第63話 か弱いエルフの未亡人のエルフ空手が大英雄の思わぬ弱点に突き刺さるようです

「……さーてはじめていきましょうか天才サンジェルマン伯爵の異世界掌握リアルタイムアタック。まずやってきた異世界転移者の拠点を人質作戦で掌握し、もうだいぶボロボロになっている彼の心を真っ二つに折って諦めてもらいましょう。だって見ていて痛ましくなってきちゃいますからね。世界を救うとかそういう仕事は人間の手には余ります。そういうのは本当に人でなしの僕がやれば良いのでぇ……」


 傷ついた颯太そうたを小王都に残し、サンジェルマンは颯太そうたの治める村へと空間転移を行っていた。


「辺境伯の城を爆破する前に女神から聞いていたので知っています……あれが莨谷先生のお家です。未亡人の家で付かず離れずの関係、なおかつ娘とは一線を引いて純粋な信頼関係を育もうとしているとは……なかなか良い趣味をしている。僕は好きですよ。食事、性的嗜好、睡眠のとり方には生き方が出ます。彼の生き方、嫌いじゃないですよ」


 コン、コン、とノックを鳴らす。サンジェルマンは返事が帰ってくる前に扉を開けた。この男は他人の返事など意にも介さない。


「あら、どちら様ですか」


 アスギは急に部屋に入ってきた男を警戒するでもなく、ぽやんとした表情で問いかけた。サンジェルマンは微笑むと、単刀直入に用件を伝える。


「お嬢さん、私と共に来ていただきたいのです。莨谷たばこたに颯太そうたさんとの話し合いが必要でして」

「お、お嬢さん? ソウタさんのお知り合いの方ですか? あ、あの失礼ですが私は……」

「ああ、理解は求めていません。百歳にも満たない森人エルフなど、僕からすれば赤子のようなものということです。赤子に説明をしても迷惑なだけですよね。ただ大人しく人質に――」


 そう言って、サンジェルマンはアスギに近づいて、手をのばす。

 彼の手がアスギの手に触れた刹那、彼の視界は反転した。

 ――さて、不味い。何をされた?

 気づけばサンジェルマンは床に転がっていた。


「や、やめてください! 人質ってなんですかぁ!? 誰なんですかあなたいったい!?」


 アスギは震えた声で悲鳴をあげる。

 ――なんだ? この女が、僕を床に叩きつけたんじゃないのか……?

 アスギのあまりの殺気の無さに、サンジェルマンは迷った。それ故に、手ぬるい手段を選択してしまう。

 ――まあ良いだろう。魔術で眠らせればそれで終わる。

 サンジェルマンは太古の言葉を口にした。それはくぐもった音色の単調なリズム、なれど周囲に知覚できぬほどのスピードで、周囲に遍在する原子へと思念の伝導を可能とした。


【目視による対象指定を開始。生体内エーテリウムへ指示を行う】


 パチン、指のなる音。高いテノールの声で、原始の言葉が紡がれる。


【対象へのGABA(A)受容体を通じた脳神経脱分極を要請します】


 この世界における魔術とは、空中に存在する魔力、未発見原子エーテリウムを知覚・操作するプロトコル。そして原子という概念を理解するのは錬金術による智慧。それ故に、この世界で唯一の魔術を使いこなせる男。それがサンジェルマンだ。

 今、彼はその完璧な魔術でアスギを眠らせた筈だった。


「あれ?」


 起きている。アスギは怯えた顔で後ずさっている。

 ――エーテリウムによる干渉が、効いてない?


「ふ、不審者ぁ! 誰かーっ!」


 ――何故だ?

