第3話 恐怖のお茶会


 春である。


 ここはシュバリィー家の中庭である。


 白い女神像の周りにキラキラと水が躍っている。新しく作った噴水が本日完成したのだという。


 こ、これ。この女神像。ニジェルにイリスが水死させられた噴水だわ……。


 ゲームで見た場面が、まざまざと思い起こされてイリスは固まった。あの悪役令嬢イリスの絶望顔はとてもスコでスコだったのだが、自分がそうなると思うと笑えない。

 

「ね? 素敵でしょう? イリスの気が晴れるように、父上と二人で考えたんだよ。そろそろ珍しいブラックアイリスが咲き乱れるそうだよ」


 ニジェルに天真爛漫な笑顔を向けられて、イリスはハッとした。浅く息を吐きながらようやく笑顔を向ける。しかし、その笑顔は明らかに引きつっていた。


「イリス?」

「す、素敵だわ」


 声が裏返らなかっただけでも褒めて欲しい、イリスはそう思った。


 私、死地を見ながらお茶するとか嫌なんですけど。


 とりあえず、コクリと頷いて見せれば首元の鈴が鳴った。


 まるで猫みたい。


 忌々しく思いながら、とりあえず今はそれを胸にしまい込んだ。このチョーカーは、イリスの父親が幼い娘に着けさせているものだった。母親はもっと豪華にしつらえられたチョーカーを、父からの愛の印として嬉々として着けていた。それを見て育ったイリスも喜んでつけていたのだ。


 今までは気にならなかったけど、まるで所有の印ね。


 母はそれを愛と喜んでいるけれど、現代の感覚の蘇ったイリスにして重荷にしか思えなかった。どう考えても、こんな家庭環境で育ったから、ニジェルはヒロインに鎖など付けようと思ったのだ。

 普通ならどんなに束縛が強くてもそこまではしない。


「イリス、大分顔色も良くなって来たわね」


 朗らかな顔で笑いかけるのは、シュバリィー侯爵夫人。イリスとニジェルの母である。豊満な体つきの胸元には、輝かしいばかりの豪華なチョーカーが光っている。アイリスのチャームはイリスのものとは違って、本物のサファイヤとダイヤモンドで埋め尽くされていた。


「はい」

「では、そろそろお茶会にも行けるわね?」

「お茶会……ですか?」

「第二王子主催の王宮でのお茶会よ」


 イリスは息を飲んだ。十三歳になった貴族の子息令嬢たちが呼ばれる、初めての王宮でのお茶会。この世界の貴族は十三歳で王宮でのお茶会にデビューし、十五歳で王立学園への入学を迎えるのが一般的だった。

 イリスも土痘にかかる前まではお茶会に呼ばれることを心待ちにしていたものだ。しかし、今ではそんな気も起らない。なぜなら、王宮には二人目の攻略者がいるからだ。


 正直勘弁してほしい! ニジェルルートの悪役令嬢は逃れられないと思うのよ! 姉弟だからね? でもね、そっちの悪役令嬢までやってる余裕はないわ。会わないのが一番!


「私、行かなくてはいけませんか?」


 シュバリィー侯爵夫人は優しく笑った。


「心配することはなわ。ニジェルも一緒よ。ニジェルは殿下とも仲が良いから大丈夫。同じ年の殿下と仲良くなれるはずよ」


 イリスの頬はひくついた。プレッシャーにしか感じられない言葉も、母にしてみれば、ただ純粋にそう思っているだけなのだ。


「でも、病み上がりですし」

「あら、もう元気でしょ? 運動もしているって聞いたわ」


 体力を取り戻すために再開した淑女の嗜みという護身術の練習が裏目に出た。


「でも、痘痕もありますし恥ずかしいのです」

「顔に残らなくてよかったわね? 手ですもの隠せばわからないわ。痘痕を隠す素敵なオペラ・グローブも作ってあげるわね」


 お母様は話を聞かないタイプなのよ……。


 イリスは諦めた。


「……ありがとうございます。お母様」

   

 イリスは小さな声で頭を下げた。




 今日は、王宮でのお茶会の日である。


 イリスは手の甲から腕まで覆われた凝った白いレースの手袋をつけていた。ドレスはシュバリィー侯爵が好きな深い青色だ。首には太いベルベットの黒いリボンに鈴のついたアイリスのチャーム。髪はハーフアップにまとめられ、その天辺には大きなリボンが付いている。イリスの母が見立てたものだが、好みは父のものだった。母の関心は、いかに父を喜ばせるかにある。


「イリス。お前にはこれを渡しておこう」


 出がけに父が手渡したのは、アイリスの紋章の入った短剣、いわゆる懐刀だった。


 これ! これヒロイン刺しちゃうアイテムー!! ここで登場なの!? 結構早くない?


