第107話 化学肥料とハーバーボッシュ法について勉強しよう!

 その日の夜、村長宅の執務室を教室にして、久しぶりの颯太そうたの授業が始まった。


「サンジェルマンの死のどさくさで手に入った機械やデータで、色々便利な物が作れるようになった。この村における小麦の栽培に役立てようとおもう」


 と、颯太そうたは二人の少女に前置きした。嘘はついていない。


「便利なもの、ですか?」

「化学肥料だ」

「カガクヒリョー……」

「ああ、そういうことね。植物の栄養を錬金術で合成するんだ」


 ヌイは首をかしげたが、アヤヒは何か納得したようにうなずいた。


「ああ、そういうことだ。アヤヒの言う通り、やつの残した技術で肥料を作れる。しかも実験室でな」


 今度はアヤヒも首を傾げた。


「肥溜めじゃなくて? 実験室で作ったらすごい臭いになりそうだけど」

「ああ、まあ、臭いは少しするが……それでもんだ。多分肥溜めよりはずっとマシだぞ」


 それを聞いてアヤヒは目を丸くした。


「空気!? 私たちが吸ってるこれ!? ちょっと待ってちょっと待って。それは話が飛躍しすぎてよく分からないよぉ!」


 アヤヒは楽しそうな顔だ。ポカーンとしたまま颯太そうたの顔を眺めるヌイと違って、明らかに話を理解している。


「アヤヒ、お前には元素表について教えたな?」

HHeLiBeBCNOFNeすいへーりーべーぼくのふね、でしょ。山羊とか羊とおいかけっこしながら少しずつ覚えてるよ」

「アヤヒ、空気の中に存在する主な原子って分かるか?」

酸素Oが約二割、窒素Nが約八割、他のものが本当にちょっとずつ」

「良いぞ。しっかり覚えているな。そのんだ。けど空気の中にある窒素は、植物も栄養にできない」

「だから空気を肥料に変える方法が必要ってこと?」

「そうだ!」


 盛り上がる颯太そうたとアヤヒ。ヌイだけが首を傾げていた。それに気づいた颯太そうたは簡単にまとめた。


「要するに、空気の中にある栄養を植物に吸収できるように加工します。俺とアヤヒがドワーフの村で水から毒を抜き出したように、今度は空気から栄養を抜き出すって訳だな」

「あ、あー……! あのイメージですね。毒だけじゃなくて栄養も、できるんだ……すごい……なんで? そんなことできるんですか?」

「それは私もわからないけど、ソウタができるっていうならできるでしょ」

「それはそうですね」


 颯太そうたは二人に向けて頷いてみせた。


「はい、まずはこれがサンジェルマン伯爵の居城から持ち出した“ルテニウム/酸化プラセオジム”触媒。これがあると空気の中の窒素が取り出しやすくなる。ご家庭にルテニウムが無い場合は鉄鉱石でもいいぞ」


 そう言って、颯太はサンジェルマンから提供された小瓶を取り出す。中には黒っぽい色の細い棒が何本も入っていた。見た目にはお線香というのがしっくり来る。


「ぷらせおじむ? しょくばい?」

「ちょっと待ってソウタ。なにそれ。触媒はまだ分かるし、鉄鉱石も分かる。けどそのぷらせおなんたらって何?」

「極薄いルテニウムを酸化プラセオジム表面に固着させているんだ。俺も金属の扱いは専門外なんだが、話によればルテニウムの薄い層を酸化プラセオジムの表面に塗りつけることで、ルテニウムが高温高圧下塩基性条件下で安定して触媒としての機能を発揮するらしいんだよな。で、酸化プラセオジムの塩基性が高いお陰で窒素の三重結合を解除しやすいっぽいんだ。すっげえよなあ、サンジェルマンの錬金術。科学力だけなら俺の故郷よりも進んでるぜ多分。俺も正直良くわかってない。触媒性能が高くて、俺が知っている故郷の技術を使うよりずっと簡単に今回の化学合成ができるようになることしか知らん」

