第2話 買い物な彼女

「ねぇ、この色とかどお?」


 ナギが若草色のワンピースを肩に当てて振り向く。


「いいと思うよ」


 そう答えると、彼女はそれを試着候補の中に入れた。


 休日にショッピングモールに買い物デートに来ているのだけど、まずは洋服を買いたいということで、ちょくちょく意見を聞いてくる。それに対して俺は、


「似合うよ」

「可愛い」

「また雰囲気変わるよね」


 などと無難な答えを返すばかりだ。正直、ファッションセンスに関して俺に聞くのは間違いだと思う。でも、多分彼女はそれをわかっている。俺の回答にかかわらず、本当は本人の中で答えは決まっているのだ。


 実際、ナギが選ぶものはどれも似合うものばかりだと思うが、戻すものもあればキープするものもある。


 つまり、一緒にいる俺と一緒に買い物している感を大事にしてくれているのである。


「ちょっとさ、試着してくるね」


 そう言って、両手に抱えた洋服とともに試着室へと入っていく。


 ……。


 女性服売り場に取り残された。


 こればかりはどうにもならないが、まさか商品を見て回るわけにもいかず、試着室のすぐ横で待機。


 ……なにげに聞こえる、試着室からの衣擦きぬずれの音がこう、想像力の限界に挑戦させられ


「これとかどうかな?」


 カーテンがいきなり開き、ナギが顔を覗かせる。


「うぉう!」

「どしたの?」

「いや、急だったから」

「そう? で、この色とかどお?」


 それから、ナギのファッションショーが開催された。


 すらっとしてバランスのとれた体型のナギは、たいていのものは着こなしてしまう。背中に届くなめらかな黒髪も、万能のアクセサリーとして観客(俺)を魅了する。


 ナギも、買いたい物を選ぶというよりは、いろんな姿を俺に見せるのが目的なようで、着替えては軽くポーズを取りながら見せる、を繰り返した。


 目も心も幸せだ。


 その後、ナギは納得したものを選んで、いったん会計を済ませた。

 店を出て、二人並んで通路を歩く。


 ショッピングモールというのは、アミューズメントパークに近い。多種多様なお店が連なり、老若男女、誰もが楽しめるようになっている。一通り回るだけでも、ゲームをしたり、俺の服を見たり、キャラクターグッズではしゃいだり、フードコートで休んだりできる。


 少し休んで、そろそろ動こうかとしたとき、ナギがあるお店を指差した。


「ちょっと、あそこにも寄っていいかな?」

「なにか気になるものがあっ……た?」


 彼女が指差す先、そこにあったのは。


 ランジェリーショップ。


 男にとってそこは、聖域にして禁忌の花園。立ち入ろうものなら、一瞬にして(社会的に)抹殺される、不可侵の領域である。


 ただしそんな聖域にも、入るための方法がただ一つだけある。


「いこっ」


 ナギが俺の腕を掴んで引っ張る。

 そう、女性の付き添いとしてだ!


 とはいえ、なんの心構えもない俺が、いきなりこういう店に入ることに抵抗が無いわけではない。が、当たり前だが当たり前に入っていくナギに続いて、なし崩し的に入店してしまった。


 気まずい! 周りの視線が痛いほど刺さる! 不審者確定!


 そんなことを幻視してしまうが、周りを確認すれば、そんな風にこっちを見ている人はいなかった。ナギが一緒にいることで、俺はただの置物の立場に昇格していた。その立場をキープするため、俺は全身全霊をもって、平常心を装っていた。


 目の前に並んでいるのが、ブ……う、上の下着であればまだいい。緻密な装飾を施された布は、見慣れぬが故に、想像が追いつかない。


 しかし……しかしだ。


 下の下着の場合はそうはいかない。


 日常的に、『それが見えるか見えないか』というギリギリの環境に身を置いているわけで、そんな期待と妄想に胸を膨らませている健全な青少年には、それがむき出しで目の前に並んでいるという状況は、むしろ直視できない。視線と心が乱れてしまう。挙動不審、一歩手前。


 ダメだ! この状況で、俺が見てもいいところはどこだ?

 そう、すぐ隣のナギ。それだけだ。

 と、いうわけで、俺はナギに集中することにした。


 それに気づいたのか、ナギが話しかけてきた。


「ちょっとさ、最近きつくなってきちゃって」


 そう言いながら、シンプルで可愛い感じの、う、上の下着を手に取っている。


「えっと、そっちはあんまり詳しくないから、感想は出せそうにないよ?」


 俺は正直に伝えた。


「うん、でもね、できれば一緒に選びたかったの」

「え? なんで?」

「だってさ」


 ナギは視線を落として頬を赤らめる。


「いずれはさ、これを着てる姿を見せることもあるかもしれないわけじゃない? そうなったときに、初めて見せる下着にカケルが戸惑うかもしれないじゃない?」

「う? え?」

「見たことがあれば、そのあとに戸惑わずに進めるかも、しれないじゃない」


 それは俺のため? だれのため? なんのため?


