第14話 奥さん、いけません
「なんでもしますから、私なりに」
食卓の上で指を絡めながら、アスギが幸せそうに微笑んでいた。
――待て、落ち着け、ここで安直に食らいつくと絶対にその関係を盾に取られて良いように使われてしまうに違いない。
――落ち着け、落ち着いて状況を考えよう。打開策を。
指先から伝わる温度で何もかも終わる前に、
「アスギさんは……綺麗だと思いますよ」
アスギは顔を赤くしてうつむいた。
「もう、からかわないでください……」
――ガチなのか?
――打算での誘惑じゃなくて、割と本気なのかこの未亡人エルフ……!
――ふしだらがすぎるぞ……!?
食卓は静かだ。
「いえ、ええと……」
言葉に詰まっている訳ではない。
――俺も好きかもしれない。自分より一回り年上の……未亡人。なんていうかこう、急に照れられると意識してしまうっていうか。勿論、入院している間ずっと我慢をしていたので俺自身が欲望の塊となっているのは事実だ。同時に村長のジジイの打算込みで俺を籠絡しようとしているのも事実だ。どうせ拠点はここになるんだし、素直に状況に流されてもさしたる問題は無い気がする。むしろここでそういう感じにならないと村の連中からスパイか何かじゃないかと疑われたり、女の誘いに乗らない玉無し扱いされる気がする。俺の故郷でも女の子の誘いを蹴る奴は浮気野郎とドッコイの最低男扱いだったからな。エルフ共は野蛮だ……だが野蛮とはいえ、顔が良い。顔が良いのは七難隠す。罠の匂いがしても、最初に毒を盛られたとしても、俺は……! 正直いける……!
などと、考えてはいた。まあ概ねろくでもない内容だ。しかしこんなことを考えながらも、行動としては沈黙によって却って誠実な印象を与えてしまっていた。
「本気で言ってくださっているなら……嬉しいですけど」
アスギはそう呟いてからまた黙り込んでしまう。
再びの長考だ。
――未亡人なので浮気ではない。これはあくまで大人の男女のやりとり。倫理的にアウトなところは一切無い。そうじゃない。落ち着け。この前まで死にかけてたんだぞ。この村の連中に殺されかけた事を忘れたのか? この村を拠点にするしかないのは女神との話し合いで分かっているが、良いのか? いや、良いわ。正直、こういうタイプのちょっと意思の弱そうな年上のお姉さんを一喜一憂させながら尽くされる毎日というのはなんというかこう非常に浪漫がある。それに他のエルフの連中が仲良くしようと言うなら俺とて別に殺されかけたことは水に流しても良い。むしろ、俺を殺そうとした連中が俺を褒め称えてるのは気分が良い。そういう観点からもアスギさんとそういうことするのはすごい興奮してくるよな。ダメだ冷静に考えてしまうと二重三重に興奮してきた……! 持ちこたえてくれ俺の理性……!
「真面目に考えると、色々大変だと思うんですよ。俺がいつまでここに居られるのかも分からないし、俺の身元がはっきりしてしまった時に、厄介事に巻き込まないとも限らないし、だから通りすがりが良いんです」
――あれ、なんか真面目に心配してるっぽくなってないか?
気づいた時にはもう遅い。
――美人と言って、冗談扱いしようとしたら黙り込んで、その気を見せられた時に相手を心配するような台詞をこぼす。
もう遅いのだが気づいてしまった。
――こういうのって、悪い男というやつでは?
そう、口先だけ格好つけた悪い男である。
「……通りすがりでも良いです。そうしたらまた母娘二人に戻るだけですもの」
「それは……」
――放置しておくには、気がかりすぎる。
――けど、そんな事いちいち口に出せる立場か? 通りすがりとか言っておいて?
