第7話
「はい、じゃあ、ゆっくり腰を下ろして下さい」
月曜の午前十時。デイケアの作業服に身を包んだ
「本当にいつも、ありがとうございます」
梅野松蔵の妻、梅野なずなが鰍を含むサポート員に礼を言う。
「いえいえ、これがお仕事ですから」
「いや、お若いのに大した力持ちだ」
謙遜する鰍に、松蔵が返す。
この老夫婦は、これから日課の散歩に行くという。松蔵は、調子がよければ出先で少し、公園の手すり伝いに歩く事もあるという。とはいえ、そこまでは車椅子を使わざるを得ず、お年を召した妻のなずなに車椅子を押させるわけにも行かず、ケアサポート要員が一人ついて行くのが恒例になっている。
「じゃあ、今日はその力持ちがご一緒しますので、よろしくお願いします」
鰍が車椅子を押し始める。近所を一回りして、可能なら公園で少しだけ歩いて、帰ってきたら風呂に入れる、それがいつものメニューだそうだ。
――その間に、何か聞き出せればラッキー、かな――
やるとなると真面目にミッションをこなそうとする、蘭鰍であった。
「そういえば、このあたりは以前は沼地だったって聞いたんですが」
マンション建設現場の横を通る際に、鰍はストレートに聞いてみた。
「あら、よく御存知で」
先に答えたのはなずなだった。丸顔、やや低めでやや丸めの体型の、美人ではないが愛嬌のあるお婆ちゃん、という感じのなずなは、
「そうなんですよ、このあたりは昔は沼がありました。旦那様、埋めたのは何年前でしたかねえ……」
「……もう六十年、いやもうちょっとかな……」
松蔵が口を開く。なずなと逆に、すらりとして長身、若い頃は相当浮名を流したと思える面影が、今でも残っている。
「お嬢ちゃんは知ってるかね、あの頃は岩戸景気ってのがあって、沼を潰して田んぼにして米をいっぱい作ったんだ……先代は、小作人にもっと多く田んぼを渡したかったと言っていたけれど、俺にとっては沼は遊び場でもあったから、哀しかったなぁ」
「先代、ですか?」
「ああ、自慢じゃないが、その頃はこのあたりはうちの土地だったんだよ。あらかたの土地はその頃の小作に売り渡したから、今はこのマンションの土地くらいしか残ってないがね」
松蔵の口は軽い。本当にその頃を懐かしむようだ。
「……丁度そのあたりだ、沼の水源の湧き水があったんだが……もうずっと前に枯れちまったし、今は地面の下だなぁ……」
松蔵が工事現場の中を指差す。その先を目で追った鰍は、そこが、ほんの二日前、自分と河の市を飲み込んだ心象念の、その中心である事を確認した。
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