第44話 あかりの灯るとき

「あの……和樹くん。1つ、大事なお話があります」


 世間話や和樹の料理の失敗談の話をしながら昼食の片付けを終えた後、ふと、楓華が真剣な眼差しでそう言った。


「なんだ、そんなに改まって」

「……謝りたいことがあるというか」

「謝りたいこと?」

「……はい」


 やけに言いづらそうに俯く楓華に、和樹は眉をひそめる。


「謝るって何を」

「和樹くんに、嘘を、ついていたので」


 もじもじと視線のやり場に困っている楓華と目が合うと、それからすぐにまた俯いてしまう。


 長い銀髪に隠れて、その表情をうかがうことはできない。


(姉妹関連の話か……?)


 特に思い当たる節もないので、何となく楓華に関わりのありそうな事柄を考えてみたものの、琴音と彩夜のこと以外には何も思いつかなかった。


 とりあえず話を聞こうと、和樹の座っているソファーの隣をぽんぽんと叩いて、腰かけるように促す。


 弱々しい笑みを浮かべる楓華は、何も言わずにこくりと頷いてから、和樹の横に腰を下ろした。


「……まぁ、とにかく話してくれ。多分、余程のことじゃない限り怒らないと思うから」


 今まで楓華と接してきた期間は、和樹にとって、どれもがとても楽しい時間だった。異性と関わることに興味をなくしていたことが、馬鹿馬鹿しいと感じてしまうほどに。


 そのため、和樹は楓華に対して、純粋に人として好ましいと思っている。友人になれてよかった、と思ったのは1度だけではない。


 なので、嘘の1つや2つを白状されたところで、和樹の中での楓華の印象が悪くなることはほぼないだろう。


 和樹がそう告げると、楓華は抑揚よくようのない声音で返事をする。


「……ほんとですか」

「まぁ、実は財布を盗んでた、とかだったら少し怒るかもな」

「ち、違います。そんなことはしてません」

「そうか。……言いづらいなら言わなくてもいいんだぞ?」


 そもそも、和樹は楓華の嘘について、自白するように強制しているわけではない。誰にだって隠し事はある。もちろん、和樹にも。


 人間という生き物は、考えていることの全部をさらけ出すことなんて不可能なのだ。


 時には、無意識に自分自身にだって嘘を吐くいうのに。


「いえ……ちゃんと言います」

「そうか。偉いな、楓華は」

「偉い……とは?」

「あ、いや。……なんでもない」

「そうですか?」


 つい口からこぼれた自分の発言に動揺しつつも、和樹はそれを悟られないように話題を戻す。


「それで、俺についてた嘘ってのは?」


 和樹がそう尋ねると、楓華はくしゃりと顔をゆがめて、困ったように微笑んだ。


 その眼差まなざしは、見ているこちらが気疲れしてしまいそうなほどに暗くよどんでいた。


 仮にどんなことを言われても怒るようなことはないだろうと思いつつ、和樹は楓華の返答を待つ。


 何をすればいいか分からず、和樹が瞳を泳がせていると、数秒ほどの沈黙を破り、楓華は口を開いた。


「……実は私、本当はすごく料理が苦手なんです」

「……うん?」

「だ、だから……その、私は料理を作るのが苦手だったんです!」

「いや聞こえてるから。……ていうか、それが嘘の内容?」

「……そうです。幻滅、しましたか」

「いや……えっと」


 理解が追いつかずに返答の言葉を探していると、うっすらと瞳を湿らせている楓華と目が合う。


「……でも、さっき教えてもらった時は普通に上手だと思ったんだが」


 あの腕前で料理を作るのが苦手だ、と言う楓華の発言を信じられず、唖然とする。


 あれで下手だの苦手だの言われてしまえば、和樹の料理の腕なんて地の底レベルになってしまう。


「この前、姉さんたちと練習したので」

「なら、嘘じゃなくないか?」

「えっと……話せば長くなるのですが、以前、和樹くんを看病させてもらった時に作り置きとしていくつかタッパーを冷蔵庫に入れていたんですけど……実はあれ、私が作ったものではないんです」

