第二章 「バーン来襲、アピュラトリス外周制圧戦」
二十六話 「黒機来襲」
†††
ユニサンとロキが入り口の庭園を抜け、エレベーターに飛び乗る。それと同時に入り口は閉まり、外壁の
外壁は五メートル感覚で切り離されて宙に放り出され、代わりに内蔵されている丸い鏡のようなものが現れる。鏡は太陽の光を反射するよりも強い輝きを放ちながら、徐々に回転を速めていく。そのたびに周囲には強力な力場が発生する。
この鏡こそ【富を守る鏡】。
すなわちサカトマーク・フィールドである。
フィールドが完成するまで多少の時間がかかるが、そこを乗り切ればアピュラトリスはその名前の通り、【入国不可能な富の塔】になるのだ。
「ご無事でしたか。よかった」
ユニサンの携帯が鳴り、取るとマレンの少し安堵した声が聴こえた。ユニサンが無事だったこともあるが、こうして第二ステージを無事終えられたことの安堵感もあるのだろう。
「上手くいったようだな」
「はい。オンギョウジ様のおかげで、内部は完全に隔離されました。今後は、外部との通信もすべて不可能です」
オンギョウジの決死の働きぶりによって、アピュラトリスはさらに強固な壁に守られることになった。
物理的にはサカトマーク・フィールドだけで十分な強度であるが、羽尾火のようにダブルで侵入される恐れもある。オンギョウジたちが張った結界は、そうした術的、霊的なものすら遮断する。これは実に大きな意味を持っていた。
もはや誰も内部のことはわからない。ラーバーン側にとってもそれは同じ。こうなればマレンも、アピュラトリスの制御は不可能である。
「ルイセ・コノは大丈夫か?」
「すでにサポート領域を離れています。もう私にも追いつけません」
ルイセ・コノは、すでに百十階層に入った。ここはもう、地上の人間が関われる範疇を超えている領域である。
言い方を変えれば【霊域】と呼んでも差し支えない次元なのだ。事実、そこにはアナイスメルという意識の世界が広がっており、そこに住む者もまた意識だけの存在である。
これ以上は、実際に深くダイブしているルイセ・コノに任せるしかない。彼女はラーバーンの旗艦であるランバーロから間接的にダイブしているので、出口さえ上手く見つければサカトマーク・フィールドに影響されずに脱出が可能である。
そして、ついにエレベーターのパージも始まる。
警告のアナウンスもなしにパージされるのは、さすがアピュラトリスである。中に人が乗っていようが関係ないのだ。守るべきは富の塔。それ以外はどうなろうが関係ない姿勢は、ある意味で潔い。
ユニサンは即座にエレベーターの天井を破壊して、ロキとともに脱出。
直後、エレベーターは地上まで落下。地上には、すでにかつて外壁という名前であったガレキの山が広がっている。そこにエレベーターも加わったにすぎない。
まだ下層部だけだが、これより上層の外壁が落ちてくれば相当な衝撃が訪れるだろう。当たれば人など簡単に潰れてしまう。
「しかし、ここまで壮大だとはな」
ユニサンは外壁が次々と落ちていくさまを見て、予想以上の出来事に目を見張る。
サカトマーク・フィールドには二種類の作動方法がある。一つは、ゆっくりと時間をかける通常起動である。こちらの場合は外壁は落ちず、鏡と入れ替わるように内部に格納される。
もう一つが緊急作動。こちらは今まさに起こっているもので、何らかの緊急事態、敵軍に強襲されている時などに発動されるものである。
そのため、外壁を強制射出して最速で起動することを優先している。外壁が落ちるのも敵に対する妨害行動も兼ねているのだから、容赦なく落ちるのは自然なことなのだ。
今回は立場が逆になっただけのこと。敵に使われると最悪の事態になることが立証されたにすぎない。
「なんだ! 何が起こった!」
「アピュラトリスが崩れるのか!」
「待避しろ! 巻き込まれるぞ!」
この騒ぎで、外部に展開していた陸軍はパニックに陥っている。おかげでユニサンたちに気がつく者は少ない。
そう、少ないにすぎない。
「人が落ちてきたぞ!」
エレベーターの周りは特に警戒が強い。いくら突然の事態とはいえ、こうしてエレベーターが落ちれば人目を引く。続けて落ちてきたユニサンとロキ二人を、数百人の武装した兵士があっという間に囲む。
