最終章

玄関を開けた。ドサっという大きな音がして、さっきまで濡れないように抱えていたカバンが床に落ちた。電気をつけようと一歩踏み出したところで、足に力が入らないのに気が付いて、膝をつく。

部屋が、暗い。

床に座り込んだまま、今は何時だったろう、と思う。腕時計をみようとするも、腕が上がらない。仕方なく自分の行動を思い返してみる。今日は、そうだ、終電を逃した。それで、仕方なく、歩いて、途中で雨に降られた。

ということは、まあ、だいたい、三時。

「っは、」

乾いた笑いが響いた。そうだった、今日もなかなかに散々な1日だった。それでも、帰っている時点で幾らかはマシだった。

携帯の通知音が響く。きっと今度の週末の出勤要請、そうでなければいつどこで登録したかもわからない企業からのダイレクトメールだろう。

画面を見ることもせず携帯の電源を落とし、天井を見上げる。

だめだ、もう、疲れた。

のろのろと立ち上がり、部屋の中を見渡した。

眼に映る全てが煩わしく思えた。部屋はもはや不要なモノに溢れていた。

そうだ、全部捨ててしまおう。どうせもう使わない。


机の上に置いていたものは軒並み手で払って床に落とした。

ここしばらく開けてもいないクローゼットの中身はハンガーごとゴミ袋に押し込んだ。

戸棚の引き出しは視線の高さまで持ち上げてそのままひっくり返した。

何かが割れたパリンとした音が、妙に乾いていて気持ちが良かった。


『すっきりとした』部屋を見て一頻り笑った後、呼吸を整えてふと思った。

このまま今日を終えるのはどうにも癪に障る。やはりここは一日の最後を飾るにふさわしい、最高の終わり方をするべきではないか。

そうだ、久々に車に乗ろう。4つの窓を全部開けて、猛スピードで駆けぬけよう。そう、私は風が後ろ髪をそよそよと撫でるあの感覚が好きだった。どうして今まで忘れていたんだろう!


思いついたらいてもたってもいられなくなり、水で濡れてうざったらしく纏わりついていたスーツを床に脱ぎ捨て、近くに落ちていた服を身に纏った。

どこに行くあてがあるわけでもない。なら、持ち物だって最低限のもので構わない。ほんの小一時間前まで大事にしていたはずのカバンを乱暴に漁り、車の鍵と財布を引っ掴んで外へ飛び出した。


街灯に照らされた道路をただひたすらに走る。かろうじて入っていたガソリンを酷使するようにアクセルを踏み、全開にした窓から入る雨粒で顔を濡らしながら髪を弄ぶ暴風に目を細めた。

気持ちいい、気持ちいい!こんなに楽しいのはいつぶりだろう!

大声で笑いながら夢中で走った。カーラジオから流れる全く聞き覚えのないアップテンポの曲に合わせてハンドルを切った。今や周りは知ってる風景ではなく、町の明かりも街灯の明かりも、月明かりさえ見えない山道であった。


ガソリンのメーターはもうほとんど0を示している。雨水で視界も滲んでよく見えない。髪も服も、ぺったりと張り付いて動かない。

でも、もう、そんなことはどうでもよかった。どうしてもブレーキだけは踏みたくなかった。もはや走るということ以外、何も考えられなかった。どうしようもなく、最高な、最低な気分で、アクセルを踏み込み、


ガードレールを突き破った。



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