第2話 一人目の攻略対象者


 イリスは絶句した。


 よりによってあのイリスだなんてっ!


 悪役令嬢イリス・ド・シュバリィーは、フロレゾン王国の勇敢な騎士の家系、シュバリィー侯爵家の娘である。『ハナコロ』の唯一の悪役令嬢だ。聖なる乙女の候補者の一人で、ヒロインのライバルである。

 バッドエンドでは、ヒロインの聖なる乙女カミーユを刺殺する役割だ。イリスがカミーユを刺殺することで、神の怒りを買い、フロレゾン王国は闇に包まれるのだ。イリスはその責任を取るために、生命力を聖なる力に変換する魔導具の発動元として、生きたまま魔導具の中に閉じ込められ、生命力を捧げ続けることになる。彼女が死ねばその子孫が後を継ぎ、未来永劫にシュバリィー家はその責務を負う。


 イリスは頭を抱え込んだ。何しろバッドエンドに進んだ場合、ヒロインをどのルートでも刺し殺すのは誰でもないイリスだ。前世ではゲームの中で、何度も何度もイリスに刺殺された。

 作画コストの関係か、女性の登場人物の少ないこの作品では、イリスにすべての悪役要素を詰め込ませていたのだ。おかげでイリスは、どちらに転んでも破滅しか残されていない。メリバかバッドしか残されていないヒロインと同じくらいに、イリスにも幸せな未来はないのだ。


 そもそもなんでそんなに人を簡単に刺すのよ? 令嬢の癖に短剣持ち歩くとか物騒なことこの上ないわ! いや、我が家は騎士の家系で、淑女レディたしなみとして訓練も受けている!


 イリスは気が付いて、呆然とした。素養は十分すぎるほどある。短剣で人を刺し殺す方法は何度も訓練していたのだ。


 なんてこと!! しかも刺し殺せる自信もある! 年端も行かない娘になんてこと仕込んでるのよ! お父様のバカー!!


 イリスは枕を投げつけた。ボフンと音を立てて窓にぶつかる。窓がガタンと揺れた。

 しかしここで父に憤りをぶつけても仕方がないのである。


「イリスー?」


 窓の外から呼び声が響いた。今の枕投げを見られたらしい。

 イリスは慌てて窓を開け、階下を覗き込んだ。冬の終わりのまだ肌寒い風がカーテンを揺らし、こんなに薄暗い心でも、太陽は明るく差し込んでくる。

 そこに弟が見えた。弟のニジェルはイリスに気が付いて手を振った。

 イリスは顔を引きつらせながら、一応手を振り返す。


「どうしたの? 変な音がしたけど」

「何でもないわ」

「そう? 今からそっちに行くね」


 ニジェルはそう言うと駆け出した。

 イリスとニジェルは双子である。しかし、ニジェルの髪と瞳は、イリスよりさらに濃い緑をしている。冬の色の少ない庭に美しい色が映える。

 父と同じ勇者の緑なのだと家族は言う。希望をもたらす常葉の緑だと。


 でも、ちょっと待って。あの子は絶対。


 イリスは茫然としているうちに、ドアがノックされた。


「イリス? もう体調はいいの?」


 鈴の転がるような声と共にドアが開けられた。声だけで分かる。イリスは固まる体に鞭打って、グギギギギとその声の主に向けた。


 そこには攻略者の一人であり、イリスの双子の弟ニジェル・ド・シュバリィーがいた。


 『愛の鎖』ルートのニジェルだ。


 キラキラと光るエメラルドグリーンの髪は優雅に波打っていて、縦ロールのイリスとは違った柔らかさを見せていた。大きな瞳は翡翠のように輝いて、今にも零れ落ちそうだ。

 今は可愛らしい風貌ではあるが、父シュバリィー侯爵と一緒に王宮に上がり、王子たちの武術の練習相手を務めている。その為か、王子たちとは近しく、騎士としての将来は約束されたようなものだった。


 それなのに、この子は将来、ヒロインに入れ墨を施した挙句、自分と鎖でつないで歩くんだもん。こっわー。


 ニジェルは、勇者の血族に連なるという厳格なる騎士の家系に育ち、騎士ナイトとして淑女レディを守護するものだと教え込まれている。そこに、ヒロインの聖なる乙女カミーユが現れる。彼女の下町育ちゆえの奔放さがニジェルを引き付け、また無謀な行動から、ニジェルは自分しか彼女を守れないと思うようになっていく。そして、守り守られる二人はいつしか恋に落ちるのだ。