「ふっ、大歓迎だな。こうして堂々と出るのも案外悪くない」
アピュラトリス内部では隠れて移動していたが、忍者や密偵ならばともかく、戦士のユニサンには疲れる仕事である。
少なからずストレスも溜まっていたのだ。むしろここからが本領。こうして真正面から挑むほうが戦いやすい。
だが、すぐには動かない。
ユニサンは立ち止まり、特に敵意を放つこともなく空を見上げていた。陸軍の兵士たちもその光景に迷いが生じる。人は見慣れないものを見るとまず観察するものだ。ユニサンの異形、ロキたちの二人があまりに珍しくて攻撃することを忘れている。
それは油断。
絶対的に有利だからこそ生まれる慢心である。
(中のほうが兵士の質は高かったな)
ユニサンは内部での激闘を思い出す。ガナリー・ナカガワ准将が率いていた海兵陸戦隊、通称ネイビーズのほうが練度は高く思えた。
もし優れた兵士ならば、即座にユニサンたちを撃っている。そこは多くの実戦を経験している者と、そうでない者との明らかな差。ユニサンは、そうした練度の差を即座に感じて利用したのだ。
なぜならば、ここではユニサンは【脇役】。いてもいなくてもかまわない通行人程度の扱いにすぎない。この第三ステージでの【主役】は、もうすぐ到着する。
だから待っているのだ。
主役なしに幕を上げるわけにはいかないのだから。
「
ユニサンは、空に強力な力場が発生しているのが視えていた。
オンギョウジが解放したハビラ・ビラカは、神の脊髄のためだけに存在したわけではない。アピュラトリスとアナイスメルをつなぎ、さらにゲートをつなぐ役目も果たしていたのだ。
このゲートを開いているのは、メラキ序列四位のミユキとマユキという双子の姉妹である。何を隠そう、ユニサンたちをアピュラトリスの最深部に送り込んだのは彼女たちなのである。
この【大転移】と呼ばれるミユキとマユキの術は、何の準備がなくても使用が可能であるが、それでは術者への負担が大きい。便利な術である代償として、ユニサンやロキ、オンギョウジたちを転移させただけでも相当疲弊してしまう。
アピュラトリスには術に対する防御壁もあるので、あの人数で精一杯だったのである。しかも、位置を正確に特定するために相当な準備期間を要したものである。
転移で重要な要素は重さではない。処理する【情報量】である。彼女たちは物質を移動させているのではなく、存在情報をコピーし、特定の場所に新たに創出しているのだ。それゆえに転移できない場所は存在しない。
そして今は、オンギョウジたちが決死で用意してくれた、アナイスメルの仮想領域を自由に使うことができる。ユニサンたちによって位置情報も特定できたので、門を開く用意は万全である。
そして、開門。
力場が視えない人間には空が一瞬光ったようにしか見えないが、ユニサンには不思議な文様が浮かんだ門が開くのがわかった。
そこから一つの光が舞い降りる。最初はふわふわとしたシャボン玉のように優雅に舞っていたが、地上二百メートルほどで破裂。そこから降りてきた、もとい、落ちてきたのは【黒い魔人機】であった。
MGは地面に落下。激しい衝撃音がする。かと思われたが、MGはしなやかに着地。風圧で周囲に砂埃が舞った以外は、何も傷つけずに混乱するアピュラトリスの大地に降り立った。
そのMGは全身が真っ黒で、十三メートルはあろうかという、やや大型の機体であった。量産型などのMGの基本サイズが約九メートル前後であることを踏まえれば、ナイトシリーズと同じ特機サイズである。
黒い機体は周囲の状況を確認しつつ、まるで人間のような仕草で頭をぽりぽりと手で掻く。
「ふぃー、なんつー降ろし方をするんじゃい。危うく死ぬところじゃったぞ」
黒いMGのコックピットでは、一人の白髪の老人が冷や汗をかいていた。
通常、あの高さから落とされれば、MGは耐えることができない。人間と同じ構造であるため、特に足の関節などは耐えきれずに壊れてしまうだろう。あれだけの高度だと、乗っているのが武人であっても、ただでは済まないものだ。
「まったく、これだから最近の若いもんはの…」
それでもとっさに対応して無事着地できたが、その仕打ちに老人は不満げであった。
