行間「冷たい地下」
冷たい。
腕に絡まる鎖も。無機質な石の床も。
血を多く流したせいで余計に体が冷える。痛みよりも、寒気の方が強かった。
つい一〇分程度前に王女が来て傷を治してくれたが、彼女が来たという痕跡を残せないために気休め程度の治療しかできなかった。ガンガンと全身が今も悲鳴を上げている。
意識が遠い。まるで、少し上から自分を見下ろしている感覚だ。
「おい。寝るんじゃねぇよ」
バシィ! と右の頬に衝撃が走る。
細く白い光が視界を駆け、ギールの意識がようやく戻ってきた。
目の前にいるのは、軍将エルド=グラル。
アルリガード王国のトップ、王国最強兵士だ。
鎧を身に着けていても分かるほどの筋骨隆々な体と、背中に差した彼の身長とほとんど変わらない大きさの大剣が特徴的だ。
「困るんだよなぁ、王国の方針に従わない兵士がいるってのは」
ねっとりとした不気味な口調で、エルドはギールの髪を乱暴に掴んで顔を持ち上げた。
鼻の奥に溜まっていた鼻血が、ダラダラと流れ落ちる。
「お前、使えないやつなんだってな。魔法もロクに使えなくて、スキルも硬くなるだけ。おまけに勇者に手を貸すなんていう馬鹿げたことをするなんて、本当に残念なやつだ」
「…………、」
「お前が勝手にどこかへ行ったから、同じく西側を担当していたやつが探していたらしい。そうしたらどうだ。勇者の後ろで荷物持ちしていた金髪のガキと楽しそうに話してたらしいじゃねぇか、おい」
痛めつけるのを楽しむように、エルドはギールの腹を殴りつけた。
何度も顔を殴られて口の中に溜まっていた血が一気に吐き出される。
「あそこらへん一帯にいるのはもう分かってる。肝心なのは、お前があいつらに何を話し、あいつらがこれからどうやってこの国から逃げようとしてるかってことなんだ。楽しそうに話してたんなら、少しぐらいは知ってるんじゃあないのかぁ?」
何度も問いかけられた言葉。
エルドの言葉には苛立ちと飽きが感じられた。
答えなければ、また殴られる。
それを知っていても、ギールは力強くこう言った。
「何も、知りません…………ッッ!!」
数時間にも満たない、一瞬のような出会いだった。
だが、たったそれだけの出会いが、ギールにとっては鮮烈で、衝撃だった。
頑丈なことだけが取り柄の自分を、格好いいと言ってくれた。自分のおかげで助かったと、笑ってくれた。
嘲笑のみを向けられていた今までとは比べ物にならないほど、嬉しい笑顔だった。
彼らを裏切りたくない。
頑丈だけが長所なのだ。
これぐらい、いくらでも耐えてみせる。
だが。
「何も分かってねぇみたいだなぁ、新兵ェ……!」
ドゴォ! とエルドは壁を殴りつけた。
武器は持っていないはずなのに、ただのパンチで石の壁に大きな穴が開く。
今までギールに対してこれだけ手加減をしてやったのだと、教えるように。
「役に立てない雑魚兵士が少しでも役に立てるようにチャンスをやってるんだよ。今すぐにでも裏切り者がどうなるかって見せしめで殺しても構わないんだぞこっちはァ!」
エルドは勢いよく腕を振り上げた。今度は全力だ。
次の瞬間まで自分の頭と首が繋がっていることを祈りながら、ギールは目をつぶるが、
「おい、やりすぎだぞエルド」
何者かによって、エルドの拳がギールの目の前で止まった。
自分の顔に当たる拳の風圧だけを感じたギールは、薄らと目を開ける。
そこにいたのは、自分と同じアルリガード王国の鎧を身にまとった女兵士。
相手の顔を見て、エルドは両手を挙げてへらへらと笑う。
「おーおー。ミーアちゃんは相変わらずお堅いねぇ」
「彼も立派な王国の兵士だ。いくら勇者の味方をした可能性があるとはいえ、真実かどうかが確定する前にここまでやるのは納得いかんな」
高圧的な態度で腕を組むのは、副軍将のミーア=ラブラドル。
耳が隠れる程度に前下がりで揃えられた青紫色の短髪と、吊り上がった目元はそれだけで他者を寄せ付けない威圧感があった。
腰に差したレイピアのような形態をしながらも突きでなく斬るための刃がついた細長い剣。筋肉質ではあるが男よりも体格が劣る女性のミーアでも、その剣は軽々と振れるように見える。
鋭い視線を向けられても、エルドは飄々とした態度で、
「なんだ、ずいぶんと強い言葉を使うなぁ。そんなにこいつが痛めつけられるのが見てられないのか? ……ああ、そうか。そういえば」
エルドはニヤリと笑い、ミーアに顔を近づけた。
「こいつが勇者の弟子と一緒にいたって報告の場所が、お前のじいさんのやってる店の裏だったからかぁ?」
ミーアの祖父の名前は、ボルド=ラブラドル。
軍将ともなれば、数十年ほど前に活躍した有名な兵士の名前ぐらいは当然憶えている。そして、ボルドの孫がミーアであり、退役したボルドが城に近い地区で細々と酒場を経営していることも。
しかし、ミーアの表情に変化はない。むしろ鋭い目つきをさらに鋭くして、
「――だったら、どうした?」
「なんでもねぇよ。どっちにしろ、あの店にはもうすぐ兵士たちが向かう。そこに勇者たちがいれば一発アウトさ。身内が反逆者にならないことを祈るんだな」
ケタケタと笑うエルドは、三日月のように口元を歪ませて、
「実はお前も、勇者の味方をしたいと思ってるなんて、言いださないよなぁ?」
「あり得ないな」
一蹴したミーアは、踵を返して拷問部屋の扉へと向かう。
そして、部屋から出る瞬間にミーアは足を止めて、
「私はアルリガード王国の副軍将だ。最も優先すべきは王国の利益。そのために剣を握ると、とうの昔に誓っている」
「知ってるよ、お前がどれだけ王国に貢献してるかは。冗談も通じないのは困るなぁ」
「だったらもう少しマシな冗談を言え」
「うるせえってんだ。さっさと行きな。俺はまだ仕事が残ってるんだ」
エルドが不機嫌そうにギールを顎で指すと、ふんと鼻を鳴らしてミーアは去っていった。
コキ、と仕切り直すように首を鳴らしたエルドは、ギールの前に立つ。
「さあて。ようやく仕事に戻ることができ――」
と、エルドの声を遮るように、今度は別の兵士が入ってきた。
「た、大変です! グラル軍将!」
「なんなんだよ、さっきから俺の邪魔をしやがって! 止めたからにゃあ、止めただけの理由がなきゃ殺すぞッ!」
ほとんどとばっちりと言える怒声を浴びた平の兵士は、思わず後ろへと下がってしまった。
「あ、え……、そ、それが」
「ちゃっちゃと言えやグズが! 殺されてぇのか!?」
ビクッと体を震わせた兵士は、ごくりと唾液を流し込んでこう叫んだ。
「ゆ、勇者ルフィアが……この城の内部にどこからともなく現れたそうです!」
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