試験空母「さんないまるやま」・千客万来(前)
一月後。
「さんないまるやま」は二度目の航海に出た。バッテリーの修理も終え、小笠原北西海域にて両舷全速で29ノットを無事発揮。今回は練習艦『せとぎり』が随行している。
マスコミのヘリによる追尾取材は減り、それも相模湾に出ると引き返していったが、入れ替わりの来客があった。
北からはペトロパブロフスクから南下したロシアの哨戒機が、西からは南西諸島の間にある公海上を抜けてきた中国の爆撃機が、それぞれ接近。
厚木基地からのP-3AEW&Cと、百里からのF-2が飛来して上空をカバーする中、ロシア機は高度七千フィートを維持し、二キロ以上の距離を保って艦の周りを一回りして去った。
その後から来た中国機は二千フィートまで降下し、一キロを切る距離で周回飛行する。その姿は艦橋からも目視することができた。
「砲塔が載っていなくて残念です」
視界を横切る中国機を見つめながら、柳砲雷長がすました顔で怖い事を口走る。
「載せてあってもお客さんに向けてはいかんですよ」
「載っていたら言わないでしょう? 砲雷長も」
「はい」
長澤艦長がフォローし、柳も即座に答えた。
「同盟を組むのはやめてください」
馬緤が困惑すると、長澤は柔らかな笑みを漏らした。
それにしても、艦橋に詰めている幹部の三人、砲雷長と試験長、そしてトップである艦長が女性というのも、時代の変化を感じる。
いまや戦闘艦である護衛艦長も女性がいるのだから、一応は非戦闘任務完であるこの船の場合は当然なのかもしれないが。
「艦長とは昔、何かあったんですか?」
柳砲雷長からそう振られるのを、馬緤は一秒前に察していた。
中国機も去り、再び馬緤が艦内巡視に出た時、火器管制室に向かう柳が追ってきたのだった。
新型砲塔の試験スケジュールについての確認の後、周りに人の気配がなくなったタイミングで彼女が右手のボールペンをマイクのように握ったのだ。それが雑談に入る時の彼女の癖だと、馬緤にも分かってきていた。おかげでわずかながら考える時間が取れた。
「やっぱりそう見える?」
「はい」
「だよねえ」
「身に覚えはないんですか」
「ないんだよ」
馬緤は溜息をついた。
幹部候補生学校では長澤が一期下であり、まだ数の少ない女性だったので顔や名は知っていたが、特に行動を共にする機会もなかった。
この艦への乗り組みが決まってからも、特段プライベートな話をしたこともない。この微妙な雰囲気を感じ始めてからは、報告に艦長室を訪ねるのもなるべく控えている。
初航海のインタビュー草稿チェックを幹部食堂で皆を集めてしてもらったのも、そういう配慮が一因だ。
「俺、からかわれやすいのかね。今までそう感じた事は無かったが」
「副長はそうではないですし、艦長も面白半分でからかうような人ではないと思います」
「俺もそう思う」
頭をかいて長く息を吐く。
「でも、面白がっているようにしか見えない」
柳の鼻から息が漏れる音がした後、真面目な声が返ってきた。
「はい」
今のは噴き出した音だろうか。その顔を見逃したのは少し惜しかったと彼が思った時、頭上から館内放送のスイッチが入る音。
『副長、砲雷長、試験長。至急艦橋へ』
艦長の声に二人は一瞬顔を見合わせた後、その足を速めた。
「潜水艦を探知しました」
ほぼ同時に到着した奈多川試験長と共に艦橋に入ると、艦長がうなずいた。
「三隻ですか」
砲雷長がソナー手の肩越しに画面を覗き込む。
「中国のスイ級、ロシアのヤーセン級、アメリカのバージニア級です」
「アメリカさんも?」
馬緤は驚いた後で、
「ああ、横須賀に入港予定のノースカロライナですね。中ロ艦の牽制とデータ取り、という所ですかね」
「そうでしょう。千客万来ですね」
艦長はうなずき、
「領海外ですし、現状は危険とは言えません。我々の仕事をしましょう」
「つまり、試験をですね」
「そうです。ただし」
彼女の横眼が笑う。
「計画に少々変更を加えます」
『さんないまるやま』のバルバス・バウ(球状船首)と艦底部には水上艦用の新型パッシブ・ソナーが装備されている。
本来パッシブ・ソナーでは、距離の正確な測定が難しい。
最新データリンクシステムを装備した僚艦がいれば、さらに正確な位置特定も可能となるが、旧式の護衛艦であった練習艦『せとぎり』にはその機能がない。
だが海上防衛隊最大の巨艦である本艦の船底の、艦首から艦尾に至るまで左右二列で装備されたフランクアレイは、相手との位置関係を適切に維持する事で、一隻で相手との距離を測る事が出来るとされている。
「航海長。一〇分後に変針一一〇度」
「了解。一〇分後に変針一一〇度」
「試験長、OQQ―XXXで測距試験を行います。立会準備はできていますか?」
「測距試験、了解しました。技官さん、沢野エレさんはもう詰めています」
艦長の指示に航海長、試験長が答える。沢野エレクトロニクスは新型ソナー試作機OQQ―XXXのメーカーである。
「意見具申。測距試験後に、対潜戦闘手順確認の実施を申請します」
柳砲雷長が声を上げた。艦長は曲げた人差し指を顎に当てて一秒考える。
「アクティブソナーや訓練魚雷など、相手を刺激する可能性のある装備は用いませんね?」
「はい」
「よろしい。許可します」
十分後、先行する『せとぎり』に続いて進路変更。追尾する中ロの潜水艦に横腹を見せる形になる。平時で、かなり距離があると推測されるから出来る事でもある。
「測距試験、開始」
艦長が、ソナー管制室に移動した試験長に指示を出す。数秒でブリッジのモニターに測距結果が映し出される。中国艦(タンゴ1と呼称)とは13500メートル、ロシア艦(タンゴ2)とは15000メートル。深度はそれぞれ300メートルと200メートル。
艦尾方向になった米国のノースカロライナ(タンゴ3)への測距は精度が落ち、16000から18000メートル、深度150から250メートルとのデータが来た。
この後、進路を二度変え、試験をそれぞれ行って終了すると、砲雷科がそのデータに基づいて対潜攻撃の手順を確認していく。
馬緤はその間、空を見上げ、海を見回し、艦内を見回る。
他の者の注意が向いていない方を注意するのも、自分の務め。それが副長のあるべき姿だと、父からよく聞かされていた。
進路を再び南南東に戻して一五分。
艦橋もピリピリする緊張感に包まれ続けていた。友好的とは言い難い国の潜水艦二隻に追尾されていて、同盟国の潜水艦も近くにいるのだ。そしてもう一隻も。
本来なら試験艦の運航でこのように緊張を強いられることはない。結局アメリカも含め、この船をただのテストベッドとは見ていないのだ。
この状況が無事穏当に終了する事を、馬緤は願った。それを読んだかのような長澤艦長の声。
「そろそろですね」
艦長が艦橋の時刻表示と腕時計を確認すると、ソナー手が困惑した顔を向けた。
「ソナー感有り。七時の方向、距離約一万五千から二万五千。『うんりゅう』の沈降予定エリアですが、特異な音声のためもあり、測距精度が著しく落ちています」
「特異な音声とは?」
艦長が真顔で問い返す。馬緤はああ、と思った。
だんだん分かってきた。この人がこんな顔をしている時は、何か面白い事が起きると予測しているのだ。
ソナー主はこれ以上できないほど眉根に皺を寄せた。
「歌が聞こえます」
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