 眠りに落ちる筈のアスギは、声に構わずサンジェルマンに背を向けて走り出していた。


「人質を下手に傷つけるのも悪手か」


 サンジェルマンは手首に隠していた遠歩の宝玉テレポートジュエルを取り出し、床に叩きつける。視界がねじれ、次の瞬間には空の上。村外れの高い空の上までアスギごと空間跳躍を行った。


     *


「な、な、なんですかここぉ!?」


 サンジェルマンは悲鳴を上げるアスギを無視して、観察の為に時間を使う。まず足元のエーテリウムを流動させ、空中で一回転しながら体勢を立て直した。そして足場を安定させた上で、アスギの状況を改めて分析する。

 悲鳴を上げていたアスギの周囲には、精霊が次々と集まって、自由落下する彼女を彼女の意思と無関係に助け始める。


「成程、風の精霊エレメント、目測で数は三十前後。質・量、共に平均的な森人エルフが呼び出せるものを大幅に越えている。成程、莨谷たばこだに颯太そうた、女神にすら隠し玉を伏せていましたか。面白い、実に面白い。衰退した森人エルフの一族にもまだこれだけのスペックを持つ個体が残存していたとは」

「なんなんですかあなた!?」

「人さらいですよ。莨谷たばこだに颯太そうたを脅迫する為に人質が必要なんです」

「人……」


 ――本気を出せば瞬殺ですが、無傷での捕獲は無理そうだし、さっさとテレポートして逃げて、別の村人を攫いましょうか。

 サンジェルマンは、『人さらい』という言葉を聞いてアスギの目の色が変わった事に気づかない。100歳にも満たぬ小娘が怒ろうが怯えようが心底どうでも良かったからだ。


「それでは失礼、お嬢さん。運が良ければまた――おごぉっ!?」


 だがそれは不可能だった。アスギが突風で加速させた飛び蹴りを放っていた。

 仙丹コンバットドラッグで強化した肉体、そして皮下の流体金属装甲で防御してなお、重い鈍痛が内臓に響くエルフドロップキックだ。


「貴方が誰だか知りませんが……この村の子供を攫うつもりですね……!」

「今更その話する……? 最初に言ったような……」

「だったら……許せません!」

「なに!? 今になってなんだこの森人エルフ!?」


 思考速度の差だ。アスギの知的水準でサンジェルマンの話を聞くと、これくらい時間がかかる。とても単純な話だ。

 アスギは大気中の風の精霊エレメントを踏み台代わりにしながら、空中で加速を繰り返し、サンジェルマンへと掴みかかった。


「用途を単純化することで、無詠唱のまま大出力の精霊魔法を使う工夫をしている。全身戦闘用に調整された身体だ。単純な生活魔法で逆に苦労していませんか? 制御できませんよね?」


 サンジェルマンは掴まれたスーツを脱ぎ捨てながら不敵に笑う。脱衣は大好きなのだ。


「こ、答える義理はありません!」


 ――確信しました。この女、駆け引きのできるタイプじゃない。演技などではなく、ただおつむが鈍いだけですね。

 サンジェルマンは状況を理解する。アスギの魯鈍さも、すぐさま理解する。

 ――さりとて襲われ続けては空間転移どころじゃない。馬鹿なので説得にも時間がかかる。参りました。

 アスギを傷つけるのも美学に反するが、アスギを制圧しなければ、他のエルフを攫いに行くどころではない。サンジェルマンは自らが思わぬ袋小路にハマってしまっていることに気がついた。


「お嬢さん。見逃してもらえませんか? 震えている相手を苛めるのは趣味ではない。あなたとは戦いたくない」

「い、いやです! わ、わたしが、逃げたら……!」

「逃げたらなんです? 追いませんよ――」


 サンジェルマンは遠歩の宝玉テレポートジュエルを懐から取り出す。今度こそ逃げようと。

 しかしその時、無音でサンジェルマンの視界が回転した。

 今度は遠歩の宝玉テレポートジュエルを取り出した右腕がビリビリとしびれてた。

 ――何をされた? 最初の時と同じだな?


