もう1つの肉じゃがの呪縛。
「あー!!!また焦がしちゃった〜」
どうして……。
レシピ本には中火で5分と書いてあるのに!
その通りにタイマーまでかけたというのに!
「なんでそんなに手作りにこだわるの?どこかで美味しいものでも食べてくればいいじゃない。まだ恋人でもないんでしょ?」
友人は仕事が休みになるとうちに遊びにくる。
「料理が出来ないって、もう思われたくないの!」
「付き合ってもいない相手に料理が出来ないって思われたっていいじゃない。それにさ、もしこれから付き合うなら最初から出来ないって分かっててもらってた方がいいと思うよ?」
彼女の言っていることは正論だ。
でも、料理が出来ないということは私にとっては重大なコンプレックスだった。
焦がしてしまった料理の焦げていない部分を試しに食べてみた。
うん。ちゃんとまずい……。
私は諦めた様に椅子に腰をかけた。
「最初はね、最初はみんな言うのよ。料理なんて出来なくたっていいって」
「うん。でしょ?」
「でも、長く付き合ってくると目玉焼きくらいは焼けるだろってなってくるの。ブランチに食べたいじゃない?目玉焼きにトーストとかさ。スクランブルエッグにトーストでもいいんだけど」
「まぁ、そうね」
「最初に言ってるんだよ?料理は出来ないって。それでも何故だかそれくらいは出来るってみんな思い込んでるの」
彼女はお土産に持ってきてくれたワッフルをテーブルの上に置いて、まるで自分の家の様にうちのコンロでお湯を沸かした。
「でも、出来ないの。練習だってしたんだよ?でもやっぱり出来ないの!」
私はテーブルに突っ伏してうなだれた。
その内、お湯が沸いて、うちの戸棚から紅茶のティーパックを取り出して2人分の紅茶をいれて、お客様用の少し特別な貝殻の形をした小皿にワッフルを乗せて出してくれた。
私の家なのに、彼女の方が上手に私をもてなしてくれる。
「まぁまぁ、甘いものでも食べよ?ね?」
私はしょんぼりしながらも頷いて、ワッフルをパクリと食べた。悲しくたって美味しいものは美味しい。
「そもそもさ、それって前の肉じゃが男の話でしょ?みんながみんなそうじゃないって」
「……肉じゃが男って」
そう。
私が前に付き合っていた恋人とは1年半付き合って別れた。それが彼女の言う「肉じゃが男」だ。
彼とは職場で出会い、すぐに盛り上がって恋人となった。友人の期間はほとんど無かった。それくらい合っている……と思っていた。
勿論、私は料理が壊滅的に出来ないことも話していたので、デートの時は外食や何かを買ってお互いの部屋で食べていた。
それが1年ほど経つと、彼はうちに泊まった朝にベーコンエッグとトーストが食べたいと言い出した。
「じゃあ、近所の喫茶店にモーニングでも食べに行こっか」
いつもの様に私が出掛ける準備をし始めると彼から溜息がもれた。
「……昨日も遅くまで仕事で、それでも会いたくて来たんだ。朝くらいもう少しゆっくりしたいよ」
「え?でもベーコンエッグが食べたいって」
「……それくらい作れない?」
「え?え?だってうちにベーコンなんて無いし」
「卵はあるよね?目玉焼きでいいよ」
「……」
確かに。卵かけご飯用に卵は常備してある。
何となくこれは作らないといけないという空気になった。
「……わかった。作る」
私だって一人暮らしをして、もう数年経つのだから目玉焼きくらい何度もチャレンジしてきたのだ。
それでも作れなかった……。
案の定、見るも無惨な目玉になっていない何かが出来上がって……仕方なく二人でそれを食べた。
それ以降、彼の口から私に料理を求めることは無くなった。
私たちはその事は忘れる様に心がけた。
……少なくとも私は。
彼も話題に出さなかったので同じ気持ちだったように思う。
そんな風にして、またいつもの私達に戻った。
一緒にいると安らぐし、話せば何でも分かってくれる。そんな彼のことが私は大好きだった。
いつか……、いつか。
もしも結婚とかそんな話になった時には、その時には料理教室に通えばいいと思っていた。
けれど、その考えは甘かった。
