第3話 鬼娘、むしろお持ち帰りしました



「スケベ」


 その一言で、我に返った。


 そういえば、目が覚めたんだっけ?


 ていうかスケベってどっち?


 ツノに触ったこと? 下着姿を見ていたこと?


「助けてくれたことに礼は言うが……ツノ目当てかの?」

「え、何そのカラダ目当てみたいなニュアンス?」

「……そうか、お主は人間だったな。雄狼は雌鹿の肉に興味はあってもツノには興味などないか……悪かったな。今のはわしの失言じゃ……」


 なんだか、古風な喋り方の子だな……。


 あと、このシチュエーションで雄狼とか言われると、ちょっと違う意味に聞こえてしまう。


「あのさ……状況が良くわからないんだけど……お前って、鬼、なの? 本物の?」

「うむ……どうじゃ、わしが怖……がってはいないようじゃの」


 俺の顔を見るなり、少女は、くふ、と口元で笑った。


 確かに怖がってはいないものの、さっきから肌とか髪とか美貌に惹かれていただけに、少し恥ずかしかった。


 なんていうか、手の平で転がされている感じがする。


「それで、どうしてここに?」

「現世を守るためじゃ……」


 守る? 鬼なのに?


 俺の表情から疑問を察したのだろう。少女は説明を始めた。


「意外そうな顔をするな。わしら鬼は西洋の悪魔共とは違う。向こうは人を惑わし地獄に落とすが、わしらは地獄に落ちてきた悪人を裁き管理をする刑務官じゃ。これでもお堅い職業なんじゃぞ?」


 言われてみれば、それもそうだけど、ちょっと引っかかる。


「でも、鬼ヶ島の鬼とか、人を食べる昔話とかあるぞ?」

「あれは悪鬼じゃ。人にも犯罪者がいるように、公務員業に馴染めず現世で悪さをする奴もいる。そういう輩を取り締まるのも、わしらの仕事じゃ」

「じゃあ、お前は人間を食べたりしないのか?」

「せんよ。まぁ、力はつくと思うがの。人の肉や体液は、鬼にとっては滋養強壮剤なのじゃ」


 さらりと怖いことを言うな。


 やっぱ、こいつ鬼かも。


「じゃあ、現世には悪鬼を倒しにきたのか?」

「いや、もっと悪質な奴らが現世に向かっておる。わしの仕事はそいつらの駆除じゃよ……はぁ」


 そこまで説明して、どっと大きな息をついた。


 そういえば、彼女はけが人だった。


「悪い、喋らせ過ぎた! どうすればいい?」

「いや、体は、一晩寝れば治る……問題は霊力じゃ。現世に出るときに、力の大半を消耗し尽くしてしまったからの……そこを連中に襲われて、このざまじゃ。まさか、わし一人に一個中隊を用意しているとはな……」


 連中? 

 敵は複数人なのか。

 あいつらはなんなのか。

 少女が正義の味方なら、どうして襲われたのか。

 疑問は尽きないけれど、疲労困憊の彼女を喋らせるわけにもいかない。俺は口をつぐんだ。


「そ、そうだ。体液って、血だよな。お前、俺の血を飲んだら元気になるのか?」

「うむ。それならすぐにでも回復するが、無理をするな」

「いや、待ってろ」


 台所に行って、果物ナイフを持ってくる。


 それから、少女の前で、袖をまくって、腕にナイフの刃を押し当てた。


「…………くぅ」


 無理だった。

 アニメや漫画だと、様々な事情で、主人公がスッと肌を切って血を流すけど、現実にはかなりの勇気が必要だった。


 ぐぐっとナイフの刃を肌に押し当てるだけで、ナイフを手前に引けない。


 痛そう、というか、怖い。


 それから手の平、指先、と、色々な場所にナイフをあてがうも、あと一歩のところで踏み出せない。


 ああもう、女の子が倒れているのに何やってるんだよ俺!

