第47話 意識していないだけで

「なぁ和樹、なんかお前最近機嫌良くね?」

「……そう見えるか?」

「おう。幸福度高そうな顔してるし」

「いやどんな顔だよ」

「今のお前みたいな顔だな」


 ほれ見てみろ、と手渡された手鏡を覗けば、そこにはいつもと大して差異のない腑抜けた和樹の顔が映っていた。


 何が変わったかを解明すべくしばらく鏡と睨み合いをしてみたが、特にこれといった変化は感じられない。


「どこも変わってねぇだろ」

「うーん。分かんねぇか」


 手鏡を折りたたんでから真治に返却すると、真治は嘆息して、見るからに呆れた表情を向けてくる。


「ならば証人を増やそう」

「要らん」

「誰にしよっかなぁ」

「待てお前がこういう時に呼ぶのって」

「おーい由奈。ちょっといいか〜」


 和樹が真治を制止させようとした時には既に遅く、真治の呼びかけに気づいた由奈は友人との雑談を切り上げてこちらに小走りで向かってきた。


「なんでしょうか真治の旦那」

「急にごめんな」

「気にしなくていいよ。さてさて、要件は何かな?」

「今の和樹を見て、由奈はどう思うか率直な感想を言ってくれ」

「え、和樹がどうかしたの」

「まぁ、観察してみれば分かる」

「ほほう……」


 由奈は興味深そうに和樹をまじまじと見つめると「ちょっとだけ触るね」と和樹の頬を指先でちょいちょいとつねった。


 いきなり躊躇ちゅうちょなく触られたので動揺しかけたが、由奈は慣れているのか表情はニヤついた笑みのまま殆ど変わっていなかった。


(……日頃から真治とイチャイチャしてるからかもな)


