二十七話 「メイクピークの怒り」

†††



 ホウサンオーが叫んでいる時、ちょうど陸軍司令室の軍用コテージ前に一台の車が止まった。


 出てきたのは白人の初老の男。バクナイアとはまた違った鋭い眼光を持ち、黒の中に白が混じった胡麻塩の髪を、きちっとした軍帽で覆っている生真面目そうな男だ。


 身体は大きく、護衛の兵士が一回り小さく見える。今でも厳しい鍛錬を自己に課しており、いつでも実戦に出られると豪語しているほどである。


 彼こそ現作戦、アピュラトリス防衛任務の最高責任者、レド・バードナー中将である。歳はバクナイアより五つ下の五十五歳。エリートコースではあったが非常に苦労した男として有名だ。


 新兵として守衛訓練に出たら本物のテロに遭遇したり、デスクワークに移ればハラスメント対策処理に追われて自分が鬱になったり、念願の部隊指揮を執れば刑務所上がりの無法者を押しつけられたり、毎度問題にぶつかる男であった。


 だが、そうした難題をクリアしていく過程で彼の能力は激的に増大。実務レベルでの多様なコネクションを作ることにも成功し、ついに中将にまで上り詰めた精悍かつ屈強な男である。


 仮にこの場でテロが起きようものなら、彼ならば顔色変えずに対処していたことだろう。それが普通のテロ程度ならば。だが、今回ばかりは苦虫を噛み潰したような顔を隠すことはできなかった。


 明らかに国家問題レベルの異常事態である。ダマスカス、いや、世界の富の中核であるアピュラトリスがこの有様なのだ。誰であってもそうなるのは致し方のないことだろう。


 しかもそれが、自分が到着したと同時に起こるとは皮肉でもある。バードナーは崩れゆく富の塔の外壁を見つめながら、心の平静を保とうと努力していた。


 幸いながらコテージは少し離れた場所に設置されているので、外壁落下の影響はほとんどない。その反面、離れているからこそ規模の大きさがよく見える。まるで山の全側面が土石流に呑まれていく様相に似ている。



「閣下! お待ちしておりました」



 刀を携えた壮年の男性、現場指揮官のメイクピークが止まった車に駆け寄る。


 当然、メイクピークも動揺を隠しきれない様子である。バードナーが来るのを待っていたら、突如この事態である。彼ほどの男でも、あまりの出来事にまったく対処ができないでいるのだ。



「申し訳ありません」


「そんな言葉はいい。それより現状の説明だ」



 うなだれたまま謝罪することしかできなかったメイクピークを、バードナーは手で制する。


 バードナーはメイクピークを責めるつもりは毛頭なかった。そんなことはまさに不毛である。このような不測の事態は誰もが望まず、そしてもっとも望んでいないのがバードナーとメイクピークその人なのだ。


 バードナーがまっさきに責任を取るのはもちろん、現場で指揮を執っていたメイクピークもただでは済まないのは明白である。今は責任の話をするよりも先にやるべきことがある。



「ついさきほど、アピュラトリスの外壁が落下を始めました。おそらくサカトマーク・フィールドを展開していると思われます」


「アピュラトリス側が起動させたのか?」


「確認はできませんでした。中との連絡が取れない状況なのです。すでに回線が遮断されている可能性があります」



 異変が起こった直後、メイクピークは即座にアピュラトリス側との接触を図った。しかしながら、すでに回線は切られており、さきほどまでつながっていた部署とも連絡が取れないでいる。


 しかもサカトマーク・フィールドが放射する磁場が強すぎて、近距離の無線を除いたすべての通信機器が使えないでいた。現状では国際会議場との連絡も不可能である。



「ではやはり、本当にサカトマーク・フィールドが展開しているのか…」



 バードナーは、少しずつ光を放射して輝いていく富の塔を見つめる。彼がフィールドの展開を見るのは、これが初めてである。


 それどころか、このフィールドが展開されているのを見た者は、現在のダマスカス軍にはいないのだ。いや、政治家や一般人を含めたすべての人間はシミュレーション映像でしか知らないだろう。


 サカトマーク・フィールドが展開するとなれば、いったい何百年ぶりのことだろうか。大珍事であることは間違いなく、それだけで一つの国家的イベントが成立するレベルである。


