の便所掃除で3ポイントなんて、お得!」
「私、知り合いにも勧めちゃうかもしれないわ!」
「残りの1回を清くんが掃除してくれるんなら、幸せなんだけどなぁ!」
「あはははは。なるべくそうなるようにしてみるよ、なるべくね!」
さらに、馴染のモデルを中心に、清に対して同じ申し出があった。
「ねぇ、清くん。そろそろ、スタジオの外で会わない?」
「えっ? いいの!」
撮影会の現場は出会いの場でもある。清はこの日、何人かのモデルとスタジオの外でデートする約束をした。清にとっては、念願でもあった。
いよいよ、清の大本命、野苺爽が清の個室に入った。
「清くん、今日は随分と羽振りが良いのね! (何かあったの?)」
「あぁ。俺、大きな賭けをしているんだ。(爽さんにも噛んで欲しい!)」
「賭け? どんな賭けなのかしら。気になるわっ!」
「俺なんかが本当に社長になるかもってはなしなんだ。(その前にはい、これ!)」
清は、爽にハンカチを返しながら安田と勇貴をマッチングしたことや、今後の事業展開について、爽にゆっくりと説明した。爽はあまり興味がなさそうに聞た。清は、奥の手とばかりに爽に言った。
「実はさ。早都子には内緒なんだけど。サプライズを用意してるんだ!」
爽と早都子は知り合いということになっている。というよりも、そのせいで清は爽のメアドをゲットし損ねた。逆に言えば、爽に伝えたことは、早都子に伝わり易い。だからあえて爽に早都子へのサプライズをはなすことにした。間接的に伝えたいという意図もあった。
「へぇっ! どんなサプライズなのかしら? (気になるわっ!)」
(清くんったら、どこまでバカなのかしら! 本人にサプライズのネタバラシして)
「収益の一部を自動的に早都子に還元するようにプログラムを組んでもらったんだ」
「還元って、どういうこと?」
爽は、顔を引きつらせた。このときになって、早都子に間接的に伝えようという清の試みは失敗を露呈した。清からすれば意外で、まるで直接的にそれを伝えてしまったかのような手応えだった。
「ほっほら。早都子、ポイント集めてるでしょう。少しでもその力になりたくて!」
「ポイント? そんなこと……早都子は望んでいるのかしら?」
「ははは。そうに決まってるよ。早都子、世知辛いものっ!」
清は実に気前よく早都子にほぼ言い値で『いいね!』ポイントを贈っていた。早都子がポイントを集めている理由、それは単なる趣味。だから早都子は清と別々に暮らすことになると決まれば、今まで贈ってもらった『いいね!』を耳を揃えて返すつもりだった。そんな早都子の気持ちを知らずに、清は続けた。
「早都子にはきっと、ポイントを集めなくてはならない、何かの事情があるんだ!」
「……。」
「もしかしたら、家族のためかもしれないし!」
「……。」
「将来への蓄えかもしれない」
「……。」
「どのみちポイントが欲しいなら、たくさん贈ってあげようって思うんだ」
「……。」
「そうすれば、きっと早都子は喜んでくれるから!」
「それは、清くんの決めつけじゃないかしら?」
(ここまでバカだったなんて、清くんのこと、見損なったわ!)
