第2話 鬼娘、拾いました


「あ~~~~。なにしてくれちゃってんのぉ~~、お前~~」


 ガラララン

 と、鉄パイプをアスファルトに擦るような音と共に、男のダミ声が割り込んできた。

 顔を上げると、暗いトンネルの奥から、白い学ランみたいな服装の男が歩いてくる。


 みたいな、というのは、あくまでも一番近い服がそうだったからだ。

 常闇に浮かぶ白い服装は、細かいフォルムまではよくわからないものの、まるでアニメやゲームに出てくる、武装組織の制服みたいなデザインだった。まるでコスプレだ。


 右手には、ご丁寧に日本刀まで握っている。先端は、アスファルトの上をひきずっていた。金属音の正体はあれだろう。


 今日がハロウィンでなければ、かなり痛い格好だ。


 けれど日本刀は赤く濡れていて、ハロウィンの仮装にしてもやりすぎだ。


 しかも、若い男の顔は獰猛な表情を浮かべ、ガタイもかなりいい。


 とてもじゃないけど、コスプレオタクには見えなかった。


 むしろ……。


「結界の中に入れるってことはつまりぃ~~、テメェも鬼か? あん?」


 男が目を細めた途端、まるで、男の内側から無数の刃が体を突き破り、俺に飛んできそうな恐怖を感じた。


 喉が凍り付いて息が止まり、足の感覚が薄くなる。


 子供の頃、親父に本気で怒鳴られたときも、暴力教師に殴り飛ばされたときも、ここまでの恐怖は感じなかった。


 肌寒い秋の気温が、さらに二、三度下がったように冷たく感じて、全身の皮膚が粟立った。


 まずい。

 こいつはまずい。

 学校の不良や街の喧嘩屋なんて比べ物にならない、生々しい悪寒が、全身に絡みついてくる。


 あの刀で斬られたであろう、彼女を抱き止める腕に力を込めた。


 彼女を連れて逃げる方法を、全力で考えた。


 いますぐ110番して、警察が到着するのにどれだけかかる? 確か、平均3分とかだったか? 


 幸い、奴との距離はそれなりにある。


 彼女をおぶって全力で走りながら助けを呼べば、警察よりも先に、ご近所さんが出てきてくれるかもしれない。


 そうすれば、あいつだって少しは遠慮するだろう。


「鬼なら、殺していいよなぁ?」


 ガリン

 と、金属音を鳴らして、男は右手の刀を振り上げた。


 殺される。


 そう直感した俺は、彼女を抱き上げると、振り返って走り出した。


 警察を呼んでいる余裕なんてない。


 令和日本の街中で、日本刀を持った男に追いかけられて、悠長に電話をする高校生なんていないだろう。


 日本刀なんて、今どきヤクザだって持ち出さない。


「鬼を二人も殺せば大金星! うぜぇ隊長も副隊長も、俺を認めるしかねぇよなぁ!」


 背後で、ギャン、という聞いたこともない風切り音がした。


 なぜかそうするべきだと思って振り返ると、俺目掛けて、刀の刀身が飛んできていた。


 は? なにあいつ? 刀ごと投げたのか? 投げ剣? 投げ槍みたいに?


 理由はどうあれ、このままでは、当たる、刺さる。


 でも、彼女を抱えたままでサイドステップなんて踏めるわけもない。


 両腕が塞がっている俺は、半ばやけっぱちにキックを繰り出した。


 厚い靴底で刃を蹴れば、なんとかなるかもしれないと思ったからだ。


 そして次の瞬間、刀は砕け散った。


「え?」

「なぁっ!?」


 視線の先で、男が目を剥いて固まっていた。


 その手には、刀がきちんと収まっている。


 あれ? あいつ刀を投げたんじゃなかったのか? ていうか、なんで蹴りの一発で刀が砕けたんだ?


