第43話 スキンシップは程々に

「ごちそうさま」

「はい、お粗末さまでした」


 楓華と和樹が共同で作った品々を綺麗に食べ終えた和樹が満足げに膨れたお腹をさすると、楓華はうっすらと微笑みを浮かべる。


 その表情からは、残さず食べてくれて嬉しい、という穏やかな感情が伝わってきた。


「いや、まじで美味しかったな」

「何回言えば気が済むんですか」

「そりゃあ、何回言っても足りないぐらいに美味かったからな。まだ言い足りないかも」

「和樹くんはお世辞が上手ですね」

「誇張したつもりはないんだが」

「そうなんですか」

「おう。全部嘘偽りない感想だからな」


 念を押すように美味しかったと告げれば、楓華は照れくさそうに視線を逸らした。


 そして、コップの中に残っていた緑茶をごくりと飲み干した和樹に「まったくもう」と呆れと嬉しさが混同したような声を送る。


 楓華の料理の腕前はかなりのもので、1度や2度隣で見て教えてもらうだけでは参考程度にしかならなかった。


 それほどに、彼女の料理の腕が卓越していたのだ。


 アドバイスは的確なのだが、それに対して和樹がついていけていない事が多く、自分の不器用さを何度も恨む羽目になった。


 1人暮らしを親に宣言する前に、つかみ部分だけでも教えてもらえていたら少しは上達の速度違ったのではないか、と当時の勢い任せな自分を責めてやりたかったが、あいにく過去を責めても今の料理の腕は変わらない。


「……ほんとに今日はありがとな。急な話だったのに、予定合わせてくれて」

「もともと今日はやりたいことも特になかったですし。大丈夫ですよ」

「そう言ってもな、わざわざ俺の家まで上がって教えるってのは手間がかかるだろうし」

「私が面倒だと思ってはいませんよ。そもそもそうならば、提案すらしていません」

「まぁ……それもそっか」


 楓華がそう言うのならそうなのだろうが、それでも本当にここまでしてくれていいのかと悩む。


 世話になっている人に親切にする、という良心の範囲を明らかに超えている気がしてならなかった。


「……お世話になってきたぶん、お返ししたい。それじゃ、駄目ですか」

「言うほど何回も世話焼いてないだろ」

「回数ではなく、大きさの問題です」

「そうか?」

「……そういったところが和樹くんのいい所なのですけど」


 苦笑にも似た表情を浮かべながら、楓華は和樹を直視する。


「お節介を焼くのは得意なのに、焼かれるのは苦手なんですね」

「得意とか苦手とか、そういうもんでもないだろ。そういう機会に恵まれてないだけだ」

「なら、私がお節介を焼いてあげます」

「別に無理にしなくてもいいだが。そもそもお節介を焼くって言っても何をするんだよ」


 楓華が和樹にお節介を焼く、と言われ、どんなことをするのだろうかと気になって質問すると、楓華は微妙に頬を強ばらせた。


 一体何を考えているんだ、と色鮮やかな瞳を見つめると、視線をあちらこちらに泳がせ始めていた。


 とりあえず言ってみたが何も思いついていないのか、はたまた和樹と面を向かっては言いづらい程のものなのか、和樹は首をかしげながら楓華の回答を待つ。


 じいっと見つめれば、楓華はボソリと小さく呟いた。


「例えば……」

「おう」

「頭とかあごを撫でる、とかですかね?」

「俺は猫か。……それはお節介じゃなくて、ただ甘えさせてるだけだと思うんだが」

「じゃあ……抱きつくとか」

「いやいや。完全に男女の友達の範囲内でやっていいことじゃないだろ、それ」

「でも癒されると思いますよ。姉さんたちにいつもしてもらっていましたし」

「それとこれとはわけが違うだろ……」


 楓華に抱きついていい、と言われてもしないとは思うが、仮に楓華に抱きついたとして、それはそれで落ち着くどころか心臓が破裂しかけてしまう恐れがある。


 案外、楓華は箱入り娘なのかもしれない。


 和樹が楓華のことを異性として気にとめていないだけであって、実際のところ楓華はかなりの美人だ。校内でも、彼女に好意を向ける男子の数はまだ増加しているらしい。


 楓華のことをどう思うか、と訊かれれば真っ先に「美人で可愛い」と答えるだろう。


 それに、和樹も一応は男なので、よこしまな行動を絶対にしない、とは断言できない。魔が差して取り返しのつかないことをしてしまう可能性だってある。


「もちもちしてて、肌触りはかなりいいとおもうのですけど。ある程度ですが、体は鍛えているので、いい感じに低反発ですし」

「低反発って枕とかに使う言葉だよな……。というか、そういう問題じゃなくてだな」

「信頼しているからこういう提案をしているのですよ。和樹くんなら、節度を守って触ってくれそうですし」

「いや、そもそもこれお節介を焼くっていう話だからな。癒しを与えるのが目的になってないか?」

「それはそれで結果オーライです」

「よくないっての。もし俺がヘトヘトに疲れてる時とかに『触っていい』的な発言をしたら、もしかしたら襲うかもしれないんだぞ」


 心から信頼してくれているのは有難いのだが、それ故にガードが緩くなりすぎているのではないか、と警告をしつつ返事をすれば「少しぐらいなら構いませんよ」と余裕たっぷりの微笑みを向けられた。


