第4話「諦めることを諦める」

「嫌です」


 諦めろと言い放ったルフィアに対し、間髪入れずにカインはそう答えた。

 ルフィアは難しそうに表情を歪めた。


「あなたの気持ちは嬉しいけれど、このままじゃああなたまで死んでしまうのよ?」

「構いません。あなたのためなら」

「まったく……」


 困ったように、ルフィアは両手で自分の髪をクシャクシャとかいた。

 カインは元々引く気はない。そもそも、今生きているのはルフィアのおかげだし、彼女に恩を返せるなら命なんていつでも差し出せる。

 しかし、自分のために命を散らすことを勇者が認めるはずがない。


「私はあなたのことを大切に思ってるから、生きてほしいの。あなたが生きてくれれば、私がいなくてもたくさんの笑顔が護れるわ」

「でも、僕は師匠に笑ってほしいです」

「そういうことを平気で言うやつなのよね、あなたって……」


 少し恥ずかしそうに頬をかいたルフィアは、大きなため息を吐いた。


「どうしても、私を護るつもりなのね?」

「はい」

「その道が、どんな地獄だったとしても?」

「必ずあなたを護ります」


 これ以上ないほど、まっすぐなカインの瞳。

 ほんの少しだけ頬を赤らめたルフィアは、数秒ほどの間を空けて、


「一つだけ、約束して」


 そう言ったルフィアは視線を下へ向けて、


「私はあなたがいなくなったらとっても悲しい。私だけがこの世界に残されたら、きっと笑顔になんてなれない。だから、生きて」

「……、」

「私に笑っていてほしいと言ってくれるなら、あなたも生きて。絶対に、死んでもいいなんて言わないで」


 カインが弟子になった当時はきっと、彼のことを面倒な存在だと思っていたかもしれない。しかし、彼の努力を、優しい心を、無邪気な笑顔を見続けてきたルフィアにとって、目の前にいるこの少年はもうすでに弟子と一言でまとめることのできる存在ではなくなっているのだ。


 カインがルフィアのいない世界に耐えられないのと同様に、ルフィアもカインのいない世界で幸せに生きるつもりなどない。互いが互いにとって、かけがえない命なのだ。

 そんな単純なことを、カインはようやく自覚した。


「分かりました」

「なら、私は諦めないとね」

「え? どういうことですか?」

「諦めることを諦める。役目は終わったと思っていたけど、死ぬつもりはもうないわ。だから、生きる。泥臭くても、必死に生きてやるわ。それで、あなたに散々迷惑かける。それでもいい?」

「も、もちろんです!」


 カインの返事を聞いたルフィアは、にやりと口角を上げた。

 隣に座るカインにぐっと顔を近づけて、頬を人差し指でつつく。


「言ったわね? 絶対に私のこと幸せにしてみなさいよ。今の私は、戦力ゼロのか弱い女なんだから」

「は、はい! 精一杯頑張ります!」

「おい、小僧……カインだっけか? 歳はいくつだ?」

「えっと、十七です」


 顔を真っ赤にしているカインの返事を聞いたボルドは、むぅ、と眉間にしわをよせる。

 腕を組んで何かを考えるボルドは、小さな声で、


「となると、一〇以上も歳が離れてるのか。まあ、そういうのもありはありか……?」

「ちょっと、私とカインをどういう関係だと思ってるのよ」

「どうって、人生かけて幸せにしてもらう関係だろ?」

「変な言い方しないで! 私は師匠で、この子は弟子! 十二歳の頃から見てるのよ。今のはちょっとからかうつもりだっただけで、信頼はしてもさすがにそういう対象としては……」


