第2話「お城の裏の王女様」

 一歩足を前に踏み出すだけで、体中がビキビキと嫌な音を立てる。

 だが、止まるわけにはいかない。


「師匠、掴まってください」


 この苦痛が気づかれないように、なるべく無表情でカインは言った。

 今置かれている状況に対し、ルフィアに納得している様子はなかった。


 当然だ。世界を敵に回すという愚行を弟子がやろうとしているのだ。誰よりも他人のために戦ってきた勇者が、こんなことを許すはずがない。

 だから、行動で示すしかないのだ。次の勇者と言われるほどに強く、優しく。


「絶対に、師匠を救ってみせます」


 もう一度、ルフィアとともに走り出す。後方からの兵士からはまだ距離があるが、単純なスピードでは追い付かれるだろう。

 カインは近くの角を曲がり、すぐにまた別の道を曲がって追手を巻くことを考える。ルフィアのスキルを使って体がもつのは運が良くて数回。


 出来る限り戦闘を避け、この城から脱出し、隠れる。今後の予定はそれから考えればいい。

 だが、そう上手くことは運ばない。


「見つけたぞ!」


 角を曲がってすぐに、鉢合わせする形で数人の兵士と対面した。

 すぐに後ろを確認する。後ろからの追手が追い付くまでは時間があるだろうが、彼らを倒さなければ逃げ道はない。


 カインは優しくルフィアから手を離すと、すぐさま剣を構えて振り上げる。

 キィンという甲高い金属音が響く。初撃を防がれた。すぐに引いて隙を伺うが、四人の兵士たちをスキルなしで、さらには単騎で圧倒するイメージが湧かない。

 時間をかければ挟み撃ちで一網打尽だ。決断に時間はかけられない。


「【武器覚醒アグナ・マグナ】――【自動操縦ベディオート】」


 スキルの名前を唱えた瞬間に、体中に力が流れ込んだ。

 視界に映る敵の位置、体勢、視線、全てを見て動作の終わりまで完璧なイメージを。何年も見てきた、師の太刀筋を思い出せ。


 動きが脳内で完結した瞬間、体がカインの意思を無視して行動を起こす。

 一秒も経たないうちに、四人の兵士はその場で意識を失って倒れる。

 しかし、


「ぐ、ぐぅぅうう」


 至るところの筋肉や関節が痛みを警告としてカインの頭へ送る。これ以上は体が持たないと、本能が叫んでいる。

 心配そうに、壁にもたれかかるルフィアがその場でひざまずくカインに触れる。


「やっぱり、まだスキルに慣れていないから、体に負担のかかる動きをしてしまっているのね。……もう、諦めて――」

「嫌です」


 ミシミシと音を立てる体を強引に起こし、カインは言った。

 まだ動く。逃げられる。

 諦めてなるものか。この人を護らなくて、何が勇者の弟子だ。


 だが、状況が最悪なのは変わらない。前からの追手は倒したものの、すぐに後方からの兵士がカインたちを見つけるだろう。

 それまでにどこかへ移動し、逃げ道を探さなくては。


「どこへ、行けばいい……!」


 頬から流れる嫌な汗が、赤く高価そうな絨毯に染みを作る。

 とにかく、進まなければ始まらない。

 そう思って、カインがルフィアの肩に手を回した瞬間だった。


「こちらですわ!」


 音源は壁からだった。通路にあるドアの向こうでも、角が作る死角からでもない。

 警戒をしながらカインが壁へと視線を送ると、ただの平面だったはずの壁がガララと音を立てて横へスライドし、通路のような空間が現れたのだ。

 そしてその空間には、フードを被った謎の人物が一人。

 カインは警戒心を露わにして、再び剣を握る。


「クソ、こんなところからも……!」

「わたくしは敵ではありませんわ! いいからこちらへ来てくださいまし!」


 フードを被った人物は、カインの言葉を無視して二人の手を掴み、壁の向こうの空間へと引き込んだ。相手の腕を握る力や声の高さからして、女性だろうか。


 だが、女性の力でも抵抗できないほどに衰弱した二人は薄暗い空間に倒れこんだ。

 そして、他の兵士たちが気づく前に壁の元の位置に戻して蓋をすると、女性はルフィアをまじまじと見つめる。


「あなたが、勇者ルフィア……」


 手柄を独り占めようとしたのだろうか。世界でルフィアが指名手配されている以上、この場にいる人間は全て敵だと考えるべきだ。

