珍兵器歓談・補欠転生

 地味な架空機です。

 そしてたまにはアメリカのメカを扱ってみようかと。


***************************


 1943年。陸軍航空軍(USAAF)の司令官ヘンリー・アーノルド大将は、苦虫を噛み潰したような表情だった。

「キングめ、勝手な事を言いおって」

「この件はキング提督のご意向なのでしょうか?」

「知らんよ!」

 傲岸不遜で知られるキング提督に負けないほどの理不尽である。

「海軍にはそこら辺のB-32でも食わせておけ!」

 とアーノルドが怒鳴ったとか、怒鳴らなかったとか。


 米陸軍航空の新長距離爆撃機計画プロジェクトA。

 応募した4メーカーの案から、ボーイングのB-29とコンソリデーテッドのB-32が試作へと進むことになった。その中でも性能でも優越し、進捗も順調なB-29が本命と見なされていた。

 アーノルドとしては、このB-29を、その高性能によって、陸軍航空軍で対日戦を決定づける物になると考えていた。

 これに対し海軍は、本土爆撃による日本の屈伏には疑問を呈する一方、機雷敷設作戦の為にB-29を借りたいと申し込んできたので、アーノルドは怒ったのである。

 そこでアーノルドと陸軍航空軍は、中高度用爆撃機として採用しB-24を更新しつつあったコンソリデーテッドB-32を海軍向けの哨戒機に転用する事とした。

 これがPB5Yスーパープライヴァティアである。


 8月初頭、対馬海峡で機雷投下を行うPB5Y部隊。日本の航空部隊は本土決戦に供えてか息を潜め、攻撃に出る気配がない。無事任務を終えるかと思われた時。

 九州北部から三機の小型機が接近してきた。一万フィートは上を飛び、こちらを避けるかと思われたが、一転機体を閃かせて急降下してきた。

「何だあれは!」

 有人銃座から機長に畿内通話が飛び込んできた。

「奴ら尻を先にして突っ込んでくるぜ!」


***************************


 はい。みんな大好き『震電』ですね。この世界では少し開発が順調で、三機の武装した増加試作機が初の実戦出動をしたのです!

 ま、これ以上語ると主役が変わってしまうので、それはここまでに。


 なお史実では、戦争も終盤となるとB-29はその数が揃ってくる一方、日本の主要都市を爆撃し終えてしまい、運用に余裕が出てきたため、海軍に協力して機雷を空中投下で敷設するようになったのです。


 さて。


 コンソリデーテッドあらためコンベアのB-32ドミネーター。

 B-24の高アスペクト比な(細長い)主翼と双垂直尾翼を受け継ぐ一方、与圧室を装備するために胴体を円形断面とした機体。

 当初のプランの時点でボーイング案(後のB-29)が最優秀となり、こちらは保険扱いだったようですが、初飛行こそ先んじたものの、与圧室や無人銃座にトラブルが続いたりして開発が遅れていきました。

 結局どちらも放棄して中高度向けの爆撃機に。なので排気タービンも外されました。

 さらに双垂直尾翼も廃止され、試作機ではB-29の尾翼を貰うという屈辱(多分)を味わい、最終的には遥かに背の高い独自の尾翼を付ける事になります。

 あげく戦争終結によって生産は大幅に縮小。軍に配備されたのは計118機で終わりました。完成した機体はあと12機あり、生産中のものもありましたが、終戦と共に全てスクラップとなりました。不遇です。


 ボートのF4Uコルセアに対するグラマンF6Fヘルキャットのように、先んじて実用化すれば逆転のチャンスもあったと思うのですが、保険の方が開発も遅いのでは勝負ありですね。

 まあこれは設計が一世代前だったB-17に対し、最新だったB-24が増産と改善に猛プッシュが掛かり、コンソリデーテッド(コンベア)の設計陣が手いっぱいだったこともあるでしょう。対するボーイングはその次を狙って必死でした。


