1 ブランチと交渉



「……」


 薄暗い宿の一室の、硬いソファーから身を起こす。

 光を入れようと思い、カーテンを開けようとして少し考えてやめ、外を覗くだけにとどめる。

 いい朝だ。雲一つない青空。…といってももう昼前だが。それに、あいつにとってはとても嫌な天気だろう。

 個室に備え付けのキッチンに立ち、ブランチの準備をする。

 普通の宿の個室にはキッチンなどないがここはそういう宿だ。訳ありの客が泊まるグレーゾーンな宿屋。プライバシーを重視しており、防音の個室は人と接しなくてもいいように、ある程度暮らしていける設備がある。その分料金も高くなっているが。

 ブランチはフレンチトーストだ。


「おう、起きたか」


 作り終わったところで、あいつが目を覚ます。

 俺のベッドを占領していた女は、目を覚ますと飛び起き、露骨に警戒して俺を睨む。


「待て。俺は敵じゃない。おい、待てって。おいおい、その枕をどうするつもりだ⁉壊して弁償するならお前がしろよ?この宿高いんだぞ!……はあ。敵どころか命の恩人なんだぞ。まあ、お前は既に死んでいるようだが」


 そう、この女は人間ではない。夜の王と名高い高位不死族アンデッド吸血鬼ヴァンパイアなのだ。下位インフィリアではあるが。

 だから、そんな化け物の膂力で枕を投げられたらたまったものではない。


「何のつもりでしょうか?人間が吸血鬼を匿うなんて」


 枕は置いてくれたが、どうやら警戒心を逆に強めてしまったようだ。


「警戒するのも無理はない。まずはこれを食って一度落ち着け。吸血鬼は食事すらできないわけではないだろう。それに、これには俺の血が入っている。まだ力は足りていないだろう?」


 女は警戒を解かないまま、食卓に着く。

 テーブルに皿を置き、俺も対面に座る。


「食っていいぞ」


 そう告げると、彼女はトーストにかじりつく。

 警戒しているわりに堂々としている。まあ、俺から逃げるとしても、力の補給はしておきたいところなのだろう。昨夜、死なない程度に少しの血をやっただけだからな。意識がなくとも、吸血鬼なら気道に詰まったところで普通に吸収するので適当にぶち込んでおけば問題ない。

 俺も自分のトーストを食う。なかなか上手く作れたようだ。もちろん、俺の分には血を入れてはいない。そんな気色の悪いことはしたくないし、これ以上は貧血になるのでできない。

 しばらくすると、女が口を開いた。


「で、なぜあなたは私を匿うのですか?昨夜何があったかも含めて話して貰えませんか」


 話す気はあるようだ。口調を敬語にし、情報を得ようとしている。事情が分からなければ行動することができないから、当然のことだ。


「まずは自己紹介だ。俺はセイル。冒険者をしている。階級は銀級中位、資格は『吸血鬼殺しヴァンパイアハンター』、『死霊術師殺しネクロマンサーハンター』、『聖術使い』を持っている。基本的に吸血鬼や死霊術師を討伐している」

「ますます意味が解らないです。私はあなたの敵だと思うのですが?」

「こちらにも事情がある。お前は貴重な情報源だ。昨夜、何があった?俺は倒れていたお前を拾っただけだからな、聴きたいのはこちらのほうだ」


 この女は昨夜、この街の路地裏でぶっ倒れていた。

 吸血鬼には派閥があり、マフィアのように夜の街で争っている。むしろマフィアの方が危険で活動できないが。

 吸血鬼達は大きな力をもつわりに慎重だ。動くときは集団で行動し、戦闘になったのなら必ず相手の口を封じる。そんな吸血鬼が単身で動いていたのなら、確実に何かがあったはずだ。


「もう一度聴こう。何があった?」

「……神盾聖騎士団アイギスが動きました」

「何?」


 それはマズい。神盾聖騎士団は、死霊術師やアンデッドの撲滅を掲げる集団だ。正式には騎士団ではなないが、軍部公認の組織の精鋭たち。全員が聖術使いである。

 見つかるわけにはいかない。


「私の隊に裏切り者の半吸血鬼ダンピールがいて、神盾聖騎士団に情報を渡したために、奇襲を受けたようです。私の所属部署は壊滅し、私は部下に逃がされました」


 下位吸血鬼の身で隊長なら、この女は低位不死族から昇華を重ねてきた|真祖(トゥルー)のようだ。

 しかし、思わぬ収穫だ。あまり期待はしていなかったが、よい情報が手に入った。


「それで、私をどうするつもりですか?」

「そうだな、お前はどうしたい?俺は情報を手に入れたから、お前をどうこうしようとは思わない。ただ、やりたいことがあるならば協力してやらんこともない」

「……あなたに何のメリットがあるのですか?」

「そうだな、俺について来ないか?ちょうど人手が欲しかったところだ」


 俺の目的のためにも、助手は必要だ。一人では無理がある。

 女は少し考えた後、答えを口にした。


「復讐がしたい」

「ほう?」

「私達を嵌めたあの半吸血鬼に、一矢報いたい」

「なるほど、無理だな」

「―――ッ!……どういうこと?」

「お前はさっきから質問ばかりだな。まあいい。理由は、ただ単純にお前の力不足ってだけだ」


 真祖とはいえ、まだこの女は弱い。


「半吸血鬼相手に吸血鬼が挑むということは、ハンディキャップを背負って戦うことになる。お前にはまだ早い」


 半吸血鬼の呪いは吸血鬼から派生したものだが、決定的に違うところがある。それは、対吸血鬼戦に特化した能力があることだ。

 半吸血鬼は吸血鬼を察知することができ、特定の手段を用いることなく基本不死身の吸血鬼を殺すことができる。また、吸血鬼の能力を一部引き継いでいるため、同族や人間、魔物と戦うこととはわけが違う。

 吸血鬼は慎重ではあるが、その高い能力をもつが故に驕りがあり、半吸血鬼には足元を掬われることも少なくない。真祖ならば弱い時期の経験があるため驕りは少ないが、いかんせんこの女は弱すぎる。


「それでもっ―――」

「待て、そう急くな。永遠に無理といっているわけではない。鍛えれば済む話だ。それに、今は状況が悪い。一度この街から離れた方がいいだろう」


 神盾聖騎士団は危険だ。できる限り接触はなしにしたい。


「お前にその気があるのならば、俺が鍛えてやろう、どうだ?」


 女は少し考えた後、答えを口にした。


「乗ります、その話」


 交渉成立だ。


「では、お前の名を教えてくれないか。もう赤の他人じゃあない。いつまでもお前では面倒だ」


 俺は少し口調を軽くし、そう言った。


「そうですね。わかっていた方が便利でしょう。私の名はリーレ。得物は長槍で、今は拡張袋に入っています。魔法適性は氷と毒ですが、あまり得意ではありません。よろしく」


 敬語は変わらないが、幾分か声色は和らいでいる。警戒しても無駄だと思ったのだろうか。


「ああ、こちらこそ」


 右手を差し出したが、左手で返された。どうやら信頼できない相手に利き手を預けてはならないと分かっているようだ。いい度胸じゃないか。俺も左手を差し出し、握手をした。




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