二十五話 「王気、世界を導く炎よ」
†††
「助けに来たわよ」
半死半生の志郎とデムサンダーの前に現れたのは、エリス・フォードラであった。
彼女は悠然と歩きながら、今度はハンドガンを取り出すと何の警告もなしにユニサンにフルオートで全弾撃ち込む。
ユニサンはよけない。ロケットランチャーをくらっても、まったくダメージを受けていない彼がよける必要はなく、わざわざロングマガジンをセットして五十発近く撃ち込んだものの、すべて弾かれる。
だが、エリスはかまわずスペツナズ・ナイフを取り出し、刃を発射。これもユニサンの鋼鉄の胸に弾かれる。それを見たエリスは、手榴弾の安全レバーを外して投げると同時に壁の突起に隠れ、身を伏せる。
そして爆発。
爆風と破片はユニサンに当たるも、当然ながら効かない。そもそも志郎やデムサンダーでさえどうにもならないのだ。彼女にどうにかできるわけがない。
問題は、その行為である。
「ちょっ、バカ!! いきなり手榴弾なんて投げるな!!」
感動の再会を祝するデムサンダーの第一声はそれであった。
いきなり登場したエリスに呆気にとられていた二人であったが。さらにその行動に唖然としていた。警告なしにロケットランチャーを撃ち込み、その後もひたすら無言でユニサンに攻撃を繰り返し、あまつさえ志郎たちに断ることもなく手榴弾を投げる。
おかげで二人は慌てて逃げたものの、破片の一つがデムサンダーの尻に刺さった。すでに戦気を出す力が残っていない二人には、普通の手榴弾でもそれなりに危険な武器なのだ。
「あら、まだいたの」
「見ればわかるだろうが!」
「まったく、ずいぶんと派手にやられましたのね」
そんな抗議の声をまったく気にしていないミリタリーお嬢様は、改めて二人の様子を見る。
二人のやられっぷりは相当なものである。志郎の身体は、一応五体はかろうじて存在しているだけの状態であり、中身はボロボロ。臓器もいくつか潰れているので、武人でなければ死んでいる大怪我である。
デムサンダーは見た目だけでもかなり酷い状態。両腕を失い、足にも大きな裂傷がある。ユニサンに殴られたので顔も腫れており、もともと彫りの深い顔が、さらにすごいことになっている。背中も大きく斬られ、これまた生きているのが不思議なほどの重症である。
普通の【か弱い女性】ならば見ただけで失神しているところだが、エリスはただ黙って一瞥するだけである。特に慰めの言葉もない。
「エリス、どうやってここまで…。いや、どうやって目覚めたの?」
あの睡眠ガスはかなり強力なものであり、数時間は確実に起きない代物である。志郎たちはともかく、エリスがこんな短時間で起きれるとは予想できなかった。
「そういえばガスで眠っていた…のですわね」
エリスもおぼろげながら、ガスが注入され意識を失ったことを覚えていた。
「理由なんてわかりませんわ。勝手に目が覚めましたもの」
が、それだけのこと。なぜ目覚めたのかなど、彼女にとっては興味がないものであった。当然、理由など知る由もないし、知る必要もないと思っている。
「おいおい、そんな話でいいのかよ? ずいぶんとデタラメなお嬢さんだぜ」
「あら、あなたほどデタラメではありませんわ。それはそうと、なんか虫みたいで気持ち悪いですわよ」
「虫とか言うなよ!! こっちは必死だぞ!」
デムサンダーの様子は、脚を失った虫のように哀れなものである。それが身振り手振りで抗議するので、さらに気色悪いことになっている。
「お二人とも、ご無事で何よりでございます」
「ディズレーさんまで…!」
「ご安心ください。今回の運転は私が担当しておりますので」
そう言って、ディズレーはアピュラトリス内部移動用の車を指さす。車はバギーのような形をしており、大きめの荷台が付いていた。最初にエリスが撃ったロケットランチャーも、ここに搭載されていたもののようだ。
「まったく、どうなってやがるんだ」
デムサンダーも状況についていけず頭を抱える…そぶりをする。そういえばもう手はなかった。
「ところで、どうなっているのかしら?」
エリスは異形のユニサンと二人を交互に見つめ、頭の上に?マークを浮かべる。
「おい、状況もわからずに撃ったのか」
「助けてもらってその態度は、あまりに失礼じゃないかしら」
デムサンダーの抗議の声もエリスにとっては心外である。二人が襲われていたので、とりあえず撃っておいたのだ。感謝されることはあれど、非難される筋合いはないのである。
といっても、それらの攻撃はすべて無意味ではあった。ユニサンは平然としてエリスを観察している。
(エリス? この女はもしや、エリス・フォードラか?)