 必死に否定するルフィアの横で、カインは寂しそうな視線を彼女に送っていた。

 こっちの方は、どうやら本当に人生をかけるつもりだったらしい


「えっ、僕じゃダメなんですか……?」

「あー、もう! バカ弟子!!!!」


 ルフィアは半ばからかいのつもりだったようだが、カインとの本気度が食い違ってしまっていた。

 調子が狂ったルフィアは、その場で勢いよく立ち上がった。


「とにかく、今はこんなことをしている場合じゃないわ! 時間がもったいないから、これからのことを話すわよ!」


 ふん、と鼻息を荒立てて、ルフィアは言った。

 ルフィアを諦める、という選択肢を消した以上、残ったのは最初の選択肢、つまり門の警備が薄くなるまで機を見る、そしてその隠れ家を探すというものだ。

 ボルドは簡単な国の見取り図を机に広げてくれた。

 壁にぐるりと囲まれた都市。その中心には先ほどまでいた城が描かれていた。


「隠れ家ってんなら、廃墟とかだな。それなら西側がいい」

「確か、東は裕福な家が多いんだっけ?」

「ああ。基本的に城の周りと東側は活気に溢れている。だが反対に西側は比較的治安が悪いから、探せば使われていない家もあるはずだ。まあ、治安が悪いから一見使われていないようでも既に誰かが住んでいたりするから警戒はしておけ」


 指名手配には、懸賞金もかけられているらしい。治安が悪いがゆえに、金目的でルフィアを見かけたら問答無用で襲われる可能性だってあるのだ。

 探すにしても、複数の廃墟を見つけてそこを定期的に移動するなどの対策をしないと安心はできないだろう。


「北と南はどうなんでしょうか?」

「東ほどじゃないが、治安が悪いようには見えないな。落ち着いてはいるが、手頃な廃墟があるとは思えない。人通りも多いからルフィアも動きづらいだろうしな」

「なら、西側で探すのが一番みたいね」


 そう結論付けたルフィアは、カインの肩にポンと手を置いた。


「ってことで頼んだわよ、カイン」

「え!? あ、はい!」

「何をびっくりしてるのよ。あなた以外に誰がやるのよ」

「いや、今までずっと師匠にこうやって頼られたことがなかったので」


 勇者ルフィアは魔王を倒すまでたった一人で戦い続けてきた。誰かに頼ることを一度もしてこなかった彼女が、こうもあっけらかんと頼んだという言葉を放ったので、カインは少し宙に浮いた気分になったのだ。


「だから言ったでしょ。死ぬことは諦めて、あなたに散々迷惑をかけるって。あなたに命を預けてもいいってくらいの信頼はしてるのよ」

「……はい……っ!!!」


 嬉しそうに、カインは答えた。

 まだ自分に実力がついたわけではない。まだまだ未熟で、ルフィアには遠く及ばない。でも、認めてくれた。カインの努力を、ルフィアは肯定してくれたのだ。

 この想いだけは決して裏切ってはならないと、そう思った。


「それじゃあ、早速行ってきます!」

「気を付けるのよ」

「はい!」


 軽快な足取りで、カインは酒場から飛び出した。

 まだ日は暮れていない。兵士たちの巡回も今のカインには恐怖ではない。隠れ家を探すのなら、今がもっとも安全に探せるときだ。

 カインは目立たない程度の小走りで西側へ進んでいく。


 先に治安が悪いと聞いていた通り、西へ進むにつれて景色が変化していく。最初にこの国に来た時は東から来たので、レンガ造りの綺麗な住宅や丁寧に舗装された道があったが、ある程度西に進んだここではそのようなものは一切見えない。


 朽ちた木で作られた家に、油断をすれば足をくじいてしまいそうなボコボコした道。満足に馬車が走ることもできないだろう。


 カインはそれらの家の中でも、一際崩れた家を探す。この際、どれだけ朽ちていようが構わない。姿を隠して睡眠をとれる場所であればなんでもいい。

 まだ夜になっていないため、明りで住人の有無を確認できない。特に人気のいなさそうな家をこっそりと覗き、住んでいる痕跡がない場所を探す。


 だが、そう上手くいくわけではない。おそらく、治安の悪さがゆえにお金に苦しむ人々がこの地区へやってくるのだろう。空き家になってもすぐに他の誰かが入ってしまうのかもしれない。


