第110話 女神殺すべし

 それから数日。颯太そうたは領主であるカレンの館でキンメリアの復興政策についてプレゼンを行うこととなっていた。


「――さて、莨谷先生。村でゆっくりなさっていたようですが、遠征の準備は進んでましたか?」


 機嫌の良さそうなカレンを前に、颯太そうたは穏やかに微笑みを浮かべた。

 ――楽しそうだなあこいつ。

 ――俺を村から引き離して自分のところに取り込む算段でもつけてるのか?

 所有されるのは嫌いだ。所有するのも同じくらい嫌いだ。


「ええ、キンメリアの復興プロジェクトについて、大枠で固めてきました。エルフの村の運営に関する引き継ぎもあったので少し時間がかかりました」

「どのような方向性で?」

「女神から提供された地理データによれば、キンメリア地下には磁鉄鉱の鉱脈があります。これがハーバーボッシュ法の安価な触媒として有用なので、ハーバーボッシュ法をこの世界で広めながらキンメリアの磁鉄鉱を抱き合わせで売りつけます。メンテナンス技術、そして一番必要なコアパーツ、この二つを使ってキンメリアに新しい産業を興します。錬金術師あたりに誘致活動を仕掛けたいのですが、これを聖女様にお願いできればと」

「成程……結構。家臣が優秀で私も領主として鼻が高いというものです」


 所有されるのは嫌いだ。所有するのも同じくらい嫌いだ。

 ――異世界に来てまで社会か?

 とは思ったが、村長としての立場が、それに犯罪組織の長としての立場がある。今は従うしか無い。颯太そうたは分かっていた。


「先生?」

「どうした?」

「なんだか不機嫌ですか?」

「忙しくて疲れているだけだ」

「村や麻薬の仕事から手を引いたら良いのに」

「ただの政治家をやってるだけの俺なんて面白くもなんともない」

「才能を発揮するだけが生き方とは思えません。ただの政治家なりに、自分の手に収まる範囲のことだけやっていくのも幸せだと思いますよ」

「幸せか」


 ――もし病気で倒れずに生きていればそういうものもあったかもな。

 颯太そうたはぼんやりと考える。

 ――ただのつまんねえ先公やって、適当なところで親のすすめで結婚して、そういうのもまあ悪くなかったよなあ。病気さえなきゃ。


「そうですよ。人を殺さなくても良いし、麻薬を売らなくても良い。そういう人生を、この世界で求めたって良いじゃないですか」

「お前のいう通りだな。けど、それをやったら女神様のご希望には添えないだろ」

「そんなに女神様が大事ですか?」

「そうだな」

「もし女神様に出会わず、病気でも倒れなかったら、先生は……」


 カレンはどこか投げやりな口調で颯太そうたに問うた。


「先生は、私を選んでくれたのでしょうか」


 颯太そうたは思い出す。

 ――学校って場所はクソみたいだった。

 ――教師とかいう連中が偉そうなのが特に気に食わないし、自分がその偉そうな連中の一員ってのが最高に無様で、最悪だった。

 ――だったけど、まあ生徒って奴らは悪くない奴も居た。

 ――烏丸花蓮は、特に、悪くない生徒だった。


「お前なら間違いなく、あっちでも俺に本気で付き纏ったんだろうな」

「はい!」


 幸せな生活について考えてみる。

 ――親のすすめで結婚するくらいなら、生徒に手を出してあいつらに嫌な顔させるのも悪くなかったかもな。

 颯太そうたの不機嫌がいくらか和らいだ。


「だったら、俺も負けてやれたかもなあ」


 ――そして今の俺は。

 アスギが背中につけた引っ掻き痕がじっとりと熱を帯びる。

 ――もう負けてやれないんだろうなあ。

 引っ掻き痕の熱を忘れさせるくらいに熱く、女神と繰り広げた虐殺が胸の中に浮かぶ。血の味だ。


「今からでも降参させてあげますよ、先生」

「やってみろ。今更真人間に戻せるつもりならな」

「先生を、私のものにします」

「やめとけやめとけ」


 ――じゃないといつか殺しちまう。

 もう、血の味を覚えてしまったのだから。


「……ところで先生、ヌイちゃんは?」


 ――急に話を変えたな?


「ああ……彼女は村の守りと国境付近の調査に動いてもらっています」

「あら残念、あの子に会いたかったのに」

「しばらくは会えないかもしれません」

「キンメリアには先生お一人ですか?」

「いえ、エルフの村から護衛を一人連れて行こうかと」

「アスギとかいうエルフの女ですか」


 カレンは殺気立った気配を隠しもしない。


「ま、ほら、しな。色々と」

「エルフが我が領地の高官の居室に入り浸っているのはどうかと思いますよ。なんでしたら人材をつけましょうか?」

「結構、俺にとってはエルフこそが力の源だからな。がっかりされたくない」

「奴らは自分の利益しか考えない野蛮な連中です。お忘れなきよう」

「野蛮だが、澄ました顔で汚いことする人間どもよりはいくらかマシだ」

「先生、嫌い憎い以外に何かないのですか」


 少し考える。

 ――ごまかそうと思えばできる。

 それは分かっていたが、それをするには、颯太そうたはあまりにもカレンのことが好き過ぎた。


「無いよ。あっちに居た頃からずっとな」

「じゃあ、私たち生徒のことは――」

「お前らはマシだった。救われたよ、お前たちに」

「私は」

「お前は特にマシだったよ。お前と居ると、まるで俺が良い先生みたいでさぁ。だからこっちまで追いかけてきた時は悲しかった」

「救えないのですか」

「俺は救われちまったんだよ、あの女神様に」


 カレンは大きくため息をつく。

 颯太そうたは気のいい雰囲気の笑みを浮かべて彼女に背を向けた。


「さ、俺は行くぜ。まあキンメリアの復興は任せてくれ。市街地の防衛は素人だが、連合軍の将官に任せよう」

「……後で追いかけます」


 部屋を出ていく颯太そうた

 一人残されたカレンは深くうつむいて。


「……殺すか、女神」


 そう呟いた。

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