ユニサンはエリスの写真を見ているので容姿を知っている。彼女は【電池】であり捕獲も任務に入っていたからだ。しかし、一目見てそうとはわからなかった。
まるで印象が違う。
写真で見た彼女は普通のお嬢様であり、あそこまで目に生気が宿ってはいなかった。一方、今のエリスの目には強い意思が宿っている。強固で不屈。闘魂の炎がちらついて見える。
(電池ならば捕らえておくか?)
時間に余裕はないが、相手から出てきてくれたのだ。放っておくこともない。ユニサンにとっては造作もないこと。まるで逃げない虫を捕まえるくらいたやすいことだ。
その気配に気がついたのは、志郎であった。
「っ…! エリス、逃げて!」
今の志郎たちにエリスを守る余力はない。それなのに彼女が来てしまった。再会は嬉しいが、なんという不運だろうか。最悪の事態も覚悟しなければならない。
(エリスが死んだら僕は絶対に後悔する)
守ると決めたのだ。エルダー・パワーとして自覚が芽生えたあの時に決めたのだ。
どんなことがあっても目の前の仲間は守ると誓ったのだ。
だから志郎はエリスを守らねばならなかった。
だから志郎はエリスの前に立とうとした。
だが、ユニサンの手がエリスに向かおうとした時、落雷が起こった。
それはデムサンダーの技ではない。そういうものではない。
もっと違う、もっと強烈なものであった。
「本気でない者が私に触れるな!!」
杏色の髪の少女が叫ぶ。
直後、信じられないことが起きる。
あの巨大な体と剛腕を持つユニサンが、弾けるように手を引っ込めたのだ。
その顔は、その表情は、その目は驚きに見開かれていた。まるで何が起こったのかわからないような驚き。なぜ自分でそうしてしまったのか理解できないような、きょとんとした顔。
まるで親に怒られた子供のように、教師に叱られた小学生のように、驚いた般若の顔が、そんな童子のように映った。
子ウサギが巣穴に入ったので、軽い気持ちで捕まえようとしたら指を噛みちぎられた。そんな心境にも似ている。まさかの出来事に呆然としてしまう、そんな感覚である。
「な…んだ?」
それにはデムサンダーも驚く。
あのユニサンの剛腕を引っ込めさせるのに、デムサンダーは何発の蹴りを必要としただろう。どれだけの痛みを我慢しただろう。それが、少女の言葉たった一つで悪鬼は引っ込んでしまったのだ。
あまりに滑稽。あまりに喜劇。
だが、事実である。
この時、ユニサンだけに【視えた】ものがある。
それは彼の死期が近づき感覚が増大していたことと、ザックル・ガーネットの力によって【力場】が見えやすくなっていたことに起因する。そして、現在のアピュラトリスが、やや異様な状況下にあったことが影響していた。
ユニサンは見たのだ。
エリスから発せられた【光】を。
声が、目が、意思が、巨大な光を生み出してユニサンの手を押し退けたのだ。それは女性でありながら凛々しく、厳しく、やや刺々しい印象を与える力であった。
色は少女の髪と似た杏色。
輝きを与えた生気溢れるゴールドの
それは波動ではあったが、ユニサンには物理的な力にさえ感じられたのだ。だからこそ力ある声は、簡単にユニサンの剛腕を押し退けたのだ。
(今のは…まさか…)
ユニサンは、自分の手とエリスの光を見て呆然としていた。ユニサンは、エリスがただの電池であることしか教えられていなかった。それは誰の手落ちでもない。
事実そうだったのだ。
エリスはユウト・カナサキの代用品。次の電池でしかない。
それがなぜこうなったかを説明するのは非常に難しい。
これにはいくつかの要因がある。
(ああ、そういうことだったのですわね)