「娘を……守らなきゃいけないんです……!」

「おやまあ、噂には聞いていましたが、これは参りました。そうか、それは必死になりますよね。んふふ……まいったなあ」


 アスギの姿が一瞬だけ消え、サンジェルマンの目の前に現れる。


「逃しません!」


 アスギの両腕が再びサンジェルマンの視界から消え、正面、左右、上下、予備動作の見えない高速の打撃が次々放たれた。一撃一撃が龍の爪に相当する重い打撃だ。


「面白いですねえ」


 だがサンジェルマンは風に舞う枯れ葉のように、全ての打撃を受けつつ敢えて吹き飛ばされて、全身へのダメージを最低限に抑えていた。


「なんですこれ?」


 古典物理学と中国拳法を応用した魔法マジカル消力シャオリーだ。これによって得た時間を活かし、彼はまた考察にふける。

 ――エーテリウムに依拠する魔術の無効化、一時的不可視、予兆の無い投げ技、風属性に特化した精霊魔法。

 ――そうでしたか。理解しました。全てを。


「実に、実に、面白い」

「な、なんで効かないの!?」


 ――良い質問ですねぇ~!

 その言葉によって、サンジェルマンの中で、学者としての説明欲と自己顕示欲が一気に湧き上がった。


「単純なことですよ。僕があなたの扱う術を理解したからです。姿を消した瞬間移動。腕が不可視になる寸前の肩の動き。風の精霊魔法を使った空気の圧縮による光の屈折ですね。空気を圧縮しながら同時に真空空間を作っている。最初の魔法防御は真空の作成によって、エーテリウムを遮断した結果だ」

「?」

「良いですかクソバカエルフ。あなたはその真空を攻撃にも使っている。真空空間ならば音速突破の拳を最小限の予備動作で叩き込める。実に面白い。面白い理屈だ。打突の軌道がもう少し複雑ならば、僕も防御対応が追いつかなかったことでしょう」

「私を馬鹿にするのは構いません、ですが村の子たちには手を出させません!」

「ところで格好良く空中で格闘戦している間に地面が近づいてきましたねえ。この速度で落ちたら死んじゃいますよ?」


 アスギがいくら強いといっても、戦士としての心構えができていない。

 ――だからこういうハッタリも効く。

 と、サンジェルマンがほくそ笑んだ直後。


「い、いや――――ああぁぁぁ!」


 甲高い悲鳴が途切れ途切れに聞こえた。違う。途切れたのはサンジェルマンの意識だ。いつの間にか地面は更に近づいていた。死にそうになっているのはサンジェルマンの方だ。


《メッセージ:酸欠による脳細胞の損傷を確認しました。『不老』スキルにより修復を行います》


「嘘でしょ?」


 これは真空発生のちょっとした応用である。

 周囲を飛び交う精霊と文字通り、力ずくで、サンジェルマンの呼吸器官内部から全ての気体を引き抜いたのだ。

 ――こんな切り札があるのになんで今見せたんですか!?

 天才に馬鹿は理解できない。


「なんで起きてるんですか! やめてください! 死にたくないんです!」


 アスギは泣きそうになっていた。


「死にたくないって言いながらすごい勢いで殺しに来ないでください! だったら逃げなさいよ!」

「じゃあ娘たちの村から出てってよぉ!」

「あはははは! ぐうの音も出ない正論だなぁ! ごめんなさいねぇ!」


 ケラケラと笑いながら、サンジェルマンは思考を止めない。

 ――いやー、思ったより僕の苦手なタイプの女だわこれ。

 地面が限界まで近づいてきた。二人はそれぞれに魔術と精霊魔法でクッションを作り、着地に成功する。


「笑わないでよ!」


 その瞬間、アスギは更に低くかがんで足払いを放った。

 着地の瞬間故に身動きがとれず、サンジェルマンの足首の骨が粉砕された。

 ――マジ? 流体金属装甲の上から? 僕の骨を?