私が彼の部屋に泊まりに行った夕方。
インターホンが鳴った。
モニターを見るとそこには私よりも若そうな女の子が何かを持って立っていた。
彼は慌てながらドアの外に出て、その女の子と何やら話している様だった。そして、戻ってきた彼の手にはタッパーがあった。
「何それ?」
「あぁ、えーと彼女はお隣さんなんだけどさ、たまに作りすぎたからって差し入れてくれるんだよね」
彼の持っているタッパーを無理に奪って見てみると、中には美味しそうな肉じゃがが入っていた。
ちなみに、私にとって肉じゃがとは憧れの存在。料理といえば肉じゃがと思っている、料理は出来ないくせに古風な女なのだ。
そして、素手でひと口じゃがいもを食べた。
「おいしい……」
そして、その途端に私がきっと意識的に見て見ぬふりをしていた色んなことが溢れんばかりに浮かび出されてきた。
彼の部屋が前とは変わったこと。
例えば、洗濯物がきちんと畳んでしまわれていること。冷蔵庫の中身がやけに充実していたこと。料理をしないはずの彼のキッチンに調味料が増えたこと。
考えればすぐに分かるはずのことなのに、私は何でもないことだと思おうとしていたのだ。
そして、彼との将来を夢を見る事で誤魔化してきた。
気がつくと私の目からは涙がこぼれていた。
それを見て、彼は正直に言った。
「ごめん。一緒にいて楽しくても……やっぱり君とは生活は出来ない」
イチゴのワッフルから、次はプレーンのカスタードワッフルをひと口食べた。
「言ってなかったんだけど…、ね」
「何?」
「私ね、本当は他の人にも同じような理由で振られてるの」
それを聞くと彼女もワッフルで口に蓋をするようにして黙った。
「肉じゃがって作れる?」
「え?あぁ、うん。まぁ、すんごい美味しいかは自信ないけど普通くらいには」
「いいなぁ」
彼女は紅茶をひと口飲もうとしてやめた。
それから、うちの冷蔵庫を開けてビールを2本取り出して、1本を私にぐいっと押し出すようにして渡した。
それを私より先にぐびぐびと飲んだ。
「一緒に料理教室に通おう!!ね!?でもね、それはそんな男たちの為じゃないよ!美味しく肉じゃがを作って自分で食べられるようになる為に!」
私は黙ってビールをひと口飲んだ。
「大体さ、前から思ってたんだよねー。目玉焼き?食べたかったらお前が作ればいいじゃん!って。世の中には作って欲しい人も沢山いるかもしれないけどさ、中には料理が得意で自分で作る人だっているよ?」
「……うん」
彼女はまた冷蔵庫を開けて、今度は卵を取り出した。それからフライパンを火をかけて油をひくと、卵を二つ割入れた。1つは卵の黄身が崩れてしまった。それでも気にせず少し水を入れてから蓋をした。
それから数分後。
戸棚を開けて適当な皿に今作った目玉焼きを乗せて私の前に出した。
「醤油派?塩派?それともソース?」
「…お醤油」
すると、近くにあった醤油を少し垂らした。
「ほら、食べて?」
彼女が何をしたいのか分からなかったけれど、とりあえず食べた。
「どう?」
「……普通に美味しい」
「でしょ!!黄身が崩れたって美味しいんだよ?だって卵なんだもん」
確かに私が作った目玉焼きも、もう少し早く火を止めていればこんな感じだった気がする。黄身が割れてしまった時点でもうダメだと思ってどうにも出来なかった。
「作ってくれるのが当たり前とか思ってる人は確かにいるけどさ、その人の為に変わるんじゃなくて自分の為に料理が出来るようになればいいと思う」
彼女が目玉焼きを作ってくれた姿を見て、私もまずは誰のためでもなく、自分にとって美味しいものを作りたいと思った。
その時、私のスマホからメールの着信音が聞こえた。
「美味しいお店知ってるんで、今度良かったら一緒に行きませんか?」
まだ恋人ではない男の子からのメールだった。
それを彼女に見せると、
「もしかしたら、彼は料理が出来る人だったりして?」
と言って笑った。
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