 本来なら起こらないもの。

 自分が生きている間には起きないであろうことが起こっている。

 見物客にとっては見物だろう。

 が、ダマスカス人にとっては恐怖そのものである。



「大統領への報告はいかがいたしましょう?」


「密偵が動く。嫌でも会議場にはすぐに知れるはずだ。いや、もう見えているだろうがな」



 周辺は世界各国の密偵が勢ぞろいしている。この状況は即座に報告されるだろうし、何よりこの巨大な塔の異変である。たとえるならば富士山が壊れるようなもの。それだけの大きさなのだから、会議場からでも見えるだろう。


 つまり、自分たちの失態も丸見えなのだ。隠しようがない。



「閣下、強行突入のご許可を! 国防長官からも査察の命が出ているはずです!」


「一度発動すれば、いかなる攻撃も弾き返すというフィールドだ。現実的に考えて、我々がやれることはないだろう」



 メイクピークの訴えに対し、バードナーは静かに首を振る。あとから来たバードナーのほうが現状がよく見えており、比較的冷静に事態を把握できていた。


 なぜアピュラトリスが入国不可能な塔なのか。その最大の理由がサカトマーク・フィールドである。数多くある厳重なセキュリティも、塔内の陸軍の駐留も、サカトマーク・フィールドの存在に比べれば微々たるものである。


 一度発動すれば、誰も手がつけられない。

 だからこその絶対神話なのである。



「閣下、中へ」


「兵士たちが外にいるのだ。司令官が中にいては話にならん。自分の目で見る」



 バードナーはコテージには入らず、自らの視線で状況を確認する。もともと現場の重要性を知る人物であるし、自らも武人である彼にとって、じかに異変の空気を感じ取ることは大切な行為であった。


 ただそれは、メイクピークにとってはつらいこと。現場の指揮を任せられていたがゆえに責任を感じるものである。バードナーは数少ない武闘派の同志。彼が責任を取れば、最終的には武闘派全体の不利益になるのだ。



(よもや、このようなことになろうとは)



 メイクピークは自分の甘さを痛感した。兆候はすでにあったのだ。バードナーによってアピュラトリス内部の調査を命じられた際には、メイクピークも頭の隅には危険の予感があった。


 だが、武人である彼は、敵が目の前に現れるものと勝手に想像していた。それならば、陸軍総出で守りきる自信があったのだ。相手がルシア軍であれシェイク軍であれ、いかなる敵が相手でも渡り合う覚悟でいた。


 それゆえに内部は弱い。常に外に意識を張り巡らせている者は、中からの予想外の事態にはまったく対応できないのだ。そんなことは兵法の基本である。それが自分の身に起こったにすぎない。


 それもまた油断。


 アピュラトリスという完全な密室と陸軍の数に、メイクピークもまた酔っていたことを悟る。そうした油断が今回の一件を招いたのだ。



(志郎とデムサンダーはどうなった? フォードラのお嬢さんは?)



 メイクピークは、塔に入った四人のことを考えていた。


 このような状況で彼らのことを考えられるのはメイクピークの人柄であるが、彼らが中に入ってからフィールドは発動したのである。何らかの因果関係があってもおかしくはない。


 そもそもエリスをこの日に呼び寄せることも不自然である。この厳戒態勢の中、わざわざ一人の少女を丁重に迎える意味がわからない。そう考え出すと、すべてが意味深に思えてきて頭が混乱してきそうだ。



(落ち着け。冷静になれ。少なくとも中は安全なのだ。それに、エルダー・パワーの二人が中にいることは悪い手ではないはずだ)



 今になって二人を入れた意味が出てくる。最低限の手は打てたわけだし、中の状況を知る者がいることは大きいだろう。それに、フィールドは守るためにある。中は安全のはずであった。



「閣下、MGを確認してまいりました」



 バードナーの側近のハムジェルク中佐が、周辺の情報収集を終えて戻ってくる。MGはすでにバードナー到着前には出現しており、その様子は移動中の車からでも見えていた。その調査に向かっていたのだ。



「本当にMGなのか?」


「間違いありません。私も視認しましたが黒い機体で、今のところ所属は不明です」


「ふっ、サカトマーク・フィールドの次は未確認MGか。こうも次々起こると愉快になってくるものだ」



 陸軍は塔を囲むように、いくつもの検問を張っている。エリスの車一台ですら即座に対応したのだから、MGが入ってくる隙間などあろうはずがない。そんな場所に出現した黒い機体には興味さえ抱く。