エリスは自分の中に、何か今までとは別の力が湧き上がってくるのを感じていた。燃えるような熱い、それでいて整然とした力である。
これは眠りから目覚めた時から火種として生まれ、ロケットランチャーを手にした時からさらに膨れ上がった。そして、ここに来た時には半ば確信に近いものを感じていた。
目覚めの予感。
何者かが自分に力を与えてくれている感覚。全包囲から包み込まれ、守られているような安心感。
そして、内部からほとばしる強い意思。
エリスは自分が完成されていくのを感じていた。
自分はアピュラトリスに選ばれた。
そう実感するのだ。
それは間違いではない。より正しく述べるのならば、アナイスメルが彼女を欲し、彼女が応えたのだ。これにも、この場にいる誰もが知らない事実が一つある。
アナイスメルは電池を必要としていた。
それはなぜか。
アナイスメルそのものは、目に見えない領域に存在し活動している。ならば、それでアナイスメルそのものには問題がないのだ。
電池を必要としているのは地上側の人間である。アナイスメルの能力を物的に変換するために電池が必要なのであって、アナイスメルが必要としているわけではない。ここが重要な点である。
しかし、アナイスメルは求めている。
自己を表現する媒体を欲している。
これもまたもう一つの事実が必要となる。
実はこのわずか前、エリスが目覚める前。アナイスメル百九階層にダイブしているルイセ・コノは、その階層にある【とあるシステム】を起動させていた。
これは百十階層に入るための補助システムとして都合が良かったので起動させたのだが、急いでいる彼女は、システムを切らないまま次の階層に移ってしまった。
ルイセ・コノにとっては些細なこと。ある意味、偶然の産物。どうでもいいこと。目的のもの以外は、べつにいらないもの。それがまさかこのような事態を引き起こすとは、さすがのルイセ・コノでも予測はできなかったに違いない。
しかし、すべてはつながっていることである。その行動がたまたまであっても、彼女らのいい加減さが引き起こしたことであっても、エリスにとっては世界創造に匹敵する巨大な変化であったのだ。
それは、アナイスメルに【自我】を芽生えさせるためのシステム。
アナイスメルを作った存在が、戯れと実験のために置いておいた【使われないであろうシステム】であった。
それが起動した時、アナイスメルは激しい自己表現を欲したのだ。もともと無意識下で人を欲していた【彼女】であったが、それが意識的に表現を欲し始めた。これは画期的であり異常なことである。
そのために必要だったのは【媒体】。表現するための道具。これは当然ながら、自己と波長が合う存在でなくてはならない。拒否反応がない存在でなければならない。
ユウト・カナサキでは駄目だった。
肉体の強さは平均的であるが意思が弱い。
善人ではあるが、犠牲的精神に欠ける凡夫である。
これではアナイスメルは満足しない。
重要なのは心。自己表現。発する能力が弱ければ、アナイスメルという赤ん坊が叫ぶことができない。
そう、叫びたいのだ。
―――彼女は叫びたい!!
「そうよ! 私を使いなさい!! 私は力! 私はあなたの意思!! だからあなたは私なのよ!!!」
アナイスメルは、エリスの中に眠っていた炎に気がついた。そして波長を合わせた時に、彼女の魂の中に眠っていた【資質】の扉を開けたのだ。
開けてしまったのだ。
そしてアナイスメルは、初めて自己表現の手段を手にした。それはほんの一部、大海の
「二人とも、立ちなさい! あなたたちは男でしょう! 男児たるもの、立派に立ち上がりなさい!!」
エリスの声がアピュラトリスを駆け巡る!