「アヤヒお姉ちゃん。後任せました。すやぁ……」


 ヌイは机に突っ伏して全てを放棄しようとした。

 アヤヒは彼女の首ねっこを掴んで引き起こした。


「ヌイ、寝るな。私も分からないんだぞ。私より分からない顔してくれる君が居ないと、ちょっとこの先自信が無い」

「やめてくださいお姉ちゃん。ヌイはもうだめです。話を理解できません」

「ごめん。プラセオジムだのルテニウムだのは俺も専門外だ。俺の専門は有機化学で、金属じゃないからな……忘れてくれ。とにかく便利なアイテムをぶんどってきたという話だ」


 ――やっぱり少し分かりにくかったな。

 好きな話をするとやっぱり早口に、しかもわかりにくくなるのは颯太そうたの弱点だ。

 ――希ガスとか希土類とかの話はもっと先だわこれ。

 色々話したくなってるのをぐっと抑えて、颯太そうたは話の要点だけを抜き出す。


「アンモニアを作るんだ。NH3、これは分かるな?」

「うん。アンモニアが肥料になるんだよね」

「ヌイは分かりませんが……」

「窒素と水素でできる臭い物質なんだ。虫刺されの薬にも偶に使う」

「成程? まったくわかりません」

森人エルフはアリに噛まれた時に家畜のおしっこをかけたりするんだ。それはアリの持つ酸の毒を中和する目的があるんだよ」

「えぇ……わざわざ……?」


 颯太そうたはコホンと咳払いをして、二人の会話に割って入る。


「ともかく、だ。そういった排泄物を堆肥にするのはヌイも知っているだろう?堆肥で作っている成分を、空気で作るんだよ」

「今回の場合はアンモニアでしょ?」

「そうだ。アヤヒの理解で良い。純粋な水素はすでにサンジェルマンの根城から供給を受けている。今回は大気中の窒素と提供を受けた水素を高温高圧で反応させた後に気体として出てきたアンモニアを冷却して液体に変え、残った酸素や水素は循環させながらもう一度反応装置の中に投入させる」

「すごいことするんですね……」

「アヤヒ、反応装置はサンジェルマンの城から頂いてきたんだが、高温高圧・冷却・気体循環って同時にできるか?」

「できるよ。右手で炎、左手で冷気、あとは大気の精霊エレメントに口頭で命令すればいける。まあどれくらい複雑なことさせられるか次第だけど」

「すごいことするんですね……」

「ふふ。私、すごいからな」


 アヤヒは自慢げに胸を張った。

 その間に、颯太そうたは村長宅に女神とこっそり運び込んだアンモニア合成反応器、冷却器、アンモニア分離器を並べる。見た目には3つの金属の筒が並んでいるだけだが、これこそが村を、そして世界を変える魔法だった。


「とりあえずこの小型装置で試す」

「小型? 人の背丈くらいあるけど」

「肥料に使うなら最低限これくらいは必要なんだ。まずは試しに作ってみよう。アンモニアを一度作り出せば加工と保存は俺ができる。アヤヒ、お前がアンモニアの量産をできるかにかかっている。ここから先はお前に任せたぞ」

「オッケー、任せてよ!」


 アヤヒは胸をトンと叩いてニコリと笑ってみせた。

 ――さ、脱麻薬の第一歩といこうか。

 颯太そうたも、久しぶりに気分良く笑顔を浮かべた。


「その間に、ヌイはもう一つ別の肥料を作ってもらう」

「ヌイですか!?」

「ちょっとソウタ! 私を置いていくの!?」

「アヤヒ、お前にしか任せられないんだ……。実験自体はすぐ傍でやるから置いていったりはしないよ」


 そう言って、颯太そうた幻獣モンスターの骨とフラスコの中にたっぷりの硫酸を用意した。


「それは、なんですか?」

「肥料にも、色々種類があるって話さ」


 そう答えると、颯太そうたはニコニコしながら黒板にチョークで板書を始めた。

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