 兵士たちも巡回してはいるが、そういった一つ一つに丁寧に対処していてはキリがないのだろう。ある程度は無視されているようだった。

 だが、それはそれで都合がいい。無視してくれるなら、この西側を選んだ価値がある。


「それにしても、ないなぁ」


 一時間ほど探したあたりで、カインはその場で立ち止まってしまっていた。

 一軒ぐらいはあると思ったのだが、ボルドの助言通り、廃墟に見えても人が住んでいるなんてことが当たり前にあるのだ。もし誰かが住んでいるにもかかわらずにそこを隠れ家にしてしまえば、何が起こるかわかったものじゃない。念入りに調べなければならないため、カインは想像以上の疲れを感じていた。


(駄目だ駄目だ! 師匠が頼んだって言ってくれたんだぞ。止まってる暇なんてない!)


 パンと顔を両手で叩いて気合を入れなおしたカインは、近くにあったボロボロの家を調べようと歩く。

 その瞬間だった。

 ドン、とカインに誰かがぶつかったのだ。背丈が大きくないカインの胸元辺りに衝撃があるということは、子どもだろうか。


 視線を落とすと、案の定ぶつかってきたのは小さな女の子だった。

 だが、少しだけ様子がおかしい。

 体が、震えていたのだ。

 心配になったカインが顔を覗き込むと、少女は顔をひきつらせた。


「ご、ごめん……なさい……!」


 少女は慌ててカインから距離を取った。

 見た限り、特別外傷があるわけでも病気になっているわけでもない。それでも震えているということは、つまり。


「おい、こんなところにいたのか!」


 太い怒声が響く。

 音源へ目を向けると、柄の悪そうな男がこちらへと歩いてきていた。

 その姿を見て、カインから離れたはずの少女が再びカインのそばに近寄る。


 重ためで灰色の長髪。丸い目と小さな口。雪のように白い肌と綺麗な緑色の瞳が特徴的なその少女が身に着けている服は、すべて貧相で足元は裸足だった。逃げ出してきたのだろうか。


「ごめんなさい……! ごめんなさい……!」


 カインの横でそう呟き続ける少女。

 見過ごすわけには、いかない。


「あの、ちょっといいですか?」

「なんだお前は」

「この子、とても怖がっていますけど、どうしてですか?」

「お前には関係ないだろ。こっちの事情だ」


 当然、男はカインを無視して少女へと手を伸ばす。

 少女はぎゅっと目をつぶって体に力を入れた。

 ルフィアと旅をして、たくさんの人を見てきたから分かる。この少女の表情は痛みに耐えようとする顔だ。これから起こる恐怖の逃げ場がないから、我慢という選択肢しかないのだ。

 バチン、とカインは男の手をはたく。


「おい。どういうつもりだ、クソガキ」

「昔から、師匠に言われてたんだ」


 男の言葉に対して、カインは態度で答える。

 腰に差した、勇者ルフィアからもらった剣を抜いて構える。

 優先すべきはルフィアの隠れ家だ。しかし、この少女が苦しむ姿を無視して、あの勇者が笑ってカインを迎えてくれる未来なんてない。


 あの人が託してくれた想いは、そんな生半可なものじゃなかったはずだ。

 憧れだった勇者に、いつか自分がなるために。

 まずはこの心が、勇者に足るものでなくてはならないのだから。


「怖がってる子どもがいたら、事情はいいからとりあえず助けておけって。いつだって勇者は赤の他人なんだから、人助けをするためには迷わず横やりを入れる図太さが必要なんだって。そう、言ってたんだ」


 勇者の想いを託されたその弟子は、師の背中を思い出しながら少女の前に立った。

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