熱風に煽られたように、志郎とデムサンダーは背筋を伸ばして立ち上がり、感じた。絶望を感じていた心が高揚していく。諦めそうになった心が、再び何かを欲していく。
かつて子供の頃に捨ててしまった夢を、大人になって改めて目指そうとしたあの気持ちが、燃えるような熱情となって湧き上がる!!!
(これは…なんだ!?)
志郎は驚いていた。驚かずにはいられない。心が高揚していくにつれて身体が軽く感じられる。実際に身体の奥底から、血の中から何かが絞り出されるような感覚。
もうとっくに尽きてしまったはずの熱意が、生体磁気が、【闘志】が湧き出てくる。身体は痛い。だがそれも心地よい痛みとなる。心は苦しい。だがそれも立ち向かう喜びとなる。
これが力。
これがエリスに隠されていた力。
人々を勇気づけ、その心に炎を灯す力。
それは人々を動かす大いなる意思の力!!!
「さあ、志郎。私を守りなさい。そう誓ったのならば、守ってみせなさい」
「え? そんなこと言ったっけ?」
志郎はたしかに守ろうとは思っていたが、エリスに直接伝えたことはないと記憶している。
事実、ない。そんなことはない。
が、エリス当人が、それが当たり前だと思っていることが重要なのだ。
それが【アナイスメルとの融合】をさらに強めていく。
「私に指一本触れることは許しません!」
エリスから凄まじい圧力が発せられる。炎が揺らめき、燃え上がり、噴き出し、周囲の事象を歪めてしまうほどの波動を引き起こす。
それにはユニサンも一歩後退せざるをえない。
(まさか、このようなところに…)
ユニサンは、予想を遙かに超えた事態に戸惑っていた。これこそ完全なるイレギュラー、想定外である。
これだけの力を見せられても、今のユニサンならば力付くで彼女を取り押さえることはできなくはない。だが、それも彼女一人ならば、の話である。
彼の目の前には志郎の姿。少女の言葉を受け、明らかに今までとは違う段階に入っている。そして、志郎の後ろにはデムサンダーの姿。たしかに半死半生であるが、その目には初めて見せる光があった。
エリスと志郎を死んでも守り通す。決死の目をした黒い戦士の姿。その覚悟は、自分たちとなんら変わらぬ強い意思である。
(まずいな。手間取りそうだ)
こうなった相手は強い。手負いだからこそ怖い。なにせ自分自身がそうだったのだ。身をもって知っている。
そうしてユニサンがどうするか迷っていると、背後から接近する気配が二つあった。ロキN5とN9がマレンの指示で駆けつけたのだ。これで戦力としてはユニサンたちが有利となった。
が、直後、ユニサンとロキの二人は真上を見上げた。
それは【狼煙】。
第二ステージの終わりを告げる合図であった。
(オンギョウジ、やったか)
その波動はザックル・ガーネットと共鳴し、ユニサンに狼煙を伝えている。なにせこのガーネットもまた、神の脊髄と深い関わりがあるものなのだ。最上階の様子は見えずとも、何が起こっているかは手に取るようにわかった。
そして、オンギョウジとの別れも意味している。
(短い付き合いであったが、お前も誇り高い
ユニサンはロキに合図を出し、この場を去ろうとする。
止めたのはデムサンダー。
「オッサン、逃げるのかよ!」
満身創痍のデムサンダーが言う台詞ではないが、ユニサンには不思議とそれが可笑しいとは思えなかった。それだけ今の彼らは力に溢れていた。
だからユニサンは素直に認める。
「ああ、逃げるとしようか。【王】と戦うには準備が足りなかったよ。俺の負けだ。まさかこんな場所に王がいるとはな…。大誤算だ」
「王…? 何のことだ?」
デムサンダーは首を傾げた。それも仕方がない。誰もにとって理解しがたい状況が生まれてしまったのだから。
「二人とも、もっと強くなれ。本物のバーンは、もっともっと強いぞ。お前たちの王を守れるくらいに強くなれ」
その言葉に敵意はなく、純粋に武人として、人生の先輩としての言葉であった。自分よりも遙かに才能豊かな人間を、ここで殺さずにおけた安堵感も滲んでいる。
「ジン・アズマは強かった。だが、死んだ。所詮、生の喜びとは縁遠い存在だからだ。だからお前たちは、俺やあいつとは違う生き方をしろ。生きるために闘い、強くなれ」
ユニサンは楽しかった。純粋に戦いを楽しめた。だが、こうして戦うことも、これで最後になるだろう。外に出れば、もはや死闘は免れないのだから。
だから最後は、般若の顔を歪ませて笑うのだ。
「では、さらばだ」
そう言い残して、ユニサンとロキ二人はエリスたちを抜いて入り口へと向かっていった。もちろん、志郎たちに追いかける余力はない。彼らを見送ることしかできなかった。
「本当に…助かったんだ」
志郎から力が抜けていく。ロキが加わった状態で戦闘となっていたら間違いなく負けていた。エリスを守るどころではなかっただろう。
「何を弱気なことを言っているの。私たちが追い払ったのよ」
だが、エリス当人は、まったくそんなつもりはないらしい。さも当然の結果だと言わんばかりに堂々としていた。
「そういう見方も…できるかな」
「はは、はははは!! まったく、とんでもない大物だよ、お前はよ!」
その言葉に志郎は苦笑いし、デムサンダーも大笑い。そんな二人に対し、一人だけわかっていないエリスが「何が可笑しいのかしら?」と首を傾げていた。
「でもエリス、さっきのは何だったんだい?」
さきほどユニサンを気圧した力は見間違いではない。ユニサン当人も、その力を認めたからあっさり退いたのだ。
彼はそれを【王】と呼んだ。
「さあ、私にもわかりませんわ」
エリスにも具体的なことはわからない。どうして眠りから目覚めたのか、どうしてユニサンを追い払えたのか、いまだにわからないことだらけである。
ただ、感覚として今は少しずつ落ち着いているのがわかる。
今は【あの声】もよく聴こえず、高揚感もさほど感じていない状態だ。それでもエリスの中には火種が残されていた。一度燃え広がったあの感覚は忘れることはできず、その気になればまた点火させることができるかもしれない。
それは可能性。
ドキドキする。ワクワクするもの。
人が持つ無限の可能性の一束を感じ、エリスは高揚していた。アピュラトリスに向かう時の、不安と憂鬱の感情とはまるで正反対の感情。勇気と自信と期待に満ちた感覚が、何よりも心地よいのである。
「これからどうしよう? 外は危険だろうし…」
志郎は、ユニサンたちが入り口に向かったのを警戒していた。今、表に出ようとすれば鉢合わせる可能性がある。
「待てよ。外には陸軍がいるじゃねえか。むしろ、危険なのはあいつらのはずだぜ」
ユニサンは外に出るつもりだろう。だが、そこには陸軍二万が陣取っている。
あんな奇妙な連中が出ていけば、即座に拘束されるに違いない。当然、相当な犠牲は出すだろうが、いくらロキたちがいるとはいえ数が違いすぎる。
しかし、ユニサンは死を覚悟はしていても無駄死にするような雰囲気ではなかった。それは実際に戦った二人にはよくわかる。
(勝算があるのだろうか。それとも何か目的が?)
