第60話 食えない男たち

「鰯の煮付けが懐かしい」


 翌日。サンジェルマンとの会食が予定されている日の朝。泊まっていた宿屋のルームサービスを使って三人は朝食をとっていた。

 流石に観光客向けの高級な宿屋だけあって、白いパンとベーコンエッグとトマトサラダ、ホカホカのコンソメスープ、それに新鮮な牛乳と淹れたての紅茶までついてくる。


「イワシの煮付け? 料理ですね。名前から煮込み料理と推測しますが」

「魚は嫌いよ、骨だらけですもの」

「骨まで柔らかいんだよ。お酢を使ってやればご家庭でも作れるぞ。俺は柔らかくして煮汁の染み込んだ奴を、白いご飯と食べるのが好きでな」

「む、ではフィルが作ってみます。教えていただけますか」

「ああ、鰯っぽい魚が手に入ったらな。楽しみにしてるよ」

「はい!」


 颯太そうたはパンの上にベーコンエッグを乗せ、口に運ぶ。ベーコンの塩味と卵の油が口の中でしみる。


「あ、私も食べる!」

フィルはマスターの為に作ると言ったのであってあなたに分けたりするつもりはありませんが……」

「はぁ?」

「だいたいあなた、またマスターの背中を引っ掻いて……」


 颯太そうたは食べていたものをせわしなく腹の中に押し込む。そしてすぐに本題へと戻った。


「さて、サンジェルマンとの交渉について、方針を共有したい。最優先事項だ」

「おや、殺すのではなかったのですか?」

「ああ、表向きは死んでもらう。それは最低限、絶対条件だ」

「……かしこまりました。それは人死を可能な限り回避したいというマスターの方針によるものですね?」


 颯太そうたは頷き、ルームサービスの紅茶を飲む。


「そうだ。フィル、俺は他の理事を騙すし、お前にも嘘をついた。お前を奴隷として扱わないと言いながら、これから酷い命令をする」

「承りました」

「このことは秘密にしてくれ。最低限、サンジェルマン伯爵は死んだことになってもらわないと不味いんだ」

「ご安心を。記憶領域から今の会話の記録を消去できるようにしておきます」

「それでいい」


 ――それで、悪いのは俺一人だ。それで良いんだ。

 ひどく身勝手だが、それでもフィルを共犯者にしたくなかった。

 ――俺の共犯者はレンだけでいい。そして、人間らしい善悪の基準で裁かれるのも人間の俺だけでいい。


「自分一人悪党になれば良いと思ってるんでしょ」

「なるもなにも……とっくに小王都を焼き払った悪党だよ」

「あっそう。でも私だけは、あなたを悪者なんて言わないわ」

「……ああ、そうか」


 ――ありがとよ。女神様。

 女神はそんな颯太そうたの心の声まで読み取っているかのように、ウインクした。それでも、口では何も言えず、別の話を始める。


「それはさておき、要求についてはこうだ。まず最低限、サンジェルマン伯爵が死んだことになってもらう。次に優先すべき事項としてフィルのメンテナンス技術と設備を提供させる。可能であれば、フィルの後継機シリーズの用途について限定する。あとこれは俺の個人的な趣味の話になるが、奴隷の売買を徐々に縮小させたいし、非人道的実験も中止させたい。非人道的の定義はまだ決まってないけどな」

「そんな条件を受け入れるでしょうか」

「あいつがただの変態なら……飲む確率が高い。別にあいつの趣味にさえ立ち入らなければ良い訳だし。完璧でなくとも最低限の合意はとれる」

「サンジェルマンはただの変態だけど、他人に自由を奪われることを何より嫌うわ」

「そもそもただの変態なら我々ここまで苦労してないのでは?」


 ――確かに。

 颯太はうなずいた。女神もうなずいた。


「ともかく、人間以外の種族を半ば公然と売り買いする大貴族が堂々と農協シンジケートに加わられたら困る。そして、農協シンジケートの基幹システムになりうる技術をあいつ一人が握っているのも困る。ついでに、俺が持っている現代の知識や思想もあいつに先取りして実用化されると困ったことになる可能性が高い」

