第31話 カラオケな幼なじみ

「おっきろー!」


 声とともになんだか周りが明るくなり、風通しがよくなる。がしかし、昨晩なぜか気持ちがざわざわして寝付けなかった俺は、まだ眠い。今日は日曜日、まだ寝ていていいはずだ。


 再び眠りの海に沈みかけたとき、お腹の辺りがなんだかもぞもぞしてきた。そのもぞもぞの柔らかいものがどんどん上に上がってきて、胸の辺りまでくると、パジャマが引っ張られて圧迫される。


 そしてついに、首元からそれが飛び出した。


 さすがにうっすらと目を開け、確認する。黒い頭が見えた。


「なんだ来たのか。一緒に寝るか?」


 俺はパジャマの中に潜り込んだ黒猫のレスをふんわり抱くようにして、改めて目を閉じた。レスもおとなしく脱力し、緩やかな呼吸を繰り返す。


「キサマラー! サッサとオキンカー!」


 大声にやむなく重いまぶたを持ち上げると、そこには背後に怒りの炎を背負ったキクが立っていた。


「あれ? なんでいるの?」


 キクの服装は私服だ。つまり、俺が丸一日寝ていて実はもう月曜日、なんてことは無い。


「もうお昼だよ! 起きなきゃダメな時間だよ!」


 俺はしぶしぶ起き上がる。パジャマの中のレスがずりずりと落ちていき、座った俺の膝に収まる。寝ているレスの頭を撫で、肉球を堪能する。足先が冷たいぞ。あっためてやろう。


「で、なに?」

「もうお昼だよ。ご飯できてるって」

「別にそのために来たんじゃないだろ?」

「ちょっと付き合って欲しいことがあるんだけど」

「いいよ。なに?」

「デートしようよ」





 狭い個室にキクの甘い声が響く。


 緩やかな音楽を背景に、普段は出さない声色で、キクがなめらかに物語を紡ぐ。


 激しいリズムが続いた後の緩やかなテンポという緩急が、俺の敏感なところを刺激する。


 最後までやりきったキクが、テーブルにマイクを置いた。


 俺たちは一緒にお昼ご飯を食べた後、カラオケにきていた。

 キクはけっこう歌が上手い。


「どうしたの?」


 なんとなくキクを見ていたのに気づかれた。


「あ、わたしに惚れ直したかい?」

「ああ、相変わらずの歌唱力にれするよ」


 キクは胸を張って得意そうに振る舞う。

 突然デートとか言い出すからなにかと思えば、「今度陸上部のみんなでカラオケに行くから、練習に付き合ってよ」と言われて連れてこられたのだ。


「練習しなくても大丈夫じゃないか?」

「でも一応ね。草部そうぶ先輩も来るみたいだし。先輩めっちゃイケメンなんだよ」


 キクはオレンジジュースで喉を潤しながら言った。


「ふぅん」


 そうか、男も来るのか。


「え、なに、妬いてんの?」

「なんで俺が妬くんだよ」


 別にキクが誰と遊びに行こうが、俺には関係ないはずだ、ろ?


「いいんだよ、わたしがカケルの幼なじみだってことは、カケルもわたしの幼なじみなんだから」

「なんだその理屈」


 幼なじみって別に小さい頃からの友達ってだけだろう。


 でもなんだろうか、理屈ではわかってても確かにモヤモヤするんだよなぁ。俺ってそんなに独占欲の強いヤツだったのか?


 キクの入れた次の曲が始まり、スピーカーから元気な歌声が流れる。


 歌うキクの横顔を見ながらもうちょっと考える。キクのことは好きか嫌いかでいえば当然のように好きだが、ほとんど家族、妹のようなものだ。とすると、兄か父親の気分なのか? なるほど、単純に心配なんだ。俺だってキクが変なヤツに引っかかって、不幸な目にあってほしくはない。キクも俺に対してこんな気持ちなんだろうか。


 まあいい、いまここで心配してもしょうがない。俺も次の曲を入れて気分転換しよう。





 うう、喉が痛い。結局、合計三時間で退室した。そのうち俺が歌ったのは一時間ほど。キクは残りの二時間と、俺の歌のときもだいたい入ってきたから、ほぼ三時間歌いっぱなしだった。にもかかわらず、キクの方はなんともなさそうだった。歌の上手い人は喉の使い方も上手なんだろう。


 帰り道、近道をすべく公園を通り抜けようとしたとき。


「あれ、猫かな?」


 キクが植木の影を見ながら言った。


「もしかしてまたレスが逃げ出してたりして」


 キクは身をかがめて「ねこちゃーん」と呼びかけながら近づいていく。

 あれ、本当に猫か? なんだかイヤな予感がする。


「あれ、カケルくん?」


 いきなり声をかけてきたのは美少女、もとい倉臼さんだ。俺が今日はメガネをかけてないから、残念ながら猫耳が見えない。


「奇遇だね。なにしてるの?」

「探し物を……してるんだけど」


 倉臼さんはキョロキョロしている。


「なにを探してるの?」

「うーん、黒くて、これくらいの、まるい感じのものなんだけど」


 はっきりしないが、小ぶりのスイカくらいの大きさの黒いものらしい。


「きゃあ!」


 キクが悲鳴を上げて倒れた。仰向けに倒れたキクのうえに、陽炎かげろうのように揺らめく黒くてよくわからないものが乗っている。


「キクちゃん!」


 倉臼さんが叫び、周りの空間が異質化する。異界化いかいかだ! 倉臼さんの頭から猫耳が飛び出し、同時にその手にナイフが現れる。黒いものは輪郭がはっきりとして、大きなネズミのような姿を現していた。


 倉臼さんは雷光をまとうナイフを黒いものに投げつけた。それが黒いものを貫く寸前、溶け落ちるように消えた。


「ヤバッ! どうしよう、遅かった」


 倉臼さんがなにやら焦っている。


「さっきの、なに? どうなってんの?」

小悪魔インプって呼んでる、うーん、魔物、かな。直接危害を加えてくるようなものじゃにゃいんだけど、けっこう厄介で」

「魔物!? こっちにもそんなのいるの?」

「めったにいにゃいけど、こっちで呼ばれたり、偶然まぎれ込んだりすることはにゃくはにゃい感じ」

「でももう消えちゃったよ。やっつけたんじゃないの?」


 倉臼さんは首を振った。


「あいつはね、人に寄生するの」


 そのとき、キクの体がビクリと動いた。


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