僕の退屈は君のもの。

 空白を埋める様に誰かといることに

 僕は疲れていた。


 それでも、自分勝手に人恋しくなる瞬間はあって、大して楽しくもない飲み会に顔を出しては空白を埋めた。


 でも、その度に思うのだった。


 特に興味もない話に相槌をうって、特に食べたくもないものを食べて、特に興味のない誰かといるより空白の方がずっといい、と。


 どうしたって、僕の空白や退屈は僕自身のものなのだ。


 そのことに安堵する瞬間すらあるのだから。


 


 早く起きる必要のない日曜日に限って、早く目が覚める。

 

 トーストを齧りながら、観てもいないテレビの画面を見て、思い出したかのように洗濯機のスイッチを入れに行く。それから掃除機をかけて、洗濯物を干して……一人暮らしの家事が終わる。


 時間はまだ10時前だった。


 ベッドに体を投げ捨てる様に横になって、特に用もないのにスマホを手に取った。


 その時、昨日の仕事相手との会話の中で断りきれずにインスタグラムのアカウントを作らされたことを思い出した。目の前であれこれ説明されたので適当にやり過ごすことが出来なかったのだ。


 面倒に思いながらもそれを開いてみることにした。


 すると、そこには昨日の仕事相手のプライベートと、会ったこともない人達の本当かどうかも分からない沢山の「今」が溢れていた。

 

 僕にとっては何の関係もない、遠い世界の「今」だった。それはまるで飲み会に行った時に感じた興味のない話への相槌に似ていた。


 さっきの見ていないテレビと同じようにインスタグラムを流し見していると、ある画像に急に目が止まった。


 『大きいだけのオムライス』

 『大きいだけのコロッケ』

 『大きいだけのおはぎ』

 『大きいだけのホットケーキ』

 『大きいだけのアイスボックスクッキー』

 

 とにかく『大きい』という言葉がくっついていて、画像には大きいだけという食べ物が映っている。


 『大きい

 

 自虐的とも取れる書き方が妙に気になった。


 日付を見てみると、僕と同じ様に昨日からインスタを始めたらしく、フォロワー数はまだ0だった。ただ昨日からの割には既に沢山の「大きいだけ」の食べ物が映っていた。


 僕は何となくそのアカウントをフォローした。

 すると、そのアカウントのフォロワーは0から1へと変わった。


 その日以来『大きい』の食べ物の画像を僕は毎日見るようになった。


 『大きいだけの卵焼き』

 『大きいだけの海苔巻き』

 『大きいだけのたこ焼き』

 『大きいだけのコーヒーゼリー』


 どれも市販品ではないはずで、だとしたら、これを毎日手作りしているのだろうか。


 毎日見ていると、それは習慣となって、習慣になると、色んなことが知りたくなった。


 そして、知りたいという欲求は一度生まれると、どうにもコントロールが出来なくなっていき、僕は生まれて初めて知らない相手にコメントという形で話しかけてみた。


「大きいものを毎日作るのは大変ではないですか?」


 この場合「初めまして」など、挨拶から始めた方が良かっただろうか。そういったSNSの礼儀の様なものを僕は全く知らなかったので戸惑いながらも、我ながらどうでもいい当たり障りの無いコメントを送った。


 返事は驚くほど早くきた。


「フォローありがとうございます。手作りですが、大きいだけなので大変ではありません」


 やはり大きいというところが気になったが、こちらから投げかけたボールがちゃんと返ってきた感じがして嬉しくなった。


 

 『大きいだけのロールケーキ』


「ロールケーキの中には何が入っているんですか?」


「ありがとうございます。バナナと苺が入っています」



 『大きいだけの目玉焼き』


「これは沢山の卵ですね。笑」


「ありがとうございます。大きいというより卵がただただ沢山の目玉焼きですよね。笑」



 僕はどうでもいい一言を毎回残すようになり、相手もそれに答えてくれた。

 

 そして、それもまた習慣になった。 

 習慣は、いつしか僕に安心感をくれるものとなっていた。


 そんな風に穏やかなやり取りはしばらく続き、僕の空白は存在感をなくした。


 

 けれど、ある日突然いつもとは違った投稿がされていた。


 それは『今日のご飯』というタイトルのごく普通の夕飯で、これまでの『大きいだけの〜』というタイトルの画像はその日を境に無くなってしまった。


 すると、今までの様にたわいもない会話はどうやったらいいのか、全く分からなくなった。


 ただ、どうしても気になって仕方がなかった。


「大きいだけのとは、やはり意味があるのでしょうか?」


 そこが引っかかったからこそ、このインスタグラムを見てきたのだ。


 そして、訊くのなら今しか無い様な気がした。


「突然すみません。実は大きいだけのというところがずっと気になっていました。最近はそちらを投稿されていないので。もし嫌でなければお聞きしてもいいでしょうか?」


 いつものたわいの無いコメントの時とは違い、返事が来たのは翌日の夜だった。


「お返事遅くなりすみません。どんな風に説明をすれば良いのか少し考えていました。大きいだけというのはその言葉のままなんです。ただもう少しだけ事情を付け加えるなら、元々は必要だったものがいらなくなっただけ、ということです」

 

 その日以降、インスタグラムの更新は途絶えてしまった。当然、僕の中に根付いていた習慣も途絶えた。


 訊くべきではなかった。

  

 僕の毎日は以前よりも空白の存在を大きく感じる様になり、退屈になった。


 ただ、その退屈さえももう僕のものではなくなってしまった。

 

 僕の退屈は彼女あってのものになったのだ。


 大きいの食べ物を作っては写真を撮っていた、元々本当かどうかも分からない、僕からすると実体の無い彼女のものに。


 


 


 

 

 

 


 

 


 


 






 


 



 

 


 

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