「申し訳ありません、ホウサンオー様。お二人が、まだ距離間が掴めておられないようでして…」
マレンの申し訳なさそうな声が、黒機のコックピットに届く。
すでにマレンは別の手段で通信網をハッキングしている。しかも現在は、サカトマーク・フィールドの強力な磁場によって、遠距離通信が遮断されている状態にあった。
その影響を受けているのはダマスカス軍や周辺に存在している建物のみで、ラーバーンの機体にはユニサンの携帯電話と同じシステムが組み込まれ、あらゆる妨害の影響を受けないで済む。
さらには相手の通信を傍受することも可能であり、情報戦ではすでにこちらが圧倒的優位を占めているといえる。
「あー、いやいや、いいんじゃよ。ミユキちゃんとマユキちゃんも、がんばっておるからの。気にしないでくれと伝えておくれ。ほれ、ジジイは元気じゃぞ」
ホウサンオーは、自慢の白く長い髭をくしゃくしゃと撫でながら微笑む。その顔は、孫娘のやることならなんでも許してしまう駄目なおじいちゃんに似ている。
事実、ラーバーンには若者も多い。多くは一部のメラキのように、見た目だけ若いという異常な者ばかりだが、中にはミユキとマユキのように本物の子供もいる。
彼女たちはその能力ゆえにラーバーンに迎え入れられ、当然ながら事情も把握しているが、やはり子供は子供。中身は純粋である。ホウサンオーは、そうした子供たちと触れあうのを心から楽しんでいた。
特にミユキとマユキは、ホウサンオーにとって可愛い孫娘のようなもの。彼女たちが何をしてもホウサンオーは許してしまうだろう。
「それは助かりました。それと、もう一つ申し訳ないことがあるのですが…」
「なんじゃい、いまさら。言ってみぃ。怒らないから」
すでに落とされたのだ。いまさらもう怒るようなことはないだろう。何でも言ってみなさい。その言葉にマレンが遠慮なく答える。
「実は、ホウサンオー様だけが先に飛んでしまったようでして、ガガーランド様は遅れてやってきます」
「んん?」
その言葉にホウサンオーは周囲を見回す。たしかに落ちてきたのは自分だけ。他の機体はない。予定ではガガーランドという屈強な男も一緒にやってくるはずだったのだが、その姿はまったくない。
「ううむ、まいったのぉ…。ガガのやつはべつにかまわんが、【アレ】がないと面倒じゃな」
ガガーランドが来ないのはまだよい。問題は、出撃前に【預けたもの】も一緒に来ないということだ。
自分で持っていればよかったのだが、邪魔くさいのでガガーランドの機体に勝手に差しておいたのだ。今回はそれが裏目に出た。横着はするものでないとホウサンオーは反省する。
「ダマスカス軍が動きます。ご注意ください」
マレンは、妨害電波範囲外にあるダマスカスのビルのカメラをハッキング。いくつもの望遠レンズでホウサンオーの周辺を監視する。
すでにMGが落ちてきたことは誰の目にも明らかである。いくら経験の浅い兵士たちとはいえ、所属不明のMGが出現すれば対応するものだ。
「敵機、照合終了。ダマスカス軍の新型MG、ハイカランです」
ホウサンオーの周囲には、ダマスカス軍の新型MGであるハイカランが集まってきていた。
その数、およそ四十。
アピュラトリス周辺に配備されているMGの数は、およそ五百機なので、全体の割合としては多くはない。
五百の魔人機は、この時代においてはかなりの配備数であるといえる。歴史を見れば、MGの生産はこの数年後がもっとも盛んに行われ、各国も何十万、何百万という大規模なMGを編成することになるが、今はまだまだMGの技術も発展途上である。
もともと魔人機とは、ナイトシリーズのように一部の優秀な武人だけが持つ特殊な機体を指していた。彼らは武人として人類の可能性を探るためにその力を得ることが許され、紛争解決の手段に使われることはあれど、基本は武を磨き、人の進化を正しく歩むための道具としての側面が強かった。
そのため、こうして軍隊の道具として使われるMGはまだまだ歴史が浅く、数も少ない。
だが、一年前のガネリア動乱に数多くのMGが導入されたことは記憶に新しい。あれだけのMGが投入された戦いは、実のところ人類史において初めてのことであった。
一方で、投入された機体を見ると、【魔人機もどき】とも呼べる半端な機体も多い。