 しかし、懸命に剣を振り上げようとしたカインを、ルフィアは腕で制した。


「あなたは、もしかして」


 心当たりがあったのだろうか。薄暗い中、フードの隙間から見える顔立ちはわずかのはずだ。それでもルフィアは、相手を知っているかのような素振りで言った。


「そ、そうでしたわ。フードを被ったままじゃあ、分からないですわよね」


 ルフィアの問いかけで、思い出したようにパンと手を叩いたフードの人物は、被っていたフードを外した。

 毛先が肩につかない程度のふわふわとしたくせ毛の青髪に、無邪気そうな丸い瞳と可愛らしく整った鼻と口。まるでお姫様のようだな、なんて感想をカインは抱いた。


 が、そこまで思考が巡ってようやくカインはその青髪の少女のことを思い出した。

 ルフィアが刺されたその現場に、彼女はいたのではなかったか。


「あ、あなたは確か、この国の王女様……?」

「はい! わたくし、このアルリガード王国の第一王女、リーリア=ベルデ=アルリガードと申しますわ!」


 妙に明るいテンションでリーリアはカインへとグッと距離を近づけた。

 しかし、こちら側は全身の激痛に苦しむ少年と背後に刺し傷と正体不明の呪いを患う女性だ。この雰囲気に対して笑えるような状況ではない。


 とはいえ、兵士から追われる状況ではなくなったので、少しだが余裕は出来た。……目の前にいるこの王女様が本人の言う通り敵でなければ、だが。

 カインの心配をよそに、ルフィアの背中の傷を見たリーリアは目を丸くした。


「やはりあのとき、兵士はあなたを刺したのですね。少し、よろしいですか?」


 失血で青ざめたルフィアの背中を見て、傷を確認したリーリアはそこに手を当てて目をつぶる。


「――【癒しの光ヒーリヒト】」


 リーリアはそう呟いた瞬間、彼女の手から淡い緑の光が溢れ出した。その光はルフィアの背中の傷口を癒し、塞いでいく。

 少しずつだが、ルフィアの顔色も良くなり始めていた。


「わたくし、回復系のスキルが使えるんですの。といっても、傷などを治す程度ですが」


 苦痛に歪むカインの表情を見たリーリアは、ルフィアの傷が塞がったことを確認するとカインの体にも手を当て、緑の光で体を包む。

 全身を襲っていた痛みが、少しずつだが引いていく。数秒もしないうちに、体の痛みのほとんどが抜けきった。


「どうしてこんなことを。指名手配をしているんじゃ……」


 当然の疑問だった。この国から狙われているはずの身なのに、その国の第一王女ともあろう人物が殺害対象の治療を行っているのだ。

 特別な理由がなれば、納得できない。


 リーリアはその理由を言うことに戸惑いがあるのか、まるで照れているかのように左右の人差し指を絡ませる。

 何度か深呼吸をして心の準備を整えたリーリアは、顔を赤くしてこう言った。


「わたくし、ルフィア様の大っっっっっファンなんですの!!!!!」

「…………………え?」

「何年も前から、ルフィア様の活躍は本や噂でたくさん聞いていましたわ。たった一人で人々を苦しめる魔王軍と戦い続ける最強の女勇者。あなたの武勇伝で胸を高鳴らせること数知れず。いつかお会いして、たくさんお話をしたいと思っていたんですの!」

「え~っっとぉ……」


 全身の痛みが引いていなかったら、思考を放棄してしまっていたかもしれない。

 とりあえず、敵ではないようだ。だが、現状に疑問や問題が山積みなわけで。


「その憧れが、指名手配されているわけですけど」

「はい。指名手配にあたって、わたくしはお父様から、ルフィア様はこの世に災いをもたらす災厄の勇者となり果てたと聞きました。今世界で起こる災いの全ては、勇者ルフィアのせいであると。多くの方は信じておりましたが、ルフィア様の冒険を隅々まで知っているわたくしにはどうしても信じられませんでしたの。だからこうして、直接確かめたいと思いまして」


 その言葉と表情は真剣そのものだった。

 実際の目で見て、耳で聞いて、ルフィアが本当にこの世界の悪であるのかを判断したいのだろう。

 その意思を受け取ったルフィアは、彼女の全てを端的にこう綴った。

 

