第5話「よくやった」
剣を抜いたカインを見て、灰色の髪をした少女の表情にさらに怯えが浮かぶ。
しかし、そんな少女へカインは笑いかけて、
「大丈夫だよ。僕は君の味方だから」
当然、そんな言葉一つで少女の信頼を得られるわけがない。ルフィアだってそうだった。いつも勇者だからともてはやされてきたわけではない。
彼女が信頼されたのは、その優しい強さを行動で示してきたからだ。
「この子から離れてください」
「何を言ってんだ。勝手に首をつっこむんじゃねえ。そいつにはやってもらわなきゃいけないことがたくさんあるんだ」
「こんなに怯えている女の子に何をやらせるつもりだ」
「……クソ、今日は厄日だ。おい! 来てくれ!」
男が声を張り上げると、数人ほどガタイの良い男たちが出てきた。やはり、この少女が連れ戻されて笑顔になるなんてことはあり得ない。
あとから来た数人は武器を手に持っていた。少女を守りながら五人ほどを相手にする。できればルフィアのスキルを使わずに倒したいところだが、そう上手くもいかないだろう。
「せっかくの上玉をこんなガキに奪われるわけにはいかない。やっちまえ」
一斉に男たちがカインへと襲い掛かる。
兵士のような戦闘訓練をしてきた相手ではないから、動きが雑でかわしやすい。これならなんとか隙を狙うことが出来そうだ。
だが、五人もいると狙う隙がかなり狭い。相手を殺すつもりもないので切らずに倒すには、失神させるような重さのある一撃が必要だ。だが、そこまでの力はカインにはない。
だがこの西側を散策しているときに、カインは一つの方法を考えていた。
隙を見つけたカインは、剣を構えた瞬間に口を開く。
「【
カインが剣を構えて、相手の体を斬らないように剣で殴打するその一瞬だけ、カインの動きが異常な加速をした。他の男たちは何が起こったのか理解するまで時間がかかっていた。
(痛い。痛いけど、最初に使った時ほどじゃない。これなら……!)
カインは横から来る攻撃を通常の速さで後退しながら回避した。
自動操縦でかかる負担は当然、動く量が多いほど体に負担がかかる。ならば、攻撃をするその一瞬だけ自動操縦で体を動かして速度と力を増やせばいい。
たった一歩ならば、体への負荷もそこまで大きくない。節々に痛みはあるが、動けなくなるほどではない。これならば、できる。
「なんだこいつ、強いぞ!」
「相手は一人だろうが! さっさと殺せ!」
しかし、その言葉は現実にはならない。
彼らの攻撃を避けながら隙を伺い、攻撃の瞬間だけスキルを使うことを繰り返したカインは、一分もしないうちに男たち五人を倒していた。
当然、体に痛みはあるが動くことに支障はない。
対してカインの攻撃で苦痛にうめく男は、こちらを睨みつけながら、
「クソ、てめぇ……!」
「お前たちのような外道にこの子を渡すわけにはいかない」
「勝手に言ってろ……! おい、ガキ!」
リズの体がビクッと反応した。
彼女が恐る恐る視線を向けると、男は鬼のような形相で、
「簡単に逃げられると思うなよ。お前にはかなりの金がかかってるんだ。お前にかけた呪いがあれば、お前を捕まえることだって簡単に出来る。逃げたこと、後悔するんだな」
「……行こう。この人の言葉を聞く必要はないよ」
カインは少女の背中を優しく押して、歩き出した。
「怪我はない?」
「……ん、」
カインの問いかけに、少女は小さく頷いた。
灰色の髪にポンと手を置くと、カインは膝を曲げて少女と視線を合わせる。
「あの人たちはどうしたの?」
「……、」
返事はなかった。
先ほど頷いてくれたのだから、無視をするつもりはないはずなのだが。
「お父さんやお母さんは?」
「……ん、ん、」
少女は首を横に振った。
どうやら、「はい」か「いいえ」で答えられる質問にしたほうがいいらしい。
「あの人たちから逃げてきたの?」
「……ん、」
「じゃあ、あそこは君の家じゃないんだね?」
「……ん、」
どちらの質問にも首を縦に振ったということは、何かしらの事情で誘拐されてしまったということだろうか。
両親は近くにいないようだし、どうしたものか。
「君の家の場所は分かる?」
「……ん、ん、」
少女の家は不明。両親も分からない。
カインは膝を伸ばして、少女の手を握った。まだわずかに震えている。どれだけの恐怖が彼女を縛っていたのだろう。少しでも、和らいでくれたらいいのだが。
「じゃあ、君のお父さんとお母さんを探そうか。きっと君がいなくて心配してるだろうから」
「……い、いやッ!」
しかし、カインの提案を少女は強く拒絶した。
理由が分からず困惑するカインに対して、少女はどうにか言葉を紡ぐ。
「パパ、ママ。リズのこと……売った、って。あの、人たちが……」
リズとはきっと、少女の名前だろう。ということは、この少女がここにいるのは両親によって売られたからということだろうか。
それなら、この子が帰りたくない理由も分かる。きっと、カインの想像の出来ない悲しみと恐怖があったのだろう。
