第11話 煙草から殺虫剤を作って農作業を楽にしよう!

 明け方。目を覚ました颯太そうたは酔っ払った他の面々を家まで運んでからアスギの家まで戻った。そして、家の扉を開けようとした丁度その時だ。


「いってきます!」


 バタン、と勢いよく扉をあけるアヤヒと目が合った。

 勢いが良すぎる。やや怒っているようにも見えた。


「お……おう」


 颯太そうたは曖昧な笑みで挨拶。

 一方のアヤヒは露骨に気まずそうな表情を浮かべた。嫌っている訳ではないが、見られたくないものを見られた、という顔だ。


「……お、おはよう」


 それだけ言うとアヤヒはするりと颯太そうたの脇を抜けて駆け出していってしまった。遅れてアスギが家の中から顔を出す。


「あ、あら、ソウタさん戻ったんですね」

「ど、どうも。すいません。帰るのが遅れて」

「いえいえ! 村の皆さんと仲が良いのは良いことですから!」


 アスギは慌てて手を振って笑顔を作り、それから。


「……仲が、悪いよりは」


 ばつがわるそうにうつむいた。


     *


 颯太そうたはアスギと共に食卓を囲んだ。飲み会の後には麦粥キュケオーン。胃腸に優しい麦粥キュケオーンだ。


「うち、あんまり親子の仲が上手く行ってないんです」


 食事を始めると同時に、アスギはそう切り出した。

 颯太そうたからすれば、元の世界で散々聞いたような話題である。


「どこの家もそんなものじゃあないでしょうか? 別に言い合うことくらい、俺だってありましたよ。将来の夢の話とか」

「あら、どんな話を?」

「俺は錬金術師になりたかったのですが、親はそんなの良いから教師になれって」

「あらあら……じゃあ案外近いかもしれません」

「ですね」


 颯太そうたはニコニコ笑って、それからいかにもお茶目な顔をしてみせながら、アスギに尋ねる。


「まあ教師をやる前に、俺もこの家の仕事を手伝わなくてはいけません。何をしたら良いでしょう?」

「じゃあソウタさんには畑の雑草でも抜いてもらおうかしら。私、お家で粉挽きをしてますから何か有ったら呼んでください」


 颯太そうたの表情を見て安心したのか、アスギはホッとしたような表情を浮かべた。

 ――教師としての腕はそこまで錆びついてないな。

 教師の腕。彼の言うこれは、勉強を教えるとかでなく、表情と身振り手振りで相手の心理を誘導する技術だ。彼はそう教えられてきた。

 ――教師としては良し。次は、実験の手技が病気のブランクで落ちてないかだな。

 そう、雑草は、化学で消せる。


     *


 三十分後。朝の支度を終えた颯太そうたは畑に居た。


「おっ、朝っぱらから仕事か? 人間ってのは勤勉だな」


 聞き覚えのある声に颯太そうたが振り返ると、そこには煙草の葉をどっさり抱えたニルギリが立っていた。


「そういうお前こそなんだそれ?」

「タバコだよタバコ、こいつの煙でケシにつく虫を追っ払ってるの」

「ああ……タバコの葉。ニコチンを使って虫を殺してるのか」

「ニコチン?」

「タバコの葉の中にある虫を殺す薬。なあ、そんなに沢山タバコが必要か?」


 ニルギリはタバコの葉を抱えたまま、人懐っこい笑みで颯太そうたに近づいてくる。立ち話をしてサボるつもりだ。


「畑全体をいぶすって言ったらこれでも足りねえよ。それでも一つ一つ虫を追っ払うよりずっと楽だろ」

「あ、それ燃やして虫追っ払ってるのか?」

「そりゃそうだよ、虫なんて煙を嫌うんだから。町には虫が居なかったのか?」

「町中で煙を出す訳にもいかねえじゃん。薬を撒いてる家が多かった」

「こんなところまでそんな便利な薬を売りに来るヤツなんて居ないぜ。ドワーフの闇鉱山から偶に行商が来るくらいか」


 ニルギリは、やっぱり都会は良いなあとぼやいてからため息をつく。


「なあ、薬作ろうぜ。上手く行ったら代わりに草むしり手伝ってくれよ」

「ん~、良いぜ。お前はすごいやつだ。取引に応じよう」


 ニルギリは金の長い髪をワシワシと掻いていたずらっ子みたいに笑っていた。弓矢を向けてきた時とは、別人のようだった。


     *


 それから一時間後。

 颯太そうたは愛想良くペコペコ拝み倒してアスギから外出の許可をとり、ニルギリの畑に居た。既にタバコを原料とした簡単な殺虫剤は調合済みである。