たとえば貧困国に指定されていたガロッソ王国にも、ロックペックのようなMGが百機弱あったが、あれの中身は土木作業用の工業用MGと大差ない。もっと言ってしまえば、ロボット型トラックに砲台を取り付けただけの、魔人機と呼ぶのもおこがましいお粗末なものであった。
実質的にはガーネリアのコンボイシリーズにして、ようやくMGの範疇であり、できればヨシュアが乗っていたシャガードクラスでないとMG戦力とは呼べない。
その点、ダマスカスのMGは質が優れている。
ゼタスTⅡは、指揮官機であったシャガードを上回る性能を持っており、ガネリア動乱後期に投入された特機型MG、ガーバリオンにも匹敵する良機である。
ハイカランも、コンボイシリーズを凌駕する性能を持つMGだ。量産が可能なこのクラスのMGといえば、ルシアのゲリュオン、シェイクのブルゴーンくらいなものである。
現在、MGは非常に注目されている【優良市場】である。ルシアやシェイクを筆頭とする大国は、国家プロジェクトとしてMGの開発を進めており、非公式ではすでに万に近い試作機を開発している。
が、やはり実戦で使ってこそ新鮮なデータが取れるものであるため、各国はその場を常に探している状態だ。かといって、大規模に投入してしまうと損害のリスクも多く、情報流出も懸念されるため、大きな実験の場というものは案外少ないものである。
そうした状況で起こったガネリア動乱は、ある種の【MGの見本市】として注目されていた。あの戦いのデータを基に、魔人機の技術が急速に促進されたことを考えれば、ガネリア動乱の意義はさらに大きいといえるだろう。
この国際連盟会議には、非公式でMG企業の重役も多く出席している。MGの点だけで言い換えるならば、この会議は各国のMG技術を競う場であり、市場のシェア争いも兼ねていることになる。
良質新型MGのハイカランを軽く五百用意したダマスカスの財力と技術力は、MG企業にとってやはり魅力的に映るだろう。そのハイカランが戦闘をするのだ。それはおのずと興味を惹くものであり、兵士たちだけではなく各国の視察団も、遠くからその状況を細かく観察していた。
しかし、もっと注目を浴びているとすれば、新たに出現した【黒い機体】ではないだろうか。
明らかに他のMGとは違う雰囲気をまとった特機型MGである。いったいどこの国のどの組織の機体なのか、どれほどの力があるのか、何のために訪れたのか。実に興味津々である。
そうした視線をひしひしと感じ、陸軍の兵士たちもいっそう奮い立っているようだ。瞬く間に黒い機体は、いきり立った陸軍によって包囲されていた。
駆けつけた二百に及ぶ戦車の砲台もこちらを向いており、対戦車ロケットを構えた兵士も次々と増えていく。一時パニックではあったが、今では半ば意気揚々とした雰囲気すら感じる。彼らからすれば、ついに来た出番なのだ。お祭り騒ぎでハイになりつつあるともいえる。
だが、肝心の黒い機体の搭乗者は、孤独な状況に耐えかねて苛立ちを感じていた。若い連中の好奇と奇異の視線、そのテンションの違いに老人がジェネレーションギャップを感じたのである。
そして爆発。
「これは明らかな差別じゃな! 許さん! ワシは許さんぞ!」
ホウサンオーが自慢の髭を振り回し、だだをこねる。
自分だけ差別されておるのじゃろう? どうせMGにも紅葉マークなんかを貼っておるのじゃろう? そうやって老人を馬鹿にしておるんじゃろう? とわめき立てる。
「孤独じゃ。ワシは孤独なんじゃ。どうせワシだけを放り出して楽しんでおるのじゃろう。酷い話じゃよ」
「いえ、そんなことは…。みなさん、ホウサンオー様を大事にしておられますから」
慌ててマレンがフォローに入るも、ジジイは聞く耳を持たない。
「嘘じゃ! 思えば、出撃前の茶も安物じゃった。ワシだけ、のけ者なんじゃ!」
ジジイ、激怒である。
たしかに茶は安物であった。しかも、付属の茶菓子も半分カビた饅頭であった。ホウサンオーは笑顔で食べたが、もしや
そういえば、茶にも大量の埃が入っていた。
見間違い?
いや、やはり違う。すべて事実であり現実だ。
その時からホウサンオーのやる気は減退していたのだ。
今爆発したのではない。積み重ねなのだ!
蓄積された不満が老人を怒りに導くのだ!