「えっ?」
「ポイントは贈り物とは違うわっ!」
「……。」
「どうして本人に相談しないのよ!」
「……。」
「協力したい気持ちは分かるわ」
「……。」
「けど、どう協力するかは早都子に聞いてあげないと!」
「そっ、それじゃあ、サプライズにならないよ……。」
「清くんのバカ! 本当にバカよ。もう帰って! 私も帰る!」
時間前だというのに、爽は個室をあとにした。このときの清には、爽が何故こんな行動をしたのかを、全く理解していなかった。それまでのそこそこかわいいモデルさんとは上手く話せていただけに、このときの清にとっては、それほどの大事件というわけではなかった。
翌朝、清は興奮のうちに目覚めた。一晩にして100件あまりものマッチングに成功していたから。そしてもう1つ、清はデートの約束をしていた。相手は佳子。佳子もまた、マイ便器アプリでマッチングされていた。清は西と南の便所掃除を済ませると、大きなくまのぬいぐるみの頭をぽんぽんと撫でてから部屋を出た。
清が待ち合わせ場所に行くと、佳子が笑顔で迎えてくれた。佳子もマッチングが成功して喜んでいるようだ。
「早速だけど、一緒に行きたいところがあるの!」
「あぁ。佳子さんの行きたいところなら、俺も行きたい! で、どこなの?」
「ホテルよっ!」
「えっ!」
清は、顔を真っ赤に染め上げた。
ーー
13
人々はやがて、AIの評価を盲信するようになった。AIもまた、評価を盲信するようになった。
「なっ、なんだぁ。そういうことか……。」
「えへへ。でも、お初にお目にかかるマイ便器を清くんと観れるのって、嬉しい!」
佳子が清をホテルに誘ったのは、そのホテルの便所に佳子のマイ便器があるからだった。清は、一瞬がっかりしたが、直ぐに立ち直って言った。
「だったら、俺が便所掃除の方法を伝授するよ!」
「えぇっ! よろしくお願いします、社長!」
滞在者用のホテルの1階のロビーの直ぐ横に、その便所はあった。清が便所掃除の手解きをしたあと、2人で最上階の喫茶室に行った。そのとき、清は前日に爽が急に怒り出して部屋を出て行ってしまったことをはなした。佳子は、爽と早都子が同一人物であることを知っていた。
「じゃあ、清くんは、爽のこと追いかけもしなかったの?」
「あぁ。だって、原因がわからなくて、どうはなせばいいか分からないんだ……。」
「そんなの、どうでもいいのに! 清くんって、恋愛スキル低過ぎるよ!」
「あはははは。そうかなぁ。そんな気もするよ……俺、どうすればいいのかなぁ?」
「そうねぇ。2つに1つってとこね!」
佳子は、あえて清から目をそらしてから、続けた。
「直ぐにでも早都子さんに会いに行くか……。」
ゆっくりとそこまで言って、清の方に振り向きながら続けた。
「わた……。」
そして本当は、私を抱いて早都子も爽も忘れるか、という2つ目の方法を言うつもりだった。だが、そこにはもう、清はいなかった。既に駆け出したあと。
「佳子さん、ありがとう! 俺、早都子に聞いてたしかめるよ!」
清が都合よく扉を開けたエレベーターに飛び乗りながら言った。佳子にはそれを見送るより他なかった。
「……はぁ。どうすんのよ、ホテルの部屋。折角予約したってのに……。」
(ま、清くんがもう少し男として成長してくれるのを待つしかないか……。)
佳子には不思議と、清を応援しようという気持ちが湧いてきた。
清は走った。そして、メールで早都子にアポを取った。早都子は近くにいたらしく、直ぐに会うことになった。
(よく考えたら、便所以外で2人切りってのは、食堂以来かも……。)
清は1度立ち止まると、胸が高鳴るのを抑えながらゆっくり深呼吸した。
ーー
14
西暦2222年ころ、評価に応じた生活習慣は、安定期を迎えた。
早都子は不機嫌そうな顔をしながらも、大きいおっぱいをアピールする第1ポーズをとって、清を出迎えた。清はそのときになってはじめて早都子のおっぱいが大きいということに気付いた。清は早都子と会うなり単刀直入にはなした。そうでもしないとまた直ぐに鼓動が乱れそう。
「ごめん。俺、勝手に収益の一部が、早都子のところへ行くようにしちゃってさ!」
「はっ、はぁ……。」
「何ていうか、早都子はポイント集めてるみたいだったから!」