「えっ、じゃあ誰の」

「……姉さんたちです」


 あぁなるほど、と内心頷きながら、和樹は楓華に視線を向ける。


「つまり、楓華が琴音さんや彩夜さんに頼んで、それを楓華が自分が作ったってことにした、って感じか?」

「……はい。私が自炊を苦手としていたので、姉さんたちが家に来た際にいつも作り置きを残していってくれてたんです。なので、それを……和樹くんに渡しました」

「それだけなら、別によくないか」

「それだけって。……私のこと、つまらない人間だな、とか思わないんですか」

「少し驚いたけど、まぁそれだけだな。つまらない人間とは思わない」


 楓華は恐らく、他人のものを自分の成果物にしたことを後悔しているのだろう。


 相手を助けるためとはいえ、自分を偽ってしまったことを許せず、こうして今、和樹に真実を話しているのだ。


「……ていうか、それなら俺も似たようなことしてるし」


 信じられない、と言わんばかりに、楓華は両目を見開いた。


「……和樹くんが?」

「初めて会った日に、数学のノート見せてもらっただろ? その問題を授業中、先生に当てられたから、楓華から教えてもらった通りに説明したんだ」

「でもそれは、嘘ではないと思うのですけど」

「いや、嘘をついたのはこの後だ。先生に『1人で解いたのか?』って訊かれたときに、実は『1人で頑張りました』って答えたんだ」

「それが、和樹くんの嘘ですか?」

「あぁ。どうだ、幻滅したか?」


 あえて先程の楓華に似せた言葉を返せば、楓華は首を緩く横に振った。


「そんな些細なことで、幻滅なんてするはずないですよ。そもそも、謝る必要性すらないです」

「楓華も同じだと思うんだけど」

「同じ?」

「謝る必要性がないってことだ」

「そ、そうなのですか?」

「おう。だからそんなにしょげた顔すんな。せっかくの可愛い顔が台無しだろうが」


 謝らなくていい、と言われて、目をしばたかせる楓華。


 呆気に取られている雰囲気が伝わってくるものの、和樹はそのまま会話を打ち切る。


 楓華は他人には甘いが、自分の事となると非常にストイックで滅多なことでは自分に対して甘やかさないタイプだと思う。


 言い方を変えれば、甘やかし方を知らないとも言える。


 たまには自分を甘やかしていいんだぞ、という意を込めて視線を楓華に向ければ、楓華は顔を赤らめてぽかんとしていた。


「和樹くん……い、今なんて言いましたか」

「……? そんなにしょげた顔すんな、って言ったけど」

「そ、そのあとです」


 やけに物言いたげな様子な楓華に疑念を抱きつつも、和樹は先程の発言を思い出そうと腕を組む。


「えっと確か、せっかくのかわ──あっ」

「……思い出しましたか」

「いやっ……ごめん。無意識で」

「……む、無意識、ですか」


 なんの前触れもなく面と向かって「可愛い」と言ってしまったこと詫びようと試みるが、かえって逆効果だったらしく、楓華の顔はすっかり熟したリンゴのように赤く染まっている。


「い、嫌だったよな。すまん」

「……謝らなくて大丈夫です。嫌ではなかったので」


 その朱色の瞳は、羞恥からかほんのりとうるんで揺れている。


「と、とにかく。……この前のことは気にしなくていいから。結果として俺は体調を早く回復できたし。むしろ感謝してるぐらいだから、謝らなくていいからな」

「……はい」

「俺の嘘は……まぁ、その、ごめん。あの時は楓華と交友関係があるって周りに言うわけにもいかなくて。……すまん」

「い、いえ。私はそれで特に損をしたわけでもないので、お構いなく」

「ありがとう」


 無理やり話をまとめて、和樹はいたたまれない気持ちを堪えきれずに楓華から視線を逸らした。


『嫌ではなかったので』


 しばらくの間、頭の中でその言葉が反芻して離れてくれなかった。


 隣に居る楓華の顔色を窺えば、少し照れた表情で横髪を人差し指にくるくると巻き付けていた。


 しばらくは目を合わせることすら困難だろう。


(次からは、もう少し言葉を考えてから話さなきゃだな)


 和樹はそう自分に言い聞かせ、楓華に聞こえない声量で、小さくため息をついた。

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