どう考えても今の志郎たちに、ユニサンの目的はおろか素性さえ理解することはできそうもなかった。
それらはエルダー・パワーの忍者たちに任せるほうが賢明だろう。志郎たちはあくまで戦士。戦うのが仕事だ。
「それより何とかなりませんの、それ」
エリスが顔をしかめたのはデムサンダーである。
改めて観察すると、右手は車にひかれたカエルのような状態。左腕は上腕二頭筋の真ん中あたりから完全に消し飛んでいる。わき腹も骨折しているようであり、志郎も相当なダメージであるが、デムサンダーの見た目は相当悪い。
エリスに虫呼ばわりされるのも仕方ない惨状である。
「右手はジョー先生に治してもらうとしても、左腕はきつそうだね」
志郎が言った先生とは、
右手は簡単に治りそうだが、根本から失われた左腕は難しい。義手にする必要があるかもしれない。
「まっ、そこはしゃあないさ。命があっただけでも儲けものだ」
デムサンダーは仕方ないという面持ちで自分の左腕を見る。生死をかけた戦いである。その後のことまで考える余裕はない。まだこの程度で済んだことを喜ぶべきだろう。
「ふーむ」
エリスは、デムサンダーのなくなった腕を見ながら呻いている。
何度も何度も呻いている。
「おい、なんだよ。仕方ないだろう。気持ち悪いなら見ないでおけよ」
「…う~ん」
「おい、大丈夫か、お前?」
デムサンダーがエリスの前で、千切れそうな右手をブラブラさせてみるが、エリスに反応はなかった。
「…何か、来ますわ」
それどころか、ふとエリスが上を見上げてつぶやく。
「え? 何?」
志郎もつられて天井を見上げるが、特に何もなかった。その後も何も変化しない。だが、エリスは天井をじっと見つめたまま動かない。
「おい、エリスのやつ、少し変じゃないか?」
デムサンダーが小声で志郎に異変を告げる。それは志郎も薄々気がついていたことだ。
言葉にするのは難しいが何かが違う。もともと突飛かつ気丈な性格の少女ではあるのだが、明らかに目覚めてから何かが変わった。その彼女が天井を見て何かを感じている。それを見過ごすほど志郎たちは凡夫ではない。
だが、志郎たちが予測できたのはそこまで。
これから起こることは、彼らの想像を遙かに超えるものであったのだ。
「左腕をみせてみなさい」
エリスがデムサンダーに振り向いて言う。
「見せろって…もう見てるだろう?」
「そういう意味ではありませんわ。左腕をこちらに向けなさいな」
相変わらずの上から目線であるが、エリスの顔は真剣だった。その視線に負けて、思わずデムサンダーは左腕を上げる。
「たぶん、こう…」
エリスがデムサンダーの左手があった場所、今は失われた何もない空間に手を差し伸べ、元の形に沿ってなぞるように動かす。
それを何度か繰り返す。
何度も繰り返す。
彼女は淡々と繰り返す。
その奇行を志郎とデムサンダーは黙って見ていた。あまりにエリスが熱中しているので、声をかけるにもかけられなかったのだ。
「おい、いい加減に…」
さすがにその場の空気に耐えられなくなったデムサンダーがそう言おうとした時、左腕の根本が熱くなる。そして、何かがもぞもぞと這い出てくるような嫌な感触がし、実際に何かが出てきた。
「うわっ! なんだぁー! 蛆か!? 蛆虫か!?」
「違いますわ。じっとして!」
「いや、これ…大丈夫か?」
蛆ではなく白い泡のようなもの。それらがぞわぞわと這い出て、次第に固まっていく。気がつくと石膏に似たソレは、デムサンダーの失われた左腕を完璧に元のままかたどっていた。
「大丈夫。もう少し。これでできる…はず」
少し時間が経つと、白い色が徐々に浅黒い彼の色に変色し、デムサンダーの肉体と同化していく。色も最初はちぐはぐであったが、少しずつ肌の色と同じになっていった。
「まあ、こんなものでしょう。さあ、動かしてみなさい」
呆気に取られる二人をよそに、エリスは事も無げにそう言う。
「動かしてみろって…」
あまりのことにショックを受けているデムサンダーは言われるがままに、今までやっていたように手に意思を込めてみた。
