【コミカライズ・書籍化】私が聖女?いいえ、悪役令嬢です!【完結済】

藍上イオタ

第1話 メリーバッドな世界



 眼下に広がるのは王都を包む炎の海。見慣れた王城も、学園も、教会も全てが灼熱に蹂躙されている。主だった貴族の館はすべて焼け落ちた。このままでは、関係のない下町まで炎の渦に巻き込まれる。それだけは何としても避けなければいけなかった。


 それを恍惚と見つめるのは、愛おしいあの人。濃紺の髪は炎を映して闇色に光る。

 私は許されない恋をした。それでもその恋に身を焦がす。


 呼びかければ、彼が振り向いた。暗く闇に落ちた目がニッコリと満足げに笑う。その人の背に、竜が天翔けるがごとく火柱が巻き起こった。それすらも美しいと感じる私の罪が、紅蓮の地獄を生み出した。


「私たちを邪魔するものはもういないよ」


 私に向かって手を広げる。

 狂おしく悲しい人。もう私以外この人を救えない。あの町を救えない。


 私は彼の胸に飛び込んだ。そしてその胸に聖なる乙女の秘術を施した独鈷を突き刺す。ズブズブと沈んでいく黄金の独鈷。


「君も邪魔するの?」


 歪む微笑みを抱きしめる。


「いいえ、私はあなたを独りにしたりはしない」


 独鈷の片側の先は私の胸に深く沈む。二人の血が混じり合う。そこから光の糸が私たちを繭の様に包み込んだ。


「この世で許されないのなら、千年後の世界に二人で行きましょう」

「……乙女の秘術?」

「そう、千年後に目覚める深い眠りを」

「二人で」


 二人は固く抱き合いながら、聖なる繭の中で千年の眠りについた。

 貴族たちが一掃された世界は栄華を誇り、この二人は炎の二柱として永遠に祀られることになった。千年後、二人は同じ丘で目を覚まし、満ち足りた笑顔で見つめあう。

 

 ~ Fin ~


 嘘でしょ!? だれも幸せにならないじゃない!!



 ガバリ、イリスは体を起こした。背中が汗でグショグショになり、体中が震えている。今しがた見た夢は、悲しくてそれでいて美しかった。しかし、あまりにもドラマティックでありながら、まったく非現実には思えないことが不思議だった。どちらが夢でどちらが現実なのか、イリスは少しだけ混乱していた。

 カタカタと震える身体を抱きしめ、腕を擦る。そうやることで、ここは恐ろしい夢の中ではなく現実なのだと噛みしめた。


 何がドラマチックよ! バイオレンスじゃない! ドメスティックバイオレンスならぬ、まさにドラマチックバイオレンス!


 ……滑ったと笑うなかれ。『新世代ドラマチックバイオレンスゲーム』とゲームのPOPに書いてあったのだ。イリスが悪いわけではない。


 イリスは少し落ち着くと、ゆっくりとあたりを見渡した。天蓋付きの豪奢なベッドはとてつもなく大きい。豪華なレースと刺繍がちりばめられたベッドカバー。少し身じろげば、滑らかなシルクの夜着がサラサラと音を立てた。


 これは……。


 ドキドキと心臓が早鐘を打つ。自分の部屋だ。それはわかっている。それなのに違和感がある。慌ててベッドから降りようとすれば、首元で鈴が鳴った。ギョッとして手を伸ばす。

 ベルベットの手触り。硬い鈴。そして、金色のチャーム。見なくても分かる。これはイリスの家の紋章、アイリスの花だ。イリスはゾッとした。こんな時にすら外されていないのだ。

 慌てて姿見に向かった。自分が動くたびに忌々しくチリチリと鈴が音を立てる。姿見の前で呆然とする。


 さすがゲーム配色と思わせるミントグリーンに輝く豊かな髪が、胸の下で軽く一つにまとめられていた。毛先は穏やかに縦ロールになっている。翠玉の瞳は曇り切っていた。きつく上がった眦に、細い眉。氷の彫像ように美しいかんばせの十三歳の少女の姿があった。


 ちょっとまって? ちょっと待って? これって、『ハナコロ』のイリスじゃない!?