「まぁ、ね。集めているわよ。(大切だもの)」
早都子には、戸惑いがあった。前日に爽として収益の一部が還元されることを聞いているが、早都子としては何も聞いていない。それはとても複雑な状況で、頭の良い早都子といえど、難しい局面なのだ。だが、今は口が裂けても自分が爽だとは言えない。ましてや清に悟られてしまうのは、もっと良くない。つきはじめた嘘はつき通すしかない。
そして何より、早都子には、もう1つ大きな嘘があった。早都子にはもう1つ名前がある。それは、売れっ子小説家『西田園子』という名だ。早都子が小説家として売れ出したのは2年前。以来、ポイントはどんどん貯まっていて、スコアに変換すればSSランカーになるほどだった。その全てを信頼できるおっさんに預けていて、早都子の手元には僅かしかない。Fランカーとして生活しているのは、現在執筆中の小説を書き上げるための取材のようなもの。その小説の主人公は、構想の段階から清に似ていた。だから、早都子は今、清がどんなことを言うのかに大きな関心があった。
もし、清自身が自分がSSSランカーであることを知っていて、周囲を騙しているのであれば、聡明な早都子は気付いただろう。だが、頭から自分がFランカーだと信じている清。その上で便所掃除係としての使命を前向きに果たそうとしている清。そんなだから、早都子の目には、清はバカで情熱のある好青年だと映っていて、主人公よろしく成長して欲しいと思ってしまうのだった。それも全て、小説のため。
だから、後ろめたく感じているのは、早都子の方だった。
「早都子さん。勝手なことをして、本当にごめんなさい!」
「……。」
必死に詫びる清。ただ黙って聞くしかない早都子。それは、便所の中で奇妙な関係を結んだときと同じだった。違うのは、ここが便所でないことと、早都子が便所掃除をする代わりに、大きいおっぱいをアピールする第1ポーズをとっていることだけ。
「俺、早都子さんが協力してくれるのが嬉しくって!」
「……。」
「そんな協力に、少しでも報いるにはどうするべきか、考えたんだ!」
「……。」
「マイ便器制度があげる収益の一部が早都子さんに行くようにしたのはそれが理由」
「……。」
「それなりにまとまった額だし、ちょっと驚かそうと思っちゃって」
「……。」
「早都子さんの同意も得ずに、勝手にプログラム組んでもらっちゃった」
「……。」
はなすうちに、清の興奮は少しずつ覚めていった。早都子はイライラしながらも、一方では心からの言葉としてそれを熱心に聞いた。
(相変わらず、はなしの構成が雑よねぇ……。)
清には、伝わっているという手応えが充分にあった。だから清は続けた。
「本当に、ごめんなさい!」
「……まぁ、ちょっとくらいなら、ありがたく頂くわよ! (ポイントは大事!)」
「えっ? 本当! 嬉しい」
「で、どれくらいなの? いただけるポイントって?」
「収益の1%くらい。明日は100ポイントくらいだと思う」
「えっ! そ、そんなに……マイ便器制度で清くんは一体、いくらはねているのよ」
「登録者はDランカーを想定していたんだけど、SSやSの人が多くって……。」
「で、収益率が上がったってことね……。」
簡単な計算だった。どのランクに属する相手であっても、支払いは6ポイント。相手がDランカーの場合は8ポイントを得るから、清の元に残るのは2ポイント。それが、蓋を開ければSSランカーやSランカーとのマッチングが多く、清の試算では清の取り分は1件平均100ポイント以上、総額1万ポイント以上だった。その額は、早都子も驚くほど。そうなると、小説のことだけではなくなる。清がSSランカーになる日も近い。そうなれば、2人揃ってSSランカーになるのも夢ではない。早都子の計画は、色々と変更されていった。
「……ねぇ、清くん。こうなったら徹底的にアプリを拡散しましょう!」
「いやっ、そんなこと。俺、何だか怖くって……。」
「なに、生っちょろいことを! 社長なら社長らしく事業を拡大しなさい!」
「はっ、はい!」
「ようしっ。便所掃除社長、出勤せよ!」
「ラジャー!」
こうして、便所掃除カンパニーは、本格的な事業の拡大に乗り出すこととなった。
ーー
15