 一瞬、気が揺らいだ。


「少しぐらいなら……いいんだな?」


 苛立っていたわけではない。


 しかし、和樹の中に僅かながら存在していたプライドが、自然と和樹の腕を突き動かしていた。


 和樹の手が掴んだのは、楓華の華奢きゃしゃな二の腕。右手と左手で、楓華の腕をそれぞれ握る。


 和樹なりに試行錯誤した結果たどり着いた、自分が許せる触り方がこれだった。


 楓華の事前情報通り、その感触は衣服越しでも伝わってくる、とてももちもちとした心地よい感触だった。疲れた時に、何も考えずに触っていたいような弾力。


「えっ……えぁ……あのぅ?」


 一方の楓華は、まさか触られるとは思っていなかったのか、目にぐるぐると渦を巻いて白い肌を真っ赤に染め上げていた。


 開封した直後のカイロのように、時間が経つにつれてじわじわと熱を帯びていく。


「……悪い。やりすぎたな」

「……ひ、ひゃい」


 流石にやりすぎたかもしれない、と手を離した時には既に手遅れで、楓華は放心状態のまま、焦点の定まっていないであろう瞳で和樹を見上げる。


「……えっと、これにりたら、気安く触ってもいいなんて言うなよ」

「き、気をつけます」

「よろしい」


 とろみを帯びたその瞳は、何が起きたのかをまだ理解出来ていない様子で、楓華は自分の二の腕と和樹の手の間で視線を行ったり来たりさせていた。


「……食器、片付けるぞ」


 楓華のその表情に、やってしまった、と後悔しつつ逃げるようにキッチンに向かい皿洗いの支度を始めたが、楓華は「……はい」と小さく頷くだけでその場から動こうとしない。


「なぁ楓華」

「は、はい!」


 呼びかけると、楓華は肩をびくりと震わせて慌ただしくこちらを振り向く。


「えっと……その食器とタッパー、持ってきてくれると助かる」

「わ、分かりました。今すぐにお持ちいたしますので」


 その慌てっぷりに、和樹はどうしていいものかと頬をかく。


「……ど、どうぞ」

「お、おう」

「……」

「……」


 和樹は楓華に何と声をかけていいのか分からず、沈黙を誤魔化すように、わしゃわしゃと洗剤で泡立てたスポンジで食器を洗っていく。


(……やっぱり、謝るべきだよな)


 楓華が許可をしていたとはいえ、少々乱暴に触ってしまったのは和樹も自覚している。


 理性のかせから飛び出そうとしていた衝動を抑えることができなかったのだから、ここは和樹が頭を下げて然るべき状況だろう。


「……その、楓華。さっきは」

「次からは、ちゃんと言ってください」


 和樹の謝罪を、楓華はかき消すようにそう呟いた。


「いや……次も何も、これからはあんなことはしないようにするから」

「……言ってくれれば大丈夫です。今回は、その、心の準備がまだ整っていなかったというか」

「準備とかの問題じゃなくて……なんて言うんだ? 好きでもない男に体を触らせるのはよくないというか、駄目だろ」

「……何故ですか」

「俺だって男なんだし、相手がガードを緩めたら、狼みたいに襲うかもしれないだろ」

「でも狼って、仲間想いって言いますよ」

「……そうじゃなくて、俺に体を手当たり次第に触られたりしたら、嫌だろって話」

「嫌ではありません」

「気を遣わなくてもいいんだぞ」

「この人になら触られてもいい、と思っている人がそれを望んでいるのであれば、私は拒んだりしません。それに、和樹くんのお願いなら尚更です」

「……そ、そうなのか」


 自分だけは優遇されている、というむねの発言をされて、和樹の理性は揺らいでいた。


 素っ気ない返事と共に口から出たのは、言葉にするのが難しい、多種多様な感情の詰まったうなり声。


 楓華に聞こえないように声量は絞っているものの、我ながら情けない声が無尽蔵むじんぞうに漏れてくる。


「……なので、ちゃんと前もって言ってくだされば、触っても構いません」

「……機会があればな」


 和樹はもう2度とその機会は訪れないだろう、と心に言い聞かせながら、僅かに脳裏に存在する不埒ふらちな感情を消していったのだった。

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