愛とくちびると蜜柑の感触。
生き物はいつか死ぬ。
この先の人生もどうなるのか分からない。
私は自分のやりたいことすら分かっていなくて。愛の意味もあの人を本当はどう思っているかさえも、正直分からない。
それなのに、「いつか死ぬ」ということだけは分かって生きている。
それはあまりにも当たり前のこと過ぎて、そのことに対して深く考えたことすらなかった。
おばあちゃんが死んだ時、親戚のおじさんが死んだ時、金魚のひらりが死んじゃった時、ものすごく悲しかったし、ものすごく泣いた。
けれど、そういうものだとどこかで分かっていた……多分、きっと、絶対。
そのくらい、「生き物はいつか死ぬ」ということを当然として受け入れて生きている。
「あのさ、自分はひょっとしたら死なないんじゃないかとか考えたことない?」
「なにそれ。小学生か」
そう言って、前の恋人に笑われた。
でも、今はそれとは真逆で、私の体の中の時計は音が弱くて止みそうになっている。
ドクンドクンからトクントクンに変わった。
生まれた時に誰かがぜんまいを目一杯巻いてくれたものが、終わりかけに近づいてきて、力なくまわるようになってきているのかもしれない。
トクン、トクン。
その事に気づいてからの私は沢山の人と寝た。
トクン、トクン。
ぜんまいが止まる前に「愛」をどうしても知りたかった。
トクン、トクン。
セックスが愛だなんて思っている訳ではなかったけれど、それが近道の様な気がしたのだ。
ときめいて、でも些細なことで喧嘩をして、仲直りして、そうかと思ったら嘘を見抜いたり見抜かれたり。その過程にセックスも含まれているのだとしたら、そこから始めてみた方が早いと思った。
けれど、そんなものはインスタントラーメンに過ぎなかった。
お湯を入れて3分で出来る。
たまに食べるには美味しいけれど、それは私の知りたい「愛」ではなかった。
それでも、私はインスタントラーメンを食べ続けた。
私の体の中の時計の音は日に日に弱くなり、でも、まるでそのことを私自身に伝えるかの様にしっかりと響いていたからだ。
トクン、トクン。
「それって癖?」
ベッドの上でインスタントな彼が言う。
「蜜柑をひとつ食べる度にくちびるに押し当てて確認するみたいな、それ」
トクン、トクン、トクン。
「私、そんなことしてた?」
「うん、今見てただけで5回はしてた」
トクン、トクン、トクン。
「うそ、初めて知った」
「そんな変な食べ方してるのに、今まで誰にも何も言われなかったの?」
「うん」
トクン、トクン、トクン。
「それとさ、言いたくなきゃ無理しなくていいんだけど。なんでこんなことしてるの?」
「こんなこと?」
「うーん、失礼かもしれないけど。っていうか俺が言えたもんじゃないんだけど、あんまり……なんていうか、そういうタイプには見えなかったから意外っていうか」
「セックスのこと?」
「まぁ、そういうところも含めて?」
トクン、トクン、トクン。
「生き物はいつか死ぬってことについて考えたことある?」
「なに、どういう種類の話?」
「だから、例えば人はいつかは死ぬって分かってるでしょ?将来のことも自分のこともよく分かってないのに、そこだけはハッキリしてるじゃない?」
「いや、俺は死なないかもしれないし」
小学生かよ、と秒速で心の中でツッコんだ。
話にもならない。
私は彼に話すのは諦めて、蜜柑を口に入れようとした。
あ。
本当だ。
私、蜜柑をくちびるに押し当てて感触を確かめてる。
トクン、トクン。
「ほら!その食べ方の理由の方がずっと気になるんですけど」
トクン。
そう言った彼の顔を見ていたら、何だか色んなことがどうでも良くなった。
ほんの些細なことではあるけれど、今目の前にある「知りたいこと」の方がずっとずっと大切な様な気がした。
そして、「どうして私が蜜柑をそんなふうに食べるのか」という自分でも分からない難題がある。
まずはそこから。
手に触れられるものや、感触についてだとか、そして、目の前の彼のキョトンとした顔に触れたくなっていることだとか。
「それならこちらもずーっと気になっていたから言わせてもらいますけど」
気がつくと、私の体の中の時計の音は聞こえなくなっていた。
同時に「愛」について知ろうとすることも私は忘れてしまっていた。
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