 つい最近まで楓華とのスキンシップ云々うんぬんで照れていた自分が馬鹿馬鹿しくなってしまう。


「……これに何の意味が」

「黙ってて和樹。私が作業に集中できないでしょうが」

「理不尽極まりない」

「お黙りなさい」

「ふぁい」


 なんの躊躇いもなく触ってくるので、多少交流がある仲とはいえこういったスキンシップにあまり慣れていない和樹としては少しでも早く終わってほしかった。


「……おい由奈、まだか」

「ふむふむなるほど……よし終わり!」

「やっと終わったか」

「それでは由奈さん、和樹の調査報告を」

「イエッサー」

「さっさと終わらせてくれ」


 人の頬をつまんだだけでその人の考えていることなど判断できる筈がない。


 仮に何を言われたとしても「そんな訳ねぇだろ」と受け流してしまえばいいので、特に問題は発生しないだろう。


 何を言われても心配ないな、と次の授業に使用する教材の準備を始めた和樹を、どういう訳か由奈が凝視していた。


「どうかしたか?」

「やっぱり、最後にいくつか質問してもいいかな?」

「いいけど」

「和樹は土日にどこかに遊びに行ってた?」

「ほぼ家に居た」

「ふーん」


 土曜は自分へのご褒美として出かけようとして琴音と彩夜に連行され、日曜は楓華に料理のコツを教えてもらった。


 なので「ほぼ家に居た」という答えは嘘ではない。


「誰かと遊んだりした?」

「少し隣人と話したけど、他は特に」

「ふむふむ」

「それで由奈、和樹をどう思うよ」

「うーん、これはクロですねぇ」

「やっぱりか」


 何がやっぱりなのか分からない和樹はぽかんと首を傾げたが、真治と由奈はどうやら意見が合致したらしく、にまー、と不気味な笑みを浮かべていた。


 誤解を通り越して何か面倒な事を既成事実化されている気がしてならなかったが、こればっかりは当人たちが言葉にしてくれないとその違和感の真相は分からない。


 やけに上機嫌になっていた2人から目を逸らすと、真治と由奈は和樹の席の横にまで近づいてきた。


「和樹、お前──彼女できたんだな」

「あ?」

「うんうん、俺はいいと思うぜ」


 唐突に何を言い出すのか、と真治を見やると「どうよ正解だろ」とでも言いたげに口角をあげていた。


「隠さなくても分かるよ。私の嗅覚が青春の匂いを感じ取ったんだもん」

「お前は探知犬か。そもそもどんな匂いだよ、それ」

「イチャイチャの匂い」

「すまん余計に分からん」


 由奈も由奈で意味の分からないことを言い始めるので、和樹では収集をつけることができず、嘆息するしかなかった。


「ていうか、お前ら何言ってんだ。俺なんかに彼女できると思ってんのか。仮にできたとしても俺のどこに惚れる要素があるんだよ」

靴紐くつひもが結べるとことか」

「和樹は右と左の区別がちゃんとできるところが凄いと思うよ私は」

「……気のせいかな。何もないって言ってくれた方が嬉しい気がするんだが?」


 何故か褒められるどころか無意識に煽られている気がしたが黙っておこう、と喉まで出かかっていた言葉を飲み込んでから、和樹は2人を一瞥いちべつした。


(まぁ確かに、コイツらに比べたら俺に長所なんてないよな)


 真治は一見チャラそうな雰囲気をしているがその見た目とは裏腹に性格は温厚で、人当たりがいい。


 その彼女である由奈はとにかく活発的で無邪気な性格だが、その行動には必ず明確な理由が存在しており、常に周りに気を配れるクラスのムードメーカー的な存在だ。


 それぞれには、和樹から見ても、人としての長所がしっかりと確立されている。


 それに比べて、和樹はこれといった長所や個性はほぼ皆無に等しい。


 以前、和樹の長所について楓華に褒めちぎられかけたことはあるが、あれは偶然に偶然が重なっただけで、和樹が特別褒められることをしたわけでは無い。


 仮に和樹に惚れる人が居たとして、その人物は自分のどこを好ましいと思えるんだ、と疑問をぶつければ、真治と由奈は呆れた顔でぐいと顔をこちらに寄せていた。


「冗談だって。ちゃんと和樹にはいい所沢山あるって」

「そうそう。なんたって俺達の友達なんだからな」

「……『ちゃんと学校に鞄持ってこれてる』とか言ってきそう」

「ちゃんと褒めようと思えば褒められるぞ」

「なら言ってみてくれよ」


 別に褒められることを期待していたわけではないのだが、無理やり褒めているか感がいなめなかったので、それはそれでなんだか無性に悔しかった。


 かと言ってこの2人なら本気でそう思っている可能性もあるだろう、と怪しんで和樹を褒めるように催促さいそくしてみると、真剣な表情で返答してきた。


「えっとね、1人暮らししてて生活力そこそこ高い所とか」

「慣れだろあんなの」

「料理もできるじゃん」

「週2で失敗するけど」

「頭もいいだろうが」

「成績維持は1人暮らしの条件だからな」

「顔も整えれば悪くないだろ」

「……そりゃどーも」

「私は一緒に居て楽しいと思うな」

「……そうかよ」


 立て続けに飛び出してくる割とまともな褒め言葉に、和樹は自然と頬を赤くなる。


 お世辞が入ってるかもしれないとはいえ、2人にそこまでよく思ってもらっているとは考えていなかったし、割と真剣に言っているものだから褒められる側としては恥ずかしいことこの上ない。


