第9話「とっても不器用な」
カインの前に現れたアルリガードの兵士が何かを叫ぶと、彼が持っていた盾の光沢がさらに光を増して月光を反射させた。
後ろへと視線を向ける。キメラスライムによって、逃げ道を塞いでいた積み荷が壊れて通れるようになっており、そこからこの空き地へと入ってきたようだった。
しかし、その兵士はどう見ても一五歳かそこらで、カインよりも少し幼く見えた。どこか頼りない背中だが、それでも彼から感じる、守るという意思は確かに本物だった。
だが。
「うわぁぁああああああああ!!!!」
瀕死のキメラスライムが放った一撃で、その兵士は吹き飛ばされてしまった。
盾は壊れていない。どうやら、単純に未熟な体で踏ん張ることができなかったのだろう。
すでに伸ばした腕を再び戻したキメラスライムは、次の攻撃の予備動作に移っている。
「でも、この一瞬が欲しかった……!」
本来ならば避けられた攻撃だった。スキルの反動で硬直した体のせいで身動きが取れなかった。
しかし、この一瞬があれば。
「【
一閃。
核が一つしか残っていなかったため、回復する時間も足りなかったようだ。
カインの放った横なぎの斬撃が、最後の核を今度こそ完全に破壊した。
ぐちゃぐちゃと、耳障りの悪い音を立ててキメラスライムは崩れていく。
「う、嘘だろ……! 一体何者なんだよお前は!」
青ざめた顔をしたリーダー格の男は、焦燥を露わにして声を上げた。
今も、カインの体には激痛が走っている。立っているだけでも寒気がしてくるほどの痛み。だが、まだ気を抜いてはいけない。
リズを守るためには、まだ。
「いいか、お前たち」
ルフィアの剣の切っ先を男たちに向けたカインは、低い声で、
「これ以上、リズちゃんに関わるな。まだやるというのなら、いくらでも相手をしてやる」
「うっ――!」
わずかな逡巡ののちに、リーダー格の男は他の男たちに指示を出す。
もう、彼らに戦う意思はないようだ。昼間に一度勝っているのも効いたらしい。
一分も経たないうちに、男たちのアジトはもぬけの殻になった。
男たちの姿が見えなくなった瞬間、カインはその場に膝をついた。
「よかった。半分賭けだったけど、どうにか切り抜けた……!」
既にカインに戦う力は残っていない。かなり強引なハッタリだったが、上手くいってくれて助かった。
全身から汗が噴き出している。カインは何度も深呼吸をして、息を整える。
すると、背後に小さな足音が聞こえた。
「……カイ、ン?」
「あ、大丈夫だよ、リズちゃん。少し、疲れただけだから」
どれだけの苦痛が彼を襲っているのか、リズには想像もできない。
自分を庇うときに出来た足の傷からは、まだ少し出血しているようにも見える。他にも彼の体が小刻みに震えている様子を見ても、いつ倒れてもおかしくないはずなのだ。
なのに。
「どう、して……?」
「……?」
「どうしてカインは、笑ってくれるの……?」
見ず知らずの自分を助けてくれた上に、勝手に出ていった自分を追いかけて守ってくれた。これだけの迷惑をかけて、命を危険に晒させて。
なのにどうして、彼は笑ってくれるのだろう。
そんな問いに対して、カインはゆっくりと立ち上がってこう答える。
「僕は君に笑ってほしいんだ。だったら、僕がまず笑顔でいないとって思ってさ」
「……っ」
本当に、この少年は。
見返りも報酬も何も求めない。
ただ自分に笑ってほしいというためだけに、命を懸けて戦ってくれた。
「ごめんなさ――」
咄嗟に、リズは口を閉じた。
何度も首をブンブンと横に振って胸の前で指を小さく絡ませると、リズはカインを上目遣いで見上げた。
思い出したのだ。今、彼が待っている言葉はこれではないと。
今、彼に自分が言いたい言葉はこれではないと。
だから。
「……カイン」
最後にこの表情をしたのはいつだっただろう。
上手くできているだろうか。自分で自分の顔を見れないのがもどかしく感じる。
でも、精一杯に。
この気持ちを、形にして。
「ありがとう……っ!」
緑色の瞳から透明な涙をこぼしながら、世界で一番輝く不器用な笑顔をリズは浮かべた。
「うん! どういたしまして!」
口角が自然に上がってしまった。
全身を襲う苦痛も、吹き飛んだ気がした。
体力が回復したと勘違いしているカインは、ニコニコしながら視線を後方へと向ける。
「さて、と」