何気なく、何ともなく、ただいつも通り手を、指を動かすように指令を出しただけ。すると新しい左手は多少ぎこちなくではあるが、デムサンダーの意図した通りに動いた。何度か動かしてみると、そのたびに動きはスムーズになっていく。
そう、これは間違いなくデムサンダーの腕だ。
腕になったのだ。今、新しく生まれて。
「嘘…だろう?」
それはまるで自分の腕そのもの。かつてあったものと変わりないもの。
恐ろしいのは筋力まで変わらず再生したことだ。鍛えられた身体とまったく同じ釣り合いをもって腕は再生されている。力を込めると、失われる前と同じ感覚で筋肉が盛り上がる。
「しばらくすれば、あなたのものになるわ。確証はないけど義手よりましでしょう。嫌だったら自分でまた切りなさいな」
さりげなく恐ろしいことを言いながら、エリスはなかなかに満足げな表情であった。初めてやった夏休みの工作が思ったより上手くいって、ほくそ笑んでいる。そんな表情である。
「エリス、これは何なの!?」
志郎はあまりの現象にたまりかねて、思わず声が裏返る。
「さあ? 何となくできる気がしただけですわ。私もびっくりですわね」
エリス当人も完全なる自信があったわけではない。できる気がした。それだけのことだ。
(そんな馬鹿な。こんなのは異常だ)
志郎は激しい違和感を覚える。たしかに世の中にはこうした術はある。医術でも再生医療は進んでいるし、状況が整えば再生もある程度は可能だろう。
術にしても、高度な真言術や魔王技の中には、一瞬で身体を復元するものもある。魂の欠損さえ癒してしまう術もあるという。
だが、あくまで限定的なものだ。
状況と条件、そして高度な医者か術者がいなければ到底不可能なことである。そんなことができる人材は、世界に数人いるかどうかであろう。それが今こんな状況で、医者でも術者でもないエリスにできるはずがない。
ありえない。あってはならない。
こんな異常なことが起こってはいけない。
そう、異常なのだ。
今、アピュラトリスでは異常なことが起こっているのだ。
最上階から発せられた巨大な生命力が、塔を埋め尽くそうとしている。それそのものは別の目的のために発せられたものだが、アナイスメルの干渉を受けたエリスにも流れた。
その強烈な波動を受けた彼女には、デムサンダーの霊体がかすかに見えていたのだ。霊体そのものは物的な要素に関係なく存在している。振動数がそもそも違うからだ。
磁気を特殊な機器で計測すると、植物でさえ切断された場所には元あった形のままオーラが存在している。デムサンダーの身体も同じ。失われた場所には霊体の手があり、エリスには薄く、かつ濃密な【設計図】がすでに見えていた。
あとはそこに肉体を新しく【組成】させればよかったにすぎない。その素材は塔の最上階から降ってきていたので、そこらにいくらでもあった。それだけのことである。
これは奇跡ではない。当然の結果なのだ。
それだけの条件が整ったにすぎない。
「お嬢様、準備ができました」
しばし姿が見えなかったディズレーが、軍用車に乗り換えてやってきた。荷台には新しく食料や備品などが色々と積まれている。もともと途中までバギーで牽引してきたのだが、エリスが急いでいたので置いてきたものを拾ってきたのだ。
「ありがとう、ディズレー。では、行きましょうか」
エリスは、二人に車に乗るように促す。今度は大きめの車なので四人ならば軽く乗れる代物だ。こちらのほうがパワーもあるし、これから先に便利である。
「どこに行くの? 出口?」
志郎は自分の問いがきっと否定されることを半ば確信している。出口に向かうだけならば、このような車は必要ないからだ。
そして、当然ながら答えもそうである。
「決まってますわ。会いに行くのよ」
「誰…に?」
「私をここに呼んだ本当の【首謀者】にね。あなたたちも興味があるのではなくて?」
そう言ってエリスは頭上を指さした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます