第58話 薄汚い差別主義者共を暴力で“分からせ”よう!

 一週間後。フィルと変装した女神を連れて、颯太そうたは小王都を訪れていた。

 颯太そうたは人々が生きて歩いている姿に内心安堵し、女神は自分を讃える神殿を眺めながら満足げな笑みを浮かべていた。


「いや~、燃やし尽くさなくて良かったわね」

「……まったくだよ」

「偉いわよ、あんた」

「それにしても、小王都なんて聞きましたが、案外静かなものですね」


 フィルは不思議そうにきょろきょろと通りを見回す。

 町は平和だが、武装した人々が歩き回っており、物々しい雰囲気は消えない。


「静かかもしれないが仮初のものだよ」


 そう言って颯太そうたは周囲の様子を伺う。

 道を歩く武器を持たない人間たちは、ヒソヒソと何か囁き交わしている。

 今の彼らの口撃の対象は、見回りに出ていたハーフリングの傭兵だった。

 耳を傾ければ颯太そうたにも聞こえてくる。


「見ろ、遊人ハーフリングの傭兵だ」

「物を盗られるぞ。誰か騎士を呼べよ」

「取り締まる憲兵なんてもう居ないだろ」

「もうこの町はお終いだ。武装した亜人どもがあんな自由に……」


 その様子を見て、颯太そうたは彼らの方へと近づいていく。


「マスター?」

「少し待っててくれ」


 女神とフィルをその場に待たせ、颯太そうたはハーフリングを悪し様に言っている男の前に立った。丁度噂をしていた一団のリーダー格と思われる男だった。


「なんだあんた?」


 颯太そうたは目の前の男を見る。

 ――俺より少し年上か、もしかしたら同い年かもしれない。

 ――まあ丁度良いな。


「おい、邪魔だ。どけって……ぎゃひっ!」


 颯太は男の鼻先に拳を叩き込んだ。男が突然のことに驚いている間に、颯太そうたは腹に蹴りを入れた。崩れ落ちた通行人に追い打ちで蹴りを入れた。


「うっ!? うぅ……誰か……! 誰かこのイカれた男を傭兵団に引き渡してくれぇ! びゃっ!?」


 颯太がもう一度蹴りを入れると、男はサッカーボールのように転がった。

 今しがた蹴り飛ばされた男と話していた人々は、治安維持を行う傭兵の手前、下手に動けずに事態の推移を見守っている。なんなら先程まで悪罵していた傭兵にと言わんばかりの視線を送っている始末だ。

 ――さて、やってしまったな。

 幕が上がった。


「悪いな、レン」

「目立ちたくないわ。あとは任せるわよ」

「任された」


 一瞬だけ耳元で声が響いて、その場から女神の姿が消える。

 次に響いたのはフィルの声。彼は颯太そうたを守る為に真っ先に駆け寄る。


「マスター!?」


 先程から悪口と謂れなき罵倒に耐えていたハーフリングの傭兵も、慌てて颯太の行動を止めに入る。


「おい貴様! 何をやっているんだ!?」


 駆け寄ってきた傭兵に向けて、颯太そうたはまるで最初からそうするつもりだったかのように、懐から手紙を取り出して突きつけた。


「貴様じゃない。君の雇い主様だよ」


 元より童顔と言われる颯太そうたの丸い瞳も、今は一切の感情を外に見せない。ハーフリングは突きつけられた手紙に、自らの所属する“水晶の夜”の団長の印が押されていることをその目で確認し、悲鳴を上げる。


「だ、団長の手紙……!?」

「君、ここの駐屯部隊の責任者の下まで案内してくれるかな?」

「かしこまりました! し、失礼ながらお名前は……なんとお呼びすれば……?」

莨谷たばこだに颯太そうた

「タバコダニ様! 大変失礼いたしました!」

「いや、余計な仕事を増やしたのは俺の方だ。謝らせて欲しい。そしてもう一つ余計な仕事を。そこの男の応急手当をしてやってくれ。怪我が後に残るとかわいそうだからな」

「はっ、はい!」


 先程まで悪し様に言われた側が、悪しざまに言っていた側を慌てて治療する。

 その奇妙な光景と、それを生み出した男に、人々の視線が集中していた。

 颯太そうたは視線を一身に浴びながら、高らかに叫ぶ。


「イカれていると、思わないか」


 暴力という単純な恐怖が、それに躊躇いが無い男であるという印象が、非日常的な光景が、人々からヤジを飛ばす力を既に奪っていた。


「このように街の犯罪を監視し、怪我をした者の救護をする男を、悪しざまに言っていた君たち。そして気まぐれに人を殴りつけて無罪放免となっている俺」


 殴られた男と話していた者が石を投げる。控えていたフィルが石をキャッチして、投げつけた女に投げ返す。頬が切れた女は、甲高い悲鳴をあげてへたり込む。巻き込まれてはかなわないと、人々はその女から一気に距離をあけた。