キメラスライムの攻撃から守ってくれたアルリガードの兵士へとカインは近づいた。
どうやら気を失っているらしい。
吹き飛ばされたときに頭を打ってしまったようだ。軽く後頭部に触れてみると、かなり大きなコブが出来ていた。
「ああ……。これ、数時間は起きないだろうなぁ」
カインは兵士の様子を見る。
やはりカインよりも幼く見える。新兵だろうか。
薄い青髪に、兵士とは思えぬ未熟な体。顔もかなり整っているように見えるし、アルリガードの鎧を身にまとっていなかったら兵士だとは思わないだろう。
きょろきょろと周りを見渡す。
「リズちゃん、一人で歩けそう?」
「ん……!」
大きく頷いてくれたので、カインは兵士の少年の体に手を回して背負った。
「さすがにこの人をここに置いてはいけないや。助けてくれたからね」
アルリガードの兵士とはいえ、助けてくれた人をそのままにして放置しては寝覚めが悪い。気を失っている間にある程度の治療をすればいいだろう。
そんなことを考えながら歩き始めると、リズがカインの袖を小さく引いた。
カインが振り返ると、リズは少しだけ頬を赤らめて右手を小さく広げていた。
「手……」
「うん。一緒に帰ろっか」
小さく柔らかな手を握って、カインは真夜中の道を再び歩き始めた。
そして、だ。
「なるほどねぇ。リズちゃんを助けて、おまけに兵士まで連れて帰ってきたと」
「は、はい……」
ボルドの店に戻ったときには、ルフィアは起きていた。
慌ててカインが出ていった音に気付いて起きたが、今の自分では何もできないからと待っていてくれたらしい。
「別に助ける分には構わないけど、私がここにいると気づかれるわけにはいかないわね」
「はい。なので、彼が起きるときに師匠には奥にいてもらいたいんですけど」
「構わないわ。私はリズと一緒に寝てるから」
リズは握っていたカインの手を離してルフィアの元へペタペタと歩く。
と、そこでリズは何かに気づいたようで足を止めた。
「カイン、靴……」
「え? ああ、そういえば」
キメラスライムとの戦いの際、カインは右足の甲を靴ごと爪で切られてしまっていた。もう出血は止まっているが、靴はボロボロになってしまっていた。
怪我の治療もしなければならないし、カインは背負っていた兵士を椅子に横たわらせ、靴を脱いだ。
すると、その靴をリズは持って、
「リズ……これ、直す」
「え? 大丈夫だよ。元々ボロボロだったから、新しいのを買えばいいし」
「お礼、したいの……!」
リズはまっすぐな目でカインを見つめた。
どうやら、意地でも恩返しがしたいらしい。それなら、好意に甘えるとしよう。
「じゃあ、お願いしようかな。ありがとう、リズちゃん」
「うん……っ!」
カインの靴を預かったリズは、嬉しそうにルフィアの元へ弾むように歩く。
ルフィアは自分の元へ来たリズの頭を撫でながら、
「それじゃあ、私は奥へ行ってるわね。治療と言い訳はよろしくね」
「はい。それじゃあ、彼を帰したら言いますね」
「頼むわよ。勇者ルフィアがいるって勘づかれるだけでも命とりなんだから」
「勇者、ルフィア……?」
「そうよ。カインはまだしも、私は一目見られただけでも終わりだから………………」
聞き覚えの無い声に、ルフィアは言葉を止めた。
同時に、カインは血の気が引いていく感覚に襲われた。
恐る恐る視線を動かすと、横たわっていたはずの少年の上体が起き上がっており、目を丸くしてこちらを見ていた。
その瞳には当然、ルフィアが映っているはずだ。
カインとルフィアは目を見合わせた。
どうするべきか。
この場所が兵士に知られてしまった以上、穏やかに事は進まないだろう。
基本は話し合いだ。口封じのために殺すなんて手段は取りたくない。しかしそれでも、何もせずにどこかへ逃げられることだけは防がなければならない。
となれば、まずは出口を塞ぐべきだ。
アイコンタクトだけでカインとルフィアはそれを理解した。
だが、カインとルフィアが動き出そうとした瞬間、
「ひぃぃぃぃいいいいい!!! すいませんすいませんすいませんッッ!!! こ、殺さないでくださいぃぃいいい!!」
自分が横になっていた椅子から飛び降りた少年は、そう叫びながら地面に頭をこすりつけて土下座をした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます