第3話「恩とツケ」

 王女リーリアの案内で薄暗い隠し通路から城の外へ抜け出したカインとルフィアは、城の西側から住宅が並ぶ通りへと進んでいた。このアルリガード国の中心にそびえ立つ城は城壁に囲まれているのだが、リーリアに教えられた場所へ行くと人が一人通ることのできる穴が開いていた。


 いつもここから王女様はこっそりと脱走をしているらしい。

 通りへ抜けた二人は、当然だが人通りのほぼない裏道を進んでいく。


 表の大通りを陰から確認して分かったことがいくつかあった。

 一つはもうすでに城の外にも多くの兵士が巡回しており、本来は人通りが多く活発な大通りには昨日見たときの半分にも満たない人々しかいなかった。


 既に勇者ルフィアの指名手配が伝わっており、緊張感のある空気に耐えられない人がいるのだろう。

 二つ目は、というと。


「やっぱり、荷物持ちしかしていなかった出来損ないの弟子まで指名手配はしてなかったみたいだ……」


 ルフィアを建物の陰に待機させて大通りをフードも被らず歩くカインは、不幸中の幸いと呼ぶには少々複雑な現状にため息をはいた。


 カインが兵士の横を歩いても、兵士たちに気づく様子はない。どうやら、カインの情報はまだこの国には伝わっていないようだった。思い出してみれば城の中でカインの名を呼んだ人は一人もいなかったし、カイン自身がルフィアとは比べ物にならないほどの弱さなので噂もなかったのだろう。


 ルフィアはカインを弟子にしてからこのアルリガード国に来たことは一度もない。それゆえ、弟子がいるということを知っていても弟子の名前や特徴まで知っている人がいなかったのだろう。数日もすればカインも指名手配となるだろうが、今の段階では外を堂々と歩けるようだった。


「……ここ、か」


 カインが立ち止まったのは、年季の入った小さな酒場の前。この外観の建物の前を通った時に入ってみようとはお世辞にも言えないほど、木造のそれは古びていた。


 耳から背筋にかけて不快感すら覚えるほど錆びついた蝶番の音が鳴る。

 中へ入ると、まだ明るいうちにも拘わらず数人ほど酒を飲んでいる人がいた。だが、これだけで生計が立てられるとも思えない。趣味でやっている酒場なのだろうか。


「いらっしゃい……って、まだガキじゃねぇか。ここは酒場だぞ」


 言ったのは、カウンターに立つ老人だった。見た目からは老いているというのは分かるのだが、それにしてはかなり体が大きい。城で見た兵士よりも体が大きく、未だ筋肉だけでも防具になるのではないかと思えるほどだった。


 それ故、カインに放つ言葉の圧が強い。しかし、ここで引くわけにもいかない。

 カインはカウンターまでまっすぐに進む。


「悪いが、ガキには酒は出さないって決めてるんだ。帰りな」

「……ステーキ、十四枚」

「あ?」


 店に入ったら店主の老人にこう言えと、ルフィアに言われたのだ。それだけ言えば、きっと店主はルフィアのことだと分かってくれると。

 改めて、言われたことを思い出してカインは言う。


「ステーキ十四枚。酒二十五杯。鶏肉と豆の炒め物六皿」

「何を言って…………、」


 追い返そうと動いた老人店主の体が、突然ピタリと止まった。

 何を思っているのか分からないが、急に目を丸くした老人は改めてカインの顔を眺める。


「……なるほどな。まあ、そうなるのか」


 それだけ呟いた店主は、パン、と手を叩いた。


「すまない! 急用ができたから今日は店じまいだ! 明日も開けられないかもしれない!」


 その言葉を聞いて、数人だけいた客は不満そうに帰っていった。何度か頭を下げて客が全員いなくなったのを確認した店主は、カインに体を向け、


「お前も出ろ。表は鍵を閉める。裏口を開けておくからあいつと一緒に来い」

「あ、ありがとうございます!」


 他の客に合わせて外に出てから、カインは裏で待機しているルフィアと合流して鍵の開いた裏口から入っていく。

 店主は無言で奥の階段を指差した。どうやら上の階で話をしたいらしい。

 ギシギシと、年季の入った木製の床が音を立てた。

 階段を上る店主は背中を向けたまま、


「久しぶりだな。何年ぶりだ?」

「私が十六の頃だったから、十二年前ね」

「もうそんなに経つのか。時が経つのは早いものだな。できれば、もう少し違う形で再会したかったが」


 残念そうな低い声を出す店主は、二階の私室にある椅子に腰かけた。カインとルフィアは、向かいのソファに腰を下ろす。

 ようやく一息ついたルフィアは、おもむろに頭を下げた。


「ありがとうございます、ボルドさん」

「頭を上げろ。そんな柄じゃあないだろお前は」


 その光景を見て、カインは困惑していた。

 ルフィアの弟子になって五年。今までルフィアに頭を下げた人は多く見てきたが、こうしてルフィアが丁寧に頭を下げるのは滅多に見たことがない。一国の王などならまだしも、こんな古びた酒場の店主のボルドという人はどういう人なのだろうか。


「あの、お二人は一体どういう関係で……?」

「私が若い頃にお金がなくて困っていたときに、ご飯を食べさせてもらったのよ。あの頃はまだ勇者だなんて呼ばれていなかったから」


 旅を始めて間もないルフィアがこの国に来たときに、偶然入ったのがボルドの営むこの酒場だったらしい。当時はまだ魔王の動きも活発で、国の外では凶悪な魔物がうじゃうじゃと生息しており、そのときは大量の魔物が国を襲い、兵士たちも疲弊していたらしい。