 なんだか自分が、口先だけのハッタリ野郎に思えてきて情けない。

 何が


 顔が並でも運動ができなくても金がなくても冴えない地味男子でも、鶴見さんなら俺の中に眠る、溢れんばかりの勤勉さと高潔な魂を見抜き、正統な評価をくれるに違いないだ。


 顔も運動神経も金もなければ勇気もないチキン野郎じゃないか。


 そんな俺の本性を見抜いたからこそ、鶴見さんは俺をフッたに違いない。


 鶴見さんにフラれたことを思い出して、二重にへこんだ。


「そうだ、量ってどのくらいあればいいんだ? 一滴二滴でいいなら、安全ピンで刺せば」


 それぐらいなら、俺でもできるだろうと最低にダサくてしみったれた発言をした。


 もう、落ちるところまで落ちている。


 俺のクズ発言に呆れたのか、少女はかすれるような声で言った。


「もうよい」


 その言葉で、ずんと頭が重くなった。

 呆れられた。

 突き放された。

 期待を裏切った。


 別に、彼女とはなんでもないのに、見切りをつけられたことが無性に空しかった。


 穴があったら入りたいどころか、そのまま穴の底で暮らしたい気分だった。


 俺がうつむくと、頬に、温かい手が触れた。


 顔を上げると、すぐ目の前に、少女の美貌があった。


 あらためて見ても、やっぱりすごい美人だった。

 人間とは思えない、CGデザイナーや造型師が作りこんだような面差しだ。

 こんな子が街中を歩いていたらスカウトマンは放っておかないだろうし、老若男女問わず、誰でも振り返るだろう。


 長いまつげに縁どられた赤い瞳に俺の顔を映しながら、彼女は、俺の頭を優しく抱き寄せた。


「あむ」


 くちびるに触れるやわらかい感触。

 くちのなかに入ってくる熱く濡れた感触。

 息も意識も止めてから、数秒遅れで、俺はキスをされていることに気が付いた。

 彼女の舌から、熱い体温が顔全体に広がる快楽に、俺は陶然とした。

 少女の舌は、口内の形をなぞるように滑り、俺の舌を引きずり出そうとするように動いた。


 もっとも敏感な感覚器官同士をこすり合わせ、絡み合わせるという初体験は、かなり激しいものだった。


 俺は無抵抗にされるがまま、彼女へ身を預けた。


 すると今度は、彼女のくちびるが、俺の舌を吸い出そうとしてくる。

 痺れるような快感に、腰から力が抜けた。

 頭の中は、一秒でも長く、この体験が続いて欲しいと、そればかりを願った。


「んくっ……はぁ……」


 最後に、俺の舌をしごくように唇で吸ってから、彼女は口を離した。


 夢のような時間の終わりに、名残惜しく思っていると、彼女も少し、熱に浮かされたような顔で、俺の瞳を見つめてくる。


 わずかに乱れた呼吸と、とろんと落ちたまぶたがセクシーだった。


 俺が、口の中に残る余韻を噛みしめていると、彼女はベッドに倒れこんだ。


「これでよい。血と違って即効性はないが、唾液でも同様の回復効果はある」

「そ、そうなん、だ」

「うむ。二十四時間もすれば、力を取り戻せよう……少し……寝かせてくれると……助かる……」


 それだけ言い残して、彼女は眠ってしまった。


 きっと、かなり無理をしていたんだと思う。


 彼女の言う通り、このまま寝かせてやろう。


 俺は、今夜は床の上に毛布を敷けばいいや。


 それにしても、さっきのキスは、回復の為だったのか。


 残念なような、ほっとしたような。


「…………」


 疑問は尽きないけれど、彼女の無事を確認すると、少し冷静になる。


 綺麗な寝顔だな。


 そう思ってから、視線は自然と、体の方に向いてしまった。


「ッッ」


 彼女は、相変わらずの下着姿のままだった。


 仰向けになってもなお、大きく盛り上がった胸のふくらみの誘惑を断ち切るのには、強い意志力が必要だった。