 しかも一機、単体。

 それでこの数の陸軍と対峙するなど正気の沙汰ではない。



「君の見立ては? どこのものだと思う?」



 バードナーがハムジェルクに率直な意見を求める。ハムジェルクは各国騎士団や軍事産業に精通しており、MGにも造詣が深いので有名である。



「正規軍のものではないと思います。かといって武装組織というレベルを超えています。なにせ、現状のレーダーには映らないのですから」



 フィールドの影響もあるかもしれないが、黒機はレーダーには映らないのである。それもまたラーバーンの技術によるものだが、それ自体で異常であるといえる。


 これはかつてアンバーガイゼルに組み込まれていた【ゴースト】と呼ばれる技術を簡易化したもので、ゴーストはレーダーからも視界からも消えるものであるが、これは索敵レーダーだけに映らない特性を維持した【ミスト】と呼ばれる技術である。


 エネルギーの消費も少なく、一般的なレーダーからも探知されない。さすがに近距離の熱源探知には引っかかるが、広域レーダーくらいならば誤魔化せる代物である。とはいえ、こんな衆目の場において意味があるかは別の話であるが。



「大きさは特機クラス。見た感じでは、五大国の正規軍のどれとも違うコンセプトですな。強いて言えば、装甲フレームにグレート・ガーデン流のものを感じる程度でしょうか」


「グレート・ガーデン〈偉大なる箱庭〉か。あそこは技術大国だからな。それだけで特定することはできそうもないな」



 バードナーが言う通り、常任理事国のグレート・ガーデンは技術を売ることで国を維持している。正式な国家はもちろん、一般企業から非公式の武装組織に至るまで、あらゆる組織に技術を提供しているのだ。


 そえゆえにグレート・ガーデンの面影があっても、ただそれだけを理由に彼らの関与を疑うわけにはいかない。それは「いつものこと」なのであるから。



「今回は超帝陛下もご出席なされています。あの御方の【戯れ】ということも考えられますが…」


「それも考えられるが、サカトマーク・フィールドが発動したのは事実だ。それとの因果関係を考えると、正直難しいところだろう」



 ハムジェルクの懸念も理解できる。グレート・ガーデン、それも超帝という人物は、たびたび問題行動を起こすことで有名である。


 このような大きな【祭】ともなれば、テンションが上がって聴衆を驚かすくらいのことはやってのけるかもしれない。だが、さすがの超帝であってもサカトマーク・フィールドを展開させるだけのイタズラは不可能であろう。



「すでに知っての通り、バクナイア長官からアピュラトリスの調査指示が出ている。あくまで非公式だが、これにはエクスペンサー次官の懸念が影響しているそうだ」



 バードナーはいくつかの可能性を考えながらも、視点をアピュラトリスに限定する。ヘインシーは塔の管理者である。アピュラトリスのことならば、ダマスカス国内において彼の右に出るものはいない。いや、世界中を見回しても彼以外には理解しえないのだ。


 その彼が異常を感知している。そして、攻撃を受けていると名言している。となれば、バードナーはこう結論付けるしかない。



「信じがたいが、テロだろう。少なくとも、我らダマスカスに反感を持つ者たちであるのは間違いない」


「ですが、どうやって中に入ったのですか? フィールドは内部からしか発動できないはずです」



 メイクピークの反論も理解できる。フィールドが展開されたということは、敵が中に侵入したことを意味する。普通は不可能なことなのだ。



「それでも事実は受け入れるしかない。フィールドのことは我々の専門外のことだ。それより、現れたMGの対処を優先する。全体の指揮は私が執る。中佐は私の補佐だ」


「了解しました」



 バードナーの命令にハムジェルクは静かに頷く。それからバードナーはメイクピークに向かう。



「わかっていると思うが、これが最後のチャンスだ。これ以上の失態は、私も君も命取りになる」


「…心得ております」


「君は万一の事態にそなえて、ゼルスセイバーズの出動準備を頼む。こうなれば打てる手はすべて打つつもりだ」


「了解しました」



 うなだれたまま敬礼をして、メイクピークは歩き出す。できるだけ落ち着こうと速度を抑えて歩いていた。つもりである。が、溢れ出る怒りは無意識のうちに戦気となっていた。


 道中、その表情を見た兵士は驚きと恐怖で硬直し、道を譲るのでさえ生きた心地がしなかったという。メイクピークは刀を握りしめ、悔しさのあまり歯軋りする。あまりの強い力で噛んだので、歯が欠けたほどだ。



(許さん! 絶対に許さん!)



