第20話「ほんの一息」
軍将エルドに続いて副軍将ミーアとの連戦。
すっかりと疲弊しきったカインは、持っていた剣を杖にして肩で息をしていた。
こうしている間にも、追手が来てしまうかもしれない。
すぐに逃げなければと、カインが深呼吸をしていると、
「焦る必要はない。他の兵士が来るまでは時間がある」
「え……? どうして」
「私が別の方へと向かうように指示を出した。そこにルフィアがいなければ私の元へ来いと言ってある」
倒れたままのミーアは、真っ白な天井を見ながら言った。
そこで横になる彼女には、副軍将の威厳を感じなかった。
「やっぱり、あなたはボルドさんの孫ね」
「爺様は関係ない。私がやったことだ」
わずかに笑いながら、ミーアは言う。
「私はただ、知りたかったのだ。私が強くなっているのか。あなたと剣を交えることで」
「強かったわよ。十二年前とは比べ物にならないくらい」
「……覚えているのか?」
「当たり前じゃない」
ボルドが礼として提供していた料理を全て記憶しているルフィアだ。ほんの少しの出会いだろうと、彼女は覚えている。
「滞在していたとき、ちょっとだけ剣を教えたことがあったわね。まだ剣に振られちゃうような可愛い新兵だったのに、久しぶりに見たらこんなに立派になっているんだもの。最初は気づかなかったわ」
「あのときは、鮮烈だった。私よりも四、五歳上の女性が、こんなにも強いなんて。女だからよくても平凡程度だと決めつけていた私にとって、これ以上ないほどの刺激だった」
「それにしても、素晴らしいわ。ここまで強くなったんだもの」
「それでも、私はあなたの足元にも及ばない」
しかし、そういうミーアの顔に悔しさはなかった。
ミーアの横で膝をついたルフィアは、穏やかな声で、
「そんなことない。戦ってわかったでしょ。私はもう、あなたよりも弱いわ」
「あなたはずっと、私が憧れた勇者のままだったよ」
それはまるで、少女のような笑顔だった。
少しだけ動けるようになったミーアは、自分の傷の止血をしながら、
「ここからどうやって逃げるつもりだ」
「カインがぶち破った隠し通路から出るつもりよ」
「よくそんな場所を知っているな」
「頼れる助っ人が偶然見つかったおかげね」
ミーアは痛みを和らげるためにふう、と息を吐いた。
「……まあいい。そして、そのあとは?」
「言ったら、手伝ってくれるの?」
「まさか。追いかけるのが楽になると思っているだけさ」
「じゃあ、いろいろ壊しちゃうってことだけ先に謝っておくわ」
「もし壊されたのなら、我々が弱いのが悪い。好きにするといい」
「あら。ならお言葉に甘えるとするわ」
にこりと笑ったルフィアは、軽やかに踵を返す。
ミーアがあえて他の兵士を遠ざけるように指示を出しているとはいえ、時間が無限にあるわけではない。
できるだけ早く城から逃げ、夜明けに備えなければならない。
重い足取りではあるが、カインもルフィアについていく。
と、ミーアが去っていくルフィアを呼び止めた。
「なあ、勇者よ」
「ん? 何かしら」
「またいつか、私の剣を見てくれるか」
今度はきっと、兵士と指名手配犯などという関係ではなく。
ただ、普通の友人として。
「生き残って帰ってこられたら、いくらでも見てあげるわ」
「……そうか。ありがとう。簡単に死んでくれるなよ」
「それならこの子に言って。この子が守れるかどうかにかかってるから」
ルフィアはポンとカインの肩に手を置いた。
少し照れ臭そうな顔をしているカインへ、ミーアは優しく言う。
「自信を持つといい。エルドも私も負けたのだ。君は強い。私の立場では救えない人たちを、君の手で救ってくれ。そこの元勇者も含めてな。頼んだぞ、新たな勇者よ」
「……はい!」
ぱああ、と顔を明るくしたカインは、大きく頷いた。
先を急ごうと催促され、二人は隠し通路へと入っていった。ミーアの元へ兵士がきたら、すぐに同じ場所を通ってカインたちを追ってくるだろう。
休めるとしたら、城を出た先の裏路地辺りだ。
壁への移動に時間をかけないためにも、カインたちは南西方向へと向かって歩いていた。
もうすでに日は完全に暮れており、夜明けまで五時間程度と言ったところか。