今日に至り、AIによる評価、ランキングに疑問を持つ者はいない。
同じ日、清はフォーラムにFランカーたちを集めてポスターを作成した。便所を上手に使うように呼びかけるものであり便所掃除カンパニーへの入会促進ツールでもあった。
「『いつもきれいに使っていただき、ありがとうございます』で良いのか?」
「そうそう。神様へのご挨拶を参考に作ったんだ」
「こっちはトイレットペーパーの使用量に関する案内だね!」
「トイレットペーパーはロボが交換するんだから放っておいても良いんじゃないか」
「俺は、便所の全てを変えたいんだよ!」
「でも、『15cmが基準です』って、本当なのかしら」
「統計データを基に算出しているから、間違いないと思うよ」
ポスターには、野苺爽の写真を添えた。全ての文字はその写真からの吹き出しに収めた。早都子が清と爽の間に入って実現した体になっている。早都子は、そのポスターを見ていて、なんだか不思議な気持ちになり、秘書としてモデルとして誰よりも清の役に立てていることに対しての誇りを密かに感じていた。
清は、西地区の便所に行った。Eランカーたちは相変わらずのお喋りをしていた。
「で、西田園子原作のアニメって、どういうストーリーなんだ?」
「冴えない男がやたらとモテるんだよ!」
「ハーレム系ってやつか! 面白そうだなぁ」
「だろう! 読んでると俺も冴えない男になりたくなるんだよなぁ」
「はははっ! 現実はそんなに甘くないぜ」
「そうそう。Fランカーにだけはなりたくないよなぁ」
Eランカーたちは、ちらりと清を見ながら、その横を通り過ぎた。その先には、清が作ったポスターが貼ってあった。
「おおおっ! これって、もしかしたら野苺爽じゃないのか!」
「本当だ! なになに『いつも……ありがとう!』だってよ!」
「おおっし! 俺、今日からもっとキレイに使うって決めたぜっ!」
「俺も! 俺もー!」
……。
Eランカーたちは大盛り上がりだった。
「でも、どうしてFランカーのやつらがこんな画像持ってるんだ?」
「あーっ、それは俺が撮影したんっすよ」
清がそう言うと、Eランカーたちは目を点にした。
「何でお前なんかが野苺爽の撮影なんかするんだよ!」
「そうだそうだ! Fランのくせに、生意気だぞ!」
「さては汚ねぇ手を使いやがったな。(Fランのしそうなことだ!)」
「もう『いいね!』してやんないからなっ!」
Eランカーたちは、まるで自分が野苺爽の恋人か騎士かのように、清に喰ってかかった。清はEランカーにも便所掃除をシェアして、1人当たりの負担を軽くすることを模索していた。だから清は待っていたかのように、なるべく誇らしげにそれに応えた。
「全ては、便所掃除係としての労働の対価のお陰ってやつなんだ!」
「労働の……。」
「対価だって……。」
「一体、いくらもらってんだ? 月300くらいか?」
「なっ、何!」
「そんなに?」
「すっ、すげーっ!」
「便器20基の掃除で、そんな贅沢ができるのかよっ!」
「ま、まぁ、ね。あはははは」
(あれーっ。月300でそんなに喜ぶんだ。俺は1200貰ってるのに……。)
Eランカーには、秘密があった。それは、今でいう業務用食材がポイントで交換可能なこと。例えばアイスクリーム。Fランカーには交換できないし、Dランカー以上だと1人前で1ポイント負担しなくてはならない。それが、Eランカーだけは何故だか10人前を2ポイントで交換可能。さらに、彼らには彼らしか知らない特別なネットワークがあり、多くの食材を融通し合うという文化を形成していた。だから、月300ポイントといっても、清が想像している1500ポイント分の生活を送れる。普段から徒党を組み、行動を共にしているのも、こういった文化を持ち合わせているからこそなのだ。
「おい、清! いや、清社長! 俺たちに便所掃除をさせてくれ!」
「俺たち暇だし、1人30基くらいなら平気だぜ!」
「そうだそうだ!」
「わっ、分かりましたっ! じゃあ……。」
清は勿体つけて、続けた。
「明朝までに便所掃除係の募集広告貼るんで、なるべく多くの人に見せて!」
「おぉっ、そうだよな!」
「俺たちだけ得したって、バチが当たるもんな」
「なるべくたくさんのEランカーを集めるよ!」
「それはそれは、助かりますですっ!」