胴は短く、手足は長くしなやかで、ウエストはくびれているのに、バストとヒップの肉付きは無類だった。


 あまり見ると悪いので、すぐに掛布団で隠した。


 よからぬ欲望がうずきかけたし、もったいないことをした気分になる。


 でも、血を流す勇気もなかった汚名を、千分の一でも返上できた気がした。


 それから、床の上に投げ捨てられた彼女の服に気が付く。


 赤い学ランと、その下に着ている、黒の軍服みたいな服とズボンだ。


 どれも血で汚れている。


 血はすぐに選択しないと落ちないんだけど、洗濯の仕方がわからない。


 洗濯機に入れていいものなのか?


 とりあえず、風呂場に行って、ハンガーにかけてつるしておく。


 部屋に戻ると押し入れから出した毛布を敷いた。


 あんなことがあったあとでは食欲もない。


 今日はこのまま寝てしまおう。


 おやすみ。


 まだ名前も知らない少女の寝顔に、俺は心の中でつぶやいた。



   ◆◆◆



 気が付くと、まぶた越しに光を感じた。


 てっきり興奮して眠れないものかと思っていたけれど、そんなことはなかった。


 俺は案外、神経が図太いようだ。


 マンガとかだと、昨日のあれは夢だったと思うの定番だけど、それはなかった。


 流石に、夢と現実の区別ぐらいつく。


 あれは、紛れもなく現実だ。


 彼女には、その辺を問い詰めなくては。


 一応、ハロウィン企画の壮大すぎるドッキリの可能性も、ちょっと考えている。


「お目覚めかの?」


 目を開けて首を回すと、ベッドの上からとびきりの美人が見下ろしていた。


「お、おはよう」


 俺が起きるまで、ずっとそうしていたのか?


 という問いかけは飲み込んだ。


 それよりも、彼女がいてくれたことが嬉しかった。


 実は、目を開けたら彼女は一人でどこかに消えてしまっているのではないだろうか、という不安もあった。


 回復していない体で出歩かれて、また昨日の男みたいな奴に襲われたら、寝覚めが悪過ぎる。


 それに名前も詳しい事情も聞いていない。


 このまま彼女を逃せば、きっと、残りの人生を『あの時のあれはなんだったんだろう』と悶々しながら生きていくに違いない。それだけは避けたかった。


「体はもう大丈夫なのか?」

「うむ、おかげさまでの。お主には感謝しかないわ」


 俺が上半身を起こすと、彼女はにっこりと笑ってくれた。


 その、くったくのない笑顔に朝から癒される。


 顔はたいそう美人なのに、表情はかなり無邪気だった。


 そのアンバランスが無限の魅力となって、俺は図らずもドキンとさせられる。


 けど、笑顔は可愛いけれど、首から下は、掛布団にくるまったミノムシルックだった。


 それはそれである意味かわいいけど、なんか残念な雰囲気だ。


「……それで、何、してんの?」


 途端に、彼女は半目で、じと~っと俺を睨んでくる。


「スケベめ。お主がわしの服を持って行ったからじゃろ。布団から出た途端お主が目を覚ますやもしれんしの。それに、ミノムシのような恰好で服を探せというのかや?」

「え? 俺の前で下着姿で寝ておきながら今さらそこ気にするの?」

「阿呆、昨日は緊急事態じゃったから仕方なくじゃ。わしは痴女か」


 むむっと眉間にしわを寄せて、恨みがましい声で抗議する。


 笑顔ならともかく、憤慨する姿も可愛いとはこれいかに。


 美人は何を着ても似合うと言うけれど、美人は笑っても怒っても可愛いものだ。


 その美人が、今度は口元をニヤけさせ、目は半月を作った。


「ん、それともあれかの。言葉巧みにわしを誘導して、肌を見ようという策略かの?」

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