第32話 こちらは女神の加護を受けた聖なるニトログリセリンです②

 離れに戻ってきた颯太そうたを女神が出迎えた。彼女はニヤニヤ笑いながら颯太そうたの頬にお帰りのキスをする。

 ――今日は何時になく機嫌が良いなこいつ。


「お帰りなさいソータ。今日はどんな悪い相談をしてきたのかしら?」

「辺境伯を殺す」


 その話を聞くと女神はパッと表情を輝かせた。とても、嬉しそうに。

 ――知っていただろ?

 とは言わない。どう転んでも手を汚さなくてはいけないのだ。そしてそこまで颯太そうたを追い込んだのは女神ではない。


「ついにそれらしくなってきたわねえ」

「今ならお前の気持ちが分かるよ。人ってのは愚かだ。どいつも、こいつも、俺も。最初にお前の言った通り、殺したほうがよっぽど早かったのかもな」

「でも、んでしょう?」


 相変わらず嬉しそうな声だった。そして、颯太そうたはそんな彼女の笑顔が嫌いではなかった。


「……はっ、だろうが。それにな、俺はまだ俺自身に見切りをつけるような年じゃあないのさ」


 女神はもう一度、颯太そうたの頬に唇を寄せた。


「素敵。でもどうやって戦うの? 辺境伯、人間にしては強いわよ?」

「知ってるのか? 教えてくれ。方法の話はそれからだ」


 女神は眼鏡をかけると空中に映像を投映する。

 辺境伯の住む小王都の、小高い丘の上にある彼の城だ。


「館の周囲には呪いや魔力投射に備えて常時三十層の魔術障壁が張り巡らされている。暗示を使って飼いならされた幻獣……ワイバーンが少なくとも二十匹は飛び回って監視しているし、地上には辺境伯お抱えの正規軍が控えている。しかも用心深いからね……常にエルフの精霊術士とドワーフの戦士を護衛につけてるのよ。更にあいつ自身も精髄吸収の魔剣を持っている。精髄吸収の魔剣……すなわち、周囲の生命体の命を問答無用で吸い込む金色の魔剣“騎士の黄金ナイトオブゴールド”!」

「……やけに詳しいな?」


 そう聞かれると、女神は気まずそうな顔で視線をそらした。


「じ、実は~……精髄吸収の魔剣……人間に分け与える為に取り外された惑星開発用複合元素固定装置おりじなるなわたしのパーツで……できればその、と、とりかえしたいなあって……」

「おまえ……おまえ……! ああ分かった好きにしろ。手伝えよ」

「勿論よ! 今回は特別! なんでも言って! 魔剣の弱点も教えるから!」

「その辺りのデータは後でまとめて聞く。まずはこれだ」


 颯太はそう言ってフラスコの中に硫酸と、その硫酸から作っていた硝酸を放出して混ぜ合わせたものを作る。台座にフラスコを固定した。


「このフラスコを摂氏20℃に保て。それよりも高くも低くもするなよ。ミスったら死ぬぞ、俺が死ぬ」

「え?」

「硫酸触媒条件下でグリセリンを硝酸で処理すると、ニトログリセリンと呼ばれる爆薬になる。この原液は非常に危険なんだが、今回の合成では一緒に水が発生する。水と混ざっている分にはこのニトログリセリンって奴が案外爆発しづらい」

「グリセリンはどこに?」

「石鹸作りで集めた」


 副村長としての権限を使って、これまでの期間に合成されたグリセリンは全て颯太そうたが溜め込んでいる。


「つまりダイナマイトよね……?」

「それに似たものになるな」

「ろくに説明もせずにやばいもの作ろうとしているんじゃないわよ!」

「したろ、説明、今」

「したわね」


 不十分である。急である。突っ込まれる前に颯太そうたは話を続ける。


「それでお前にお願いしたいんだが、反応条件の制御を手伝って欲しい。お前が人々の認識を掻い潜ったりワープしたりする以外にどれだけ機能を持っているかは分からないが、フラスコの中の温度調整なら可能……だよな?」


 颯太そうたがさも不安そうな表情を浮かべると女神もムキになって叫ぶ。


「できるにきまってるでしょ! あたし、本来は大気や地中の元素を採取して合成することで色んな物を作るすっごい機械なんだからね?」

「できるんだな」

「勿論!」

「マジか? 完璧だな、やるぞ、スタート」

「心の準備時間頂戴よーッ!?」


 颯太はフラスコの内部に『放毒』のスキルでグリセリンと硝酸を発生させながら混濁させる。そしてフラスコの内容物が増えすぎると飲み干す。空になったフラスコの中に硝酸と硫酸を入れて、また最初から作業を始める。