「タバコは人の身体に悪い。なので虫にとっても悪い」

「タバコってマジで身体に悪いの? 女神レン様の植物なのに? 害虫だって追っ払ってくれるんだぜ?」

「エルフの身体は草木の成分に強いのかもしれないけど、他の種族には毒だな」


 既にここに来るまでの間に『耐毒』を用いて颯太そうたは確かめていた。

 こちらの世界のタバコの葉も、人体には猛毒である。調合中、実際に口にして確かめた颯太そうたの脳内にはしっかりと以下のようなメッセージが浮かんだ。


《メッセージ:『耐毒』が発動しました。ニコチンの効果とそれに伴う死を無効化します》

《メッセージ:『耐毒』の発動により、『耐毒』スキルが成長します。ランクC+からランクBに上昇しました》


 ついでに耐毒無しで摂取した際の効果の程度も分かるようになっていた。


「特に人間には良くない。大人でも苦しんで吐き出すし、この量を飲ませたら子供なんか最悪死ぬ」

「色々知ってるんだ。すげえな化学の先生」


 勿論化学の先生だからではない。


「まあな。で、虫にとっては勿論有害だ」


 それから颯太そうたは自分が持っているジョウロを指差す。

 中には茶色い水がたっぷりと満ちていた。


「ソウタ、マジでそのクサイ水撒くのか? マジか? 芥子けしがダメにならないか?」

「大丈夫だ。このジョウロに入った茶色くて臭い水は燃やしたタバコの灰を浸して薄めている。タバコの中に入っているニコチンは、植物には害はない。人間にも害が無い程度の少量だしな」

「ほへー、そんな簡単に作れるもんなんだな」

「ニコチンは水に簡単に溶けるから、取り出しやすいんだ。けど大量のタバコの毒がこの水の中に入っているようなもので、保存するのが難しいんだ。真似するなよ」


 濃度については耐毒スキルを用いて、舐めても《人間にはほぼ無害な濃度です》という表示だけが頭の中に浮かぶまで希釈した。

 成長したスキルの応用である。絶対に真似をしてはいけない。2020年において、ニコチンを農薬として使うことは禁止されている。


「分かった。じゃあ早速試してみるとすっか」

「花にはかけるなよ。花に集まる虫は殺すと不味い。しっかりと実を結んでくれなくなる」


 芥子けしの花畑を巡りながら虫のたかりやすい葉の部分に対して少しずつジョウロでタバコ水をふりかけていく。効果は覿面だった。葉っぱの裏に巣食っている虫や土壌で根をかじっているような虫が、プルプル震えながら地面に落ちたり這い出してくる。


「うっひょー! すげえすげえ! 魔法みたいだ! 潰さなくても虫って死ぬんだな!」

「虫や俺達の神経を動かすアセチルコリンって成分があるんだけど、タバコのニコチンはこのアセチルコリンとよく似た作用を発揮するんだな。人にはたいしたことのない量でも、小さな虫からすれば大量だ。大量のニコチンのせいで虫の神経が興奮したままになる。興奮しすぎた状態が続けば気持ち悪くもなるし、ニコチンの量が多すぎると今度は上手く神経が働かなくなって呼吸もできなくなる。虫を殺せるのはこういう理由からだな」

「ははっ! まったくわからん! でもすげえ! 頭いいんだなソウタ!」


 ニルギリが子供っぽい歓声をあげたその時だ。

 地面が揺れる。畑のすぐ近くの地面が盛り上がり、中から巨大な丸太のようなものが飛び出してくる。


「な、なんだありゃあ!?」

「に、逃げるぞソウタ! 村の自警団を呼ぶんだ! ワイバーンとは訳が違う! みんなであいつをやっつけて今晩は大宴会だぞ~!」

「お、おい待てニルギリ! こいつは……!? え、食うの? ちょっとまって食うの?」


 颯太そうたが振り返ると、ニルギリは真っ先に背中を見せて逃げていた。

 みんなであいつをやっつけるのであって、自分であいつをやっつけるわけではない。

 当たり前である。


「おいニルギリ!? なんなんだよこれ! どうすんだよ俺!?」

甲鱗虫ワームだ! 逃げろ馬鹿人間!」


 颯太そうたの目の前に居る怪物。

 それは緑色で、5mほどの体長で、鱗に覆われ角を持った蛇。

 すなわち、野生のワームである。

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