「お世辞じゃないからね?」


 疑っているのを見透かされたのか、由奈は本音ということをはっきり伝えようと和樹の瞳をじっと見つめてくる。


 余計に恥ずかしくなってしまった。


「……はいはい分かったっての。もう止めろ、恥ずかしい」

「ツンデレ乙」

「真治てめぇ後でぶっとばす」

「お、やるか?」

「あ、ねぇねぇ2人とも」


 喧嘩の仲裁をしようとしたのか、由奈が睨み合う和樹と真治の間で小さな腕を振った。


「えっと……そろそろあの時期だよね?」

「あの時期?」


 なんだそれ、と和樹が首を傾げると、真治が何かを思い出したかのように「あっ」と目を見開いた。


「そっか、もうそんな時期なのか」

「いやだからどんな時期なんだよ」

「あれ、お前分からないのか?」

「さっぱり」

「クリスマスだよ! クリスマス!」

「あぁ。そう言えばそんな時期か」


 和樹にとってクリスマスは、友人とワイワイ騒ぐわけでもなく、彼女とイチャイチャするわけでもない。


 やることと言えば、親に初詣に行くか行かないかの連絡をするぐらいだ。


 なので、いざクリスマスが迫っていると言われても特にこれといって何も感じない。


「なんだよ、嬉しくねぇのか」

「まぁ、もうクリスマスなんだなとしか」

「えぇー。和樹は何か予定とかないの?」

「なんにもないな」

「寂しくないの?」

「別に」

「仕方ねぇ。俺たちが賑やかにしてやろう」

「なんでだよ。却下する」

「和樹のケチー」


 賑やかにするといっても目の前で2人でイチャイチャされるのが目に見えていたので断れば、分かりやすく由奈の頬が膨らんだ。


「嫌なの?」

「嫌ってわけじゃないけど……どうせ俺の家で、とか言うんだろ?」

「まぁそうだな。俺の部屋は足の踏み場ないし由奈の家は親が許してくれなさそうだし」

「うん、うちは多分無理。親が無駄に厳しいんだよねぇ」

「というわけでさ……頼めないか?」

「そんなにイチャつきたいのか?」

「お前と遊びたいってのもある。というかそっちが本命」

「……分かった。だけど、過度にいちゃつくのは禁止な」


 そこまで拒みたい理由もないし、と条件付きで承諾すると、真治が苦笑する。


「俺たちにできると思うか?」

「スキンシップが激しくなってきたら外が猛吹雪だろうと問答無用で追い出すからな」

「容赦ねぇなぁ……了解。気をつける」

「私の力の限り尽くすことを誓いまーす!」

「おう。それで、どうするんだ。料理とかはある程度俺が作ってもいいけど、さすがに豪華な品は作れないぞ」


 楓華の指導のおかげで、ある程度料理が得意になってきているので、頑張れば真治と由奈が満足できる料理は作れるだろう。


 しかし、さすがに飲食店に並ぶクリスマス仕様の豪華な品々に比べれば見劣りするし、ケーキなどの作った要求されても作ることはおそらく不可能に近い。


 仮に作れたとしても、それは理想とは程遠い品となってしまうことが容易に想像できる。


「いや別に、俺らはお前が作ってくれた料理が食べられればそれでいいぜ。なぁ由奈?」

「うん。私も前から和樹の料理、食べてみたかったんだよねぇ」

「あんまり自信ないんだが」

「別にいいっての。いつも持ってきてる弁当とか結構美味そうだし、絶望的に下手くそっていう訳じゃないだろ?」

「まぁ、人並みにはできると思うけど」

「なら謙遜すんなよ」

「そうそう。あ、その代わりに私たちがケーキとかパーティーグッズとか買ってこようか?」

「それ賛成。和樹が料理作って、俺たちが盛り上げる。完璧な布陣だな」

「近所迷惑にならない程度にしろよ」

「はいはーい! それじゃケーキ予約しとくね。あ、2人は何のケーキがいい?」

「んー、俺はモンブランで」

「和樹は?」

「チーズケーキで頼む」

「はーいっ。私は何にしよっかなぁ」


 制服のポケットからスマホを取り出した由奈は、慣れた手つきでケーキの予約を始めた。


「ねぇねぇ真治、このケーキ可愛くない?」

「うわ可愛いなこれ。でも俺はモンブランが食べたいんだよなぁ」

「それじゃ、私がこれ頼むから1口あげる」

「おっまじか」

「その代わり、真治のモンブランも美味しそうだから1口ちょうだい」

「りょーかい」


 そんな2人の会話を聞きながら、和樹は今年のクリスマスは騒がしくなりそうだな、と1人で苦笑するのであった。

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