置いてきぼりのミートローフ
恋人からもらって嬉しいもの。
アクセサリー。
アクセサリーをもらうと、指切りげんまんをしたみたいで「約束」をもらえた気がする。わたしは彼のものなんだって、眺める度に思える嬉しいもの。
ちょっと子供っぽいけれど、ぬいぐるみも嬉しかったりする。ぬいぐるみは会えない時の御守りみたいだ。
あとは……。
旅先での記念としてお揃いで買った地名の入った恐ろしくダサいキーホルダー。絶対に普段なら買わないよねって笑いあったっけ。
彼がくれるものは、わたしにとって全てが宝物だった。
その中でも、これだけは別格。
わたしは記念のダサいキーホルダーをつけて、さらには赤いリボンまで結んだ。
「合鍵」だ。
しばらくは一日に何度も何度も取り出しては見つめていた。まるで婚約指輪でも眺めるみたいに。
でも、実はまだ一度も使ったことはない。
もらったからと言って、勝手に部屋の中に入ってもいいのだろうか……。もしや、入るか入らないか、それを試されているのか?なんてことを色々考え出すと怖くなって使えなかった。だから約束した時もこれまで通り、彼のことを部屋の前で待っていた。
「なんで?せっかく渡したんだから部屋の中で待っててくれたらいいのに」
彼は何度もそう言ってくれたけれど、わたしは使うことに対しての躊躇が消えなかった。
魔法の杖(合鍵)は持っているだけで、充分過ぎて畏れ多い。わたしの身の丈には合っていないのだ。
「次の土曜日はさ、先に部屋に入って、ご飯作って待っててくれたら嬉しいんだけど。お願いしちゃダメかな?」
彼は優しい。
魔法の杖(合鍵)を使う口実をわざわざ作ってくれたのだ。
わたしは嬉しくて意気込んだせいで「喜んで!」と居酒屋の店員みたいな答え方をしてしまったけれど、頭の中では既に土曜日のことを考えていた。
彼のいない時間に彼の部屋のドアの前に立っている。手には焼くだけの状態まで作ってきたミートローフが入った袋を持っている。
「はぁ……」
息を吐いて、その後思いっきり吸ってから鍵穴に鍵を差し込んだ。回すとガチャリと鍵の開いた音が聞こえたので、そぉっとドアを開けた。
そこはいつもの彼の部屋だった。
だけど、まるで初めて来た部屋の様な匂いがした。
毎週の様に来ているのに、この部屋の主人のいない空間は部外者を拒否しているかのようで緊張させる。
この部屋自体がわたしがまだ知らない彼の一部みたいだ。
でも大丈夫。
これから知っていけばいい。
この部屋のこの匂いにもきっと慣れる。
慣れたら匂いは感じなくなる。
だってわたしもその一部になるのだから。
……わたしもその一部になるのだから?
自然に思ったその考えにわたしは違和感を覚えた。わたしは彼の一部になるのだとしたら、逆に彼もわたしの一部になったりするのだろうか?
何故かそれは無い気がした。
わたしだけが彼の一部になり、その内わたしは彼の身体のどこかにくっついて吸収されてしまう想像が勝手に浮かんで、ゾッとした。
馬鹿みたいだ。
たかが、恋人の部屋に来ただけなのにナーバスになり過ぎている。
わたしは浮かんだ不気味な画を振り払って、エアコンをつけてから、自分の家から仕込んできたミートローフを彼の家のオーブンに入れた。
そう。こうしてわたし達は今日の夜に二人で食事をして、更に仲を深めていくんだ。合鍵だってその為に彼はくれたのだから。
ミートローフを焼いている間に簡単なスープでも作ろう。手持ち無沙汰で無くなれば、今の居心地の悪さも気にならなくなる。そう思って水をいれた鍋を電気コンロにかけた。
すると、バチン!!と大きな音と共に電気が一気に消えた。
どうやら、ブレーカーが落ちたらしい。
まだ夕方の6時をまわったばかりの時間なので、何も見えないほどに真っ暗ではないものの、窓から入ってくる外の明かりだけでは心許なかった。
オーブンの中のミートローフもまだまだ焼き始めたばかりなので、早くブレーカーを上げないと彼が帰ってくるまでに焼き上がらない。
それなのに、わたしはブレーカーの場所をすぐに探す気にはなれなかった。
窓から見える外の景色と、窓を隔てたこちらの部屋の中。たった一枚のガラスの外と内でこんなにも違うのだ。
大好きな彼とわたしの間にはそれよりも遥かに沢山の隔たりがある。
セックスの時にそれが一瞬だけ溶ける気がする。
さっきわたしが感じた恐怖のような感覚は、何だったのだろう。彼と繋がると嬉しいのに、一瞬の溶ける感覚が欲しくて、会う度に抱き合っているのに。
それなのに、わたしが彼の一部になってしまう感覚には恐怖しか感じなかった。
変なの。
大好きな人の一部になれるのなら、それはそれでいいじゃない。それにわたしが思ったのは、例えであって、現実の身体の一部な訳ではないというのに。
夕方は驚くほど急激に暗さが変わる。さっきまでほんのりだったはずが、気がつくと真っ暗になっていた。
真っ暗な部屋の中で何をしているのだろう。
とりあえず彼に電話をしようかと考えたものの、わたしのとった行動は全く違ったもので、駅のホームのベンチに座って、オーブンの中に置いてきたのミートローフについて考えていた。
「次の土曜日こそはちゃんと合鍵使いなよ?」
「……あぁ、うん。そうだよね、わかった」
わたしは次の土曜日の夜に置いてきぼりになるかもしれないミートローフのことを考える。
もしくは、彼とわたしの一部になるかもしれないミートローフのことを。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。