清にとって、目から鱗の出来事だった。Eランカーは徒党を組んで嫌味ばかり言う暴徒のように思えていたが、実は心根の優しい者たちだったのだ。
次の日の朝、清は早くから従業員募集のポスターを持って西地区の便所へと行った。1人最大10基の契約で、月額最大100ポイントが支払われるというものだった。Eランカーからすれば高報酬だが、清が当初想定していた計画の10%程度に抑えていた。そのあと、清はいつも以上に丁寧に便所掃除をし、南地区の管理便器へと向かった。
清は、南地区の便所に着いたところでアプリを開き、別の異変に気付いた。
「あれ? どっ……どういう……こと……。」
アプリに表示された昨日1日分の報酬は、清の試算を大きく上回り、400万ポイントを超えていた。清にとってはそれがとても恐ろしいことで、掃除用具入れを開けるときもモップを手にしてからも、震えが止まらなかった。そのとき、清の元に早都子が駆け込んできた。同じくアプリを開き4万ポイントが振り込まれているのを確認して、動揺していた。
「きっ、清くん。一体どういうこと?」
「お……お……落ち着こうよ……早都子……。」
動揺は、清の方が激しかった。2人は1度便所を出て、食堂ではなすことになった。
「どうやら、俺の計算ミスだったみたい……。」
「一体、どんなミスなのよ?」
「3人のSSランカーに全ての便器が振り分けられていたんだ!」
「1人に5000基以上! じゃあ、彼女たちは大忙しね……。」
「いや。実際に掃除するのは便所掃除カンパニーの従業員に振り分けられている」
「そうか。じゃあ、問題ないんじゃないの?」
「えっ?」
「だって、それってただの計算ミスでしょう? (誰にだってミスはあるわよ)」
「おっ、驚いただろう。俺はもう恐ろしくって。(こんな額、使い切れない)」
「良いんじゃない? 使わなくっても。清くんは平和主義者っぽいし!」
「けど、もしコレと同じ仕組みで起業した人が他にいたら?」
「毎日400万もあれば、たちまちSSランカーになれるわね」
「だから、怖いんだよ……。」
清は、頭を抱えて塞ぎ込んだ。同じ方法で誰かが富を築き、住民を支配するようなことになれば、それは自分の責任なんだという不安、怯えだ。早都子がそれを見て思ったのは、男らしくないといえばそれまでだが、清の優しさ故ということだった。優しさは清の大きな武器であり、同時に弱点でもある。早都子は、清に成長させたかった。
「貴方が、覚悟を決めるときが来たってことでしょう!」
「覚悟を……決めるって……。」
「既にシステムを立ち上げたのは有利! 今のうちに寡占状態を作るのよ!」
「そっ、そんなぁ……。」
「じゃあ、誰かに真似されて、そいつに大きな力を与えても、良いというの?」
「そっ、それはイヤだよ……っていうか、怖い……。」
「だったら、取るべき道は1つ。さぁ、覚悟を決めなさい!」
「分かった! 俺、世界1の、いや、世界唯一の便所掃除社長になるよっ!」
「その息よっ。便所掃除社長、出勤せよっ!」
「ラジャー!」
こうして、清は本気モードで便所掃除カンパニーを運営しはじめた。
その日のうちに神代レジデンス内のほとんどの便器を買い取り、全て高ランカーにマッチングした。さらに、Eランカーの従業員を数1000名雇い入れ、日額総計30000ポイントでこき使うことに成功した。翌日の清の報酬は、500万ポイントを超えた。便器1基が毎日250ポイントを運んで来る計算だ。それを惜しげもなく使い、別のレジデンスにも顧客や従業員を開拓していった。1週間もしないうちにスマートシティー多摩全域と、その周辺の東京や相模、利根といった大都市において基盤となりうる便器を掌握した。便器を提供したFランカーには、それまでの1.5倍の報酬と、ポイントを使いたくなるようなイベントへの招待がなされた。また、マイ便器登録者に対しては、当初の想定を大幅に見直し、毎日10ポイントが支払われた。
3週間も経つと、同じような仕様のアプリが登場したのだが、清はそれらを丸呑みして、拡散を加速させた。そして、起業から1ヶ月後には、世界中の便器の99.2%を独占し、清の報酬はアプリからだけで毎日4兆ポイントにまで膨れ上がっていた。