だが、茶を入れた人間の側に問題があったことを述べておかねばならないだろう。
入れたのはメラキ序列八位のヨハン。長いライムイエローの髪を大きな三つ編みにした子供である。ヨハンは暇だったので、せめて出撃するホウサンオーのために茶を入れようとしたが、普段やったことがないのでよくわからない。
そこでたまたま近くにいた、バーン序列三十五位のマルカイオに聞いたのだが、「ジジイなんだから、何食っても同じだろう」という発言を聞いて、なんだか白くて美味しそうという理由でカビが生えた饅頭を用意。(本来は茶色い饅頭。白カビが生えたもの)
続いてマルカイオの「ジジイなんだから、何飲んでも同じだろう」という発言で、適当にすでに袋が開いていた茶葉を入れる。ただし、これは経費をケチったフレイマンが大量に買った一番安い茶である。
それだけならばまだしも、彼はユニサンと同じく貧困自治区で育った男だ。味など気にしないし、下手をすれば野ネズミくらい生で丸かじりできる男である。
そんな男が安さだけを基準に買った茶が美味いわけがない。ルイセ・コノ曰く、「ウ○コみたいな臭いがするにゃ!」である。正直、まっとうな茶と呼ぶにはあまりにも酷いもので、実質フレイマンとユニサンくらいしか飲んでいる者はいなかったものだ。
さらにマルカイオが、準備をするヨハンにちょっかいを出してからかったので、ヨハンが激怒。その際に彼のとんでもない能力が発動してしまい、ランバーロの給湯室では一時期、世界を揺るがす大事件が起きそうになっていた。
もしここで危機を預言したザンビエルが来なければ、ラーバーンの計画はまさかの失敗を迎えていた可能性があった。こればかりはゼッカーも予想しておらず、事の顛末を聞いたときは若干の汗をかいていた。
結局、泣きじゃくったヨハンが持ってきたのは、給湯室での騒動で大量の埃の入った激烈にまずい茶と古カビた饅頭であった。されど、ヨハンが一生懸命入れた茶であるのは事実。半泣きのヨハンがじっと見つめる中、ホウサンオーは笑顔で食べるしかなかった。
これが知られざる哀しい真実である。
「みなさん…、いえ、私は尊敬しておりますから! 本当です!」
改めてマレンがフォロー。こんな状況で、だだをこねられると後が面倒である。必死でなだめる。
「どうせマレン君だけじゃろう? いいんじゃ。どうせ老いぼれなんてこんな扱いじゃ! ワシは、ワシは…!」
「警告する。武装を解除して投降せよ。繰り返す、武装を解除して投降せよ」
ホウサンオーがいじけていると陸軍のMG、ハイカランが三機、距離を取りながら少しずつ近寄ってきた。
近寄ってきたハイカランは両手にマシンガンを装備していた。マシンガンは対MG、対戦車用であり、装甲車程度ならば簡単に蜂の巣にできる威力がある。
「応答がないのならば射殺する! 武器を捨てろ!」
投降しろとは言うものの、ハイカランはすでに戦闘態勢である。自己の見せ場でもありハイカランの初実戦なのだから、戦う気に満ちるのは当然であった。
「なんじゃなんじゃ、こんな老いぼれに大勢出てきおってからに。ワシは武器など持っておらんぞ」
ホウサンオーが乗っている黒い機体は無手であった。何も持っていない。それもまた周囲のMG部隊が余裕をもって対処している理由であった。
だが、MGには格闘戦闘用にチューンされた機体もある。乗っているのが戦士タイプならば、身体全体、機体そのものが凶器なのだ。見た目だけではどんな性能を持っているのかわからない。ハイカランはけっして油断せずに間合いを詰めていく。
そして再び警告。
「繰り返す。投降しなければ攻撃を開始する」
ハイカランが射撃態勢に移ると、ホウサンオーの前面に広がるモニター画面に、警戒のマークとピピピという警告音が鳴る。ハイカランの【AI】がこちらをロックしたことを告げるものだ。
魔人機には一般的に【A《アーティフィシャル・》I《アイデンティティー》】が搭載されている。
これは魔人機操縦の際の機器操作などのアシストも兼ねているが、従来の設計思想はその名の通り、【人工自我】あるいは【人工意識】【人工個性】である。
すべての魔人機は神機と呼ばれる機体のレプリカであり、オリジナルの神機に搭載されているテラジュエルには意思が宿っているという。これは神機が搭乗者を自ら選び、操縦の際も意思を伝えていることからも間違いない事実である。場合によっては、自らの体調不良(破損やメンテナンス不足)を訴える機体もあるという。
つまり、神機と人間は二つで一つ。