 しかし、聖なる乙女の務めを果たすヒロインは多くの男性の目に触れることになる。それを嫌がって、所有の印の入れ墨を彫り鎖をつける。ヒロインもその束縛に満たされる。外れない鎖でつながれた二人は、とても幸せに暮らした――とゲームは締めくくる。


 他のエンドに比べれば、これでもかなりマイルドだが、もちろん悪役令嬢はイリスである。バッドエンドの場合、双子の弟に相応しくないとイリスはヒロインを刺殺する。メリバの場合、ニジェルはヒロインとの仲を邪魔するイリスを、重い鎖を何重にも縛り付け抵抗できなくさせた上に、噴水で水死させ、自死として片付ける。むろん葬儀も出されない。よくR指定を潜り抜けたものだと思う。


 絶望に目を見開き水の中に沈むイリスの青白い顔がそれはそれは色っぽかった。『ハナコロ』の売りは、悪役令嬢の死にざまにもあるのだ。作画にはとても力が入っていた。ぶっちゃけ、ヒロイン一人のスチルよりはよっぽどイリスの断罪スチルの方が力が入っていたと思う。

 乙女ゲームとして、それでいいのかは不明だが、だからこそ、コアな男性ファンもいたと聞く。ニヤニヤとして「イリスたーん」とクリアファイルに頬ずりをするオタク仲間男子を思い出して、イリスはゾッとした。いや、その時は同じようなこともイリス自身もしていたのだが。


 自分があの目で見られるのは嫌なのよ! 見るのはいいけれど!! 


 身震いをすれば、ニジェルはイリスの顔を覗き込んだ。


「まだ、顔色が悪いみたい……無理はしないで?」


 心配してくる瞳は純粋を宝石にしたようで、胸が痛む。まだこの子自身はその未来を知らないのだ。


 うう。悲しい。こんなに可愛くて優しい子がドS調教騎士になるなんて、悲しすぎる。おねーちゃん泣けてきちゃうよ……。

 周りから見ればメリーバッドエンドでも、ヒロインにすれば幸せな結末なのよね。ヒロインには幸せになって欲しい。でも私だって死にたくない。それに、『千年の眠りルート』なら大量虐殺。死あるのみ。


 ……。


 いや、まって、私が悪役令嬢じゃない。だったらヒロインの幸せなんて阻止するのが当たり前じゃない!? 悪役令嬢なら悪役令嬢らしく、邪魔をしてやればいいんだわ!! いくらヒロインが幸せでもメリバエンドは阻止させていただきます!


 イリスは決意した。

 ヒロインのメリバを阻止することに。ニジェルが道を踏み外さないように。そして当然自分の破滅も阻止するのだ。

 鼻息荒く力こぶしを作る。


「ニジェル、私やるわ!」

「突然どうしたの? イリス?」

「メリバエンドは阻止するのよ!!」


 イリスの言葉に、ニジェルはきょとんとした。


「? めりばえんど?」


 ニジェルに復唱されてイリスはハッとした。


 思わず口に出ちゃってた!


 慌てて取り繕う。


「えっと……。 そう、私、外に出てみることに決めたのよ!」

「本当? イリス!」


 ニジェルは嬉しそうに笑い、イリスにギュッと抱きついた。


「イリスと剣の手合わせができなくてつまらなかったんだ!」


 イリスは顔をひきつらせた。


 そうだ、イリスは騎士の家で武芸にたけていたんだった。私ついていけるかしら?


「お、お手柔らかにね?」

「もちろん病み上がりだもん! 少しずつ体力をつけて行こう? 先ずは散歩できる?」


 ニジェルが笑ってイリスは安心した。


「うん!」

「じゃあ、まずは家の中から!」


 そう言うとイリスを引っ張った。イリスの首の鈴がチリチリと鳴った。

 イリスは数か月ぶりに自分の部屋のドアを潜る。


 ヒンヤリとした廊下の空気がイリスの頬を撫でる。ギュッとニジェルの手を握れば、ニジェルはイリスに振り向いて、ギュッと握り返す。その笑顔が眩しい。


 この優しい笑顔を守りたい。メリバエンドを阻止して、ニジェルも私も絶対幸せになるんだから!


 イリスはそう心に誓った。  




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