 その顔は、志郎とデムサンダーに向けた愛嬌のある顔とは真逆。まさに怒り心頭、仁王の顔である。メイクピークは地位そのものに執着はない。大佐となったのも、刀一本でどこまで行けるかを追求した結果にすぎない。


 彼にとっては【価値ある軍人】であることが重要なのだ。メイクピーク家は、代々軍人の中で武闘派としての地位を維持していた。それはそれで価値があることである。


 一方、時代は変わり、武力以外においても自己を示す必要が出てきた。それに失敗した家柄はフォードラ家を含めてどんどん没落していった。


 変われない者は没落する。


 その現実に立ち向かい、彼は性に合わないことも我慢して生きてきた。フォードラ家の教訓を踏まえて他派閥とのコネクションを増やし、嫌悪さえする享楽のパーティーにも出席してきた。


 自らの価値、家の価値、ダマスカスを守るために必要な力を集めるために耐えてきた。それがこの事態ですべて終わりである。この現象が事故であることはない。万が一すらない厳重なセキュリティだからこそ、アピュラトリスは価値がある塔なのだ。


 この日、このタイミングで起きたことが、何の意味も持たないことは絶対にない。アピュラトリス内部で何が起きたにせよ、この責任は取らねばならないだろう。少なくとも自分とバードナーが軍人を続けられる保証はまったくない。


 だが、まだメイクピークには唯一の起死回生のシナリオがある。


 それは【武】


 武力組織としての力を見せつけることである。そのための軍隊であり、そのための特殊部隊なのだ。


 陸軍特別強襲隊【武刀組ぶとうそ】、通称ゼルスセイバーズ。


 メイクピークがあらゆる手を使って陸軍に設立した精鋭部隊である。陸軍の中から優れた武人を集め、日々鍛錬に鍛錬を重ねて最強の部隊を生み出した。


 この部隊はメイクピーク当人だけではなく、メイクピーク家が長年に渡って進めてきた国力強化プロジェクト。いわば念願であり悲願である。


 近年、軍縮の流れが進んでおり、普段使われない特殊部隊への批判も高まっている。こうした部隊を設立すること自体にも、大きな圧力がかかるものである。それを耐え抜いて、ようやく今の規模にまでしたのだ。


 これはピンチである。

 が、違う見方をすればチャンスにもなる。


 今ここで敵機を倒せば、まだ生きる道が残っている。そればかりかゼルスセイバーズの有用性を実証し、強化できるかもしれないのだ。




「大佐、出番ですか?」



 メイクピークが第三軍事ドックに到着すると、グレーの髪をした大きな体躯の男が出迎える。ドミニク・ナガノーダン大尉、四十二歳。彼もゼルスセイバーズのメンバーであり、隊長であるメイクピークを補佐する副隊長の任にあるベテラン兵士である。



「状況は聞いているか?」


「見た限りのことは」



 アピュラトリスの外壁が崩れていることは、この距離からでもすぐにわかる。加えて偵察兵がすでに謎のMGを視認している。それだけ見れば状況の大半は理解できるというものだ。



「それで十分だ。まだ正式な命令は出ていない。が、すぐに出せるようにしておく」


「それまで相手がもちますか? かなりの数のハイカランが配備されているはずですが」


「私も少ししか見ていないが、ナイトシリーズ級であるのは間違いない。ハイカランでは止められぬよ」



 ナイトシリーズ。既存のMGの中で最高クラスの量産型MGである。優れた武人だけに与えられる、この最高級のMGの戦闘力は凄まじく、量産型MG程度ならば一蹴できるほどの性能を持っている。


 メイクピークも、わずかな時間しか確認できていないが、現れた黒機は明らかに普通ではない。特機クラスであるならば、ゼルスセイバーズの出番もあると踏んでいた。



「クウヤたちの準備を急がせろ」


「了解しました」



 メイクピークは指示を出し終えると、格納庫に配備されていた新型MGを見つめる。ハイカランも新型のMGであるが、あれは大量生産用のMGである。今ここにあるのは、それよりも何ランクも上の代物だ。


「最後に頼るものは、いつの時代も武だ。武を研ぎ澄ましてこそ国は守れる。私はそれを証明してみせる」


 メイクピークは新型MGに乗り込む。


 すべては国のため。

 この国を守るために。


 ダマスカスが、刀の信念を失わないために。


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