ティラミスの毒。

「ねぇ、私のティラミス食べた?」


「食べてないよ」


「うそ、絶対に食べたでしょ。2人しかいないのに無いってことはあなたが食べたとしか考えられないでしょ?」


 彼は立ち上がると、ふざけた様に冷蔵庫の中に顔を突っ込んだ。


「君が探しているのはこれではないのですか?」


 その手には確かにティラミスがあった。


「あっ!」


「あっ、じゃないよ。全く。食べ物くらいでさ。食い意地張りすぎ」



 私はティラミスを受け取ると急いで蓋を開けて、プラスチックのスプーンで食べた。

 

 まるで言葉を飲み込むかの様に。


「ごめんね、は?」


「ん?」


「疑って、ごめんねは?」


 ニヤニヤしながら、彼は私の顔を覗き込む。

 私はティラミスを急いで食べきった。


「あー、美味しかった!お風呂入るね!」


「ごめんなさいはー?」


 浴室に向かう私の背中に彼はまだ言っていた。


 ……食べたなら食べたと言えばいいのに。

 

 そうしたら、私は素直に「ごめんね」と「ありがとう」が言えるのに。


 他に好きな人が出来たのなら、そう言えばいいのに。


 そう言われたら私だって……。


 湯船の中で口までお湯に浸かり、私は言葉の数々をブクブクと泡にして紛らわせた。


 あのティラミスは、私が買っておいたものでは無かった。多分、彼が食べちゃったもんだから、他のコンビニかどこかで買っておいたのだろう。


 それならそうと言えばいいのに。

 彼はどうしてかどうでもいい嘘をつくのだ。

 

 そのくせ嘘が下手だった。


 彼には最近好きな人がいる。

 勿論、私ではない。


 その事も隠しているつもりだろうけれど、バレバレだった。


 でも、まだ彼の片思いなのかもしれない。

 付き合っているとまでは感じられなかった。

 

 私から別れを切り出すべきなのだろうか。

 近頃、そんな事ばかり考えてしまう。


 それでいて、別れたらこの部屋をどちらかが出ていくことになる……だとしたら彼の方かな、引っ越しのお金なんて彼にあるのかな、そんな現実的なことを冷静に考えてしまう私もいた。


 そうなると、嫌な気持ちのスパイラルは延々と続いた。



「最近、お風呂の時間やけに長くない?」


 何も知らない彼はそんな事を言ってくる。


「お風呂くらいゆっくり入ってもいいでしょ」


「のぼせないか心配してるんだよ」


 そう言って、彼は右手で優しく私の頭をポンとしてから撫でた。


 彼のこの優しい「ポン」が大好きだった。


 でも、今は優しくされる度に私が傷ついていることを彼は知らない。



 一緒に住み始めて一年半。

 一緒に眠ってきたベッドで眠るのも、私には息苦しくて仕方がなかった。


 素足が当たることや彼の手が私の上に乗っかることも……嬉しかったはずの全てが毒だった。


 眠る前にする彼のキスも毒となって私の心を弱らせていく。


 そんな毒のキスがいつからか唇ではなく、頬に変わった時には、毒が刃物に変わり私を鋭く傷つけた。



「ねぇ」


「うん?」


「ティラミスのことだけど」


「まだ言ってんの?」


「ティラミスってさー、一番下のコーヒーのところ苦いよね」


「そう?甘いとこと一緒に食べたらちょうどいいじゃん」


「上手に食べられなくて、最後に苦いとこだけになっちゃう時があるの」


「ふうん」


「どうしたらいい?」


「何が?」


「苦いのって嫌なの」


「何言ってんの?」


「苦いと毒みたいなの」


「は?」


「どうしたらいいのかな?」


「……」


「どうしたらずっと甘いまま食べられるのかな」


「……」


 さすがに鈍感な彼でも私の言葉に何かを感じ取ったみたいだった。普段ならこんな話じゃ何を言ってるんだか分からないはずなのに、今の彼には伝わった。


 それが彼には他に好きな人がいるという証拠でもあった。



 甘くて美味しかったはずなのに、どうして最後はこんなに苦くなってしまうのだろう。


 私はどうして上手く食べられなかったのだろう。


 歯磨きもしたし、口の中には味なんて残っているはずもないのに、苦さだけがずっと舌にまとわりついている。


 彼は暗闇の中に浮かんだ宙を見つめて何か探しているみたいだった。それが別れの言葉なのか、私を傷つけないための嘘なのかは分からない。


 私はこの苦さを甘く変える方法をただ一緒に探して欲しかった。


 この苦さもぐるぐるにかき混ぜて分からないくらいに出来たら、私たちはこれからも一緒にいられるのだろうか。


 彼の見ている暗闇に浮いた宙の中にだけ、その答えはあるのかもしれない。


 

 私はそこに手を伸ばしたら触れられるのだろうか?


 今すぐ手を伸ばして触れたい。


 

 けれど、私の手はどうしても動かなかった。




 


 

  


 


 


 


 


 


 



  



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