清はそれでも、南地区の便所掃除を日課にしていた。本当はそんなことをしなくてもいいのだが、清は南地区の便所掃除が好きだった。
「清くんってヤるときはヤる男ね……。(今日も2『いいね!』シクヨロッ!)」
「俺は何もしてないけどみんなが張り切ってくれたから! (もっと出すのに!)」
「そういう、謙遜するところが、いかにも清くんって感じで良いわ!」
「えっ? 良いって、それ、どういう意味?」
「!……かっ……勘違いしないでよ。ちょっと良いってだけなんだから!」
「だからその、良いって、どういう意味なのさ!」
「知りたかったら、『いいね!』しなさい! 10兆よ、10兆!」
「分かったよ。それくらい。でも毎秒15『いいね!』して1000年以上……。」
「……ったく! もういいわっ! こういうことだから」
刹那、早都子は大きいマスクと大きいメガネを同時に外した。そのそばから、清は呼吸困難に陥った。口が塞がれてしまったのだ。このときの清は、もう何人もの女性とキス以上の関係になっていた。そんなときは鼻で呼吸すれば良いということは充分に分かっていて実践していた。このときも鼻の穴を極限にまで拡げていた。だが、呼吸困難にこれほど胸が熱くなり鼓動が乱れるという症状が伴ったのは、初めてだった。
鼻の穴の大きさはいつのまにか元の大きさに戻っていた。それは、決して興奮が、醒めたからというわけではない。興奮が喜びへと昇華したに過ぎない。だから、清はそっと目を閉じて、早都子をそっと抱き寄せた。着痩せしている早都子のおっぱいの柔らかさは、充分に清に伝わった。
「これで、分かったでしょう? このクソ社長!」
「クソじゃないよ! 便所掃除社長だよっ!」
2人して息を整えたあと、もう1度、もう1度と、何度も互いの呼吸を遮った。
それを以て、清のレベルアップ検定は、終了した。
ーー
16
AIは、他のAIをもランク付けするようになった。
調布にある飛行場。清専用飛行機が離陸の時を迎えた。
「ったく。どうして手ぶらなんですかっ? (お持ち帰りしないだなんて!)」
「ごっ、ごめんなさい。(あぁ、このお説教、罵詈雑言、なんだか懐かしいよ!)」
薄着で腰に手を当てて前屈みになるという、大きいおっぱいをアピールする第3ポーズをとった奈江型デバイスに、清は感謝感激雨霰といった状況になった。
清が早都子をそっと抱き寄せたとき、レベルアップ検定はいわばコールド勝ちとなった。その知らせを受けた清は、ついて来てくれないかと早都子を誘った。早都子はその場での返事は保留した。そしてその次の日、早都子は清の前から姿を消した。清の元にはハンカチと1通の手紙が届いた。別れの手紙だった。
「まぁ、検定は合格ですから、文句は言いたくありませんけど!」
「早都子が望めば、いつだって迎えに行くさ! どこへでもね!」
「随分と甘いんですね! あんな女の何処が良いのです? (私の方が……。)」
「あははははっ!」
「ですが、清様? (あれ? ひょっとして泣いてます?)」
「なっ、なんだい? (そりゃ、悲しいもの……。)」
奈江型デバイスは、清がハンカチで涙を拭うのを待ってから言った。
「中元早都子と野苺爽、清様のお好みはどちらなんですか?」
「嫌だなぁ。2人は同一人物なんだから!」
「そうですけど、そうではなく。例えば、内実と容姿ではどちらにひかれましたか?」
「早都子が内実、爽が容姿ってこと?」
「そうです。その2極において、決め手となったのはどっちなんです?」
「俺、2人が別人だったら、どちらも選べなかったって思うんだよ」
「なるほど。では、いつからお気付きだったのですか?」
「爽に叱られたときと、早都子に謝ってるとき、かな」
「ふむふむ。割と早かったんですね! (出会って1週間くらいですか)」
「1週間って、とっても長いよ」
「リア充っぽいセリフですね。7週間も私を放っておいたくせに!」
「あはははは。検定だもの、仕方がないよ。(スマンと思ってるけど……。)」
そのあと、清は乳酸菌飲料の原液を牛乳で割った飲み物を飲んだり『デバイスの追加機能発表会』を聞いて楽しんだ。
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