「私はずっと、この世界に生きる全ての人の笑顔のために剣を握ってきた。それ以上もそれ以下もないわ」


 その言葉を聞いたリーリアは、ふるふると体を震わせて、


「はああぁああ! なんという力強い意志と凛々しい瞳! 脳髄からつま先まで雷に打たれたようですわっ! これこそ、わたくしが憧れた勇者ルフィアそのものですわぁ!」


 くらぁ、と陶酔したリーリアはその場で頭を押さえて大きく揺れる。

 ふらふらとめまいに似た何かに耐えたリーリアはビシッと体勢を整えて、両手を握りしめた。


「わたくし、信じますわ。あなたは決して、災厄の勇者などではございません。ですから、あなたのお手伝いを――」

「ダメよ。私たちに手を貸してはいけない」


 リーリアの声を遮って、ルフィアは告げた。


「あなたにはあなたにしか出来ないことがある。そしてそれは、こんなところで命をなげうって私を助けることではない」

「ですが……」

「あなたは王女よ。もし少しでも手を貸したことが誰かに知られたら、それだけであなたの全てが狂ってしまう」

「で、でも! その方はルフィア様を守ろうとしているではありませんの!」


 その言葉を聞いて、痛いところをつかれたとルフィアは顔を酸っぱくさせた。


「それがねぇ。私も困ってるの。私はこの子のこと、逃がしてあげたいのに死んでも見捨てる気がないみたいで」

「あ、当たり前じゃないですか! 師匠を見捨てるくらいなら僕が死んだ方がましです!」

「そうですわ! ルフィア様が死ぬくらいならこの人が死んだ方がましですわ!」

「えっ?」

「えっ?」


 若干変な空気が流れるが、ルフィアはコホンと咳払いして話を切り替える。


「そこまで言うなら、少しだけ助けてもらおうかしら。でも、それだけ。ここであったことは忘れて、王女のあなたがやるべきことをしなさい」

「……分かりましたわ。陰ながら応援するだけにしますわ」


 それでもどうかと思うが、カインとルフィアはそれ以上掘り下げなかった。

 全てを仕切り直して、ルフィアは根本的な疑問を問いかける。


「ここは一体どこなのかしら。隠し通路のように見えるけれど」

「このお城には、万が一に備えて普段は使われていない隠し通路がいくつか繋がっていますの。わたくしお城を抜け出すのが趣味で、皆が知らない通路まで全て把握しておりますの! だからこのお城の中なら誰にもバレずにどこまでもいけますわ!」

「それって自慢していいことなんですか……?」

「自慢ですわ! わたくし、地下の牢獄や拷問部屋まで遊びに行ったことがありますのよ!」

「随分と物騒な遊びをする王女様ね……」


 呆れたようにルフィアはため息を吐いた。


「それで、ここから城の外には出れるのかしら」

「もちろんですわ! 元々避難用に作られていますので!」

「なら、城の西側にでれる場所まで案内してもらってもいい?」

「お安い御用ですの!」


 腰に手を当てて、リーリアは満足そうに胸を張った。

 ついてきてくださいまし、と王女様はご機嫌に薄暗い隠し通路を歩いていく。他の兵士たちが使うこともあるらしいのだが、普段から人目を忍んでいるから誰にも見つからずに行動するのは得意らしい。


 顔色の戻ったルフィアとカインは並んで歩く。肩を貸さなくてもいいと言われたので普通に歩いているのだが、それでも足取りが重いことには変わりない。


「師匠、体の具合はどうですか?」

「怪我は治ったけど、呪いのようなものはそのままね。魔力もゼロ。力もほとんど入らないし、スキルもピクリともしない」


 確かめるように手を開閉するルフィアを見て、リーリアは申し訳なさそうに俯く。


「申し訳ありませんわ。わたくしのスキルでは、呪いを解くことが出来ませんでした」

「あの短剣の呪いについては、何か知ってますか?」


 カインの問いかけに、リーリアは首を横に振った。


「いいえ。あんなものがあったなんて知りませんでしたわ。すいません、お力になれなくて……」

「そんなことないわ。あなたがいなかったら私たちは死んでいたかもしれない。本当にありがとう」

「ほぁぁああああ!!! 海のように深い器、山のように寛大な心! このリーリア、死ぬまであなたのファンですわ!」


 胸に手を当てて踊るように言ったリーリアは、軽やかな足取りで先へと進んでいく。

 数分ほど歩いて、無事三人は目的の出口まで辿り着いた。


「本当にありがとう。助かったわ」

「とんでもありませんわ! 他にも何かあれば何でも言ってくださいまし!」

「そうね。なら、最後にもう一つだけお願いしようかしら」


 ルフィアは自分よりも少し背の低いリーリアの目線に合わせるように腰を曲げ、ポンと頭の上に手を置いた。


「王女としてこの国の人々を幸せにしてあげて。あなたのような明るくて誰かを思いやれる子が王女なら、きっと笑顔の絶えない国になるから」


 ルフィアが優しく笑いかけると、リーリアはその言葉を胸にしまい込むように、見えない何かを大切そうに両手で抱きしめた。

 目尻に薄らと涙を浮かべて、リーリアは笑う。


「はい。わたくしにしか出来ないことを、ですわね。リーリア=ベルデ=アルリガード、その言葉、しかと胸に刻みましたわ」


 深く頭を下げたリーリアは、自分が使っていたフード付きのマントをルフィアに手渡した。人気のないところへ出ればいいから、もう必要ないらしい。


 出口は城の壁を入り口と同様に横にずらして開けるもので、開けた先に人気はいないものの、少し進めば人々の住む街へ入ることになる。カインはまだしも、ルフィアは一目見ただけで騒ぎになってしまうだろう。そのために役立ててほしいとのことだった。

 去っていくリーリアの後ろ姿を見つめながら、カインは口を開く。


「師匠。城の西側に出たいって言ってましたけど、どうして西側に?」

「逃げるにしても、一旦落ち着ける場所が必要でしょ? 当てがあるのよ、一つだけ」

「あて、ですか?」


 カインが弟子になってからの五年間で、二人がこのアルリガードに来たことは一度もない。そう言った話を聞いたこともなかったので、カインは首を傾げた。


「若い頃からのツケがある、小さな酒場があるのよ。きっと今も、細々とやっているはずよ」


 目元が見えなくなるまでフードを深くかぶったルフィアからわずかに見える表情は、少しばかり引きつっていた。

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