 イリスは茫然とした。乙女ゲーム『白い花が咲くころに』の悪役令嬢イリス・ド・シュバリィーが鏡に映っているのである。


 慌てて左手をまくって確認する。左手の手の甲から肘に掛けて、醜い痘跡あばたが残っていた。土痘どとうという病の跡である。

 土痘は、この世界の伝染病だ。高い死亡率の上、生きのびても大きな傷跡を残すのだ。イリスは昨年の夏の終わりに土痘にかかり、一命はとりとめたがその傷が目立つ場所に残ってしまった。

 そのことから、部屋に籠りきりになっていたのだ。すでに冬も越えたのだが、家から外へ出たことはない。それを両親も咎めることはなかった。土痘に罹ってから腫物のように扱われている。


 貴族の令嬢にとって、見た目の良し悪しは大きな問題だった。社交界的な存在感が、圧倒的に不利になる。結婚後も、自身の身分もしくはそれ以上を望むなら、より美しくあらねばならない。

 しかも、土痘は伝染病ではあるが流行することは少なく、罹る人間は稀である。だからこそそんな病を得たものは、『バチ』が当たったとみなされる。土痘の痘痕は神から見放された印だと言われるため隠すのだ。


 間違いない、あのゲームのイリスだ。イリスはこの病気の跡をコンプレックスに思いながら生きている設定だったもの!


 先ほど見た悪夢は、乙女ゲーム『白い花が咲くころに』のエンディングの一つだ。その壮絶すぎる悪夢のせいで、イリスは前世を思い出してしまったのだ。


 享年二十八歳。前世のイリスはゲームが好きな、ちょっとオタク寄りだけど、普通で大らかなアラサー女子だった。友達が「大雑把と大らかは違う」と言っていたが、その辺は横に置こう。


 そのイリスを夢中にさせたのが、西洋魔法ファンタジーの世界観で展開される学園恋愛ゲーム『白い花が咲くころに』だ。聖なる乙女の魔力がつきかけている世界で、周りのイケメンの力を借りながら主人公が次の聖なる乙女を目指すというものだ。

 日本で作られたゲームだけあって、設定は西洋風だが習慣は日本の習慣が適用されている。王族はいるがそれほど厳密なマナーはなくフランクで、治安は極めて良い。だからこそ、平民のヒロインが貴族子息とのデートを気軽に楽しむことができるのだ。


 『白い花が咲くころに』通称『ハナコロ』は、乙女ゲームの中でも異色の存在だった。王道の王子様や騎士、魔導士などが攻略対象者のベタでテンプレなゲームなのだが、エンディングが異様なのだ。何しろ、どの攻略者と結ばれようとメリーバッドエンディングになる。要するに、手放しでハッピーエンドと喜べるエンディングはない。どこか歪な愛が成就される。

 ちなみに、攻略者と結ばれない方のエンドはすべてヒロインが刺殺される正真正銘のバッドエンド、友情エンドもできない。全ての攻略者を同じだけ好感度を上げると、攻略者全員に刺される鬼畜仕様である。メリバかバッドの二つに一つなのだ。


 夢のない乙女ゲームが過ぎるでしょ?


 イリスは遠い目をした。

 しかし、作画が神がかり的に綺麗であることと、メリバを求めるコアな層から圧倒的な支持を得ていた。無論、転生前のイリスもその一人だった。

 美しくも悲しいエンディングと、やり込められる悪役令嬢の苦悶の姿が恐ろしいほど綺麗に描かれており、不謹慎にも正直萌えた。

 ヤンデレ監禁王子と、モラハラ調教のドS騎士、それに禁断の恋のサイコパス魔導士のエンディングはどれも幸せにはなりきれなくて、その辺りが勧善懲悪やテンプレハピエンに飽きていたイリスに刺さったのだ。


 先ほど見た夢は、最後までやりこんでいたトゥルーエンドと呼ばれる『千年の眠り』ルートだ。相当苦労したのを覚えている。そして、クリアしたエンドが先ほどの夢。だれも幸せにならないじゃない、と当時も叫んだ。

 しかしだからと言って、不満があったわけではない。その時はそのシナリオに大満足だった。

 真実の愛こそ、メリーバッドエンドにある。至高の恋は報われない。そう豪語するくらいには。


 いや、メリバは好きよ? 好きだけど、それってフィクションだからでしょ? 現実が辛く苦しくても、もっと報われない人もいるんだって涙するのがいいんでしょ? 現実のほうが辛いとか、絶対絶対嫌なんですけど!!


 イリスは緑色の縦ロールを引っ張ってみる。鏡の中のイリスもまた、縦ロールを引っ張る。離せば弾力をもってボヨヨンと跳ね戻ってきた。

 間違いなく、鏡に映っているのはイリス自身だった。あの、ドラマチックでバイオレンスな世界に転生してしまったのだ。




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