 ただB-32も、遅ればせながら終戦間際には太平洋方面で実戦配備されました。B―24の代替としてですので、戦略爆撃ではなく戦術爆撃が主任務となります。とはいえB-24にしてからが港湾や油田など、最前線ではなく後方のインフラ爆撃を多く行っておりますので、こういう用語は無いのですが戦域爆撃機、という所でしょうか。

 日本の降伏発表後、八月一七日に沖縄から偵察に飛行したB―32が日本軍の戦闘機に迎撃され、太平洋戦争最後の日米空戦として歴史に名を残したのが、数少ない足跡と言えましょうか。その迎撃陣の中に『大空のサムライ』坂井三郎がいたらしいことで、ミリタリー方面では有名な空戦ですね。


 B―24からの伝統である双垂直尾翼は、プロペラ後流の中に尾翼と方向舵を入れる事で(特に一部エンジンが停止した際などの)効きを確保するためです。

 それが廃止になったのは、僅かな工作の誤差で取り付け角が異なる事が、機体の蛇行を招いたためとも言われます。

 どちらが先か分かりませんが、B-24の海軍哨戒機版(改良型)であるPB4Y-2プライヴァティアも背の高い単垂直尾翼になっています。

 またコンベアの次回作B-36は、初期プランの時点で双尾翼から単尾翼に変更になっています。

 ほぼ同時期にコンベアは双尾翼に見切りをつけた感がありますね。

 ちなみに単尾翼化した事でかなり軽量化できたようです。


 一つ気になるのは、全長に対して全幅があり過ぎるのではないかという事です。

 飛行機の主翼は、強い後退翼が与えられてないかデルタ翼でない限り、もし垂直安定板が無ければ、空気抵抗の一番小さい方向に……主翼が前後を向こうとします。胴体が横向きになっちゃいますね。

 垂直安定板が小さすぎても直進安定性は落ちますし、胴体が短すぎる場合も同様(てこの原理ですな)。PB4Y-2とB-32があんなに大きな単垂直尾翼になったのは、そういう事ではないかと。


 で、関係ある機体の全長と全幅の比率を比較してみました。

 B-32は全長が25.32mで全幅が41.15mだそうですから、その比率は0.6153。

 B-29は30.18mと43.04mで0.7012。だいぶ違いますね。

 B-24系統は、だんだん全長が伸びていきます。

 A型は19.43mと33.53mで0.5794。

 M型は全長が20.47mになって0.6105。

 PB4Y―2は全長が22.73mで0.6779。

 やはり安定性との関係でしょうか。


 B-32ももう少し全長を長くすればもう少し小さな垂直尾翼で済んだかもしれません。ただ延長すれば重量増になるので、B-29のような細い胴体にすればなお良いでしょう。

 などと素人に言われるまでも無く、B-36はB-29のような(相対的には)細長い胴になりました。ちなみに全長49.4m、全幅70mとの事で、比率は0.7057。ほぼB-29と同じです。そして垂直尾翼はB-32よりB-29に相似な(もちろん大きいですが)形となりました。


 余談ですが、P-51マスタングをベースにした双胴の戦闘機P-82ツインマスタングが、実際には胴体を延長するなどして共通箇所がとても少ないのも、安定性を増すためでしょう。

 そうなると、Bf-109をそのまま双胴にしたBf-109Zは、方向安定性に難があったのではないでしょうか。まあそもそもこの機体については、実際に飛行したかも定かでは無いようですが。

 あーでもHe-111Zの場合、安定性が悪かったという話も聞かない(というか、良かったらしい)というのがありまして。困った。まあ外翼の後退角が安定性をもたらしたと考えておきましょう(汗)。


 B-32は、日本語のまとまった資料があまりない機体です。大内健二氏の『忘れられた軍用機』がまだしも新しい文献でしょうか。

 『世界の傑作機』に登場する可能性は今後も無いでしょうが、さりとて『駄っ作機』の方にも登場していないようです。まあ駄っ作というほど失敗作でもなかったからですかね。いや、これからかもしれませんが。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る