第3話

 深夜の桶川。人家はまばらとは言え、間違いなく近所迷惑な排気音を響かせ、マンション建設予定地に大型バイクが停まる。

 気合いの入ったチューンを施されたカワサキH2、最新のニンジャの方ではなくてマッハIVの方、のエンジンを切って、黒ずくめのライダースーツを着込んだ小柄なライダーが降りるのを認めて、建設予定地の中、入口の鎖の少し奥に居た背の高い雲水坊主が振り向きもせずに声をかける。

「またずいぶんとけたたましいので来ましたな」

「急ぎだってから、夜学終わってからカッ飛んできたんだから。で、何がどうなってるの?」

 シンプソンのヘルメットを脱ぎつつ、蘭鰍あららぎかじかが聞く。

「そうですな。このあたりだって目星がついたのが夕べ、ここだってわかったのが今夜、あたしがこの錫杖を抜いたら奴さんが出てきまさ。どうやら相手は水物、それも相当な大物ですな。あたしじゃどうにも役不足でさ」

 建設現場の奥を見据えてまっすぐ立ちながら、河の市かわのいちが答える。口調は飄々としているが、言葉尻は力み、額には汗が浮いている。

「で、アタシは何をすればいいの?」

 ヘルメットをメットホルダにかけ、タンクバッグを開けならが鰍が聞く。

「奴さんが出てきたら、気を引いて、少し時間を稼いで下せえ。そしたらあたしがちょいと潜って、元栓を閉めて来まさあ」

「あとどれくらい?」

「もって三分!」

「OK!ちょっとだけ待って!」

 いいながら、鰍はタンクバッグから分厚いベルトを引きずり出す。老舗の革ジャン屋、KADOYAのバトルスーツ、それも特注品を着込んだ腰に、米軍放出品のガンベルト、右にレッグホルスター、後ろに巨大なナイフのシースの付いたそれをを巻く。レッグホルスターを腿に固定し、ガンベルトのその他の装備の位置を調整し、

「OK!いけるわよ!」

「そんじゃ、この現場を封じて下せえ!」

「はいよ!」

 景気よく応じ、鰍はガンベルトの左側の普通のシースから右手で両刃のダガーを抜く。刃渡り十五センチほどの、ハンドルに軽め穴が開いている、テクナのダイビングナイフのデザインを模していながらダマスカス鋼、チェーンを潰したようなまがい物ではなく、キチンと積層鍛造した鋼材をエッチングで黒染めした刀身に、鎬を中心に銀の象嵌を入れたそれが防犯灯の光を受けてキラリと輝く。

「アテー マルクト ……」

 鰍が呪文を震動させる。見える目を持っている者が見れば、きっと鰍の足下に魔法円が輝き、呪文を唱えつつ四方に向けてナイフを振る度、空中に光る五芒星が表れるのが見えたはずだ。

  これが、「協会」が鰍をことさら重宝する理由だった。人狼でありながら、いや、人狼であるからこそ、そのの強靱な体力を魔法に昇華する、「協会」でも鰍と彼女の曾祖母の二人しか持ち得ない特殊体質に所以する、希有な能力の副産物だった。


「いつもながら、たいそうな法力ですなあ!」

 玉のように額に汗しつつ、河の市がニヤリとして言う。

「まだまだばーちゃんの足下にも及ばないけどね!いいわよ!」

「そんじゃあ、いきますぜ!」

「はいよ!」

 河の市が、地面に突き立てていた錫杖を抜く。自然体で立ち、自然体で錫杖を持っていたように見えて、その錫杖から地面へ、地下へ法力を放っていたらしい。明らかに脱力した表情で、河の市は二三歩後じさる。

 一瞬の静寂。何も起こらないじゃないか、と思える数秒が過ぎる。

 鰍は、右手のダガーを左に持ち替え、空いた右手で改めて巨大なナイフ――ククリナイフに少しだけ似た、だが刃渡りが五十センチに達するような、もはやマチェットと言うべき、ブラックジャックナイブズのマルーダーMkII――を抜き、構える。

「知ってたら教えて!右と左、どっちが効きそう?」

「そうさな、七三で左ですな」

 だとすると、物理より魔力か。鰍は軽く腰を落とす。

 その時。建設現場が、沼と化した。

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