 当然、俺がキックボクシングの達人で、なんて裏事情はない。


 当惑する俺に、男はなおも刀を振り上げた。


「だったら、これでどうだよ!」


 叫んで、男は腹立ち紛れに刀を振り下ろした。


 今度は、さっきの二倍のサイズの刀が飛んできた、ように見えた。


 よく見れば、それは刀じゃなかった。


 なんていうか、光る刃みたいな、アニメやゲームの、飛ぶ斬撃みたいなものだった。


 まずいと思いつつも、俺はまた、靴底を突き出して、キックを見舞った。


 バリィン!


 と音を立てて、また斬撃は砕けた。


 さっきから何が起こっているのか、わけがわからなかった。


 それは、向こうも同じらしい。


「てめぇ、あ~めんどくせぇ!」


 男は感情的に声を荒立てて、殺意を募らせていった。


 でも、俺は逆に少し落ち着いていた。


 さっきまでの迫力が、嘘のように消えている。


 自分の思い通りにならないからと癇癪を起こす姿を見ていると、こいつ、大したことないんじゃ、という気がしてくる。けど。


「てめぇ、鬼のくせにうぜぇんだよ!」


 男は地面を蹴りだすと、刀を振り上げて猛スピードで突っ込んできた。


 やばい!


 恐怖が再燃する。


 いきり立った暴漢が、日本刀片手に襲い掛かってくる様は、俺の膝から力を奪うには十分だった。


 血に濡れた鋭利な刃が、容赦なく迫ってくる。


 足が動かない。


 もう、さっきと同じことはできない。


「力を抜け」


 その声が聞こえた途端、俺の体がひとりでに動いた。


 少女を抱えたまま、左足を軸にして90度回転し、腰を切るようにひねる。


 全体重を乗せた運動エネルギーを腿、膝、その先へと伝えながら、右足の底を、日本刀の刀身に叩き込んだ。


 ギンッ


 と、金属が千切れる音がして、俺の右足は日本刀を貫通した。


 それでもなお、右足の勢いは止まらず、男の憤怒の形相を、そのまま蹴り抜いた。


 パァーン


 と音を鳴らして、男の体が吹っ飛んだ。


 今のが、人を蹴った音だろうか?


 男は軽く放物線を描きながら宙を飛び、トンネルの中に消えた。


 よくわからないけど、逃げ出す絶好のチャンスだと思った。


 いつの間にか、体は俺の自由に動くようになっていた。


「待ってろ、すぐに病院へ連れて行くからな」

「よい……それより、お主の家に連れて行け……」

「いや俺の家に行ってどうするんだよ! おい!」


 呼びかけるも、返事はなかった。

 どうやら、気を失ったらしい。

 本当にわけがわからない。

 意識がもうろうとしたけが人の言葉なんて無視して、病院へ連れて行こうと思った。


 でも、次の瞬間には悩んだ。


 日本刀を持った男に追われる少女。


 どう考えても、マトモじゃない。


 病院に連れて行かないでくれというのも、何か訳ありだからじゃないのか?


