第16話 田舎な迷い猫

「はぁ、はぁ、はぁ……」

「れすー、れすれすぅー。どこー?」


 キクが猫なで声でレスに呼びかける。


 息切れして声を出すのもままならない俺に比べ、キクはまだまだ余裕のようだ。俺も体力に自信がないでもないけど、さすがに陸上部にはかなわないな。


「れすちゃん、出ておいでー」


 昨日と本当に同じ場所かと疑うくらいに閑散とした神社。それでも猫一匹程度なら隠れるところはいくらでもある。GPSは、もっと奥の方を示している。でも意外と誤差がでることもあるから、なんとも言えない。都会と比べて中継器も少なそうだから、ズレも大きそう。まぁこれは完全に偏見だけど。


「レスー、もう大丈夫だから出てきなー」


 とりあえず奥まで行ってみるか。


 物陰や茂みを確認しながら本殿までやってきた。この辺にいるのだろうか? もし建物の中にまで入り込んでいたらどうしよう。勝手に入るのはマズいよな。


「カケル、いた?」


 追いついてきたキクに俺は首を振る。

 キクがなにか考えている。


「よし、最後の手段だ」

「まだ午前中だし、最後には早すぎねーか?」


 キクは財布を取り出す。


「神様お願い!」

「確実性皆無!」


 まぁ確かに、よく最後の手段として扱われるけれども。

 キクは小銭をいくつか賽銭箱に入れ、手を合わせてお祈りする。


「……昨日は…………。今度は……帰って…………します」


 俺も祈っておこう。賽銭をして、ガラガラと鈴を鳴らし、祈る。


(飼い猫が無事に戻ってきますように)


 顔を上げて振り返る。

 なんとそこに黒猫が! なんてことはさすがになく、境内を眺めても動くものもない。


「GPSは?」


 キクが聞いてくる。俺はスマホを取り出し、アプリを起動した。

 これは?


「移動してる……」

「どこに?」

「……爺ちゃん


 俺は爺ちゃんに電話をかけた。


「爺ちゃん、レス帰ってきた?」

『あー、猫? さっき帰ってきたよ。今水飲んどるわ。よー遊んだんじゃろ』


 そんなやりとりをして電話を切る。


「帰ってきたって」

「やったー! 神様ありがとー!」


 神頼みすげーな。

 ただ、なんとなく違和感を覚える。もしかしたらもしかしてだけど。


「まさかレス、キクから逃げてる?」


 キクの動きが止まった。


「うぅ~、やっぱりそうなのかなぁ」


 ちょっと泣きそうになっている。昨夜のことで、責任を感じていたようだ。


「帰ったらちゃんと謝っとけよ」

「うん……」


 相手が猫だと侮ってはいけない。犬でも猫でも、人と一緒に暮らしている動物は、思いがけないくらい人のことを観察し、関わってくる。人と人がケンカをしていれば仲裁にくるし、泣いていたり落ち込んでいると慰めにくる。逆に怒らせてしまったら、素直に謝った方が確実に早く機嫌がなおる。人も動物も変わらないのだ。


「わたしだってわざとじゃないのに」

「それも言ってみたらいいよ」

「うー……」


帰り際、コンビニで猫用のおやつ(金魚ではない)を買って帰る。


 その日一日かけて、レスのお許しを得るために、キクがあの手この手で機嫌をとろうとしていたのは、しばらくネタにしてやろうと思ったのだった。

 




 チュンチュンと鳥の鳴き声が聞こえ、閉じたまぶたを通して明るさを感じる。


 朝だな。そろそろ起きようとするが、またなにか体の上に乗っている。


 特に顔。口元を温かいもので覆われているようだ。またクッションか? いや、かすかだが脈動を感じる。なんだ? ゆっくり手で触ってみる。


 これは……毛だな。ってことは頭か。口の上に頭。ほっぺたにあたるのは手かなにか?


 ハッとして目を開けると。


 レスが顔の上に横たわっていた。

 ま、まぎらわしいことをするんじゃない。俺はまだ寝ているレスをゆっくり持ち上げ、頭の横に置いた。


 解決したところで改めて起きようとする。が、まだ胸元の辺りに重圧を感じる。なにか乗っているのか? 確かに布団が奇妙に盛り上がっているのが見える。なんだ? ゆっくり布団を持ち上げる。こっちを向いた顔が見えた。


 キクが横から、俺の胸を枕にして寝ていた。


 なぜこんなことに? さすがに驚いて硬直していると、おもむろにキクが目を開けた。


 まだ寝ぼけているのか、ぼんやりとした眼差しでこっちを見ている。


 考えてみたら、大抵キクの方が起きるのが早いから、こんな姿を見るのは初めてかもしれない。


「……ぁ、……ぁ」


 キクは声と呼吸の間くらいの音を発しながら、ズリズリと上がってきた。顔がどんどん迫ってくる。そのうちキクの上半身まで俺に乗り上げてきた。


 それでもまだ止まらない。ついには俺の顔のすぐ横まで上がってきた。頬と頬がくっついている。体もほとんどが重なっている。


 そう、これはもう、抱きしめあっている一歩手前だ。


「はぁ……うぅん……」


 思いのほか女っぽい吐息が耳をくすぐる。


 なんだこれは? なにが正解だ? 万歳のようにあげたまま所在のないこの腕で肩を揺するべきなのか? それとも抱きしめてしまえばいいのか?


 悩んでいると、キクの手が上に伸びてくる。俺の体を這い、顔へ至る。俺は意を決して腕を下ろそうとしたそのとき。


「ごめんね……れすぅ」


 キクの手は、俺の顔の横で寝ているレスの背をゆっくり撫でていた。


 つまりあれか? 寝ながらレスはキクから逃げ、それをキクは寝ながら追いかけていたと? マジで? そんなことある?


 しばらくその状態が続いていたが、そのうち目が覚めてきたのか、キクが俺に気がついた。


 めっちゃ鋭い目で睨んでくる。


「なにやってんの?」


 声の冷気に魂が凍りそうだったが、さすがに言わないわけにはいかない。


「それはこっちのセリフだぜ?」


 状況に理解が追いついたのか、いきなりガバッと起き上がる。顔が真っ赤だ。


「なんならまだでててもいいぜ?」


 俺はレスに視線をやり、そのうえで両手を広げて受け入れ態勢をとる。


 次の瞬間、キクの拳が俺の鳩尾みぞおちに突き刺さった。


 激痛! 油断した!


 のたうち回る俺を尻目しりめに、キクは自分の布団にくるまってしまった。


 反対にレスが目覚め、悶える俺を心配してか、顔を舐めてくれた。

 優しいなぁお前は。お前だけだよ、俺を癒やしてくれるのは。


 そんな出来事が本日のハイライト。


 今日は田舎最終日。あとはただ、家に帰るだけだ。


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