第22話「碧い風」
正直なところ、壁から飛び降りた後にどうするかは考えていなかった。
それでも、助けなければいけないと思ったのだ。
「リズちゃん!」
自由の効かない空中で、それでも体を精一杯伸ばしてカインはリズを抱きしめた。
まだ落ちるまでは少しだけ時間があるが、すぐに判断をしなければ二人の落下死は免れない。
どうすればいい。着地の瞬間に
スキルで先に着地してリズを受け止める?
いや、建物にしたら五~六階くらいの高さがあるのだ。
衝撃を受け流して無事に受けとめられる可能性が低すぎる。
どうすれば助けられる。
どうすれば……
「ごめん、なさい……」
抱きしめた胸の中で、リズがそう呟いた。
腕の力を強めれば壊れてしまいそうな少女の体は、震えていた。
落下していく中の、空気が体を叩く感覚。
不安でいっぱいのリズの頭を、カインはそっと撫でた。
「大丈夫だよ。絶対に守るから」
見上げたリズの視界には、笑っているカインが映った。
体中に怪我があるのが分かった。
焦っているのも、不安なのも伝わってくる。
それなのに、リズが怖がらないように精一杯の笑顔を送ってくれる。
「ごめん……なさい……!」
自分が余計なことをしたから。
二人に置いていかれたくないという我がままを押し通したから。
だから、こんなことに。
悪いのは全部、自分なのに。
カインはどうして、笑ってくれるのだろう。
――リズちゃんに笑ってほしいから。
そんな答えが返ってくるのだろうなと、リズは思った。
自分を捨てた家族のことを思い出す。
娘や息子たちを、物のように扱う人たちだった。
男たちに売られてからは、物として扱われてきた。
それなのに、この人は。
今までの苦しみが吹き飛ぶくらい、優しい笑顔で。
「…………やだ」
死にたくない、ではない。
カインに死んでほしくないと、そう思った。
カインの胸の中で、リズは顔を横に振った。
「一緒に、いたい……っ」
小さな手で、リズはカインの服をぎゅっと握りしめた。
こんな自分でも、笑っていいと言ってくれた。
だから、力になりたい。
彼が進んでいく険しい道を、ほんの少しでも支えたい。
笑ってほしいと言ってくれるカインに、笑ってほしい。
そんな。
そんな、少女の抱いた、心からの『想い』が。
――ドクン、と。
カインの体の奥底で、脈動した。
この感覚は、三度目だ。
想いが流れ込んでくる感覚。
次いで感じるのは、温かさ。
「これ、は……?」
その温かさを感じたのは、足元からだった。
ふとカインは視線を足元へ移した。
視界に入ったのは、ボロボロの靴。
(あれはたしか……リズちゃんが直してくれた……)
キメラスライムとの戦闘で破れてしまった靴を、リズが縫い直してくれたのだったか。
今更になって、ようやくカインは気づいた。
縫ってくれた一針一針に、どれだけの想いが詰まっているのかを。
ありがとう、と。頑張れ、と。
丁寧に縫われた靴に込められたちっぽけで、それでいてなによりも優しく尊い『想い』が、今。
「……【
産声を、上げる。
「――【
無意識のうちに、カインはそんな言葉を放った。
その直後、鮮やかな青緑の風がカインの靴から渦を巻くように溢れ出し、足から腰へ、腰から胸へと、全身を覆った。
二人を叩き壊そうとしていた暴力的な落下速度が、みるみるうちに青緑の風によって相殺されていく。
「これ、は……?」
その力を使ったカインですら、意味が分かっていない。
だが、力の使い方はなぜか本能的に分かった。
リズがどこかへ飛ばないように強く抱きしめたカインは、足を中心に溢れる風を調節して空中で体勢を変えて静かに地面に着地した。
「リズちゃんの、力なのか……?」
使った感覚だと、風魔法のスキルだろう。
魔法の適性が一つもないカインが魔法を使えるということは、魔法系のスキルであることに違いない。
魔法適性とは別のもう一つの魔法の才能が、スキルなのだ。スキルは魔法適性に優先して事象を発生させる。なんの才能もないカインが魔法を使える理由は、それ以外に考えられないのだ。
抱きかかえているリズをそっと下ろしたカインは、膝を曲げてリズと目を合わせて、
「リズちゃんは、自分のスキルを使ったことはある?」
「スキル……? 分かんない……」
自覚無し。きっと使ったことはあるのだろうけど、それが自分の力だと分かっていないのだろう。
だが、カインを救ってくれたのは間違いなくリズの力だ。
彼女の想いが、救ってくれた。
「とにかくありがとう、リズちゃん。助かったよ」
「ほ、ほんと……?」
「うん!」
「……ふふっ」
リズは顔を赤くして口元を緩ませた。
もうリズは大丈夫だろう。
問題は、上にいるアルテマとルフィアだ。
周囲を見渡す。壁の外に投げられたらしい。
ということは。
「……あった、馬車!」
ボルドが用意してくれた馬車が、すぐ近くにあった。
四厘の荷台を、二匹の馬がまだ進まないのかと御者を忙しなく待っていた。今すぐにでも出発したいのは山々だが、肝心のルフィアを置いていけない。
とにかく、馬車があるのを先に確認できたのは不幸中の幸いだ。これなら、アルテマをどうにかできれば逃げられる可能性は高い。
「リズちゃん。壁に沿ってしばらく歩けば中に入れるから、そこからボルドさんの家に戻れるはずだよ。できる?」
「…………うん」
一緒に行きたいという言葉を必死に押し殺して、リズは頷いた。
さすがにリズを門前払いすることはないだろう。最悪、ボルドの名前を出せばなんとかなるはずだ。
これでリズは安心だ。なら、次はルフィア。
「スキルの感覚はもう掴んだ。また使えば、師匠の元まで戻れるはず」
落下の衝撃を完全に打ち消せたのだ。
飛んで、ルフィアの元へ戻ることもできるはず。
しかし、ふう、と息を吐いたカインが足に力を入れようとした直前。
「カイン……!」
呼び止めたリズは、カインの右手を両手で強く握った。また一緒に行きたいと言い出すかと思ったが、リズの緑色の瞳を見て違うと分かった。
前には別れが怖くて言えなかった言葉。
でも、今はもう言えるだろう。
カインが行くのは、別れるためではないのだから。
自分みたいに苦しむ人を、助けるためなのだから。
「ありがとう、カイン! 頑張ってね……!」
「うん! 頑張る!」
カインは笑顔で頷くと、改めて足に力を入れた。
そして、意識を集中させて口を開く。
「【
ゴォ、とカインの足元から青緑色の風が溢れ出た。
そのままふわりと体が浮く。バランスを取るのは少し難しいが、なんとかなりそうだ。
「行ってきます!」
そう言ってリズの頭を撫でたカインは、ルフィアのいる壁上方まで飛んでいった。
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