 混乱の混乱による混乱のための混乱で、気がつけばいつの間にか買い物は終わっていた。


 そのあともしばらく上の空でいたけど、不意に、ナギの雰囲気が変わった。


「ちょっと、お手洗いに行ってくるね」


 小走りでトイレに向かうナギを見送り、俺は荷物を確認して近くのベンチに座った。


 あの感じは多分、異世界……ナギが魔界と呼んでいる世界でなにか問題がおきて、その対処に向かったんだ。

 だとしたら、戻ってくるのは不自然じゃない時間、五分後くらいだろう。


 魔界に行くには、空間を超える必要がある。で、時空という言葉があるように、空間は時間と密接な関係にある。異世界へと歪めた空間を移動する際に、時間経過も自由に調整できるらしいのだ。さすがに時間を戻すのは無理だけど、移動した直後の時間に戻ってくるってことが可能らしい。たとえ向こうで何年もすごしていたとしてもね。


 ふと気がつくと、なにか言い争いの声が聞こえてきた。見ると、背の低く可愛い感じの女性と、胸が大きい凛々しいタイプの女性の二人組に、明らかに態度のよろしくない男二人が強引に声をかけていた。女性たちは拒否しているが、相手は『ナメられたら人生終わり』だと思っているようなやからだ。素直に引き下がりそうにない。周りの人たちは、関わるとろくなことにならないと、見て見ぬふりだ。


 しょうがない。警備員さんを呼んでくるか。そう思って立とうとしたとき、トイレからナギが戻ってくるのが見えた。


 当然気がつかないわけもなく。

 ナギはナンパ野郎に近づいていく。


「他人の迷惑を考えられない大人の見本市なの?」


 突然話しかけられた男たちは、新しいターゲットに舌なめずりする勢いだ。


「なんだよ、あんたも一緒に遊びてぇのか」

「一緒は嫌ね。そっちの人たちはいらないわ、どこかへ行きなさい。大丈夫だから」


 女性二人は、戸惑いながら少し離れ、一人は走ってどこかへ行った。警備員を呼びに行ったのだろう。間に合わないと思うけど。


「じゃあ行こうぜ」


 男がナギの肩に手を伸ばすその腕を、ガッと掴む。


「遊んであげるわ」


 突然その男の体が吹き飛びかけるが、腕が掴まれていて、引き戻される。視認できるかどうかのスピードで腹パンしただけだが、肩くらい外れているかもしれない。

 ナギが手を離すと、床に倒れて動かなくなった。


「テメェ! なにしやがる!」


 もう一人が掴みかかってくるその手を受け止め、力くらべ。直後に男の膝がナギの顔面を襲う。膝が直撃するが、ナギはびくともしない。そのまま掴んだ手をじょう。男は床で腹を打って悶絶している。


「無様ね。デートを邪魔されて気が立ってるときに目障りなことしてるからよ」


 それだけ言って振り返り、二度と見ない。


「お待たせー」


 ナギは、なにもなかったように戻ってきた。

 俺は荷物を持って立ち上がる。

 俺も、目の前で起こったことについてはなにも言わない。


「向こうでなんかあったの?」


 魔界の呼び出しについて、歩きながら聞いてみた。


「たまにあるんだよね。極端に強い侵入者が来ること」


 魔界のことについてナギからはあまり話してこないけど、俺から聞けば話してくれる。


「戦況はおおむね悪くないんだけどね、たまに暗殺者っていうか、四、五人の少数精鋭で攻め込んでくることがあるの」


 そんな話を、ナギは「宿題めんどい」くらいの加減で話す。


「そいつらやたら強くてさ、幹部連中でも対処できない時は、私がやるしかないから」


 それってあれだよね、英雄とか勇者とか、ゲームでいえばプレイヤーキャラクターの主人公。世界を魔王の手から取り戻す使命をおびた、人間側の救世主。


「ま、私にとっては指先ひとつでちょちょいのちょいだけどね」


 そんな話を、ナギは「数学は得意」くらいの加減で話す。


 そんな横顔を見ながら思う。

 ナギは、少なくともこっちの世界では普通の女の子だ。特殊な場合を除いては、ありえないほどの怪力なわけでもないし、気軽に魔法が使えるわけでもない。成績は悪くない程度だし、部活で全国レベルなわけでもない。食べ物の好き嫌いもあれば、はにかみもするし、涙も流すし、不満があれば怒ることもある。


 そんな、ごく普通の女の子なのだ。


 ただ、一緒にいると、ときおり不安になることがある。不安というか、本能的な恐怖というべきかもしれない。それは、他の普通の人でも同じなのか、それとも相手がナギだからこその感覚なのかはわからないが。


 そんなことあるはずないのだけれど、あまり関係を深めてしまうと、自分の存在の奥深いところにある大切ななにかを壊されて、死んじゃうんじゃないかという恐怖だ。誰だって、死んでしまうのは恐ろしい。


 だからまだ、その先に一歩踏み込む勇気が出せない。


「あっ! あった!」

 笑顔で俺を引っ張って、クレープ店に突撃していくナギ。そんな彼女を見て思う。


 でも、それでも、そんな特殊な秘密を持った、たまにちょっぴり魔王な、そんな彼女が俺は大好きだ。

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