「楽しいだけじゃないんです。楽なんですよ、
アスギがポツリと呟いた。
「楽?」
「ええ、ソウタさんが来る前に、色々あって、有りすぎたから、楽になりたかった。自分の弱音のはけ口が欲しいだけの、卑怯な女なんですよ、私。そうしたら、また皆の前でニコニコしてられるから。浅ましいですね」
「別に、誰だって楽になりたいでしょう」
「でもそんな下心でこんなこと言っているんだから、
「……俺も正直言ってこの家の時間は好きですけどね」
「あら、そうですか? だったら良かった……あ、そうだ。好きと言えば、ソウタさんお酒好きでしたよね?」
そしてグラスを二つ用意して、彼女は
「ああ……」
「お好きでしたよね?」
「ええ、まあ、かなり」
「思えば最初から貴方に何もかも押し付けていたんですよ、私」
「少なくとも、このお酒に関しては押し付けられたとは思いませんが。それ以外に何か?」
ミントのような香りとアルコールの刺激が喉を通り抜ける。
「最初に会った時、もし私があそこで倒れてないで逃げ出していれば、あなたを巻き込まなかったかも知れないじゃないですか」
「あの時点で俺の為にそんなことする道理なんて無いでしょう」
「いえ、どうでしょう。あなたが怖かったのはそうなんですが、少し、本当に少しだけ、夢を見ちゃっていた気がします。もしこの人が助けてくれたら素敵だなって。物語の王子様みたいじゃないですか」
アスギは一杯目をあっさりと飲み干した。
「ありがとうございます」
「王子様ってガラではないと思いますがね。そんな事言われると、照れますね」
「けどやっぱり、それって都合の良い役割を押し付けてるような気がして、話すほど、ソウタさんはそういうの嫌いそうだよなあって思って」
「……」
それはその通りだった。
――いくら不安に思っても、酒でも飲まないと、聞くこともできないんだな。
――不安なんだろうな。それに本当は繊細で、不安に耐えられない。弱い。
けれど、
「だから、せめて、あなたがここに居たいと思ってもらえるようにするには、どうしたら良いかなって……できることは何でもやろうと思ったんです。でも話して気づきました。これも勝手ですよね」
「そうですね。俺は誰かに何かを押し付けられるのは嫌いですが、誰かに何かを押し付けるのも嫌いです。教師の仕事もそんなに好きじゃない」
アスギは返事に詰まる。どうしたら良いのか分からなくなってしまったから。
しかし酒の力を借りた
「分かってます。アスギさんは怖いんですよね。他に居場所の無い俺を都合よく使おうとしていないかってところで怯えてる。俺が村にとって都合よく使えるかもしれない相手で、だけど俺が他人に何かを押し付けられるのが嫌いだって知っているから、内心俺が不満を貯めているんじゃないか怖くなる。不満を貯めた俺が爆発すると怖いと思って……いじらしい話だ」
アスギは素直にうなずいた。彼女も彼女で普段なら言えないようなことを酒の勢いに任せ、素直に喋りだす。
「怖かった……です。何時か怒らせてしまうんじゃないか怖くて。でも怖いだけじゃなくて、ソウタさんは良い人だってことも分かってきて、そうなると『じゃあ、この人を怒らせてしまったら、その時悪いのはきっと私たちなんだろうなあ』って思えてきて、そうしたらどんどん私たちが阿漕な事をやってるとわかって、どうやったらそれを埋め合わせられるかが分からなくて……」
「俺、アスギさん好きですね」
「へぇっ?」
――いや、まあ、確かに何を言っているんだとは思うが。
――悪くないのは事実だ。
「あ……の、恥ずかしいこと言わないでください」
「好きですね」
「な、なんで……!?」
「押し付けられるのは嫌いですが、頼られると悪い気はしないんですよ」
そう言って
アスギがテレテレと下を向いているのを見て、彼は確信した。
――分かった。俺はこの人のことが少なくとも嫌いではない。まあどっちかというと可愛い。頼ってくる相手は可愛い。教師なんてものをやっているから、そう思ってしまう。だとすれば、だ。
「もう一杯もらえますか? 楽しくなってきちゃって」
「え? ええ、今晩はもういくらでも……」
「ええ、夜は長いですからね」
――仕込みは十分、雰囲気を壊さずに切り抜ける算段はついた。
落ち着いて打開策を思いつく程度には、夜は長い。
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