「話の途中に石を投げる君も大概だな。ご両親もお嘆きだろう」

「ひ、ひ……!」


 女が逃げようとしたところで颯太そうたは表情を変え、怒号を上げた。


「逃げるな!」


 激昂しているとしか思えない表情を見てしまった女は、泣きながらそのままうずくまった。颯太そうたは先程と同じ感情を伺わせない表情に戻り、続ける。


「俺は、今は亡き辺境伯から一時的にこの土地をお預かりしているものだ。次の領主様がいらっしゃるまで、この町の平和を維持する役目がある。なにせ非常時だ。俺はこの土地の平穏を保つ為ならば人間もそれ以外も、区別しない。俺からすれば君たちは皆等しく弱く愚かな虫けらだ。そして俺は、偉大なる辺境伯のように君たちを慈しむ理由が無い。それ故に区別はしない。君たちは君たちの嫌う亜人のように理不尽に死にたくないだろう? 嫌いだものな。嫌いでなくとも、俺が必要だと判断すれば何時でも殺せる。忘れないで欲しい。さて」


 颯太そうたは群衆に向けて手をかざす。すると、まるで海が割れるようにして群衆が道を開ける。“水晶の夜”の駐屯地へと続く道だ。


「俺が君たちに何をして欲しいか。とても単純だ。人間であれ、それ以外であれ、この小王都で暮らす者は旅人を歓待し、商売を続け、日銭を稼ぎ、神の恵みに感謝し、粛々と冬に備えて静かに暮らせ。蓄えに余裕のあるものは貧しいものに分けてやれ。余裕のある分だけでいい。それだけだ。それだけの簡単なことができないからお前たちは愚かであり、俺は一々腹を立てねばならんのだ」


 それから近くにあった女神の神殿を指差す。


「要するに、世界を作り給うた女神に恥じぬ行いをしろ。以上だ、散れ」


 話したいことを話し終わった颯太そうたはハーフリングの傭兵の案内で、“水晶の夜”の駐屯所へと向かった。


     *


「そういえば人間たちの女神信仰って詳しくないんだけどこれで良かった?」


 と、颯太そうたが悪びれる様子も無く言い放ったのは、“水晶の夜”の小王都駐屯地で応接室に通されてからのことだった。


「教義の上ではマスターの言ったことはそこまで女神様の教えからはズレてないかと。女神の慈愛は本来この世界の全ての人に注ぐものであり、人間は人間以外の種族を人間の劣化版であると解釈しているだけですから」

「じゃあ安心だな。せいぜい過激な原理主義者としか思われないだろう」


 颯太そうたは安堵のため息をつく。


「素晴らしきお言葉でした……フィルは感動いたしました」

「お前を奴隷として使っている男の言葉だ。あんまり真に受けるな」

「ではフィルは世界一幸福な奴隷ですなー!」


 颯太そうたは憂鬱をため息に変えて吐き出す。


「あ、あの。さ、先程はありがとうございました……」


 彼らを部屋まで案内した先程のハーフリングの傭兵はおずおずと頭を下げる。


「つまらない仕事を増やしただけだろう。それ相応の金は払う」

「お連れの女性はどちらへ?」

「あいつは騒ぎを嫌う。放っておいても心配は不要だ」

「かしこまりました。もうすぐイグニス隊長がいらっしゃいます。もうしばらくお待ちを」


 それから、ハーフリングの傭兵はしばらく言葉に詰まる様子を見せてから、一つずつ丁寧に言葉を発する。


「……それと、ありがとうございました。幼い頃は掏摸すりの家で生まれ育ったので、こういう時に上手いことを言えないのですが、胸がとしました」


 颯太そうたの口元が緩む。


「やる気が出てくれたなら何よりだ。今後も俺みたいな奴から町を守ってくれ」


 思わず傭兵の男は笑い声を上げてしまった。


「はい。それと、飢えて死にそうな子供が居たら何か恵むことにします。俺が子供の頃にそういう大人が居てくれたら……って思ったんで」

「そうか……それは良い。とても良い。嬉しいよ」


 颯太そうたの言葉に、まだ年若いハーフリングの傭兵は、はにかむように笑った。

 そんな時、部屋の扉をノックする音が聞こえる。


「失礼します」


 眼鏡をかけた鋭い目つきの男が入ってくる。

 紫色の瞳に、褐色の肌。赤と黒の折り混ざる洒脱な礼服。颯太そうたにはどことなく見覚えのある顔つきだ。


「“水晶の夜”小王都アヴェロワーニュ方面部隊・臨時部隊長、王国北部に展開する第七軍副軍団長、イグニス・ブレイズです。ようこそお越しくださいました。小王都に駐屯する部隊の長として、皆様の来訪を心から歓迎します」


 ――ヌイの父親、だよな。

 颯太そうたは立ち上がり握手を求め、互いの手を固く握った。

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