「あいつ……厄介ですね」

「優秀だったのよ? 魔術をこの世界に定着させたのは間違いなく実績だし」

「その優秀な奴が味方みたいな面していて、しかも実害の可能性が予測されるにも関わらず、現段階では敵と言い切れないから困るんだよ……!」


 動いても動かなくても損である。敵ならばいっそやりやすかった。


「だいぶ胃袋痛そうな顔ね」

「あいつなんなんだよマジなんなんだよ……倒せば良いだけ悪徳貴族の方がよっぽどマシだよ」

フィルの製造者がご迷惑を……申し訳ございません」

「フィルは悪くないから。大丈夫だから……」


 颯太そうたは頭を抱えた。女神はそんな彼の頭を撫でる。


「まあ相当頑張ったわよ颯太そうたは。即時開戦になったらサンジェルマンもなりふり構わず反撃してくる可能性が高いもの」

「大貴族様からのなりふり構わない反撃。聞くだけで肝が冷えるな」

「でも辺境伯とは違って、こちらのことを知って長期的に利用する気満々で近づいてきている以上、交渉の余地がある」

 

 ここまで来ればやるしかない。そもそもそれができる立場が欲しくて、颯太そうたは村長になったのだから。


     *


 そうして、やるしかない時が来た。

 小王都アヴェロワーニュで一番高いレストランの、VIPルームを、麻薬で稼いだ金と“水晶の夜”の名前に物を言わせて予約した。

 本来、エルフの村の村長ならば入ることのできない人間専用の高級店に、今この小王都を仕切る傭兵団の雇い主として無理やり押し込んだ形である。


「カジノをやろうかと思っています」

「カジノ、ですか」

「厳密には賭博全般ですね。パチンコ屋、競馬、そういったものを手広く。取締に関しては元の世界のパチンコ屋と同様に三店方式で換金可能にすることで、まあ言い訳をしておこうと」

「この小王都アヴェロワーニュで?」


 辺境伯城爆破をしてからこっそりと温めていたカジノ構想。

 颯太そうたはその概要を纏めた資料をサンジェルマンに提出した。


「新しく来る領主を上手く丸め込めれば、と思っています。それに爆破事件で観光客の足も遠のいてしまったでしょう。賭博産業を新しい目玉として、観光客を増やしていければと」

「競馬やカジノは他の町でもひっそりと経営されていますが、パチンコですか。三店方式というのは……」

「景品を別の店で現金化できるようにしておくことで、パチンコそのものは遊戯であって、賭博ではないという言い訳をする例のやり方ですね」

「ああ、女神を通じて聞いたことはあります。我々の元の世界において、あなたの故国ではそのようなやり方があると。領主を囲い込むことさえできれば可能でしょうね」


 サンジェルマンは氷岩魚オショロコマのムニエルを口にしてから白ワインを口に含み、バターソースと魚の淡白な味わいのハーモニーに甘酸っぱく僅かにしぶいワインの風味を添えて、その一体感に目を細める。


「ですので、新しく赴任してくる領主を取り込む手段が一つでも多く欲しい……というのが現状です。その為にもカジノ経営の既成事実、治安維持活動の功績、農村の取りまとめ、鉱山からの協力の取り付け、旧辺境伯全体の平和を維持したという実績が無くてはならない」

農協シンジケートがそういった実績を出せる組織ならば、新しい領主も無視はできない。その間に麻薬の生産流通を強化して王都を蚕食、女神の望む新しい秩序を構築する」

「はい」


 ――さて、どのタイミングで切り出すか。

 颯太そうたが迷っていた時だ。


「その為に、僕にどんな協力をしてほしいですか? 貴族、奴隷商人、錬金術師、そしてあなたの。どの僕に、何を頼みたいのか、そして見返りに何を用意できるのか」


 氷岩魚オショロコマの頭部を守る硬質の結晶は、氷に例えられる。

 彼らの前に供されたムニエルは、その氷の見栄えを重視して、あえて尾頭付きになっていた。


「私、小骨つまらないことは気にしないタイプです。遠慮なく、腹を割って、話しましょう。それが面白ければ――いただきます」


 そう言って、硬質の結晶を頭部につけたままのムニエルを骨ごと口に運ぶ。

 バキ、と音が響く。

 バリ、ボリ、ガキ、部屋中に結晶と骨を噛み砕く音が鳴り響く。


「あんた、趣味悪いわよ」


 その姿を見て女神は呆れたようにため息をついていた。


「骨、美味しいんですよ。ねえ、莨谷先生? 魚の身を骨から外すのも、骨ごと噛み砕くのも、楽しいと思いませんか」


 サンジェルマンはフィルを見て楽しそうに笑う。

 怯えた表情のフィルの手に、颯太そうたは自らの手を重ねた。


「それではこちらの要求をお伝えいたします」


 颯太そうたはカラカラになった口を潤す為に、あくまで穏やかな笑顔でワインを飲み干した。

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