 イリスは思わず固まった。


「お前は誉れ高きシュバリィー侯爵家の娘だ。不名誉なことが起きそうであれば、これで身を守りなさい」


 王宮のお茶会で不名誉なこととは、いったい何があるというのだろう。


 さすがに日本の侍の様に、打ち首じゃーなんてことないでしょうに。そもそも短剣で打ち首は無理よ。せいぜい動脈を掻っ切るぐらいね。


 イリスは考えて、頭を振った。いけないいけない、すぐに抹殺する考えになるのは危ない。出来るか考えてはいけない。してはいけないのだ。


「お父様? 王宮のお茶会でこれは大げさでは?」

「大げさではない。その為に習ってきたのだろう? いざという時に使えなければ意味はない。常日頃用心を欠かさないようにしなさい」


 シュバリィー侯爵は妻を見た。その妻も微笑み返した。


「そうよ、イリス。わたくしも持っていてよ? これはお守りです」


 きっぱりと言い切られて、渋々とイリスは懐刀を手に取った。


 そうこれはお守り。武器ではない! 防具よ! 使い方さえ間違わなければ大丈夫!


 イリスは自分に言い聞かせた。間違ってもうっかり人を刺し殺してはいけない。



 王宮へは馬車で行く。並ぶニジェルは無難なグレーのスーツだった。ニジェルには鈴など付けられていない。イリスはそれを羨ましく思っていた。


 はぁ……。今日はきっと、第二の攻略対象者『籠の中の愛』ルート、第二王子のレゼダ殿下に会ってしまう……。


 今までは偶然にも出会わないようにと避けていたのだが、今回はレゼダ王子主催のお茶会である。挨拶は避けられない。

 その上、両親からは、レゼダ王子と懇意になるように何度も言い聞かされてきたからだ。イリスなら大丈夫と、優しい声で繰り返すのだ。本気で我が子を可愛いと思ってるからの言葉なのだろう。


 実際、ゲームでのイリスはレゼダ王子の婚約者だった。今回も婚約者となる可能性はある。しかし、ゲーム内で婚約者を奪われるのではないかと勘繰ったイリスは、ヒロインを虐めたおす。その流れから、バッドエンドではヒロインを刺し殺すのだ。


 第二の攻略対象者レゼダ・ド・ゲイヤー王子は、春めいた朱鷺色の髪と同じ色の瞳を持つイケメンだ。いつでも、誰にでも好かれるだろう微笑をキラキラと振りまいている。誰にでも優しく、「王子相手に何言ってんだよ!?」と言いたくなるようなイリスの我儘や不遜な態度にすら優しく対応していた。

 ゲームの中でも一番のモテキャラで、どちらかというとチャラ男だった。フェミニストで誰にでも優しくするから異常にモテるのだ。


 しかし、それは王子の満たされない心が故の行動なのだ。頭のよい彼は自分がちやほやされていることは王子だからだと理解しており、誰にでも良い顔をするようになってしまった。

 その上、兄の死によって王太子となり周りの態度が豹変することを知ってしまい、近寄ってくる人間を心から信じることができなくなってしまうのだ。特定の女性に執着を持つことは出来ず、婚約者のことも信じられずにいる。

 しかし、身分に捕らわれないヒロインの登場により、王子の心は揺さぶられる。王子だろうが、町民だろうが平等に接する聖なる乙女カミーユに惹かれていくのだ。突然放りこまれた貴族社会の中で不安を感じていたカミーユも、王子の絶対的な庇護と、また深く注がれる愛に安心を覚える。そして二人は恋に落ちる。


 メリバエンドのヒロインは王子に乞われ、聖なる乙女として王国に生涯をささげることを誓い、祈りの塔から一歩も出ることはなく王子の妻として仕えることになる。体のいい監禁だ。

 しかし、聖なる乙女が婚約者を奪って妃になることは外聞が悪いとの判断で、ヒロインは正式には妃になれないのだ。ヒロインの身代わりに、声を奪われたイリスはお飾りの妃となる。唯一イリスが殺されないで済むルートではある。

 訪れない夫をものも言えずに待ち続ける妃として。幸せな二人を、涙しながら怨嗟の瞳で見つめるイリス。その顔は壮絶に美しかった。しかし。


 絶対にいや! 人を刺すのも声を奪われるのも嫌すぎる!! 婚約なんて絶対にしないんだから!


 婚約などしたら破滅フラグが立ってしまう。どういういきさつで婚約になったのか、ゲームでは描かれていなかったが、王子はイリスが好きなそぶりはなかった。どちらかと言えば他人行儀なくらいだった。

 家同士のものか、でなければイリスから働きかけた婚約なのだろうと思う。


 お父様達には悪いけれど、ここは嫌われる方向で!


 まだ婚約話が出てない時点で、王子の方が難色を示せば婚約に至ることはないだろう。さすがに、イリスの気持ちより王子の気持ちが重視されるに決まっているのだ。とりあえず嫌われておけば問題ない。イリスはそう判断した。




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