「不味いな、これ」


《メッセージ:『不老』スキルにより肉体損傷に対する時間遡行を行います》


「大人しく――」


 体勢を崩したサンジェルマンに向けて、アスギは足払いに使った右足を高く上げて、そのまま踵落としを放つ。


「――してください!」


 それは尋常の格闘技には不可能な重力と筋肉の存在を無視した連携攻撃。エルフのみが可能とする魔法と格闘技を組み合わせた異形の戦闘術。

 圧縮空気が人工筋肉としてロボット工学で利用されるように、風の精霊魔法を用いるエルフにとって、身の回りの気は全てが筋肉であり、同時に足でもある。

 それらを十全に用いたエルフにのみ行使可能な格闘技、エルフだ。


「ん゛っ!?」


 踵落としが肩に直撃したサンジェルマンはその一撃の重みに思わず膝をつく。

 ――肩甲骨が、砕けた!? 左腕が上がらん!


「うわああああああ!」


 気が動転したアスギが追い打ちを仕掛けようとしている姿を視認。

 ――不味い。これ以上時間をかけられない。


「少し本気を出します」


 サンジェルマンは詠唱無しで風の魔法を発動。

 精霊の介在なしに最小限の真空の道を作り、肉体強化魔法を使ってその真空の道に拳を通し、アスギと同じ原理で音速突破の右拳を放つ。

 はたして、がむしゃらに突撃したアスギの腹部へ、音速突破のクロスカウンターが放たれた。


「――ッ!?」

「死にたくなければ全力で防御してください!」


 吹き飛んだアスギに向けてサンジェルマンは叫ぶ。その間に体内の医療用ナノマシンによって、肩と足首の粉砕骨折を治療。彼は立ち上がって祈るように両手を合わせた。


「死は予防できても、治療はできませんから」


 大気中に0.00005%のみ存在する水素。その中でも0.015 %のみ存在する重水素。それらに対して、エーテリウムを通じてサンジェルマン自身が持つ強烈な意思エゴを叩きつける。すると、形成されたエーテリウムの力場の中で、重水素同士が融合することで、これまで重水素を構築していたエネルギーのが放出される。

 是則これすなわち


黄金アルス錬成マグナ


 それは非金属を貴金属へと変換する錬金術の奥義。

 原子を別の原子に変化させるという奇跡は、重水素を利用した核融合という形で結実した。龍の吐息に匹敵する超高熱と閃光がアスギを包み込み、エルフの森の一部を灰に変えた。


「……ざっと、こんなものですかね」


 煙がゆっくりと晴れる。白い灰に包まれた更地が現れる。そしてその真ん中に立っている女の影が見えた。

 ――出力を限界まで絞って正解でしたね。死なれると寝覚めが悪い。さっさと救護して連れ帰りましょう。

 サンジェルマンがそれに向けて歩き始めたその時、影がカラカラと笑った。


「残念だったわねぇ!」

「は?」


 サンジェルマンは首をかしげる。


「伯爵! 私たち、お互いに攻撃できないルールでしょ? 冒険終わった後に決めたじゃないのよ」

「……げ」


 そこに居たのはエルフの女ではなく、悠然と真紅の髪をなびかせる女神。

 赤の女王レッドクイーンだ。

 サンジェルマンの周囲の気温が一気に落ちる。比喩ではない。高熱を女神が吸収しているからだ。


「ここまでやったからには、私もガチで潰すから。覚悟なさい。サンジェルマン」

「ま、参りましたね……」


 ――想定より、少し早い。

 全身が、熱くなる。思考が乱れる。


《メッセージ:『不老』スキルによりアルコールによる神経鈍化に対しア譎る俣驕。陦後↓繧医k菫ョ蠕ゥ繧帝幕蟋九@縺セ縺》


 ――なんだ!? 何をされている!?

 久しぶりに、しかも突然に発生した酩酊に、サンジェルマンは思わず足をもつれさせてしまった。


「残念だよ伯爵」


 サンジェルマンは声の方を振り返る。

 気絶するアスギを抱えて、莨谷たばこだに颯太そうたが立っていた。


「俺たちはどうやら仲良くできそうにない」


 サンジェルマンがそれまでに見たこともないような顔の、颯太そうたが立っていた。

 ――女が絡むと……そういう顔するんですね。先生。

 それでやっと、サンジェルマンは自分が無防備に虎の尾を踏んだことを自覚した。

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