試験空母「さんないまるやま」・千客万来(後)
「歌?」
「誕生日の歌と思われます」
「ハッピーバースデイトゥーユー?」
「はい」
「なるほど」
皆が困惑を共有する中、艦長の口に笑みが浮かんだ。
「いや、なるほどじゃないでしょう」
「そう言ってくれると思ってました」
横目を向けられ、馬緤は視線を天井に向けた。艦長へのツッコミが義務化しているのも不本意だ。
「あ、艦長、誕生日おめでとうございます」
「ありがとう」
「後でささやかなお祝いの席を準備してありますがそれはさておき、何がなるほどなんですか」
艦長が答える前にソナー手が声を上げた。
「タンクブローとスクリュー音、『うんりゅう』です」
本艦を追尾していた中ロ潜水艦の後方。海底丘陵に隠れて沈降していた海上防衛隊の最新鋭潜水艦が、浮上し始めたのだ。
本来ならこの『うんりゅう』が、新型ソナーの測距試験の目標となる筈だったのだが、予想外の――とばかりは言い切れないが――中ロ潜水艦の出現で、『うんりゅう』の前之島艦長は息を潜めて彼らをやり過ごし、自分の代役を彼らに勤めさせる事にしたようだ。
そして危険を及ぼさない距離が開くのを待って存在を明かし、明かし……。
そこで馬緤の思惟は壁に突き当たる。
なぜ歌だ。
「『うんりゅう』、見事に所在を隠してましたね」
艦長の声。馬緤の問いへの答えはそのまま捨て置かれたようだ。
「前之島さん、無音沈降の達人ですからね」
馬緤は一年先輩である『うんりゅう』艦長の顔を思い浮かべた。
「陸では思い切り派手でしたけどね。二年下の私が知ってるくらいですから」
「確かに」
馬緤は前之島の伝説を思い起こした。金欠の後輩15人に晩飯をおごってそのまま飲み会に突入、デートをすっぽかして振られたとか、独身の同期、後輩25人を引き連れて巨大合コンを開き、11人を結婚にまで導いたとか、その反動で借金100万抱えたとか、まあ色々。その節はお世話になりました。離婚に至ったのは私の不徳の致すところです。
「『うんりゅう』よりVLF通信」
通信士が顔を上げた。海中でも届く超長波による通信である。
「読み上げて」
「読みます。『サブマリナ―一同より、長澤艦長の誕生日をお祝い申し上げます』 以上」
「前之島さん、悪戯が過ぎませんか?」
馬緤は溜息をついた。
「モーツァルトを掛けなかっただけ、自制したと思いますよ」
「沈黙の艦隊、好きでしたからね」
花田航海長が腕を組んでいかつい顔をグイっとこちらに向けた。
「あれを読んでない潜水艦乗りはいないでしょう」
「花田さん、潜水艦常務経験ありましたっけ?」
「ない。閉所恐怖症だから」
向こうにいた柳砲雷長から、再び鼻息が漏れる音がした。
「タンゴ3(ノースカロライナ)からも、誕生日の歌です」
「乗ってきちゃいましたよ」
馬緤は思わず頭で手を押さえた。
「トラバート艦長、潜水艦長八年目のベテランですよね」
「さすが、いろいろ調べてますね副長。そう、ベテランだから、かも知れません」
「は?」
視線を向けると、長澤艦長は椅子に深く体を沈め、両手の指を組んで待ちの姿勢になっていた。
数分後。
「あの、タンゴ2(ロシア艦)からも歌です」
「それは?」
「あの誕生日の歌では無いようですが。ロシア民謡でしょうか。申し訳ありません。そっち方面は不得手でして」
「すみません」
奈多川試験長が艦長に体を向けた。
「ロシアの音楽に多少興味があるので、聞けば分かる可能性があります」
「許可します」
艦長がうなずくと、ソナー手の横に細い上体を傾け、ヘッドフォンを右耳にあてる。
「やはり」
振り向いた試験長は眼鏡を抑えて微笑を浮かべていた。
「これは『クロコダイルジーナの歌』です。近年ロシアで誕生日を祝う歌として知られています。ただロシア民謡ではなく、チェブラーシカという人形アニメに登場するワニのジーナというキャラクターがですね……」
興味が、多少?
早口になっていく試験長に、馬緤は心の中で疑問を呈した。そんな空気を察したわけでもあるまいが、試験長は我に返って、前のめりの姿勢を正した。
「あ、失礼しました。そういう事です」
「ありがとう。今夜の食事の時に、続きを聞かせてください」
艦長がうなずくと、ソナー手から立て続けに報告が入った。
「ノースカロライナ、タンクブロー音」
「タンゴ2(ロシア艦)も浮上します」
「タンゴ1(中国艦)からも誕生日の歌。中国語ですが」
「タンゴ1、スクリュー音大。操舵音。回頭しています」
「タンゴ1、本艦より離れつつあります」
「なるほど」
と口に出してから、それが艦長の言葉だった事に気付いて
「……の意味が分かりましたよ艦長。前之島さんは、この海域を艦長の誕生会会場にしてしまったんですね」
「そういう事ですね」
長澤艦長は笑みを浮かべた。
「ふむ。あちらもかなり緊張していたでしょう。そこに、ぽんと後ろから肩を叩かれたんですな。気配を感じてなかったところに」
「ニッコリ笑顔で」
「こいつは怖い」
言葉とは裏腹に、花田航海長は凄みのある笑顔だった。
「ほんとに海江田艦長みたいだ」
「キャラから言えば、深町艦長でしょう」
艦橋に控えめな笑い声が響いた。
「さて」
艦長は身を乗り出した。
「お祝いを頂いたら、お礼を言うべきでしょう。皆さんに」
「皆さんに?」
「ええ、皆さんに」
馬緤は腕を組んだ。
「上から怒られるかもしれませんよ」
「かも知れませんね。反対ですか?」
そう問われ、腕を下して背を伸ばす。
「いえ、賛成です」
艦長はうなずいた。
「通信士。VLFで平文送信。宛先不要。日本語、英語、ロシア語、中国語でそれぞれ発信を。以下本文」
深く息を吸い、言った。
「深海からの祝福に心から感謝す。『さんないまるやま』艦長・海上防衛隊一佐・長澤千歳」
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