第4話 ふわふわ髪の少女

 翌日。僕はバイトをずる休みした。


『吸血鬼がバイト!?』とか『正社員で働け』とかそういう突っ込みはいらない。

 なんのバイトかは……まぁそのうちわかると思う。

 ともかく、昨晩堅野さんが言ったことがどうしても気になって仕方がなかったのだ。


 この家に、朝と昼はない。窓にはしっかりと遮光カーテンを配してある。

 床で寝ているユーリィを起こさないようにして、そっと家を抜け出す。

 僕はベッドで寝ている。ここは僕の家だ。

 稼いでいる額から言うとユーリィのほうが圧倒的なはずだが、僕の稼いだ金で、僕が家賃を払っている。べつに、だから僕のほうが偉いからベッドで寝ているのだと威張りたいわけではない。ただ単に、ユーリィの寝相が恐ろしく悪いだけだ。彼にもベッドくらいある。


 神戸三宮から電車に揺られること数駅。

 とある駅の、とある喫茶店。

 ぼかした言い方にさせてもらうのは、同族を守るためだ。

 ひとつだけヒントを残しておくならば、僕らであればまず、近づきたくはないと思ってしまうような名前のお店。……『ウルトラサンシャイン』? うん、いいね。発想としてはそんな感じであってるよ。



 重たいドアノブを引いて、店内に入る。

 チリチリン。

『ロサ・ロハ』のものよりもいくぶん高いドアベルの音。


 昼間なのに店内は薄暗い。

 陽が入らないようにしてある。バーでもないただの喫茶店で、外から中の様子がまったく見えない店は珍しいのではないだろうか。道に面した小窓には、草色のギンガムチェックの柄をしたカーテンが引かれている。


 ここにいるはずなのだ、彼女は。


 店内には、比較的背の高い男性が一人。

 コーヒーポットを使って、丁寧にコーヒーを淹れているようだ。

 僕は彼を知っている。彼もまた、僕を知っている。

 見た目の年齢は二十八だが——実際に二十八歳で——ここ三百年ほどずっと二十八歳の——人間だ。ただ歳を取らないだけ。


「いらっしゃ……あっ」


 僕に気づいて、彼はコーヒーポットをつい傾けすぎてしまったようだ。

 きっと、慎重に慎重に、ゆっくりと円を描くようにしながら丁寧に挽いた豆にお湯を注いでいたはずだ。まめな奴なのだ、この男は。申し訳ないことをした。


 この男。

 たしか、日本に来てからは伸一郎と名乗っている。

 ブラウンシュガーの色をした髪。さわやかで優しげな表情。物腰も柔らかく、好青年という言葉が似合う奴だ。

 さすがにただの不老不死なだけの人間だ、ユーリィにははるかに及ばないが……しかし顔がいい。


 なんてったって僕がこの男、つまり彼女を見つけたきっかけは、地域の情報誌に『イケメンマスターのいる喫茶店』としてこいつが紹介されていたからなのだ。

 おかしい。

 なら僕だって、『アニメショップのイケメン店員』として特集が組まれてもいいはずなのに。……うん。バイト。そういうことなんだ。天然の白髪赤目という““圧倒的””アドバンテージをもっているはずなのに、働きはじめてもうすぐ一年、いっこうにちやほやされる気配がない。オタク共は好きなんじゃないのかよ、こういうのが。

 ……まあ、根本的な原因はわかっている。みなまで言うな。


 ともかくそれはさておき。


 僕は伸一郎にたずねた。

「ノーラはいるかい」

 伸一郎はちらりと横目でようすをうかがうような素振りを見せてから、

「今日は、元気みたいです。どうぞ」

 とだけ答えて、手で店の奥側を指し示した。


 ここは喫茶店だ、店内に入るとすぐに客席が並んでいる。

 それとは別に、すこし奥まったところに隠し部屋のようになった……いわゆる半個室型の客席が一テーブルあり、彼女——ノーラは暗がりに電気もつけずにそこにいた。



 

 僕と同じで白い肌、白い髪。

 腰の長さまである髪はふわふわとしていて、ごく緩やかなウェーブを描いている。

 目も赤いはずなんだけど、暗くて、いまはよく判らない。

 人間の見た目年齢で言うなら、年は十二か十三くらい。少女だ。

 クッション付きの長椅子、つまりはソファの上に三角座りをしている。といっても、丈の長いワンピースを着ているから脚は見えない。コットンのレースがふんだんにあしらわれている白いワンピースは、伸一郎の趣味だろうか。“現役”の頃は、こんな趣味ではなかった。


 少女は、くるまれて花束になった何本もの赤い薔薇に鼻先をうずめていた。


「ノーラ。またそんなものを食べて」


 僕が言うと、ノーラは視線だけを僕に寄越した。

 数秒して、花束からようやく顔を離して、

「わたしに干渉しないで頂戴」

 と、芯の通った声で言い放った。


 声だけは、相変わらず高潔で凛としているけれど。

 本当はもう、そんな余裕はないはずだ。


 彼女は吸血行為を止めた吸血鬼だ。


 いまは薔薇やワインから精気を吸収して生きている。

 そんなことをしているといずれ死ぬ。

 死にはせず、消滅するのかもしれないが——いくら僕でも死んだことはないから、そこまでは判らない。でも、からだによくないことは確かだ。人間がセロリだけ食べて生きるようなものだ。


 なにがあったのかは知らないが、ノーラはここを死に場所に選んだらしい。

 まだ死なずにいるのはきっと、伸一郎のことが——


「昼間から猥雑な空想は控えて頂戴」

「あはは、手厳しいなノーラは。でもどうしてわかったんだい?」

「まさか正解していたの?」

「いやそこまで猥雑なことは考えてないけど」

「まあ根拠を言わせてもらうなら、その猥雑な表情よ」


 表情!

 顔でなく表情を全面的に否定してくるとは——!

 僕、僕普通の顔してたよいま? むしろシリアスなこと考えてたよ!?

 ひどい、ひどすぎる。

 しかし僕たち吸血鬼はお互いの顔にあまり関心がないから——どこかで顔面の差異について言及しなければならない場合、関心が向くのは表情に……ってこんなの、人間より残酷じゃない? 僕は、僕は表情までなんかアレなのか。


 おっと、いけないいけない。

 また彼女のペースに乗せられてしまうところだった。


 僕はソファの片隅に座らせてもらい、めいっぱいどシリアスな表情を顔に浮かべた。


「セバスチャン」

「なんだい?」

「わたしの顔を見て、笑いを堪えるような表情をしないで頂戴」

「…………」


 この。この女は。

 これだから女ってヤツはだめだ。


 いや決して! 男が好きなワケでは!


 話が進まないので困っていると、伸一郎が淹れたてのコーヒーを持ってやってきた。

 コーヒー以外の香りもする。

 なるほど、ノーラにはミルクココアね。


「こら、ノーラ。セバスチャンさんが困っているじゃないか」


 う……うおおおお! ここで伸一郎からのアシスト!

 くそーッ、さわやかイケメンは中身までイケメンじゃねえかーッ!

 はあ……人間だったらここで伸一郎に抱かれてもいいって思うところだった……危ない危ない……。



「それで。話ってなにかしら。手短に済ませて頂戴」


 伸一郎の一言と、ミルクココアの効果でノーラはようやく僕の話を聞こうという段階まで来てくれた。

 でもなんで僕、こんな刺々しい言い方されなきゃならないんだ?

 まそういうことはあとで考えるとするか。

 僕はノーラに、堅野さんから聞いた話について話した。


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