「あの時は俺の孫が兵士になったばかりでな。まだ未熟な女の子なのに、人手が足りないからと魔物退治に駆り出されるところだった。そんなときにこいつがフラリとやってきたんだ」


 ボルドからの話を聞いたルフィアは、襲い来る魔物の大群をたった一人で壊滅させたらしい。そのときの光景を今でも思い出せると、ボルドは懐かしそうに眼をつぶっていた。


「こいつはこの国の危機を一人で解決したうえに、俺の孫が無駄に命を散らすことも防いでくれた。感謝してもしきれない」


 当時からルフィアの力は凄まじく、この出来事をきっかけにしてルフィアの噂が国中に広がったらしい。そこらの新兵と変わらぬ歳の少女が、一騎当千を成し遂げたと。


 事情は分かった。つまるところ、ボルドはカインと同じくルフィアに救われた側だ。彼の孫もルフィアのおかげで無駄死にすることなく今でも兵士として活躍しているらしい。

 では、最初に城を出ていたときにルフィアが言っていたことはどういう意味だったのだろう。


「師匠はツケがあると言っていたんですけど……」


 それに答えたのは、両手を軽く広げてやれやれと首を横に振るルフィアだった。


「私がここでご飯を食べるたびに、お代は要らないって突き返してきたのよ。結局一銭も受け取ってくれなかったから、いつかお金に困らなくなったら返そうと思ってたのよ」


「こいつからステーキの枚数とかを言われて驚いたよ。こちとら礼のつもりで最初から金を受け取る気なんてなかったのに、一二年経った今でもご丁寧に全部覚えてやがるんだ。まったく困ったもんだよ」


 どうやら、ツケがあると思っていたのはルフィアだけだったらしい。本人としては、見返りを求めて人助けをしていないのだからただで食事をするのが嫌だったのだろう。そのような光景はカインも見てきた。

 カインと出会うずっと前から、彼女は勇者だったらしい。

 しかし、そんな勇者は残念そうに視線を下げた。


「でも申し訳ないけど、今は返せそうにないわ。お金がたんまりもらえると思ったらこの有り様だから」

「だろうな。国中にこんな重たい空気が流れたのは生まれて始めてだ」


 この国の現状を、ボルドは簡単に話してくれた。

 勇者ルフィアは魔王がいなくなった世界に災いをもたらす災厄の勇者であるとして指名手配をされた。魔王がいなくなって統率の取れなくなったことで増えた野良の魔物による被害から、天候不順による不作すらも勇者のせいにしようとしているらしい。


「とにかく、あることないこと関係なしに噂を流して国民の不安を煽って、お前の処刑に対する大義名分を得ようとしているみたいだ。納得していないという声もちらほらあったが、勇者に手を貸そうとするのはもちろん、賛同するだけでも処罰をすると言い出した。みんな怖くて反対の声なんて上げられない」

「随分と嫌われたものね」

「この国にとっては、お前がいないほうが都合がいいらしいからな」


 このアルリガード王国は、国全体が壁に囲まれた城壁都市だ。世界でも有数の兵力と防衛機能を持つこの国が世界を支配するためには、他の国に勇者が渡らないということが必要になる。


「アルリガードはおそらく、他の大国と話を合わせて勇者という最強の存在を排除したかったんだろう。勇者さえ相手にしなければ、この国が負けるなんてことはほとんどないだろうからな」

「だったら、世界全てで指名手配をされているとしても、師匠を必要としている国もあるということですよね」


「ああ。少なくとも、そこへ行けばこの国よりは安全だろうよ」

「なら、すぐにでもこの国を出て師匠を必要としている国へ――」

「無理よ」


 遮ったのは、ルフィアだった。

 補足するようにボルドが口を開く。


「この国はまるごと壁で囲まれていて、その門は東西南北に一つずつの四つだけだ。お前たちが城から抜け出している以上、もう門の周辺には山ほどの兵士たちがいるだろうよ」


「数人の相手をしただけでも、あなたはギリギリだった。今すぐ門へ行ったとしてもその場で殺されるのなんて目に見えてるわ」

「じゃあ、どうすれば」

「私が思いつくのは二つ」


 まず一つと、ルフィアは人差し指を立てた。


「長い期間どうにか身を潜めて門の警備が薄くなる機会を伺って、隙を見て脱出する。ボルドさん、もし匿ってもらえるなら、何日かしら」


「恩を返したいのは山々だが、長くて二日だ。孫は俺とルフィアの関係を知っているから、近いうちに兵士が訪ねてくるだろう。もし匿っているのを知られたら俺の命が危ない。誤魔化せるのは、せいぜい二日だ」


「それならその二日のうちに脱出するか、他に隠れる場所を探すしかない。でも、私は自由に出歩けないし戦力にもならないから、探しに出られるのはカインだけ。そして、それで隠れる場所がなかったらボルドさんも私もカインもこの国の兵士に見つかって即死刑」


 まともな戦力がカインだけで、さらにはまだ未熟であることを考慮したからこその一つ目の提案だが、想像以上の綱渡りだ。


 二つ目の方法を聞くまで、カインはその提案に頷くことができない。

 生唾を呑み込んだカインに対して二本目の指を立てたルフィアは、真剣な視線をカインへ送る。


「じゃあ、二つ目」


 単刀直入に、ルフィアはこう言った。


「私のことは諦めろ」

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