 親戚たちから遺産相続権を争われる資産家のご令嬢。


 反王政派から命を狙われる某国の姫。


 はたまた組織から抜け出した女スパイ。


 様々な設定を頭の中で巡らせながらも、俺は自分の家に連れて帰ることにした。


 外野がとやかく言っても仕方がない。


 当人の言う通りにするのがベストだろう。


 幸い、もう一駅分近くは歩いている。


 俺の家までは、走って五分もかからない。


 彼女の体に負担を掛けないよう小走りでも10分はかからないだろう。


 何か、自分が取り返しのつかない事件に巻き込まれている気はしたもの、今は彼女の治療が最優先だ。


 家を目指して、静かに急いだ。



   ◆◆◆



 二階建ての一軒家を残してくれた親に、今日ほど感謝した日はない。


 もしも、うちがマンションなら、入り口の監視カメラに俺の姿がばっちり録画されたことだろう。


 夜に血まみれのコスプレ少女を抱きかかえて帰宅なんてすれば、通報案件まっしぐらだ。


 とりあえず、彼女を俺のベッドの上に寝かせた。


 それから部屋を出て、バケツにお湯を溜めながら、タオルと救急箱を用意した。


 とにかく、血を拭いて傷口を消毒して薬を塗ってガーゼと包帯だ。


「待ってろ、今!」


 手当の用意をして部屋に入ると、俺は言葉を失った。


 少女が、下着姿でベッドに横たわっていたからだ。


 血に染まった白いブラとショーツのみを身に着けた白い肌は、やはり下着と同じく血に濡れていた。


 少女の肌に目を奪われるのは一瞬。


 すぐに、怪我の凄惨さに奥歯を噛んだ。


 腕に、肩に、腹に、脚に刻まれた暴力の証。切り傷のない場所を探す方が難しい。


「悪いが……体を拭いてくれるか……」


 疲れ切った声で、彼女はそう言った。


 意識を取り戻したらしい。


 でなければ、服を脱げないのだから当然だろう。


「お、おう……」


 左手に持った救急箱と、右手につかんだバケツを床に下ろす。


 お湯を張ったバケツの中からタオルを取り出し軽く絞ると、一瞬ためらってから、彼女の腕をとった。


 ケガに怖気づいたわけではなく、女子の体に触れることに、ためらいがあった。

 見知らぬ少女の肌となれば、なおさらだ。


「…………」


 なんて、なめらかな肌だろう。


 手首をつかんで持ち上げながら、そんな、場違いなことを考えた。


 少女の白い肌はきめ細かく、手の平に吸い付くようなみずみずしさと弾力に溢れていた。


 このまま、ずっと触っていたくなるような魅力に満ちている。


 けが人相手になんて不謹慎なことを考えているんだろうと被りを振って、気づいた。


「傷が……塞がっている?」


 血を拭って現れた肌に、目を疑った。


 彼女の腕には、刀で斬りつけられたであろう、赤いラインがいくつも残っている。


 けれど、血の色に光るその傷口からは、赤い液体が流れることはおろか、滲むこともない。


 まるで、治りかけだ。


 まさかと思いながら、肩、腹、脚と、血を拭いていく。


 タオルが通り過ぎた後に覗くのは、白い肌と、綺麗な赤のラインのみだった。


 俺は医者ではないけれど、出血の量から、傷の深さは想像がつく。


 この数分間で塞がるようなものじゃない。


 転んで擦りむいた膝だって、止血にはもっと時間がかかる。


 鬼。


 あの男が、彼女をそう呼んでいたのを思い出す。


 艶めかしい肢体から視線を動かして、彼女の桜色の頭部を見つめた。


 光沢を持ったツヤやかなロングヘアーは、二次元的に言えばピンク髪。現実的に言えば、ストロベリーブロンドという色だった。


 赤毛と金髪の遺伝子を持つ人が少しアルビノ気味で、色素が薄くなると、こういう色になるらしい。


 日本人にはあり得ない髪の色だが、額の生え際まで綺麗なピンク色だ。


 顔立ちは……たぶん、アジア系。


 たぶん、ていうのは、アジア系ともちょっと違うから。

 リアル系グラのゲームキャラ風というか、目鼻立ちはハッキリとしているけど、顔の彫りは深くない。

 すごい美人だ。

 かと言って、ハーフやクォーターかと聞かれれば、それとも違う。

 人種のわからない顔立ちだ。


 そして、極めつけは……ツノ、だよな?


 少し悪いとは思いつつ、ストロベリーブロンドのから覗く、赤い先端に触れてみた。


 硬く、つるつるとした質感。


 動く感じではなく、額にがっちりと固定されている。


 それこそ、まるで額から生えているように。


「スケベ」


 その一言で、我に返った。


 そういえば、目が覚めたんだっけ?

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