Ⅱ 征服者
あなたたちは偶像を造ってはならない。彫像、石像を立て、それを拝してはならない。私はあなたたちの唯一の神だからである。
あなたたちは私の像を立て、文言を守り、私を敬いなさい。私はあなたたちの主である。
エゼル記 第8章 第3節
フィルシーは振り向く。そして……
黒い花。彼女の視界が捉えたのは、そう形用すべきものだった。
どこまでも白い砂漠の上に、一輪の黒花が咲いている。あらゆる生命の絶えたこの大地で、それはにわかに信じがたい光景であった。どこまでも光と熱を吸収しそうな、漆黒の花弁。その中心には、昔何かの本で見た、ブラックホールか銀河を彷彿とさせるような紫色の発光が見える。あまりにも唐突で、超常。先ほど聞こえてきた謎の声といい、この僅かな間の体験はそのどちらもが、フィルシーの理解の外にあった。
「はは……は……」
やはり、自分はまたおかしくなってしまっただけかと、諦めが再び彼女の頭をよぎる。自分は既に人としては狂ってしまった在り方であるが故、致命的なバグなど日常茶飯事だ。まずは身体機能が、次いで感覚が、最後には精神と思考が崩壊していき、粉々となった後、作り直される。際限のないスクラップアンドビルドが、また始まる。
「次は、なるべく短い方がいいな……」
これより訪れるだろう破滅と再生に、せめてもの要望を、フィルシーは呟いた。そしてまだ精神が保っているうちに、あの綺麗な花をもう少しだけ眺めておこうと思った。
顔を上げたフィルシーの視界が捉えたのは、音もなくこちらへまっすぐに突っ込んでくる黒い花――否、黒い羽根の生えた、少女だった。
そこは青白い光が満ちる、さほど大きくもない部屋のようだった。コンピュータの電子音やタスク音、コンソールパネルのタイプ音が絶え間なくなり続けている。規則的にそれらが響いている様子は、まるシステムが奏でる交響曲のようだった。部屋にいるのは、男と女が一人ずつ。どちらも、用意された椅子に腰かけ、与えられた職務のもと、各々の思考を存分に活用している。違いがあるとすれば、女は優雅に自身の喉を潤しながら思索に耽り、男は自身の持てる限界を尽くし、労働に従事していた。
「何故、神は人類を造ったのだと思う?」
青い瞳を輝かせ、女は助手の男へと尋ねた。それまで、女から膨大なデータの解析を放り投げられていた男は、双眸をぎょろりと、女へと向けた。ろくに休むことも許されず、電子の海へと意識と視界を没入させていた男の眼球は、真っ赤に血走っていた。
「――はっ、また何を言い出すのかと思えば。決まってますよ、この目の前に無限に広がるデータを片づけるためでしょう?」
その返答には、声音にも中身にも、男の最大限の皮肉がこめられていた。
「――くっ、くははは!」
女は、心底楽しそうに笑った。女にとって、この助手の男から愚痴や皮肉を引き出させる一連のやり取り自体、もはやある種の娯楽ですらある。
「はっは……いや、素晴らしいアイロニーだ。そうか、だとすれば、お前は人間で、私は神か」
「では神よ。どうか惨めな私に、
「さて、神は何故人類を造ったかだったな」
男の祈りを無視し、女は続ける。
「我々人類に伝わるかの書物に言わせれば、天地を神の代わりに治めるためであり、言わばこの星、引いてはこの宇宙を管理する職務を肩代わりするため、とある」
椅子に座ったまま、女は大仰に両腕を広げた。男は振り向きこそしなかったが、声のみで返答を返す。
「だから、何なんです。そう書いてあるんだから、それ以外に何があると?」
「書いてある、書いてあるんだ。だがね、私はそうは思わない」
女は少し間を空け、口を開く。
「我々がこれより創り出す、本当の神の似姿。この
女はそこまで言って、無数のコンソールのうちの1つを示した。そこに記されているのは、間違いなく神の御業に並ぶであろう所業。あるいは、際限なき欲望を加速させ続けた霊長が、知らずして到達してしまった、自滅機構そのものだった。
「初めまして、彷徨える幻想」
綺麗で透き通るような声に、フィルシーはしばし呆然としていた意識を取り戻す。そこには、黒い少女がいた。黒いゴシックドレスを纏い、黒のロングブーツに黒の手袋、極めつけは、濡れ羽色の黒髪に黒の羽根つき帽子。素肌のほとんど見えない、喪服のようないで立ち。不気味なほどに統一された色をした少女だった。羽根があったような気もしたが、改めて見てみると、そんなものはどこにも見当たらない。やはり、これは幻覚か何かなのだろうと、ぼんやりとフィルシーは考える。だが一方で、いくら狂った自身が見せている幻だとしても、ここまで鮮明で謎だらけなものは初めてだった。目の前まで迫ってきたこの少女の存在感、近づいたことでよりはっきりと聞こえてくる機械のような駆動音、射抜かれそうなほどの視線が、これは現実なのだと、混乱した彼女の思考にも確実に訴えかけてきている。しかし、いつまでたっても頭はまとまってくれない。他者との会話なんて、最後にしたのはいつになるだろうか。初めまして、と言われているのだから、ひとまずは、何か返さなければ。
「あなた、は、お……女の子なんですよね?」
訳も分からぬまま、フィルシーは意味不明な返答を返した。会話としてはまったく成立していない。
「女の子……設計データによれば、形式上は女性型、ということになります」
意味不明な返答に、さらに意味不明な返答が上塗りされて返ってきた。とはいえ、言葉が通じるということ、あり得ないはずの自分以外の生命体の生存に、フィルシーは段々と感動と興奮を感じ始めていた。
「えっと、あの、その……」
どうやって今まで生きてきたのか。他に仲間がいるのか。色々と聞かねばならないことは山ほどあるのに、彼女の口は思うように動かないでいた。
「質問は以上ですね……ではこれより――」
もたもたしていると、今度は少女が口を開いた。ひどく平坦で、無機質なトーンで。
「シェムハザイ――征服行動を開始します」
少女の全身から溢れ出る、紫色の光を視認したのを最後に――
フィルシーの意識は、そこでブラックアウトした。
Wondering in Wanderland Palmette Lotus @PalmetteLotus
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