第19話

「はーい、これで大丈夫です、お疲れ様でした」

 ウェアラブル心電計のディスポーザブル電極を剥がし、糊の痕をアルコール綿で拭いて、蘭鰍あららぎかじかは言った。

「それでは、私はこれで失礼します、ありがとうございました、お大事に」

 そそくさと計測器を片付け、ぱたぱたと鰍は元気よく玄関を出て行く。

「……せっかちな娘さんだな。何なら朝飯くらい食べて行けばいいのに」

 誰に言うともなく、寝巻を着直しながら梅野松蔵が呟く。

「お忙しいのでしょうから、あなた、若い人に無理を言うもんじゃないですよ」

 台所に立って、味噌汁の具材を切りながらなずなが答える。

 その答えに、わずかな違和感を感じつつ、松蔵がなずなに言う。

「あんな機械を付けて寝たせいかな、おかしな夢を見たよ」

「どんな夢です?」

 今朝はサヤエンドウと豆腐の味噌汁のようだ、既に煮込んでいる鍋に、なずなは掌の上で切った豆腐を落とし入れる。

「良くは覚えていないんだが……昔の、あの沼のほとりに、俺とお前で居たのは覚えている。結婚した頃の年格好だったな」

「あら、そんな夢なら、私も夕べ見ましたよ。あなたと、泉の畔で……」

 振り向いて、そこまで言って、なずなは驚いて言葉を切った。

「……あなた……歩いて……」

「え……あ!」

 松蔵は、脳梗塞を患って以来、初めて、どこにも掴まらずに、今まで通りに寝床から起きて、台所に歩いてきていた。


「一体、何をやらかしたんで?」

 早朝の梅野家の玄関先で、わずかに聞こえる台所からの声に耳を澄ませていた河の市かわのいちが、鰍に聞く。

「別にぃ?ただ、アタシの大事なナイフを使わせてあげたんだもの、仮にも主の娘だったら、これくらいの奇跡は起こしてくれなきゃね」

 鰍は、腰のポーチから愛用のダガーを抜く。黒染めのダマスカス鋼に象嵌された銀が、朝日を浴びて鈍く光る。

 その有様を見て、くつくつと笑って、河の市が言う。

「そのつもりで懐刀をすり替えておいて、ヌケヌケとよく言いなさる……その物の言い様、本当に先代さんにそっくりだ」

「まあ、たまにゃ、このくらい、いいでしょ?」

「違ぇねぇ」

「じゃ、アタシはケアセンター寄って荷物返してから帰るから」

「あたしゃ、ちょいとお山に挨拶に行ってきまさぁ。お偉いさんと、先代さんによろしく言っといて下せえ」

「おーけー。じゃ、またね」

 まだ朝靄の煙る田舎道を、二人は別方向に歩き出す。次の仕事に向かって。

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