 そうやって作業を繰り返しながら颯太そうたは女神に質問を続ける。


「ぶっちゃけ、ニトログリセリンってどれくらい運べる? 異世界から人間連れてきたり、瞬間移動を繰り返したりしてるから、ある程度はできると思ってるんだけど」

「今の端末あたしは本体に物資を持ち帰ったり輸送する為の端末からだだから、多少輸送するくらいなら大丈夫よ。ワープするだけならそんなに揺れないし」


 颯太そうたは安堵のため息を吐いた。

 ――なんとかいけそうだな。

 ――最悪、俺を抱えて空を飛んでもらうとかいう、相当間抜けな空爆になっていたが、流石に女神は高性能だ。

 女神に抱えられてニトログリセリンを吐き出す自分の姿を想像して、颯太そうたは苦笑いをした。


「まずこれから一週間この作業を繰り返して俺の体内に限界までニトログリセリンを溜め込む。次にお前がニトログリセリンを辺境伯の屋敷上空まで運ぶ。そして作ったニトログリセリンの全てを放出してそれを爆発させ続ける」

「あ、ダイナマイトで爆撃ね!」


 颯太そうたは首を左右に振った。


「厳密には違う。ダイナマイトではない。ダイナマイトに必要な珪藻土を集める時間が無い。俺が『耐毒』と『放毒』の繰り返しで純粋なニトログリセリンを作って、『耐毒』で体内に貯蔵しておく。溜め込んだものをお前に渡して、お前がワープを使って空爆だ。だからお前の化学薬品の保管運搬能力がとても大事なの」

「あ、そういえば麻薬の保管について相談した時にそういうことも話したわね」


 ――思えばあの頃はまだ平和だったっけ。

 過ぎ去った日々が眩しかった。


「したな……それで? できるのか?」

「まあ私とあんたのスキルって同じ規格で行使されるから、ある程度やり取りは可能よ。ほら、実質身体も心も繋がってる訳だし……一心同体的な、一蓮托生的な……」

「そうか助かる」

「塩対応ね」

「今は真面目な話をしているんだ」

「ごめんなさい」


 颯太そうたは女神の肩を叩いて、楽しい話は後でしようなと小さく囁く。

 それから元の話題に方向転換をして、再び話を続ける。


「最低でも二時間、可能ならば二十四時間、敷地も逃げる奴も集まる奴も全て吹き飛ばす。更地にすると宣言したからな、更地にする。。しかも魔剣の反応を追うことでだ」

「……えー? 私と私のパーツを使ったステルス爆撃?」

「何か問題があったか?」


 颯太そうたはまたニトログリセリンを飲み干す。甘ったるい味が口の中に広がる。彼のしかめっ面とは裏腹に女神は目を輝かせていた。


「素ッ敵~! それってすっごく神の怒りっぽいわね!」

「基準そこ?」

「それにどんな屈強な戦士のどんな防具でも二十四時間の爆発には耐えきれない! もしも耐えても視覚も聴覚も滅茶苦茶で戦えない!」

「まあ殺す気だし……」

「それにどんな魔術師のどんな杖でも爆発が続く限り乱れる魔力を収束させることができない! もしも攻撃魔術が撃てたとしても爆発で遮られるし、呪詛を返してもこの世界で女神として崇められる私に効く訳がない! ソータに呪詛が届く前の段階で呪詛返しバックファイアデッドよ~!」


 それを聞いた瞬間に颯太そうたの目の色が変わる。


「その意見は貴重だな。魔術対策も爆弾でできるのか」

「神秘濃度と物理エネルギーの掛け算ね。女神ダイナマイトは神秘も物理もすごいわ」

「ダイナマイトじゃないけどな。だが貴重な意見だったありがとう」

「こちらこそ愚かなる人類の選別ありがとう! 容赦なく殺せるわ!」


 ――本当に人間とは別の価値観で動いているんだな。

 少しだけ恐ろしかった。

 ――辺境伯の連中が愚かかも分からないが、まあ圧制者には違いない。

 ――村の連中を絞り上げて美味い汁を吸って、俺や村の生活を脅かし、あまつさえ殺すつもりならば、まあ俺も全力で殺しにいくだけだ。

 後悔は後でする。今はこの腹の底から湧き上がる怒りに全てを任せる。颯太そうたは決めていた。


「気に入ってくれたようで結構。お前には、地獄の底まで付き合ってもらうぞ」

「やだも~! あなたみたいな素敵な人、天国にも地獄にも行かせてあげないわ!」

「地獄にも行けないか」

「私が守るも~ん!」

「そっか……」


 ――運が悪かったな辺境伯。本当に、運が悪かった。お互いに。こんなやつに関わっちまったのがきっと運の尽きだったんだよ。

 ――可哀想だからお前は先に楽にしてやる。

 颯太そうたは合成したてのニトログリンをまた飲みほした。

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