何かしてあげたいと。この子か少しでも笑ってくれるようなことをしてあげたいと、そう思った。
「……だから、隠れ家を探すのを中断して、この子を酒場まで連れて帰ってきたって?」
「は、はい……」
結局、カインはリズを誰かに預けることも出来ずにボルドの酒場まで連れて帰ってきてしまった。本当なら町中を歩いてこの子を保護してくれる人や組織を探すべきなのだが、そんなことをしている状況では断じてない。それに、リズを狙っていた男たちは彼女のことを「上玉」と呼んでいた。
売られたリズが彼らにとって必要ならば、また襲われる可能性だってあるかもしれない。それなら、近くにおいておくのが一番いいと判断したのだ。
「あんたねぇ」
わずかな緊張が、古びた酒場の二階に流れる。カインの隣に座るリズは、小さな声でごめんなさいと呟きながらカインの腕を掴んでいた。
だが、リズはルフィアのことを知らないのか、指名手配犯が目の前にいるというよりは、この空気に怯えているようだった。
真剣な顔をするルフィアは、リズのことをずっと見つめる。
耐えかねたリズは震えながら、
「ご、ごめんなさ――」
「よくやったわ、さすがあたしの弟子!」
「……ぇ?」
ぐっと、ルフィアは親指を立てて笑った。それを見たリズがあんぐりと口を開く。
対して、カインは嬉しそうに、
「はい! 師匠ならこんな状況でも絶対にこの子を助けると思って!」
「当たり前だわ! こんな小さな子を見捨てて逃げ続けるようなやつは勇者なんて呼べやしないもの!」
「でも、すいません! 隠れ家が見つかりませんでした!」
「それはそれで何をやってるのよ! 勇者になりたいなら、この子を助けて隠れ家も見つけるぐらいのことをしなさい!」
「はい! 頑張ります!」
頭上に「?」が浮かび続けているリズの横で、会話の高速キャッチボールが繰り広げられている。
リズは目が回りそうになるのを堪えながらそれを見守っていた。
「ってことで、罰として今日の夜のトレーニングはいつもの倍よ!」
「えっ!? こんなときにもやるんですか!?」
「当たり前よ! ただでさえ私のスキルに耐えられてないんだから、少しでも筋力をつけなさい!」
「は、はい!!」
うぉぉおおおおっ! とカインはその場で腕立て伏せだの腹筋だのをやり始めてしまった。呆気にとられたリズは、姿勢が悪いとカインの筋トレに口出しをするルフィアの袖を軽く引っ張って、不安そうにこう問いかける。
「怒らない、の……?」
「え? どうして?」
「リズ、迷惑かけた……から。迷惑、かけたら……怒られる、から」
ルフィアはその場にしゃがんでリズと目線を合わせると、にっこりと笑って頭を撫でた。
「そんなわけないじゃない。誰かに迷惑をかけずに生きていける人なんて誰もいないのよ」
「でも……」
優しい言葉を肯定できない程度には、リズの心は未だ恐怖に縛られていた。両親から売られたという話はカインから聞いた。おそらく、愛情を受けることなく今まで生きてきたのだろう。
そんな子どもは何度も見てきた。そして、そのすべてに必ず手を差し伸べてきたのが、勇者ルフィアだ。
「いいのよ。迷惑をかけたら、いつかその恩を返せるように頑張ればいいだけ。だからリズちゃんもいつか大きくなったら、私たちを助けてね」
「…………、」
リズが返事をすることはなかった。しかし頷いて肯定することも、首を振って否定することもなかった。ただルフィアのその言葉を心の中にしまい込みながら、リズはその丸い緑色の瞳に薄らと涙を浮かべていた。
頭を撫でたルフィアは笑顔のまま、
「髪もボサボサで、体も汚れてるわね。裸足だったから足も泥だらけ。お風呂、入りましょうか」
「おふ、ろ……?」
リズは首を傾げた。きっと、まともに水を浴びるということもなかったのだろう。
ルフィアは下の階にいるボルドに一声かけて「勝手にしろ」という返事をもらうと、リズのわきに手を回して小動物を扱うように持ち上げて風呂へと運び始めた。
必死に筋トレをしていたカインは、何があったのか分からずに動きを止めて、
「えっ? 師匠、お風呂ですか?」
「ええ。リズちゃんの体を綺麗にしてくるから、それまでにトレーニングを終わらせておきなさいね」
「えええ!? ま、まだ腕立てが二〇〇回以上残ってるんですけど……」
「終わらせておきなさいね?」
「は、はい! うりゃああああああああ!!!」
先ほどの倍近くのスピードで腕立て伏せをしながら、カインは持ち上げられるリズを見送った。
そのとき、わずかにめくれたリズの服の袖から覗いた彼女の肩に紺色で描かれた不思議な紋様が垣間見えた。気になって動きを止めてしまったカインだったが、ルフィアの視線を感じたカインはすぐトレーニングを始めたのだった。
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