できることならリーリアに傷を治してもらいたかったが、彼女にあれ以上迷惑をかけるわけにもいかない。
人のいない路地裏で座ったルフィアは、一番酷い左肩の刺し傷の応急処置をしていた。
「まだ痛む?」
「はい、少しだけ。でも、大丈夫です。まだいけます」
「そう。でも、少しだけ休みましょう。血が減っているうちに急に動いても余計に体力を消費するだけよ」
まだ興奮状態だから自覚できていないだけで、カインはもうボロボロだ。
ここで急いだところで、カインが無駄に命を散らすだけだ。
ルフィアは自分の懐に手を入れ、何かを差し出した。
「これ、よかったら食べて。こんなときのために、ちょっとした軽食を準備していたの」
「あ、ありがとうございます」
カインは質素な携帯食を頬張った。
乾燥しているため食感はあまりよくないが、味は悪くない。
野ざらしで砂っぽい裏路地。
保存に重点を置いた素朴な食事。
いい環境ではないが、カインはどこか懐かしさを覚えた。
「なんだか、一緒に冒険していた日を思い出しますね」
「そうね。魔王城の近くでは美味しい料理なんて滅多に食べられなかったから」
「ようやく師匠とのんびり食事ができると思ったのに、残念です」
「あら、今こうして隣に座っているだけじゃ不満?」
「そういうわけじゃないですけど」
遠くの方を向きながら、もぐもぐと咀嚼を続ける。
ゴクンと一気に携帯食を呑み込んだカインは、わずかに頬を膨らませて、
「僕、師匠が美味しいご飯を食べて幸せそうにしている顔がとても好きなので、それが見れないのが嫌なんです。笑っている師匠、すごく綺麗だから」
「聞いてるこっちがむずむずするような言葉を言わないでもらっていいかしら」
「思っていることを言っただけです」
ぷい、とカインはそっぽを向いた。
どうしたものかとルフィアは深い息を吐いた。
このままでは気まずいと思ったのか、ルフィアは話を変える。
「そういえば、城を逃げているときに偶然知ったのだけど、城の中にも一つ魔力砲台があるみたいね。昔に作られた大きな試作型で、今は使われてないみたいだけど」
「確か、ギールもそんなことを言ってましたね」
アルリガード王国を鉄壁の城塞都市たらしめた兵器、魔力砲台。
つい数年前にようやく量産できるようになったらしいが、それ以前の試作型は燃費の悪さや大きさなどの問題もあって城の奥で眠っているらしい。
今でも使えるらしいが、魔力の少ないカインでは巨大な試作型に弾を込めることすらできないだろう。
「まだ少し準備すれば使えるらしいから、どうせなら見つけだしてぶっ放しておくべきだったかしら」
「そんな物騒なことしませんよ。あくまであれはギールのためだったんですから」
「そうね。彼が無事だっていうのなら、それで十分よね」
肩の力を抜いたルフィアは、横に座るカインにそっと寄りかかった。
少し戸惑う表情を見せながらも、カインはそのまま動かなかった。
「ありがとう、カイン。私を守ってくれて」
「この国からちゃんと出てからお礼は頂きます。まだ、安全ではないですから」
真っ赤になっている顔が見えないように、カインは顔を下へ向けた。
しばらくしたら離れてくれるだろうと思って静かに待っていたカインだったが、いつになっても頭を肩に乗せるルフィアが動かない。
「あ、あの、師匠。そろそろ……」
顔を上げたカインは、すぐに言葉を止めた。
左の肩に寄りかかるルフィアが、すうすうと息を立てて眠っていたのだ。
自分のことで手一杯だったが、呪いのせいで身体能力が落ちているルフィアも体力を消費しているのは当たり前だ。
最強だったルフィアがこんなにも疲弊する姿を見ていないからか、こんな近くで寝顔を見るのは初めてだった。
改めて、ルフィアが守る対象になったのだなと痛感する。
顔にかかってしまっていた髪をそっと分けて、可愛らしい寝顔を見つめる。
「絶対に、あなたを守りぬいてみせますから」
それからすぐに眠気に襲われたカインは、夜明けまでのわずかな時間だけ、ルフィアと体を支え合って眠りについた。
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