乗る側と乗られる側との共同作業によって、本来の力を発揮するように造られているのだ。ある意味では、人間そのものが神機の動力源の一つともいえる不可欠な要素である。
当然、レプリカである魔人機も、同じ設計思想を踏襲せざるをえなかった。ただの兵器ならばそうした【余計なもの】は不必要なのであるが、その機能を排除してしまうと魔人機としての価値を失ってしまう。
魔人機とは、武人の強さによって性能が変化するものでなければ意味がないのだ。それでこそ運用する際に強みが出る。
では、どうやってジュエルに意思を組み込むのかといえば、現在の技術では不可能というのが実情である。そもそもテラジュエルが何なのかすらよくわかっていないのだ。なぜ意思を持つのか、その自我はいったい何であるのか。そこはまさにブラックボックスである。
その代わりがAIであり、既存の技術とコンピューターを使って補った【疑似人格】である。
この疑似人格は人間的感情を持たないので、搭乗者に命令するようなこともしないし不満も訴えない。それはそれで兵器としてはむしろ都合が良く、軍用MGにはたいていAIが搭載されている。(工業用MGには搭載されていないことがある)
ハイカランのAIは【
特徴としては敵の動きを捉える能力に長けており、一度ロックすれば命中精度が飛躍的に上昇する逸品である。その機能を利用し、ハイカランの操者は余裕をもって黒機を捕捉する。
「ふむ、投降か…。なるほど。それも一つの手かの」
ホウサンオーは、投降という言葉を何度か口ずさんでみた。なかなかいい響きである。こうしてアピュラトリスは隔離に成功している。戦わずに済めば、一番良いことであるのは間違いない。
ホウサンオーは回線を周辺の一般回線につなぎ、なおかつ外部スピーカーをオンにする。
「あー、すまん。おぬしら全員、投降してくれんかの。無駄に死ぬことはないじゃろう」
ホウサンオーの言葉はスピーカーから外部に【生声】で伝わる。まず誰もが応答があるとは思っていなかったので驚く。
しかも特に加工された音声ではなく生の声である。声紋を調べれば、すぐに誰かを特定できてしまうのだ。相手はまったくそれを恐れていないことを意味する。
「と、投降するのか? ならば、早くMGを降りろ!」
ただし、その意味を正確に理解できた者はいなかった。誰もがホウサンオーが投降するのだと思ったのだ。
そんなことは当然。当たり前のこと。
これだけの軍隊に囲まれているのだ。
たった一機のMGが対抗できるはずもない。
「んん? 意味が通じなかったかの。そもそも苦手なんじゃよな。こういう役割は」
ホウサンオーは、髭をわしゃわしゃ撫でながらぼやく。こうした役割はマレンのような人間がやるべきである。自分にはまったく性に合わないものだ。
どうしようかと迷っていた時、ふと思い出した機能があった。
「そうじゃ。そういえばタオちゃんが、切羽詰まって困った時に押せと言っていたボタンがあったの」
この機体を渡された時に、設計士及び整備士のタオ・ファーランが直々に搭載したシステムがあったはずである。わざわざ念入りに整備していたので、きっとこういうときに使えるものであるはずだ。
「タオちゃんの愛をここに示しておくれ!」
ホウサンオーはボタンを押した。
「おじいちゃん。パンツはタンスの下から二番目ですよ!」
「おじいちゃん、トイレは我慢しないで、行きたくなったらすぐに行ってくださいね。若い頃とは、もう違うんですから!」
その音声は、アピュラトリスを守っていた陸軍二万のうち、おそらく五千人くらいには届いたであろう大音量で発せられた。声は録音されたもので、声の主はホウサンオーのお手伝いのアキコさんだ。
タオが、わざわざスタジオでレコーディングしたレア物である。何より生活に欠かせない知識が詰まっており、たしかに切羽詰まって困ったときには役立つだろう。たとえば、トイレを我慢して漏らしてしまったが、パンツの場所がわからなくて困ったときなどは非常に役立つ。
さらに強調表現である。
もう何度も聞かれて、うんざりした感が声に滲んでいる。
「いい加減に覚えてくださいね! まったくもう!」
という感じである。
ただ、これはアキコさんの本音ではなく、タオがリクエストした演技であるため、声色には若干恥じらいが入っているのもポイントだ。こだわった。相当こだわって録音されたものだということがプロならわかる。
そんな心遣いにホウサンオーは叫んだ。
「ネグレクトじゃーーーー!!!」
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